第3話 警察官とは

心地よい風が吹く、のどかな草原。

普段は静かな野原に、大勢の制服を纏った軍団が歩いていた。

その中には、ツカサやエル、カエデもいた。


「皆さん、見えてきましたよ」


先頭を歩くカエデの目の前には、大きな白いドーム型の建造物があった。

あれこそ、ダンジョンの大穴を塞ぐ『リドバー』と呼ばれる建物。

常駐している警察官の数は五十人。

事務員は二十人。

それも、かなりの手練れ達であるため、万が一魔物が地上に上がってくることや賊に襲われることが遭っても、問題なく対処することができる。


(うぉー…遠くから見たときは小さいと思ったけど、ここまで近づくとでかいな!やっぱり、大穴ってかなり大きかったんだな)


間近で見たリドバーの大きさに、ツカサは思わず感嘆した。

ツカサは知らないが、直径500mもの大きさの大穴を塞いでいるのに加え、常に滞在している警察官のための施設が多く作られているので、建物の大きさは非常に大きくなっている。


(それにしても、まさかこんなことになるなんて…)


ここに来ることになったのは、つい一時間前の出来事である。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「皆さんには…ダンジョンに行ってもらいます」


「えっ?」


「だ、ダンジョン!?」


「嘘だろ!」


「いきなり!?」


カエデの口から出た言葉を理解できずに、混沌に包み込まれる会議室。

それもその筈。

ダンジョンは魔物の巣窟。

無限に産まれてくる魔物達との終わりなき戦闘。

正に地獄の領域である。

そんな事はこの世界の誰もが知っている事柄。

昨日から勤務することになった新人警察官にやらせる事では無い。


「いきなりダンジョン?何考えてるの、そんなのただの自殺行為じゃない!」


「お、落ち着けってエル。カエデさんのことだ。何か考えがあるに決まっている」


突然のことに混乱してしまったエルは、思わず声を張り上げる。

エルを落ち着かせようとしているツカサも、困惑を隠せずにいた。

阿鼻叫喚な会議室の中、パンっ!という手を叩く音が鮮明に聞こえた。

騒がしかった会議室に、一瞬で静寂が訪れた。


「皆さん、落ち着いてください」


音の発生源は、この騒動を起こした張本人、カエデだった。


「突然のことで困惑している人が大半だと思います。しかし、今一度私の話を聞いてはください」


その言葉は、普段の彼と変わらない穏やかな声だったが、有無を言わせない確かな圧があった。

その場にいた誰もが彼に注目しだした。


「皆さんは昨日、名実と共にキース警察官になりました。そんな皆さんの実力を測るため、ダンジョンで実戦形式で見させてもらいたいのです」


カエデの説明に納得するものは少なかった。

何故、わざわざダンジョンなんて危険な所に行くのか。

命の保証はあるのか。

疑問は積み重なっていくばかりだった。

そんな彼等彼女等の考えを読み取ったのか、カエデは話を続ける。


「皆さんの思うこともわかります。しかし、私は言ったはずです。皆さんはもう、


警察官。

その言葉は今日聞いたどの言葉よりも、ツカサ達の胸に重くのしかかった。


「警察官はいつ事件が起きてもいいように、体を、のです」


「体はわかるけど…心もですか?」


カエデの話に疑問を感じた男性の新人警察官が質問する。

カエデは、えぇ、と頷き答える。


「事件に巻き込まれた警察官は、必ずどこかに怪我を負います。肉体も勿論。心にも」


カエデの穏やかな目は、少し無念そうな目に変わった。

声色も同じだった。


「五体満足で帰って来れず、もう戦えないもの。喉に、耳に損傷を負いコミュニケーションが取れなくなってしまうもの。そんな人達を治せず、自身の無力さに絶望するもの。そして…


カエデの話はまるで、実際に見てきたかのような口ぶりだった。

いや、実際に見てきたのだろう。

そうでなくては、あんなに悲しそうな顔をできない。


「仲間の死を見届けることがある。絶望に押しつぶされ、立ち上がることができなくなる。そうやって、多くの警察官が辞めていきました。…皆さんに辛い現実を押し付けるようですが、これが警察官です。」


「「「っ!」」」


カエデは断言した。

一切の情け容赦なく、起こって欲しくない現実を肯定した。

誰もが思わず息を吞んだ。

朝の頃の和気あいあいとした雰囲気の面影はなかった。

下を向くことしかできなかった。

エルもそうだった。

沈黙が場を支配する中、カエデはただ一人、下を向かずに己を見る少年に声をかけた。


「ツカサさん、あなたの意見を聞かせてください」


「えっ?」


いきなりの指名に素っ頓狂な声を出してしまった。

その場にいた誰もが、ツカサに注目した。

エルは、義兄の横顔を見た。

カエデも、ツカサの瞳を見つめた。

何故彼が?と誰もが思った。

ツカサ本人が誰よりも困惑した。


「えぇ、私の話を聞いて何か言いたげな表情をしていたものですから」


本人は気付いていないようだったが、事実だった。

ツカサは知らず知らずのうちに、顔つきを変えていた。

そんなことを露知らずに、どうしたものかと困っているツカサの袖をそっと引っ張ったのはエルだった。

思わずエルの方を見たツカサは、エル思わず吸い込まれてしまいそうな瞳に動きを止めた。

エルは何も言わなかった。

ただ、その眼差しは一つの思いがあった。

'信じている'。

言葉を交わさずとも、その意志を感じた。


「悩むことはありません。今の話を聞いて、あなたが率直に思ったことを言ってくださればそれで」


カエデの優しく諭すような声、義妹からの信頼を受けたツカサは覚悟を決めた。


「…カエデさんの言う人たちはもう、取り返しがつかないかもしれません。俺たちはまだ間に合う」


「根拠は?」


「武器を振るう腕が、新たな世界へ踏み出せる脚が、大切な人の笑顔を見ることのできる目が、伝えたいこと伝えれる喉が、それを聞くことのできる耳が、俺達にはあります」


カエデの鋭い問いかけにも、ツカサは狼狽えなかった。

怯まなかった。

口ごもらなかった。

困惑、当惑、狼狽。

大勢の人の疑問の視線を人生で初めて浴びても、堂々と思ったことを声に出した。


「可能性がある。失う前に、強くなることができる。そう俺は思いました。」


「…素晴らしい」


ツカサの意見に、カエデはゆっくりと頷き同意した。


「彼の言う通り、皆さんは伸びしろがある。絶望に抗うための力を手にすることができる」


無名で何の実績もないヒューマンの言葉を、本署の副署長は肯定した。

足元を見ていた顔が上がる。


「ダンジョンは体を、心を鍛えるのにピッタリな場所です。凶悪な魔物はあなたの腕を磨く。多くの未知はあなたの精神を動じないものにする。だから今、ダンジョンに行くのです」


新人警察官達の表情が晴れやかになる。

この世の理不尽に、決して挫けないという強い意志になる。


「どうやら、覚悟を決めたみたいですね。では、行きましょうか」


警察官の顔になった面々に笑みを見せ、出発の号令を下す。


「その力を掴み取るために、ダンジョンへ」


瞬間、会議室が爆発する。

勇ましい声は、新たな戦士達の門出を祝福した。


「やるじゃん、お兄」


エルは、お調子者で馬鹿ばっかりするも、いざという時には誰よりも頼りになる自慢の義兄に思わず鼻が高くなる。


「当たり前だろ、誰の兄だと思っているんだ?」


義妹に、笑みを見せ彼も吠える。

悪に負けないという思いを声にだして。

そんな二人の様子を見ていたカエデは、期待を胸にするのだった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「さて、皆さんの受付も済ませました」


リドバーの中に入ったツカサ達は、事務員の人から許可証を貰った。

ダンジョンは基本、リドバー勤務の事務員から認証を得ないと入ることができない。

その許可も重大な任務等を与えられてない限り、市民は踏み入ることができずにいる。

それは、警察官も同じ。

今回は上官の中の上官たるカエデがいたので、スムーズにいったが、本来は三日以上もかかるのだ。


「では、説明通り班を幾つか作ってください」


ツカサ達はカエデの指示に従い、スムーズに動き始めた。

今回のダンジョン探索は、あくまで新人警察官達の技量の確認。

そして、成長を目的としている。

そのため、人数をある程度に絞って一人ひとりの経験を多くしようとした。

探索するエリアは、比較的弱い魔物が出現するとされる『上層』と呼ばれる所の更に弱い魔物の2~3階層だけだが、それでも危険が伴うため、カエデを始めとしたベテランの警察官達がそれぞれの班に入る。


「で、あとはどうする」


「いや、私に聞かれても…」


勿論、ツカサとエルは同じ班だが、如何せん、他の警官の知り合いはいないため、余っていた。

と言うより、声をかけられなかった。

先程の一件は、良くも悪くも注目を浴びすぎてしまった。

あれほど悠然たる返しをしたツカサのことを、周囲は歴戦の猛者と勘違いしてしまった。

そんな彼と共に冒険をしようものなら、自分たちの力にならない、彼を目立たせる

脇役になってしまう、という考えから関わろうとする人がいなかった。

そのため、新人警察官の中で二人は完全に孤立していた。


「せめて後一人要れば…」


どうしたものかと困っていると、一人のヒューマンが話しかけてきた。


「あ、あの…」


「うん?あれ、君は…」


「あ、朝お兄がぶつかっちゃった…」


そのヒューマンは、ツカサの注意不足でぶつかってしまった気弱そうなヒューマンの少年だった。


「どうしたの?まさか、俺達と同じ班になりたいとか…あいてっ!?」


「お兄、自意識過剰すぎ。そんなまさか起こるわけないじゃん。突然当たってきた当たり屋のことなんか」


「そ、それに関しては申し訳ありませんでした」


前のめりになったツカサの頭を、愛用している杖で軽く小突いたエルは、再び調子に乗りそうな義兄に釘を打つ。


「え、えっと。実はそのまさかなんだ…」


「「えっ?」」


しかし、返ってきた言葉はエルの予想を裏切った。

思わず間抜けな声を出してしまった二人だが、エルがすかさず断りを入れる。


「やめたほうがいいよ、この馬鹿兄に振り回されるだけだから」


「おい…」


「何、事実でしょ?」


「はい…」


反論しようとするも一蹴されてしまうツカサ。

実際、彼も思い当たる節はあるので黙ることしかできなかった。

そんな二人の言葉に首を振り、ヒューマンの少年は尚も加入を希望する。


「いや、ここに入りたい。ここがいいんだ」


強い決意を感じる彼の言葉に、さすがのエルもたじろぐ。

すっかりヒューマンの少年の圧に押されてしまったエルに代わり、ツカサが理由を聞く。


「班を組むこと事態は問題ないんだけど…どうしてそんなに?」


「君だよ」


「俺?」


「うん。君のさっきの主張に感動したんだ」


ヒューマンの少年は俯いて話した。


「僕、何をやっても上手くいかないだ。勉強も運動も…。警察官に志望したのも、他のみんなみたいに、市民を守りたいとかじゃなくて、愚図な自分が嫌で、何か変わりたいと思って死ぬ気で学んで、逃げ出したくなる気持ちを抑えて魔物と戦って、ようやく受かった」


彼の過去。

それは、とても華やかなものではなく、泥と汗にまみれた努力の話。

悔しそうに、辛そうに自分の思いを吐き出す彼に、ツカサとエルは最初は呆気にとられながらも、途中からは真剣に聞いていた。


「でも、さっきのカエデさんの話を聞いてさ、無理かも、って思っちゃたんだよね。この先待ち受けている苦行に耐えれない。僕は変われない。そうやって簡単に決めつけていた」


「それは…仕方がないんじゃない?カエデさんの話に出てきた警察官も、辞めていったって」


エルも、目の前のヒューマンの少年と同じだ。

残酷な現実に目を背けた。

辛い目に合うのが嫌で下を見た。

彼の気持ちが痛いほどわかる。


「でも、君は違う」


しかし、彼はそのことを是としなかった。

顔を上げ、声を張り上げた。


「抗う意志を、強くなる可能性を捨てなかった!僕も、君みたいに強い自分になりたい。絶望に押しつぶされない自分に!」


彼の目は燃えていた。

希望に溢れていた。

不可能を可能にする力強い意志を見せた。


「だから…僕を同じ班に入れて欲しい!!」


最後に、深く頭を下げた。

朝の最初に見せた礼よりも、その後ツカサが見せた礼よりも、深く頭を下げた。

あの時はお互いに謝罪の意を示した礼だった。

しかし、今回は違う。

彼にとって恥ずかしい身の上話をした上での懇願する礼だ。

その頭は、決して軽率に扱ってはいけない。


「…お兄」


「うん?」


「判断は、お兄が決めて」


「いいのか?」


「私に決める決定権はない。あの場で理不尽を前に、剣を取ったのはお兄だけだから」


彼が入りたいのは、あくまでエルの班ではなく、ツカサの班。

自身は土俵にすら立っていないと判断し、ツカサに選択権を渡す。

そんな義妹の言葉を受け、ツカサは考えた。

目の前の少年の覚悟に見合うほどの覚悟が、今の自分にあるのか。

ひょっとしたら幻滅させてしまうかもしれない。

口だけの男だったと。

それでもになるために、こんなところで足踏みしている場合ではない。


「…わかった。一緒に行こう!」


手を指し伸ばし、握手を求める。

頭を上げた、ヒューマンの少年は破顔した。

ツカサの手を強く握りしめて、感謝を告げた。


「本当にありがとう。ニッシュ。僕の名前はニッシュだ」


「ニッシュか…いい名前だな!俺はツカサ。こっちは義妹のエル」


「…よろしく」


ニッシュに負けず劣らずの笑顔で挨拶を返したツカサに対して、エルは少し控えめに返事した。

ここに、他のどの班よりも強い信念を持った三人パーティーが結成された。

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