第39話 罠にかかった龍
流とは、正反対の少年だ―—。
◇ ◇ ◇
流は一人店の中で悶々としている。
店の中の空気感がいつもとまったく違う。
カランカランとドアの開く音がしたが、流は顔を上げなかった。
「流。話ってなんだ?今日は作戦実行日だろ」
松村の声がし、流がゆっくりと顔を上げる。
「昨日、カルムから脅されたんだ。『松村を、一回の渡り廊下に呼び出せ』と」
「へー。それで?」
余裕そうに聞き返す松村に流は思わず目を丸くするが、すぐに話を続けた。
「一応報告だ。今日の作戦は中止する」
「俺たちの勝手な事情で他全員の予定を狂わせる気か?」
「勝手な事情なんかじゃないだろ!!」
流がカウンターを両手で叩きつけた。
「お前には死んでほしくないから、ここで報告したんだ!!絶対に作戦を中止する」
「管理官は何と言ってる?」
「管理官に報告するつもりはない!報告している時間は無いんだ!!」
流はカウンターに身を乗り出して松村に自分の額を近づけた。
「この事を知っているのはお前だけか」
「ああ。一緒に居たリュゼは気絶させられてな。彼女には何も言ってない」
冷静になった流が椅子に座り話す。松村は立ったまま、流の目を見据えた。
「一階の渡り廊下か。運動靴が必要だな。あそこから外へ出られるからな。カルムからの脅迫なら尚更チャンスだ。Aを潰せるかもしれない」
「危険すぎるだろ!!」
流は目尻が熱くなるのを感じ、左手で目に触れる。
「だったら、リュゼとベルと管理官を護衛につけさせればいい。カルムは銃を使ったりしないから」
「そんなことがうまくいくと、思ってんのかよ」
しかめっ面で流が言う。松村は、流の頬を優しく撫でた。
「もし、死んだとしても、お前が俺の最高の親友だっていう事実は変わらない。いずれ、真実に変わる」
「はあ?何を言って……」
「じゃ、その通りにしろ。管理官に伝えるんだ。頼んだぞ」
松村はそう言いながら流に背中を向けた。
流は松村の背から目を逸らす。
第六感があるわけではないのに、なぜか彼が異様な空気を纏っているようだった。
何か、いつもと様子がおかしかったのだ。
◇ ◇ ◇
第一理科室の隣の準備室。少し古くて独特の匂いを放つ場所で部屋の隅や天井には蜘蛛の巣が張り巡らされており、不気味な雰囲気を放っていた。
そこの回転いすに腰掛け、インカムをつけた管理官が、数分ごとに理科室の方を確認していた。
管理官が自分の耳につけたインカムに手を伸ばす。
「どうした流」
「管理官!!今すぐ松村に護衛をつけてくれ!!」
「……どうした?」
冷静な管理官はインカムの向こうで焦りながら説明する流にもう一度同じ質問を投げかけた。
「昨日、カルムに松村を一階の渡り廊下に呼び出せと言われ、その事を本人に話したら、自分が渡り廊下に行くから護衛を頼みたいと……!!」
「分かった。ベルを行かせる。こっちはリュゼ一人で充分だ」
「一人じゃ足りない!!」
流が嗚咽しながら管理官に言う。管理官は冷たい声で言い放った。
「分かった。じゃあ、お前が行け」
「は?」
流の声に涙が交じっているようだった。少しうわずっている。
「彼の事を守りたいのなら、そのくらいできるはずだ。それと、強力な助っ人も一人残っている」
管理官の言う、強力な助っ人に思い浮かんだ人物は、ただ一人しかいなかったが、その人物に松村を守れるかどうかが心配だった。
「まあ、期待はするなよ。松村が生きようが死のうが、全て受け入れろ」
「受け入れられるわけがないだろ!!お前に分かるのかよ!!友達を亡くすことの辛さが!!」
「流!!」
管理官がマイクを持って叫ぶ。
その瞬間、管理官に悪寒が走った。
——俺たち、一生友達だもんな!!
ずっと昔に聞こえた少年の幼い声が再び耳元に聞こえた。
管理官は立ち上がる。
「流、気持ちは分かる。俺たちはまだ、幼い子供だからだ。でも、この学校に居るからには受け入れるしかない」
「……」
管理官は無線を切った。流からの返事は無かった。
◇ ◇ ◇
その場に膝から崩れ落ちる。
「ああ……」
流は表情を険しく切り替え、重そうな身体を持ち上げる。
歩いた。流は店の扉に行くまで、何時間もかかっているような感覚がした。
カランカランとドアを開ける。
店を出てすぐの渡り廊下に向かって足を交互に出すが、スピードは上がらない。
次第に大量の汗が額から伝う。
ひどく動揺している。
もう五月で気温も上がっているというのに、流の身体は小刻みに震えていた。
流の右手には無線が握られたままだ。
「こちらリュゼ、流か?松村が今一階の渡り廊下に向かっている。ベルが少し離れたところから見張っている」
突然無線から雪の声がし、流が無線を顔の前に近づけた。
「分かっている。俺も、すぐに向かう」
流は無線に向かって言い放った。
気づけば無線は切れていた。
◇ ◇ ◇
松村は何度か深呼吸しながら廊下を淡々と歩いていた。
その後ろ姿をベルが見守る。
松村が立ち止まり、運動靴を床に落とす。
上靴を脱いだ松村は足をそのまま運動靴に入れた。
そして、体育館へ続く渡り廊下の外へ出た瞬間だった。
「……」
松村が目を見開いて、右側を真っ直ぐ見る。
その光景の異様さに気づいたベルが早歩きで松村へ近づく。
松村が眉を顰めながら何か話しているのは見えるのに、相手が誰なのかが見えない。
ベルが次第に歩く速さを速くし、最終的には小走りになっていた。
「松村!!」
「……」
松村がベルの方を見た、その瞬間だった。
パシュッ。
サイレンサーのついた拳銃の銃声がわずかに聞こえた。
それとほぼ同時に、ベルの目の前に、松村の側頭部から大量の血が噴出されているのが見えた。
「……!!松村!!」
松村が倒れるのをベルが即座に受け止める。
「誰!?」
ベルが右側を見る。
「……お前は―—!!」
ベルの目には、黒いサングラスをかけ、黒いマスクをつけた、カルムが映っていた。
カルムは、自分の左側にある校舎の壁に中指でトントンと何度か叩きつけた。
音の間隔は不規則で、最初はよく分からなかったが、すぐにそれが、モールス信号だと分かった。
「……」
ベルの瞳孔が震えている。
カルムは校舎から手を離すと、身体をベルと真逆の方向へと向けた。
松村は顔に血をかぶっていて、即死だったのが分かる。
「冴香」
本名で呼ばれたベルがゆっくりと振り返る。
ベルの後ろには、紗季が立っていた。
紗季の目元は少し赤かった。わずかに濡れている。
「サジェスの本部に戻るわよ。松村の死体は、公安で処理する。そこに置いといて」
ベルはゆっくり立ち上がり、紗季のすぐ横を通った。
そんな彼女を紗季が呼び止める。
「冴香。手は合わせたの?」
一瞬立ち止まったが、冴香はすぐにまた歩き出した。
紗季は端整な死に顔を見ながら、目を伏せた。
その眼から涙が流れる。
紗季はしゃがみ、両手を合わせる。
「守ってあげられなくて、ごめんなさい。大好きでした」
そう言いながら紗季は立ち上がった。
その様子を、歩美が後ろから見ていた。
冷たい風が、歩美の頬を撫でた。
思わず歩美が目を閉じる。そしてすぐ目を開けると、すぐ横を流が走っていた。
「龍雅!!」
流が涙を後ろに飛ばしながら廊下を走っている。
「龍雅……!!おい!!龍雅!!」
流が松村の身体を揺らす。しかし、一向に目を開かない。流は松村の頬を撫でた。
「ああああああああ!」
流の嗚咽だけが廊下に響いた。
◇ ◇ ◇
サジェスの本部は昨日と同じように白いテーブルの周りに人が立っている。
しかし昨日と違うのは、紗季が増えたことと、雰囲気が暗かったこと、松村いないことだ。
中でも流がひどく肩を落としている。
「だから、言ったのに」
流が泣きながらテーブルに顔をうずめる。
雪は流の背中を撫でながら、優しい笑顔になった。
「ほら、流。泣き止んだら、サッカーでも、しようぜ……なっ?」
しかし流が雪の手を摑み振り払う。
雪は少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐに悲しい顔へ戻った。
「松村が死んだわ。これからどうする?」
管理官が顔を顰めた。
「全員が落ち着いてからにしないか?」
「ダメよ。公安のホワイトハッカーが殺されたんだから。正直、こうなることは何となく予測できたから、代わりを用意していたけど、松村ほどの腕は無い」
冴香が言う隣で
「それと、カルムに姿を見られた。ラトレイアーに私がサジェスの仲間であることが知れ渡るのも、時間の問題」
冴香が一呼吸置いてから続ける。
「松村は殺されても仕方が無かったわ。上に護衛を要請しておこうと思ったけど、もういいわ。フロワに殺されたならまだしも、カルムに殺される程度の男なんて、護衛の無駄遣いよ」
冴香がそう呟き、尚人が下から冴香の顔を睨む。
「冴香——」
雪が冴香の名を呼んだ時、竜牙突然顔を上げた。
「ふざけるな!!」
流がドンッとテーブルを叩いた。
「なんなんだよその言い方!!松村は死んだのに、お前はなんでそんな冷静でいられるんだよ!!やっと、やっと見つけたのに……返せよ!!全部返せよ!この人殺し!!無駄でもいいから護衛をつけてくれたらよかったのに!!
さっきからずっと、殺されても仕方なかったとか、散々言っといてよ‼殺されても仕方ないって何なんだよ!?公安の協力者になったら命の保証は無いのかよ‼
んなわけないだろ‼そいつらを守るのがお前らの仕事だろう‼なのに、なのになんで……
守ってくれなかったんだよ……」
冴香は流の言葉に、顔を強張らせた。
冴香の隣で、尚人が涙を流す。
「落ち着け、お前ら。流、表に戻れ」
流は嗚咽しながら、部屋を出て行った。
「マスター」
歩美が彼の後を追う。
「サージュ。流と話をして来い」
「ああ。分かった」
「ベル。少し言いすぎだ」
「マスターが冷静じゃなかっただけよ」
「フン、冷静じゃないのはどこの誰だろうな」
雪が鼻で笑って冴香を馬鹿にするように言った。
「マスターはマスターなりに気持ちの整理がついている。一番冷静じゃないのは、お前だよベル」
「何を言っているの?私は冷静よ!!」
冴香が雪に向かって言う。雪はそんな彼女の顔を見て、流が出て行った扉を顎で示した。
「サージュが作戦実行中に居なかったのは、あたしたちを代わりに監視してくれていたからだ。お前がここに来る前に、カメラを確認したが、松村から離れた後、お前、泣いてただろ」
「……っ泣いてない!!」
冴香がそう叫ぶ。雪は目を伏せた。
「いや、泣いてただろ。お前は冷静になれなかった。だからここでこうして繕おうとしたんだろ?」
「違う。私は―—」
雪は冴香の両目を見ながら言い返す。
「職業柄、冷静でいなくちゃいけないのは分かるが、辛いときは泣けばいい」
「……」
冴香の目尻が少し光っている。
「好きな男が死んで、泣かない女なんていないだろう?」
冴香が雪から目を逸らす。まるで自分の涙を隠すようだった。
しばらく時間が経って、尚人が突然口を開いた。
「どうやらAの本部が理科室なのはダミーだったようだな」
「その情報をどこで?」
紗季の質問に尚人が言った。
「Aのデータベースをハッキングしている最中に見つけた別のデータベースに、いくつかのモールス信号があったから、そのうちの一つに、『データーベースは二重構造にする必要がある。一つ目のデータベースには、偽の情報を記載しろ』と書かれていたからな」
尚人の言葉に、雪が「それはメンバーもか?」と言った。
「いや、おそらくメンバーは本物だろう」
「……そうか」
雪が、尚人に裏切られたように残念がった。
「この作戦は先延ばしにするぞ」
「そりゃそうだよな」
管理官が冷静に言った瞬間、雪が安心しきった表情になった。
海が紗季に小さく耳打ちする。
「管理官、松村が死ぬのは分かっていたらしい」
「……へえそう」
「それでも、松村に行かせたのは、賭けだったらしい。うまくいけば、Aを一気に潰せていただろうからな」
海が説明する隣で、紗季が目をこすった。
「紗季。もう戻れ。ありがとう。この作戦は失敗したとボスに報告しておく」
「ボス?」
目をこすりながら間の抜けた声を出す。
管理官が彼女の問いに答える。
「サジェスの本ボスだ。俺は会社で言う社長ってところだ。ボスは会長。普段は表に出ず、モニターで俺たちの事を監視している」
「そう。そんな人が……」
紗季が管理官と自分の掛け合いを咀嚼した。
管理官は深くため息を吐いて被っていた帽子をポールハンガーに引っ掛けた。
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