第41話 残酷な記憶

 歩美あみは一人、りゅうの店を出て行き、家庭科室へ向かった。

 時刻はもう夜の六時半だ。


皐月さつきくん」


 そう、彼の名を呼んだ。

 そして、被服室のドアがゆっくりと開く。


「聞きたいことがあるんだ」

「どうして今日はこんなに人が来るのか」


 皐月は目を瞑って、歩美に近づいた。


「なんで、笑わないの?」

「……」

「どうして、あの真珠を持っていたの?」

「……」


 歩美も負けじと、皐月に近づく。


「言わないとダメか?」

「教えて、君が教えてくれるだけでも、十分、手掛かりになる!!」


 歩美の叫ぶ声が、部屋の中に響いた。


「……協力してもらうためだ」


 皐月が自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。


「誰にも言うなよ……」


 そう言って、皐月は語り始めた。


◇ ◇ ◇


 俺は生まれつき、あまり感情を出す質じゃなかった。

 予防接種の時も泣かなかったし、テレビを見てもあまり笑わない。

 だが、完全に笑わないわけじゃなかった。


 俺が小三の時米秀小学校から、英才小学校に転校した。

 四年前、俺が仕事で警備員の仕事をしていた時、たまたま侵入してきた不審者を、絞めて捕まえたところを英才小学校の要人に見られ、MI6にスカウトされたことが始まりだ。

 スカウトされてすぐに局長と顔を合わせた。

 局長はハーフで、金髪のオールバックだった。


「お前が加織かおるか。死にたくないなら気を抜くなよ」

「……」

「返事しろ」

「はい」


 局長は俺の肩らへんに視線を向けながら、小さく手招きした。


「こいつは虹村瑛翼にじむらえいすけ。お前の相棒だ」

「虹村だ。よろしくな」


 そう言って俺の方へ手を向けてきたが、俺は無視してしまった。


「虹村、そいつは、加織皐月だ。加織、挨拶しろ」

「よ、よろしくお願いします」


 小さく会釈した俺に、不満そうに俺の右手を取って無理やり握手した。


「よろしくな」

「……」


 俺は虹村から目を逸らした。


 虹村は底抜けに明るい先輩だった。

 貧乏くじを引いても、笑ってるような奴だ。

 その日の放課後、小学校からの帰り道で、虹村がずっと喋っているので、少しだけ鬱陶しかった。


「やっと相棒ができたよーずっと欲しかったんだよ相棒ってやつ、かっこいいからさ」

「……」

「そうそう、俺の呼び方は何でもいいぜ。先輩でもいいし、虹村先輩でもいいし、何なら虹村でも!!」


 目の中に夜空の星が宿ったくらいに、輝かせて、俺に顔を近づけてきた。どうやら、虹村と、呼び捨てで呼んで欲しかったらしい。


「に、虹村」

「おおおおおお!!じゃあ、お前は皐月な」


 虹村の突拍子の無い返答に俺は思わず驚いて立ち止まってしまった。


「あ、そうそう。俺と話すときは、タメ口で良いからな!!」


 虹村がそう言って、俺の肩を組んだ。

 俺は肩をすくめ、俯いていた。


「おいおい。どうしたんだよ?楽しくないのか?」


 俺は返答に困った。楽しいかと聞かれれば、そうでもないし、楽しくないのかと聞かれれば、そうでもない。

 何せ、俺の表情筋はとても硬く、動かないからだ。

 それでも口角は少しばかり上がっていた。

 それがバレたくなかったのだ。

 バレたら、少し気恥ずかしい。

 それなのに、虹村は俺の顔を覗き込んだ。


「なんだよ。笑ってるじゃねえか!!」


 虹村の秀逸なツッコミに、珍しく声を出して笑ってしまったのを覚えてる。


「皐月、サッカー好きか?」

「うん。大好き」


 俺が答えると、虹村は笑顔になり、俺の手を引っ張って、空地へ案内した。


「ここは?」

「いっつも友達とサッカーするんだよ。スタジアムは開けてくれないから」


 虹村はランドセルをおろして、中からサッカーボールを取り出した。


「一緒にやってから帰ろうぜ」

「うん」


 虹村は俺の方へボールをパスしてきた。

 数時間も遊んで、とても楽しかった。

 帰ったのは、夜の七時で、親にかなり怒られた。

 まあ、転校してすぐだから、道に迷ったとバレバレの言い訳をしたが。

 でも今思い返せば、少しだけ賢かったんだろうと思った。


 同僚にも出会った。麻木瑠々あさぎるる安永裕晴やすながゆうせいだ。

 瑠々の方は、おとなしそうだが、かなり仕事ができる。初めて会ったときは、とても凛々しい人だと思った。髪の毛はサラサラで、硬そうで、端整な顔立ちだった。

 裕晴は、嫌になるくらいのイケメンだった。目元が綺麗な二重で、幼げな眼であり、童顔だった。声も高くて、まだ幼い少年のようだった。今も声は変わっていない。頭が切れる男だった。


 俺が廊下を歩いていた時の事だった。

 曲がり角を曲がろうとした時、微かにコーヒーの匂いがした。

 嫌な予感がしたので、少し右に避けようとした。

 だが、間に合わず、向かいから来ていた瑠々にぶつかってしまった。


「痛っ」

「あ」


 瑠々の持っていた紙カップの中のコーヒーが俺の来ていた制服のシャツにかかってしまった。


「ご、ごめんなさい。大丈夫?」


 ここで瑠々と初めて会った。

 俺は苛立つことは無いので、少し笑顔になって、自分のシャツを見た。

 瑠々は申し訳なさそうに平謝りで謝って来た。


「私は麻木瑠々。別の仕事の事考えてたから、ボーっとしてたよ」

「うん。何の仕事?」

「ああ、ちょっとね。もうすぐ潜入捜査の時期だから、それの準備だね」

「潜入捜査?」


 俺が首を傾げながら瑠々に問うと、瑠々は目をぱちくりしながら言った。


「知らないの?」

「うん」

「今日の朝局長が言ってたでしょ」

「興味なさすぎて、忘れてたな」


 瑠々は呆れて紙カップの口を横にしながら、両手の手のひらを上へ向けた。

 当たり前だが、残ったコーヒーが床へ零れ落ちた。


「ああっ!!」

「おい」


 床にコーヒが何滴か落ちた。


「何してんだよ」

「ごめん」


 瑠々が両手を合わせて申し訳なさそうに謝った。


「ラトレイアーとかいうよくわかんない犯罪組織に、六年生の先輩方が潜入捜査するの」

「へえ。そうなんだ」


 そういえば、虹村がこの前言っていたような気がした。


「それなら、俺の先輩も行くな」


 ふと声がして、声のした方へ振り向くと、俺が歩いてきた方向から裕晴が来ていた。


「お前は?」

「ああ、俺は安永裕晴。宜しくな!!」


 虹村と少しだけ感じが似ていた。ここで裕晴と初めて会った。


「お前、加織ってやつ?」

「なんで知ってる?」

「見りゃ分かるさ。目に光が無い。俺らじゃ有名人なんだよ」

「じゃ、お前も知ってたんだな」

「あ、ああ。ごめんごめん」


 俺が瑠々に聞くと、瑠々は笑って頭の後ろを掻いていた。


「なんでまたそんな組織に潜入するんだよ」

「その組織が、この世界の根幹を揺るがす研究をしてるっていうから、それのデータを盗むの。全員グループCに潜入予定よ。ま、同時に入ると怪しまれるから、順番に。確か最初は、虹村先輩だったかな」


 瑠々は少し斜め上を向いて言った。


「虹村が?」

「うん」

「おいおい、皐月笑えって~」

「……」


 突然裕晴にそう言われ、思わずたじろいでしまった。


「笑ってる」

「嘘つけ」


 俺は少し頑張って口角を上げた。

 この口角を上げるという作業は俺にとって、かなりの労力を費やす。


「おお笑った」

「皐月くんって、笑うと可愛いよね」


 初めてそう言われて、俺はすぐに口角を下げた。


「おいおい、照れてんのかよ」

「違う。始めて言われたから」


 俺は口元を押さえた。

 その様子を裕晴がにやにやして見つめてきた。



 以前、虹村に似たようなことを言われた記憶がある。


「皐月、ずっと笑っていればいいのに」


 いつも通り二人で帰っていた時だった。帰り道の橋の上で。

 突然そう言われたので、立ち止まってしまった。


「愛想悪いとか、言われないのか?」

「まあ」


 図星だったので、目を逸らした。

 虹村はふっと笑顔になり言う。


「人間笑ってる方が良いんだぜ?そうだ、もし、笑えなくなったら、俺のことを思い出せよ」

「え」

「俺がいつでも、お前のことを笑顔にしたって証拠になるだろ??」

「……ああ。そうだな」


 俺は満面の笑みで、虹村の顔を真っ直ぐ見つめた。

 虹村の首には、赤い真珠がぶら下がっていた。


「その真珠……」

「あ、これか?これは、この前のサッカーの大会で負けたとき、相手チームの奴から貰ったお守りなんだ」

「……そうですか」


 心底どうでもよかった。俺はこういうお涙頂戴話は苦手なんだ。


「今度、試合で勝ったら、これを返すんだ」


 虹村はそう言いながら、真珠を夕日の光にかざした。


「あ、そうだ皐月。もし俺が死んだら、これを遺物にする。お前に託す。死ぬ前に必ず渡すから、お前が持ってろ」

「渡せるんですか?」

「無理ならお前が探せって!!」


 虹村は勢いよく俺の背中を叩いた。

 「うっ」と思わず声が漏れる。


「じゃあな」


 橋を渡り終えた分かれ道で、虹村が手を大きく振りながら、走って行く。


「……」


 俺は胸の前で小さく手を振った。



 ある日の事だった。

 俺が仕事をしていた時、突然局長に呼び出された。


「今日から虹村が、ラトレイアーのグループCに潜入予定だ。お前にこの無線と、逆探知できる機械を渡す。使い方は虹村に聞け。潜入期間中は、虹村からの定時連絡がその無線に届く。それと、虹村が死んでも、俺は一切の責任を負わない。分かったな」

「はい。分かりました」


 俺がそう言いながらそれらを受け取り、自分の机に戻った。


「お、皐月もそれ貰ったのか」

「うん」

「私も貰ったよ」


 左に裕晴のデスク、右に瑠々のデスクなので、二人に挟まれ、珍しくしかめ面をしてしまった。


「怒ってる?」

「全然」


 俺は本当に怒っていなかった。というよりむしろ、人生で怒ったことが無い。

 俺は先ほど局長にもらった無線の電源を入れた。


「おお、貰ったか無線」

「うん。貰った」


 後ろから頭を抑えつけられ、聞き覚えのある先輩の声に反応し、肩を揺らした。


「あーあー。どう聞こえてる?」


 無線から機械で加工された虹村の声が聞こえ、俺は無言で頷いた。


「虹村先輩。気を付けてください。死ぬかもしれないじゃないですか」

「うん。分かってる。だからこいつにはもうその話をした。俺がどこに行っても、俺の遺物を必ず見つけ出してくれる」

「遺物?」


 俺の後ろで三人が赤い真珠の話をしていた。

 虹村が死ぬなんてあるわけないと思っていた。むしろ、死んでもどうでもいいとすら思っていた。



 しかし、俺のこの考えはすぐに覆された。

 最初の一か月、虹村からの定時連絡は途絶えなかった。

 他の先輩が潜入捜査に加わってすぐ、その連絡が途絶えたのだ。


「死んだんだろう」


 局長に報告したとき、局長に言われた言葉だった。

 その言葉に、今までにない不安感に苛まれた。


「大丈夫です。死んでません。連絡がめんどくさくなって、してないだけです。アイツは、そういう男ですから」


 夏休みに入ってすぐの朝、俺は局長に、捨て台詞のように吐いていった。

 デスクに戻って、俺は無線をじっと眺めた。

 マイクの記号が書かれた赤いボタンを長押しした。

 俺は無線に向かって話し始めた。


「虹村。聞こえてるか?聞こえたら、返事しろ」


 俺はそう言って、無線のマイクを切った。


「皐月、虹村先輩からの連絡が来ないのか?」

「どうせ、めんどくさくなって連絡してないだけさ」


 俺は自分でも気味が悪いくらいに、笑ってそう言った。

 右隣の瑠々が心配そうに俺の横顔を覗き込む。


「虹村は、そんな、皐月くんの事を不安にさせるような事をしてくる人なの?」

「いや、そういうわけじゃ……」


 瑠々に投げかけられた質問に、うまく返せなかった。

 その時すでに、俺の心の奥底に、黒い不安が渦巻いていた。


「この、逆探知を使って探してみたら?」

「そう、だね。探してみるよ」


 俺は自分でも分かるくらいのか細い声で、返事した。

 無線にコードを繋いで、逆探知の機械につなげた。


「虹村からの発信コードは?」

「0531だ」

「じゃあ、それうって」


 逆探知から伸びた片方のコードをパソコンのキーボードにつなぎ、キーボードの上で指を躍らせた。

 カチカチとタイピングの音が部屋に響く。

 俺の後ろで、瑠々と裕晴が心配そうに見つめてくる。

 十秒ほどたった頃だろうか。突然機械のアラームが大きくなった。


「モールス信号だ」


 一定の間隔で聞こえてくる音。

 場所を伝えているようだ。


「旧校舎の理科室だそうだ」

「行くの?」

「今から行く」


 俺は必死に笑顔を作っていたが、引きっつっていたようだ。裕晴が俺の頬を両手で包んだ。


「皐月、笑顔が歪んでる。俺が代わりに行く」

「いや、良い。人一人の捜索ぐらい一人で充分だ」


 俺は無線を握りしめて部屋を出て行った。



 俺は旧校舎の前に立った。

 旧校舎は立ち入り禁止になっている。

 俺はゆっくりと旧校舎のドアを開けた。

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