第5話 アクシデント
「うおぉー!?」
ダンジョンの中に入った瞬間、ツカサは思わず声を上げた。
「すげぇ…見ろよ、エル、ニッシュ!」
「お兄、うるさい」
「あ、アハハ…」
思わず後方にいるエルとニッシュにも声を掛けるツカサ。
そんな義兄を一蹴するエルと、最早見慣れつつあるそのやり取りに苦笑いを見せるニッシュ。
しかし、そんな二人も少し興奮した様子が見られる。
「ここが、ダンジョンの中…!」
第一層は平原と森林、岩石の山で構成されており、動物型の魔物が多数存在する。
地下に広大な自然が広がっているありえない光景に、三人は時を忘れ見入ってしまった。
「…って、いつまでも見てるわけ?お兄、行くよ」
「待ってくれ!この幻想的な景色をもう少しだけ…」
「移動しながらでも見れるでしょ!ほら、駄々こねてないで」
エルは義兄の首根っこを掴み、引きずり始める。
ツカサは未だに文句を言っていたが、エルは無視して歩き続ける。
「…君たちって、ツカサ君がお兄さんなんだよね?」
ニッシュはどちらが年上なのかわからないと、これまで黙っていた疑問を思わず口に出してしまう。
入る前のあの緊張感はどこへいったのだろうと思いつつも、二人の後を追う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いい加減疲れたと放り出されたツカサは、ようやく歩き始じまる。
森林地帯をしばらく進むと、三つの影が見えた。
「おっ、来たな」
お目当ての登場に、ツカサは好戦的な笑みを見せる。
黒色の体毛を身にまとった四足歩行の狼系魔物、ウルヘン。
「グルルルル…」
三人をこれ以上縄張りに入れさせてたまるかとばかりに、真正面に立ちふさがる。
獰猛な牙と爪は、今にも切り裂かんと研ぎ澄まされていた。
「エル、いつも通り俺が前線張るから、念のため強化魔法くれ」
「うん…って、ちょっと大丈夫?」
ウルヘンから目を背けずに剣を抜いたツカサは、エルに指示を出す。
指示に了承したエルもワンドを取り出し、魔法の準備をし始めるが、背中の槍を取り出さずに青い顔をしているニッシュに、声を掛ける。
「う、うん。大丈夫…」
「いや、どう見ても大丈夫じゃないんだけど…体調悪いなら、無理せずに下がって」
「どうした、エル?ニッシュどこか具合悪いのか?」
「そうっぽい、お兄、悪いけど一人で倒せる?」
「オッケー」
矢継ぎ早に情報を伝えたエルは、ニッシュの元へ駆け寄る。
「ま、待って!大丈夫、大丈夫だから…」
「いや、そんな顔で言っても説得力ないから。体も震えてるし…【
それでも尚戦おうとするニッシュを冷静に諫めて、回復を掛ける。
淡い桃色がニッシュの体を包む。
「今回はおとなしく見といて」
「で、でもツカサ君だけじゃ…」
「大丈夫」
視線を義兄の方へ移すと、いつまでも向かってこないツカサに痺れを切らして、二頭のウルヘンが飛び掛かっていた。
絶体絶命に思える光景を見ても、エルはなんて事の無い顔で言った。
「ウルヘンなら、何度も戦ったことあるから」
次の瞬間、一筋の斬撃が二頭を切り裂いた。
ウルヘンは胴体と頭を両断されて、勢いを殺せないまま死体はその場に転がっていった。
「えっ?」
「ほら、大丈夫」
目の前の状況に理解できずに、ニッシュは間の抜けた声を溢した。
逆にエルは当たり前と言わんばかりに受け入れていた。
「グッ…」
「あ、逃げた!」
唯一襲い掛からなかった一頭は、仲間を倒した目の前のヒューマンには敵わないと判断し、尻尾を巻いて逃げ出した。
追いかけようとしたツカサだが、倒したウルヘンのドロップアイテムとニッシュの容態を心配して踏みとどまった。
二人の元へ駆け寄り、腰を抜かして地面に座り込んでいるニッシュに声を掛ける。
「ニッシュ!大丈夫か?」
「あっ…うん。ごめん、二人の前であんなに意気込んでいたのに、いざ魔物を目の前にすると足がすくんじゃって…」
唇を噛みしめ、自分の不甲斐なさを悔やむニッシュ。
「ニッシュって、魔物恐怖症?」
「いや、そうじゃないんだ。ただ…本気で殺しにかかる相手だと、殺気で萎縮しちゃって…。駄目だね、やっぱり。どんなに言葉を並べても、実戦で結果を残せないようじゃ。僕は多分、変わることができない愚図だ」
警察官になって、少しでも変わることが出来たと思っていた。
しかし、それはただの思い込みで、結局は本質は変わっていない自分に失望したと想いを吐露するニッシュにツカサは、
「えっ、そんなことないんじゃない?」
バッサリと思い悩むニッシュの苦悩を、軽い調子でお気楽に否定した。
エルもニッシュも、思わず真顔でツカサのことを凝視した。
「お兄…でそんなにデリカシーない男になっちゃたの?」
「えっ?」
「分かってないし…」
自分が何の間違いを犯したのかも分かっていない義兄に、頭を片手で抱えて嘆息をつくエル。
「いやだって、今までのニッシュのことは良く分からないけどさ、少なくともさっきは俺のことを助けようとしてくれたわけじゃん?」
「う、うん。でも結局僕は何にもできずに…」
「難しく考えんなって!結果がーとかじゃなくてさ、大事なのはその時、そいつがどうしようとしたのかが大切だと思うぜ俺は」
「…!」
ニッシュの俯きがちになっていた頭が、上へ向いた。
少しは前向きになったその顔を見て、笑みを見せて話を続ける。
「今回ニッシュは少しでも変わろうとした、今はそれで充分だよ。ゆっくりでいいからさ、俺達と変われるように頑張ろうよ!」
満面の笑みを見せてニッシュに手を指し伸ばす。
ニッシュはおずおずと、その手を遠慮がちに掴んだ。
ツカサはその手を思いっきり引っ張りニッシュを立ち上がらせる。
「そんな簡単なことじゃないと思うけど…まっ、いくら注意しても変わろうとしないどっかの誰かさんに比べたら、ましかもね」
「そんな奴いるのかエル、どこの誰のことだ?」
「お兄のことだよ!!」
仕方がないと言わんばかりに振舞っていたエルは、義兄の見当違いな言葉に今日一の声を出した。
「えっ!!俺!?」
「自覚がない…!?嘘、じゃあいままで私が言ってきたことは全部無駄…?」
『まさかの自分が!?』と自分に向かって指を指すツカサ。
そのツカサの仕草と言葉に、ガーンという効果音が聞こえるほど、エルはあまりのショックに脳の思考が停止した。
「そ、そんなことないぞ!ちゃんと覚えている!!えっと…確か…『トマトを残さず食べなさい』だっけ?」
「それお母さんの台詞!!」
「ブベッ!?」
慌ててエルに言われてきたことを思い出そうとするが、捻りに捻って出てきた言葉は、かつて母に言われたことだった。
エルは額に若干青筋を立てて、ワンドでツカサの頭を叩く。
いきなり自分に来た衝撃に避けることができず、軽い悲鳴を上げ地面に這いつくばらされた。
「ふっ、はは」
「「??」」
突然聞こえてきた笑い声に二人は、笑っている張本人に視線を向ける。
「はは、ははははははっ!」
含み笑いだった声は、堪えることをやめて森林地帯に響いていく。
「…何がそんなに面白いの?」
少し機嫌の悪いエルはぶっきらぼうにニッシュに問いかける。
ついには涙まで流したニッシュは目元を拭い、晴れやかな顔で謝罪する。
「ご、ごめん。さっきまであんなに頼もしくてかっこよかった二人が、子供みたいな喧嘩するからつい…」
それほどまでに面白かったのか、未だにお腹に手を当てるニッシュ。
そんなに面白かったかと首を傾げるツカサに、恥ずかしそうに視線を逸らすエルの二人を見て、姿勢を正す。
「ありがとう。二人のお陰で元気が出た。また迷惑を掛けるかもしれないけど、自分なりに頑張って、少しずつでも変わってみるよ」
はにかみながら感謝を告げてくるニッシュに、ツカサとエルはお互いに顔を見つめ合う。
「お兄」
「ん?」
「よかったね」
「あぁ」
二人もニッシュに微笑み返す。
この時、三人は真のパーティとなれた。
「…やれやれ、一時はどうなるかと思ったが、上手くいきそうでなりよりだ」
その三人の様子を、遠すぎず近すぎずの距離で見ていた男がいた。
彼はカエデからツカサ達の護衛兼観察を任されていた警察官だ。
バレないように、それでいて危険が生じたらすぐさま駆け付けれるように、そして、力量を測るために適切な距離から観測していた。
(剣を持ったあの少年、一見何も考えていない様に見えるが、仲間の悩みを取り除くことの出来る良いリーダーだ。剣の技量も新人にしてはかなりのもの)
手元のメモに素早くペンを動かし、文字を記入していく。
(ワンドを持った妖精族の女の子は、治属性を持っている…他の七属性と比べて希少価値の高い治属性は、今後も重宝されるだろう)
(槍を持った少年は精神面に難あり、しかし、克服しようと努力をすることのできる…そういうことが出来る者ほど、将来は化けるものだ)
淡々と冷静に三人の持つ技や性格を記していく。
ツカサは、普段の言動や行動は少々不安があるが、いざという時は頼りになる存在であり、剣の腕前は頭一つ抜けている。
エルは主体的な発言を控えて、無意識に地雷を踏みぬこうとするツカサをサポートすることができ、治属性の魔法で支援するサポートタイプ。
ニッシュは、自身の駄目な部分を変えようとすることのできる熱心な努力者。
「今年は豊作かもな。まったく、カエデ副署長が注目するわけだ。僅か数時間で彼等の実力を見抜いたのだとすれば、とんでもないものだ。できれば、もう少し彼等の実力を見たいのだが…」
その時だった。
地を唸らせるような遠吠えが聞こえたのは。
「グゥォオオオオオオオオ!!」
「「「「!!?」」」」
ツカサ達も、ベテラン警察官もその声に驚きを隠せなかった。
「今の声って…」
「お兄…」
「あぁ、今のはウルヘンじゃない。もっと強力な魔物だ」
武器を構え、警戒心を高めるツカサに、エルはワンドを持ち直し、ニッシュも震えながら槍を取り出す。
「どうする?」
「…本来なら今すぐ帰りたいところだけどさ、目標の『ウルヘンの牙』を回収出来てないんだよね」
「さっき倒したツカサ君が倒してくれたウルヘンからは、『魔石』しかドロップしなかったしね」
魔石。
魔物から確定でドロップする透明な輝く石。
石には魔力が込められており、魔法使いの杖や一部の武器にも組み込まれていたりする、キースの特産品の一つでもある。
「でも…わざわざ危険を冒してまで行く必要はないんじゃ…」
「ニッシュの言う通り、お兄、退こう」
声を少し上ずらせながらも、しっかりとした口調で意見を述べるニッシュに、エルは同意した。
撤退をツカサに告げるが、彼は動こうとしない。
「お兄?」
そんな彼を訝しみ、再び声を掛けるがツカサは首を横に振った。
「ごめん、俺は退かない」
「えっ?」
「お、お兄?何言ってるの?お兄も言ったじゃん、ウルヘンよりも強い魔物がこの先にいる可能性があるんだよ。私達の手に負えない、カエデさんに事情を説明すれば…」
「分かってる。でも、俺は退かない」
より具体的に今置かれている状況を端的に説明し、最善の道を示すエルの言葉を聴いても尚、退く判断をしない。
「お、お兄、なんで?」
「…ニッシュ。お前は言ったよね。あの会議室での俺の言葉が影響で俺の班に入ろうと思ったって」
「う、うん」
「あんなに大勢の人の前で啖呵を切った男がさ、我が身を大切にして目標を達成せずにノコノコと帰って来たんじゃ、他の人達に示しがつかない」
「そ、それは…そうかもしれないけど…でもお兄!」
ツカサは分かっていた。
ここで自分が何もせずに引いたら、変われないと。
変わるためにここに来たのに、戦うこともなく引くわけにはいかないと。
そんな義兄の言葉を聞いても、エルは退こうとしなかった。
彼女にとって優先すべきは、第一にツカサ、その次に自分、そして他の人達だ。
彼が少しでも危険な目に遭うのだというのなら、彼女は無理矢理にでも止める。
しかしそれ以上に、
「エル」
「…何?」
「お前が俺のことを思って言ってくれているのは分かる。でも、行かせてくれ。俺はここに来たのは…警察になったのは、夢を叶える為なんだ」
「!!」
「ここで行かなきゃ、夢を叶えられない。だから、頼む」
ツカサの夢はエルも当然知っている。
自分と彼が兄妹になった日から。
彼女はずっと見てきた、朝から晩まで必死に努力をしていた大好きな義兄の姿を。
今、自分がしていることはそんな彼のこれまでを台無しにすることで。
でも、こんなところでツカサを危険な目に遭わせるわけにはいかなくて。
悩みに悩んだ彼女は、諦めたかのようにため息をついた。
「…何を言っても駄目みたい」
「なら…」
「いいよ、行こうお兄」
「あぁ、って行こう?」
「一人だけ危ない橋を渡らせることはさせない。お兄が行くなら、私も行く」
「えっ!?」
普段ならそうそう聞くことの出来ない義兄の本気で驚いた声に、思わずしてやったりと、悪戯が成功したことを喜ぶ小悪魔のような笑みを見せる。
「いやいや、駄目だ。俺の我が儘にエルを巻き込むわけには」
「それなら、私はお兄を全力で止める。首根っこを掴んでも、気絶させても」
今度はツカサが義妹に困らされた。
その状況に思わず、エルは何だか嬉しくなった。
アワアワしているツカサから視線を一回外し、後ろを振り向き
「それに…お兄の無茶ぶりに振り回されるのは慣れっこだから」
穏やかな笑みを見せた。
その笑みを見たツカサは、先程のエルのようにため息をついた。
「わかった、エルも行こう」
「うん!」
彼女の意志の固さと、最後の一言によりツカサは同行を許した。
「ニッシュ、お前は…」
「…ツカサ君、僕も行くよ」
ニッシュの体は未だに少し震えていた。
それでも、その眼には覚悟が宿っていた。
「今ここで、一歩を踏み出せたら…僕は少しでも変えられると思うんだ」
「いいのか?もしかしたら、さっきみたいに守れないかも…」
「守られるつもりなんてないよ。僕も戦う、この槍で、道を切り開いて見せる」
ツカサの目を真っすぐに見て、自分の想いをぶつける。
「…分かった、ニッシュも行こう」
「うん」
三人は武器を構えながらも、着実に一歩を踏み出していった。
その顔は焦燥の表情などどこにもなかった。
ただ、夢を叶えようと。
大切な人の力になろうと。
自分を変えようと。
その想いが、彼等を動かす。
しばらく先を進んだところで、少し開けたところに出た。
「お兄、あれって…」
「うん?」
エルが何かに気が付いたようで、ツカサの服の袖を遠慮がちに引っ張った。
彼女のワンドの指す方向を見ると、岩の上に一頭のウルヘンが佇んでいた。
「もしかして、さっきの取り逃がしたウルヘン?」
「っぽいね、こっちを見てるけど…」
油断なく構えるツカサに同意しながら、ニッシュも少しぎこちなく槍を向ける。
その次の瞬間、雄たけびを一つ上げた。
「ウォオオオンー!」
ドドドドドドドドドとこちらに向かってくる無数の足音が聞こえてきた。
音は徐々にこちらに近づいてくる。
「な、何?」
「これは…」
二人は何が起こってるのかと分からない様子だったが、ツカサだけは気付いた。
「クソっ、嵌められた!」
音の正体が姿を現す。
「なっ!ウルヘン!?」
「それもこんなに…」
出てきたのはウルヘンだった。
それも一頭だけではなく、二頭、三頭と姿を現していき、遂には二十頭を超えるほどの数が現れた。
ウルヘンはツカサ達を完全に囲み、爪牙を輝かせこちらを見つめていた。
そして岩山の頂上に、奴はいた。
まるで、森の王のように優雅な姿勢でこちらを見下していた。
ウルヘンよりも濃い漆黒の体毛。
より研ぎ澄まされた、牙に爪。
身の毛の立つような赤い瞳。
その魔物の姿に覚えがあったツカサは、冷や汗を流しながら、その魔物の名前を呟いた。
「ハイウルヘン…?」
何時でもこちらを噛み殺そうとする無数のウルヘン達に、それらを従える圧倒的格上の森の主を相手にツカサ達は死闘へと身を投じなければいけなかった。
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