手を離すとき

星見守灯也

手を離すとき

「はなさないでね。ぜったい、ぜったいだよ。はなしちゃだめだからね」


 五歳になった娘がさけんだ。

 僕は自転車の後ろをつかみ「もちろん」と笑った。


 休日の公園。

 子供用の自転車からは補助輪が外れたばかりだ。

 僕はゆっくりとこぎだした自転車の後ろをついて行く。

 自転車をつかんで支えたまま。


 初めはよろよろとしていたが、次第に真っ直ぐに進み始めた。

 スピードが出て、姿勢が安定してくる。

 もう、そろそろいいだろう。


 僕はそうっと手を離した。


 必死に前だけを見る娘は気づかない。

 ひとこぎ、ふたこぎ……。

 バレないようについて行くが手は触れていない。


 手を離したところからしばらく行って、ふらついて転んだ。


「もう! パパのうそつき!」


 起き上がるなり、娘は怒った。

 ずいぶん前から手を離していたことに気づいていない。

 僕は笑いをこらえながら、娘をなだめる。


「ごめんごめん。がんばったね。ずいぶん上手くなった」

「パパがつかんでたらもっといけたのに」


 大丈夫、つかんでなくても行けたよ。とは言わずにおいた。


 そのうち、手を離したら、そのままずっと遠いところに行ってしまうのだろう。





 あの後、何度も「はなさないで」があった。

 そうして娘はひとりで自転車に乗れるようになった。

 手を離していたことに気づいた娘は、怒るより先に驚いた。

 そして、つかんでいなくても乗れていたことに喜んだ。


 娘はもう、「はなさないでね」とは言わなかった。




 結婚式の日、入場の扉の前で娘は僕の手を取った。

 白いドレス姿がキレイだと思う。

 

 入学に卒業、成人して、就職して、そのたびに僕は少しずつ手を離していった。

 そして今日、もうひとつこの手を離さないといけない。


 ゆっくりと扉が開き、列席者から喜びの声が上がる。

 手離すために、長い道を手を組んで歩く。

 もう転ばないよう支える必要はないのだ。

 ひとりでどこへだって行けるのだから。


 その時がくると、娘は自分から手を離した。

 「離さないで」なんて、言えなかった。

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手を離すとき 星見守灯也 @hoshimi_motoya

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