第四話 新年度





 魔女が現れた頃の話をしよう。







 現在教師として在籍している私立高校にやって来たのは5年前から。今年で勤めて6年目だ。


 ここはわたしの母校でもある。


 平たく言えば渡りに船だったのだ。

 別の公立高校に勤めていて定期的な転勤のタイミングを切っ掛けに、かつての高校の恩師の勧めもあって、母校の採用試験を受けてみたのだ。

 ……転勤の煩わしさも大きな理由だが、『母校に帰り教鞭を取る』というある種のドラマの始まりか終わりのようなわかりやすい図式に内心ときめいてしまった部分があった。

 相変わらず子供の憧れの延長線上で仕事をしてしまっているような稚拙さ加減にへきへきさせられる部分も無くは無かったが、まぁ、待遇は良かったので善しとした。


 今年もまた四月を迎え、わたしは二年生の担任を受け持つ。


 前年度は初めて三年生を受け持ち、受験生達のサポートを行う苦労を嫌と言う程味わうことになった。

 最終的には各生徒の頑張りが全てなのだが、教師側の支援も非常に重要である。 クラスの生徒それぞれの進路・成績・モチベーションを把握し、最適なバックアップをしていく。

 他の先生方に多大な助力を借りながらではあったが、就職した生徒や浪人を決めた生徒も含め、生徒達みんなの進路の足掛かりになれた実感はあった。

 それが勘違いでないと切に願う。


 受験生を受け持つ教師の重圧を痛感した一年だった。

 今年は二年生の担任を任せられたが、正直、去年ほどのストレスは無いだろうからと少しほっとしている部分はあった。


 実際、前年度との責任感のギャップで、気持ちにはかなり余裕があったと思う。

自身の業務と関係無い部分を気に留める視野の広さを持てていた。


 その業務外の視野の広さのお陰で小さな懸念をひとつ抱えていた。


 いや、本当にどうでもいいレベルの小さな懸念なのだけれど。






「へぇ……、同級生の息子さんが入学してきたんだ?」


 わたしの言葉に養護教諭の園部冬芽そのべふゆめは半ば楽し気に目を丸くして見せた。


 四月の終わり頃、休憩時間の食堂のすぐ外の自販機、固定されたテーブルや長椅子が並べられちょっとしたオープンテラスを模したような区画に於いて、わたしと園部は自販機の傍でそれぞれ購入した飲み物を片手に世間話をしていた。


「えっ、名前は名前は? 何組の子?」

 園部はニヤリと楽し気な表情を浮かべてわたしに尋ねる。


 ……園部冬芽は『保険の先生』らしく清潔感を印象付けるためなのか、仕事中は殆ど化粧をしていない。

 年齢はわたしと同年代で年相応に笑うと皺が目立つようになりつつあるが、目鼻立ちがはっきりしていて薄化粧でも十分美人だ。というか、薄化粧で白衣姿、艶やかな黒髪を纏めてポニーテールにしている飾り気の無い姿なのに、どうにも過度に艶めかしい。

 華やいだ世界の女、というおよそ真昼の高等学校に相応しくないアダルティなオーラをまとってしまっている。恐らく表情や仕草のひとつひとつに、可愛らしさとセクシーさがない交ぜになったニュアンスが微かに含まれている。

 それは、『そういうモノ』を日常的に意識的無意識的に使用している事の証左でもある。

 プライベートの彼女は化粧もファッションもバッチリキメて物凄く美人だろうと、わたしは勝手に妄想している。


 まぁ、酷く身勝手な私見なので絶対に口には出さないが。


「四組の瀬河玲せがわれいという子です」


 わたしは辺りに気を遣うように、ひっそりとした声で明かす。

 特定の生徒に対して教師同士が噂話をしているのは当然あまり気持ちの良い光景ではない。


「ふーん、インパクトのある名前だね」

 園部は、新たに知った生徒の名前を反芻するように口にする。


 それは、わたしが初めて『瀬河』という苗字を目にした時の感想と似通っていた。

 瀬河、苗字の字面からしてインパクトがある。


 しかしそれは、わたしが『瀬河』という苗字から連想する人物に由来するかも知れない。


 瀬河玲君の父親である『瀬河長幸せがわながゆき』はかつて緋山奈智子と交際していた人物である。

 奈智子と笑い合いいちゃつき合い、三年生になるかならないかのタイミングで別れた人物。


「それで、悩んでいるというか、ちょっと迷っていることがありまして」

「うん、なに?」

「その瀬河玲くんとの距離感と言いますか、もし何らかの形で校内で瀬河くんと出くわして行動を共にするタイミングがあったときに、自分と瀬河くんの父親が同級生だったと世間話で話すのは適切なのかなぁ、と悩んでいまして」

「んー、わたしは特に問題無いと思うけど?」

 園部は特に思案する風も無くアッサリと言う。


「いや、問題は無いとは思うんですけど……」


 内心、「果たして本当に問題は無いのか?」と疑問をちらつかせながらを口先の上でだけ認め、話を進める。


「生徒の家庭に触れて距離を詰めようとする感じがなんか、不健全で嫌らしい気がするんですよ。瀬河くんのお父さんとも実際それ程仲良く無かったですし」

「不健全」

 園部が興味深そうにリフレイン。


 わたしが瀬河玲の父親、瀬河長幸に関して知っていることと言えば奈智子を通して知った甘酸っぱい青春の記録だけだ。その息子に訊かせるべき話題であるようには思えない。もちろんそんな話はしないけれども。

 ただ、だからと言って、瀬河玲の父親の同級生にも拘らずそれに頑なに黙ってやり過ごそうとするもの、それはそれで『不健全』な気がする。


「いや、深く考える必要は無いと思うけどな」

 園部は飽くまでもあっけらかんと言う。

「近所のおばちゃん的な雑なウザ絡みで良いんじゃない?」

「ふふ、雑な、ウザ絡み」

 園部の身も蓋も無い言い様にわたしは少し笑ってしまった。確かに園部の言うように、少し難しく考え過ぎなのかも知れない。それは自分でもよくわかっているのだが。


「逆にお父さんと同級生なのに話題にしないっていうのも変な感じでしょ?」

「そうなんですよね……」

「それに、恐らくだけど……、たぶん高津先生が言わなくても木之下きのした先生が教えちゃうんじゃないかな」

「あー……」

 わたしは思わず脱力した様に呻いた。どうしてそこに考えが居たらなかったのだろうか、と自問するように。

 木之下東子きのしたとうこ先生、今年一年生を担任する50代後半の教師で、『近所のおばちゃん的なウザ絡み』を行う典型的な人物である。ゴシップ好きであるのを無視しても、木之下先生が本校の卒業生を父親に持つ生徒を把握していないとは思えない。


「……生徒の前でそういう話をしちゃう様子がバッチリ想像出来てしまいますね」

「でしょ?」

 お互いに呆れたような、ちょっと嫌らしい笑みを浮かべた。


 しかし客観的には妙な話かも知れない、40代前半の2人が50代後半の人物をおばさん扱いしている状況は。

 わたし達からすればその年齢の隔たりは非常に大きな壁なのだけれど、多分生徒達からすれば誤差のレベル。どっちも似たような『おばさん』にしか見えないのだろう。

 自分が学生だった頃を思い返せばよくわかる。


 母校で働いている事が起因しているのかも知れないけど、今の自分の中には『教師の自分』と『学生の自分』が同居して同じ風景を見ている部分がある。

 教育者としてはそれなりに有用なモノの見方ではあるけれど、未だに子どもの感覚が抜けていない実感もあり、小さな自己嫌悪の火種のひとつでもある。

 大丈夫大丈夫、生徒達の気持ちを自分に投影しやすいのは強み! 巧く活かせば強み! と無理やり己を肯定するようにしている。


「でも、不思議なんですけど、自分の親と同じ高校に通おうとするっていうのはどういう感覚なんでしょうかね?」

「うん?」

 質問の意図を図りかねている、という感じの声を園部は漏らす。


「いや、親の足跡を追うような進路って思春期の子は嫌がるんじゃないかなと思うんですけど。決められたレールを走らされている、みたいな」

「うーん、そこは気にする子と気にしない子がいそうな気もするけど」


 そう言いながら園部は、子どもっぽく小首を傾げながら少しだけ悩む。

 妙齢の女性が出力するその仕草は、わたしにはチャーミングに思えた。ただしわたしには真似する自信は全く無い。


「取り敢えず、親子の関係は良好なんだと思う。仲が悪ければ親と同じ高校に行こうなんて思わないでしょ?」

「ああ、なるほど」

「もしくは、過度に親が子どもに干渉している場合も考えられるけど……。どうかな? 瀬河くんのお父さんはそういうタイプの親になりそうな人っぽい?」


 そう訊かれてわたしは記憶の中の瀬河長幸を改めて掘り起こす。


 そのデータのほぼ全てが遠くから望遠レンズで盗撮したような構図ばかり。

 遠くで歩いていたり運動していたり奈智子とイチャついていたり男友達と談笑したりしている姿が目に浮かぶ。


「いいえ、ちょっとピンと来ないですね。瀬河くん……、のお父さんとそれほど仲が良かった訳じゃないので」

 正直に白状した。


「んー、そもそも息子にどんな教育をするかなんて、高校生の頃のパーソナリティじゃ予想出来ないわよね」

 園部は励ますように笑いながら言う。


 高校生の少年少女が(およそ)25年後に子どもに対してどんな教育をしているかなんて、想像すら出来ないだろう。

 というか、記憶の中では未だに高校生である瀬河長幸が高校生の息子を母校に入学させている時間のギャップ、記憶と現実の大いなる隔たりにわたしは眩暈がしそうになった。


 わたしの25年に。わたしは自分の人生の道程を反芻する。


 わたしの25年の間に男の子を15歳まで育てる隙間なんて有っただろうか? いや、無くは無い気はする。


 無為に空費していた時間、自分のために使っていた時間をストイックな倹約のように子どもに割り当てれば或いは何とかなるかもしれない。


 無論、『理論上可能』というのは『可能』と同義ではない。


 しかし瀬河長幸は(子育ての環境がどんな感じかは知らないが)、それを為し得て今日この日までやって来たのだ。


 改めて、無邪気な高校生だった頃の長幸の姿が脳裏に浮かぶ。


 結局人それぞれだ、相手も何もないのに子育てしたかしないかで劣等感など抱いてどうするのだ。そんな呪文を胸の中で強く唱えるのだ。




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