第38話 作戦会議

 流の店に珍しい客が来店した。

 部活も終わり、皆が門から出て行ったところだ。

 そんな時に珍しく来店してきたのだ、皐月さつきが。


「マスター。酒くれよ。一番強い酒を」


 皐月が虚ろな顔で流に注文する。


「何かあったのか?」

「いや、ねえよ。ただ、少し飲みたくなっただけさ」


 少し、皐月がそういう時は決まって、酔って忘れたくなる時だ。


「そんな注文の仕方しなくても、お前は酔えるはずだ。ここの酒は気持ちの問題だからな」


 流は、心配そうに皐月の目を見ながら酒を注ぐ。


「何があったんだ?」

「別に何もないよ」


 皐月は目を閉じた。

 流がグラスをカウンターに置いて、酒を注ぐ。


「スパニッシュタウンだ」

「辛いやつだろ」

「ああ。だったらなんだ?」


 流はいたずら好きな子供のように笑った。皐月は一口それを飲む。一瞬顔を顰めたが、グラスを置いて、口を開いた。


「テキーラは?」

「……ああ、今のお前には強すぎる」


 皐月は流の言葉を聞いて、癖のある髪をぐしゃぐしゃにした。


「嘘つけ、ウィスキーと変わらない度数だろ」

「んじゃ、居酒屋でも言ってビールでも飲めよ」


 流が冷たく言い放つ。

 皐月が目を伏せた。まるで逃げているようだった。

 流は酒瓶が置かれたそばにある椅子に手を伸ばした。

 流がそれに腰掛ける。


「惨めだな」

「何が?」


 皐月が顔を上げる。

 流が辛そうに彼の両目を見る。


「お前に何があったかは知らないが、お前見てると、秋原を思い出すんだよ」

「雪を?」


 よくわからなかった。どうしてここで雪の名が出たのか。

 しかし流の言葉に、すぐに合点がいった。


「自分の感情を押し込んで我慢している。違うか?」

「どうだろう」


 皐月はさっきから表情が変わらない。

 しばらく沈黙が続き、何の前触れもなく皐月が席を立ちあがる。

 手に百円を握っている。


「じゃあ、また。部活で。明日、部活来いよ」

「うん」


 そう言いながらレジの前に立った。流はわざとらしく大きなため息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。

 自分の質問をあやふやにされたことに腹を立てているようだった。


「また来いよ。皐月」


 しかめ面のまま流が言う。


「うん」


 皐月はレシートを受け取り、カランカランと音を鳴らしながら店を出て行った。

 少しだけ量の減った酒が目の前にある。

 その時、皐月とほぼ入れ替わりでカランカランとドアの開く音がしたのだ。

 ハッとして流が顔を上げる。

 しかし誰もいない。

 流は含みのある笑みで目を瞑った。



 そして流のまぶたの裏に数日前の記憶が映る。

 流の店の奥で、微笑を浮かべる少年が書斎机の回転いすに座っていた。

 ゆきは訝しげな顔で尚人なおとの方を見る。

 その少年——管理官が自身の被っている帽子を取ると、側にあるポールスタンドに引っ掛けた。

 管理官は尚人の方を振り向くと、尚人は不思議そうな顔をした。それを見た管理官は何か分かったような笑みを浮かべた。


「尚人、一年生の時、同じクラスだったよな?覚えてるか?」

「ああ。覚えてるよ。お前、今更俺を使いたいと思ったのか」

「そうだが?悪いか?」


 管理官の顔から笑みが消えた。その様子を見た雪が口を挟む。


「止せよ、管理官。尚を危険にさらしたくはない。確かに、尚は凄いハッカーだが、それで協力させるのも……な?」

「雪、何故だ?何か、知ってるだろ?」

「知ってて、言うと思うか?まあ、それは知ってるか、知らないかは、想像に任せるが、こいつがラトレイアーに狙われるようなことがあったらどうする?お前が責任取るんだよな」


 雪がいつになく真剣な顔で管理官に言う。管理官は彼女の顔をしっかり見据えると、重そうな口を開いた。


「お前が守るだろ?」

「なっ……」

「お前らの安全は俺が保証する。ただ、勘違いしないでいただきたいが、俺は誰とも馴れ合う気は無い。雪、これはチャンスだ。ラトレイアーの尻尾を掴める、大チャンスだ。この機を逃すつもりはない」


 管理官は雪から視線を外すと、尚人に向けて言った。


「君は、ラトレイアーにとって大きな不利益になる。それはまず間違いない。もし、お前が命を落とすころには、俺も雪も、冴香もいないだろう」

「それは、どういうこと?いないっていうのは、もう、サジェスを辞めたってことか?」


 尚人は不安に駆られた顔をした。その顔を雪が隣から見る。


「客観的に言えば、そうかもな」

「は?何?えっ?」

「とにかく、これからよろしく頼むよ。尚人、いや、テメリテくん」

「あ、ああ。よろしく」


 テメリテと聞いた瞬間、雪は驚いた表情をして、管理官の顔を見た。

 管理官は不敵な笑みを浮かべ、尚人の方をじっと見つめていた。



 流が目を開ける。目の前には、雪と尚人が立っていた。


◇ ◇ ◇


 歩美が事務所の中で本を読んでいた時だ。

 この日は紗季が学校を休んだ日だった。

 突然、ガチャ、とドアの開く音が聞こえた。

 歩美がソファから立ち上がり、ドアに「はーい」と呼びかける。

 ドアの前には、髪を後ろに結って帽子を深く被った冴香と、隣に真剣な顔のまま突っ立っている松村の姿があった。


「歩美。依頼なんだけど」

「冴香ちゃん?なんで?」


 歩美が聞くと、冴香が突然机をドンと叩いた。


「ラトレイアーのBが動き始めている。幹部のフロワが私に依頼を渡してきたの。復讐屋のブラックスノーに文垣先生の殺害依頼をしたのに失敗したらしいから、代わりにしといてって言われたのよ」


 歩美が驚いていると、冴香がまくしたてるように続けた。


「雪がヘマをしたってこの前の報告で話してたからまさかとは思ったけど、本当に私に依頼してくるとは思わなかったわ。サジェスとの共同で作戦を立てる。付いてきて」


 冴香が方向転換をして真後ろを向く。その姿を見た歩美が「ちょ、ちょっと待ってよ」と冴香の手首を掴んだ。


「何?」

「なんで松村が?」


 歩美が目を丸くして冴香に尋ねる。冴香は松村の顔を見て言った。


「こいつは、公安の協力者だって言ったでしょ?協力させるわ」

「でも、公安の作戦なら、私は関係ないから来ちゃダメなんじゃないの?」

「いいえ、これは公安の作戦じゃない。これは、サジェスの作戦よ」


 冴香がきっぱりと言う。

 冴香の後ろで松村が、凛とした顔で歩美の方を向いた。


◇ ◇ ◇


 数分後、流の店で。

 流の店に歩美、冴香、松村の三人が訪れた。

 冴香はマスターのを見るなりすぐに、「コスモポリタンを六杯頂戴」と言いながら千円札をレジ横のコップに入れた。


「待て、今から作戦会議か?」


 松村が冴香の肩を掴む。


「そうだけど?私たち以外はもうそろっていると、管理官から連絡があったから」

「じゃあ、案内する」


 流は両手に黒い手袋をはめた。

 長く薄暗い、少しだけオレンジ色の灯りが等間隔に置かれた不気味な廊下を歩く。

 古い洋館の中に迷い込んだような気分だった。

 ここの廊下は少し下へ傾いていて、歩きづらかったが、地下へ続いているのかと思うと、妙に納得がいってしまう。

 そんなようなことを考えていた内に、もう大きな扉の前についてしまっていた。

 流がその大きな扉のドアノブに手をかけた。

 ガチャ。


「失礼します、管理官。ベルと、協力者二人をお連れしました」


 流は開けた扉の横に避け頭を下げた。

 入った先には書斎机があり、その前に白い簡易的なテーブルが置かれていた。キャンプの時に世話になるような机だ。

 その書斎机の向こう側に見覚えのある人物が座っていた。


「に、西崎?なんでここに?」

「まさか、本当に探偵をやっていたのとはな、山根」


 歩美が入り口で狼狽える。

 彼女を見た管理官が不敵に笑った。


「ようこそ、サジェスの本部へ」


 管理官は両手を大きく横へ広げた。

 歩美が周囲を見渡す。

 管理官——西崎悠にしざきゆう、尚人、かい、雪、景音けいん

 そして今、歩美とともに入って来た、冴香、松村、流の三人を含め、全員で八人がそこに居た。

 歩美が不安に駆られ後ろへ後退りしたとき、雪が突然声を上げる。


「おいおい。あたしら、お前らが来るのをずっと待ってたんだぜ?」

「雪ちゃん」


 歩美が彼女の名を呟くと、突然歩美の顔のすぐ横を先の鋭い万年筆が飛んできては、ドアに突き刺さった。

 驚愕した顔で歩美が先ほど自分が入った入り口のドアを見る。ドアにはヒビが入り、黒いインクが垂れている。


「ここでは、全員コードネームで呼べ。なおはテメリテ、海はプラティーク、雪はリュゼ、景音はサージュ、冴香はベルだ。次本名で呼べば、命は無いと思え」

「ま、マスターは?」

「そいつは協力者の一人だ。まあ、半々だよ」


 管理官がポールスタンドにかけた黒いソフトハットを手に取ると、頭に優しくかぶせた。


「流、悪いがドアに修理を頼む」

「冗談だろ」


 流が鼻で笑う。管理官は書斎机の前に立った。


「これから、ラトレイアーのAを潰す作戦会議を始める」


 突然始まった会合に、歩美がさらに狼狽える。

 その様子に、海が歩美に向かって放つ。


「前に、俺がラトレイアーのデータベースに接続したって話したろ。そしたら、そこのサジェスのお偉いさんが、俺を欲しがってな。俺を情報屋としてここに雇ったんだ」


 海がそう言った後に、尚人が続ける。


「それで、海と俺が協力し、Aのデータベースがどうにかして接続できた。そこから一気に追い込んで、Aを潰そうって作戦だ」

「な、なるほど」


 歩美が納得して顔つきが変わる。

 松村が大きな紙を机の上に広げた。


「これは、日秀学園の校内地図だ。尚人、本部がどこか見当はついてるのか」

「ああ。おそらくこの第一理科室だ。出入りしているのは三年の理科教師と、三年の生徒だけだ」

「じゃあ、ここで落ち合えば良い」


 松村が言うと、尚人はパソコンを机の上に置いた。

 管理官は二人の様子を見て、ふっと笑う。


「なんだよ管理官。どうした?」

「いや、別に。じゃ、役割分担にするか」


 管理官が突然右手の人差し指を上へ向けると、「じゃあまず、始末担当がリュゼとベルだ」と言って二人を指さす。

 冴香は笑っていたが、雪は少し笑ったまま目を伏せた。

 管理官は二人の表情を他所に続ける。


「俺はお前らの護衛を主とする。歩美、松村、流、尚人、海。お前らは、ここで情報を収集し、こいつらに指示を出せ」


 管理官がそう言った。


「特に、松村。お前はキーパーソンだ。お前が居なきゃ成り立たない」

「あ、ああ」


 松村を指さしながら管理官が言う。

 流は早歩きで松村に近づき、彼の手を握る。

 突然の感触に驚いた松村が流の顔を見る。

 幼い子供の様に不安な顔で、少しだけ肩が震えていた。

 管理官が「それで―—」と話を続ける。


「……」


 尚人が姿勢を低くし、膝立ちになると、パソコンのキーボードを素早くタイピングした。

 そんな彼を見ながら、松村が流に耳打ちする。


「どうしたんだよ。流」

「俺、こういうの初めてで、怖いんだよ」


 よく聞けば、流の声は震えていた。


「ああ。お前昔から怖がりだもんな」


 松村と流は、とても仲が良い。親友と呼べるくらいには。

 小学校の時からの仲だ。放課後にサッカーをしたりもする。


「これが終わったら、一緒にサッカーでもしようぜ」

「あ、うん!」


 流が少しだけ大きく、頷いた。

 雪が訝し気に二人を見る。そしてその顔のまま尚人を見た。


「おい尚、お前身長縮んだか?」

「はあ!?縮んでねえし!!」


 松村が揶揄って尚人の身長をいじる。


「そういや、お前何センチだよ、身長」

「一五五センチ」

「おいマジかよ!!」

「低いな」

「お前ら、さっきからうるせえな!!」


 そう言い争う横で海が静かに呟いた。


「お前が一番うるせえよ」

「ま、まあ海くん」


 そんな感じで楽しそうにしている彼らを見て、雪は安心した顔をした。


◇ ◇ ◇


 数時間後。

 雪は部屋を出てすぐカウンター席に座った。


「マスター。メリー・ウィドウを」

「……」


 うなだれる雪を見た流はカウンターに置かれていたカクテルグラスを雪に向けた。雪は、そっと顔を上げる。

 雪はそれを見て、きょとんとした顔のまま、カクテルグラスの方から、流の顔を見る。


「お前、なんで反対したんだ?尚が協力するの」

「まあ、昔から一緒だったからな。お前なら分かるだろ?露の事、守りたいって思ったことないのか?」


 雪は、向けられたカクテルグラスの脚をグッと掴み、力を入れて下に下ろす。

 流は雪の質問を頭の中で、リピートさせた。

 流は真面目な顔で雪の質問に答えた。


「男女の幼馴染ってな、本当は男の方が弱いんだよ。だから、俺はいつも露に守られてばかりだ。お前も、そうだろ?秋原」


 流は後ろに置かれている酒瓶をカウンターに置くと、雪に向けたカクテルグラスを自分の方へ向けた。


「お前、なんかあったか?」

「露とは、幼馴染だ、保育園からの。出会った頃、こいつは俺が守ってやるって、決めたんだ。でも気づけば、ずっと守られてばかりで……ダメなんだよ。女々しくなるんだ。きっと、尚も同じ気持ちだ」


 流はカクテルグラスをカウンターに置いた。


「じゃあ、こっちも話させてもらうが、幼馴染ってのは、一時的にでも相手の事を好きになるときってのがあるんだ。恋をしたら男は男らしくなるもんだろ?」

「みんながみんなそうじゃないんだよ」


 流は酒瓶から赤い酒をグラスに注ぐ。


「んで?結局何が言いたいんだ?」

「だから、守られてばっかりじゃ、嫌なんだ。守りたいんだ。尚も、お前らの事も」

「はあ?」


 流が怪訝な面持ちで、雪の顔を見た。その雪の顔は旧友に思いをはせたような顔と同時に、尚に対しての何とも言えない、というような顔を一瞬だけ見せた。

カランカラン。

 店のドアの開く音が聞こえた。流は雪の方から、ドアに顔を向ける。その瞬間、流は驚きを隠せない顔をした。


「……か、か……」

「あ?」


 言葉が詰まるマスターの様子に気が付いた雪が後ろを振り向くと、雪も思わず絶句してしまった。


「な、なんでお前が……カルム」


 ドアの前に佇んでいたのは、サングラス、黒いマスク、インカムをつけた右耳、黒いシャツに黒いコート、複雑に靴紐が入り組んだ大きなブーツ。

 雪がCIAだった頃、一度だけ姿を見たことがある彼が、そこに居た。

 カルムは、コートのポケットから小さな紙を取り出す。


「『カーディナルを一杯』……カルム、だよな?なんで、お前がうちに?」


 流は困った顔で、カルムの方を見た。

 流は酒瓶を取り出そうと、棚の方を見た。

 カルムは無言で雪の隣の席に座った。


「お前……何のつもりだよ!!こんなことしやがって……今すぐここから——」


 雪の怒鳴る声が突然切れた。流が驚き、振り返る。


「——うっ」

 ドンッと鈍い音が聞こえ、雪はカウンターに顔を伏せる。

 雪の背中に手を当てるカルム、その隣で気を失っている雪の姿。


「秋原!!」


 流の声が店内に響いた瞬間、カルムが流に銃口を向けた。

 人生で初めて拳銃を向けられたマスターは、体が動かない。ただ意思に反して両手と両足が震えるだけだ。


 カルムはもう一枚ポケットから紙を取り出す。

 紙には『菅沢流。明日、松村龍雅を一階の渡り廊下に呼び出せ。運動靴を履くように言え』と書かれていた。

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