第37話 ブラックスノー
翌日の放課後。
B棟とC棟との間の渡り廊下を、歩美と紗季が歩く。
二つの塔の間の渡り廊下は上から外を見ると、外に庭があり、鮮やかな草花が咲いて、風に吹かれて踊っている。
「山根さん」
突然名前を呼ばれて歩美が驚く。
紗季は隣で呆れてため息を吐く。
「文垣先生……」
「珍しいですね。こんなところで何を?」
聞かれて歩美は、一瞬俯いて迷ったが、滅多に聞けない重要な機会だ。
意を決して顔を上げる。
「文垣先生。最近、先生の周りで、すごく質問をしてくる生徒は居ますか」
「……」
文垣先生は、訝し気に首を傾げる。
「ああ。四月くらいに、生徒の一人からタレコミがあって。僕のことを狙っている人がいると。どうせ嘘だと思っていたんですが、まさか、本当だって言うんですか??」
「ま、まあ、その可能性は拭えません。だから、先生の周囲でよく質問してくる人を」
文垣先生は右上を見て、思い出しているようだ。
「授業の事に質問してくる生徒はかなり多くて、奇妙な質問をしてきたのは、秋原さんですかね」
「秋原……!!」
歩美は短く高い声でその名を呼んだ。
カチッカチッ……。
教室の黒板の上に駆けられた時計の秒針の音に似た音が渡り廊下に響く。
「文垣先生。ここの廊下は渡らないでください。一階へ一度下りてから下の渡り廊下で移動してください」
歩美がそう言いながら渡り廊下全体を見渡す。
「分かりました。じゃあ、お願いします」
文垣先生は、心配するかのような目で歩美の姿を見た。
「決まりね。雪が文垣先生を狙っていた」
「まだ、分からないよ」
紗季の言葉を遮り、歩美がきっぱり言い張る。
さっきからする秒針の音。
その音の行方を耳で追う。
「天井?」
歩美がゆっくり首を上げる。
紗季は歩美をグッと持ち上げる。
「私が肩車するから、蛍光灯の近くとか見て」
歩美は声を漏らさず、頷いた。
紗季は歩美を一度下すと、姿勢を低くした。
歩美が紗季の首にまたがる。
「見えた!!時限式の爆弾だよ」
歩美がそう言った瞬間だった。
ドォンッという銃声が聞こえてきた。
「何!?」
歩美は左を見て、向かい側の渡り廊下を確認する。
向こうの渡り廊下には、
皐月の向かいには、黒い服を着て髪をおろし、帽子をかぶった雪が左肩を押さえていた。
「紗季ちゃん、この爆弾、解体できる?」
「尚人に聞けば、何とか」
紗季は階段の続く方へ走って行った。
歩美はその様子を確認した後、向こうの渡り廊下へ走った。
「皐月くん!!」
歩美は皐月の後ろを走って追いかけた。
「山根さん」
「ゆ、雪ちゃんは?」
「間違いないよ。アイツが黒だ」
皐月は拳銃をジャケットの内ポケットに入れた。
「皐月くん。後で、君の事と、君の仲間の事を聞いてもいい?」
歩美が叫んだ。渡り廊下全体に歩美の声が響いた。
皐月は、立ち止まった。
後ろから見ても分かる。皐月の表情は変わっていない。
皐月はゆっくり振り向き歩美の顔を見据えると答えた。
「いいよ」
歩美はぱあっと笑顔になると、側にあった階段を上がって行った。
「ハァ……ハァ……」
雪が激しい息遣いで廊下を歩く。
第二理科室と書かれた部屋へ入ると、暗幕がかかっていて、とても暗かった。
「クソッ……」
雪がスマホの通話ボタンを連打する。
「なんで、なんでだよ……!!」
誰もいない理科室に雪の焦った声が響く。
雪が机の下に隠れて、理科室の机の脚にもたれかかる。
「うっ……早く、弾丸を取り出さなければ」
ピピピッ。
メールの通知音だ。
スマホの画面が切り替わる。
メールの内容には、『うまく、いったのか?』と書かれていた。
(うるせえよ。うまくいくわけねえだろうが……)
雪は心の中でそう呟きメールの返信を打った。
『残念だが、この依頼は他の物に頼め』
雪はそう声に出しながら、メールの送信ボタンを押した。
「さて、あとは、この依頼をどうベルに引き継ぐか」
「諦めたら?雪ちゃん」
歩美の声が聞こえ、雪が身体を強張らせる。
「……歩美?」
「雪ちゃんって言うより、ブラックスノーって言った方が良いのかな?」
雪は一瞬焦った顔を隠せなかったが、すぐいつものニヒルな笑みに戻った。
「文垣先生の殺害依頼を受けていたのは雪ちゃんだったんだね」
「へえ。なんで分かった?」
「分かるよ。文垣先生に多く質問していたって直接聞いたしね。文垣先生の言う奇妙な質問ってのは恐らく、住んでいる場所とかそういうのでしょ」
雪は黙ったままその笑顔を崩さない。
右手は相変わらず左手を押さえている。
「依頼主は恐らくラトレイアー。雪ちゃんはサジェスに所属している殺し屋でしょ?」
歩美は続ける。
「それで、今日文垣先生がよく通る渡り廊下で爆発に巻き込んで殺そうとした。それであの向かいの渡り廊下から観察していたみたいだけど、残念なことに、皐月くんと鉢合わせたみたいだね。
どう合ってる?」
歩美が自信満々に雪に言った。
雪はフッと鼻で笑った。
「残念。間違いが二つある」
雪は右手で指を二本立てた。
「一つ。あたしは殺し屋じゃない。二つ。殺そうとなんかしてねえよ」
歩美は凛々しい顔で雪の目を見る。
雪はその歩美の両目を見てため息を吐いた。
「正直なあ、ラトレイアーのメンバーから依頼だって見抜いたところは驚いたよ。でも、惜しいんだよな。あたしはサジェスの殺し屋じゃない。
あたしは、約束は守る主義でな。
歩美は訝し気に首を傾げる。
「復讐屋って」
「復讐代行サービス。殺し屋は殺人代行サービスだが、あたしは殺しというより復讐を目的としたものだよ」
「復讐なんて……どうしてそんなバカげたことを」
歩美がそう呟いた途端、雪の顔から笑みが消えた。
「行き場のない怒りを持つ者を救うためさ。そして、あたしの相棒を殺した奴に、あたしが復讐するためだよ……あたしが殺しをしない理由は海との約束以外にも他にあるんだ。それは、死ぬ方が楽だと思っているからだ。
死ぬというのは、解放だ。生きている間に十字架を背負って苦しい生き方をする方が、よほどいいと思う。だから殺さないんだよ。大事な人を殺されて、死にたくなるくらいに追い込まれた奴の気持ちと、その大事な人の味わった苦痛を倍返しにしてやるんだよ」
雪はそう語りながら笑っていた。
その笑みはいつもの笑みではなく、狂気が交じった笑みだった。
「まあ、その話はいいんだよ。んで、お前の推理じゃ、私は今日殺そうとしてたと踏んでたみたいだが、それは違うぜ。渡り廊下の蛍光灯につけていた爆弾は、かなり威力が小さい。とてもじゃないが、あれで人は殺せない。火傷をするくらいだ。もし誤作動で爆発しても、誰も巻き込まないように。蛍光灯の経年劣化とかなんとか言えば、どうにでもなると思ってな。今日は冴香に依頼の引き継ぎをするためだよ。
でも凄いと思うよ。あたしの正体にちゃんとたどり着いた。なかなかやるなあ」
「人を殺さなくても、人に苦痛を味わわせることの何が面白いの?」
歩美は思わずそう呟いてしまった。
雪はニヒルな笑みのまま、また語り始めた。
「フッ。お前は、行き場のない怒りや悲しみを感じたことが無いんだな。ま、当然だよ。お前の兄は、まだどこかで平和に暮らしているだろうしな。海の死体を見たことが無いお前なら仕方ないよ」
左手から大量の血を流し、倒れそうになる雪を走って支えた。
「歩美、あたしを落ち着かせてくれないかな」
「…………」
雪は笑顔だったが、目の奥は笑っていなかった。
「苦しい、辛い、憎い。そんな感情がずっとあたしの周りに纏わりついている」
本人の言うとおりだ。歩美が以前から雪に感じていた違和感はこれだったのだ。
ずっと笑っているのに、目が笑っていない。愉快に見えるのに、どこか悲しそう。
雪の目に刻まれた黒いクマから察するに、ろくに眠れていないのだろう。
海が―—相棒が死んだあの時からずっと。
「……」
今の歩美にかける言葉が見つからない。
目の前にいるこの憐れな少女を助けられるのなら、救えるのなら、救いたい。
「……雪ちゃん」
気が付けば一筋の涙が頬を伝っていた。
雪が笑ったまま歩美の目を見る。
「一人で背負わないでよ」
「……」
雪は笑ったままだ。
「私達がいるでしょ?なんで、一人でどうにかしようとするの?どうして復讐しようとするの?」
雪はゆっくりと瞬きをする。
「それが私の仕事だからだ」
雪が芯のある強い声で言った。しかし、その声はまだ幼かった。
歩美は、悲しそうな顔で雪の頬を撫でる。
「もう……」
歩美はそう言って、雪の身体を支えたまま、理科室を出て行った。
その頃、最初の渡り廊下では。
「できた?」
紗季が椅子を支えて言った。
尚人がそれに答える。
「ああ。全く、なんだよこの爆弾。誰が……仕掛けたんだろうな」
「知らなくていいわ。じゃ、ありがとね」
「おいおい」
尚人は椅子から降りると、黒く汚れた自分の頬を拭った。
運動場では。
部活から帰ろうとしていたユニフォーム姿の皐月を、紗季が呼び止める。
「待ちなさい」
「?……俺に何の用?」
皐月は振り返ると、紗季が笑顔で手招きしていた。
皐月は表情を一切変えず、紗季について行った。
皐月が歩美の事務所に着いた時、
「お、来たね」
歩美は皐月の姿を見ると、歩美は笑顔になった。
皐月は歩美の向かいのソファに座る。
座ってすぐ歩美の方を見た皐月の目は、真っ黒に塗りつぶさていて、その眼に歩美と紗季の姿が映っているようには、とてもじゃないが見えなかった。
「今、MI6が大量に暗殺されていることに関して、どう思っているの?」
紗季の言葉に皐月は一瞬だけ驚いた顔をした。しかし、すぐにまた無表情に戻った。
「そうか。別に何とも思わない」
皐月は小さい声で言った。
「……私が聞きたいのは、他の仲間が殺されたのに、自分だけが殺されないことについてどう思っているのかという話」
歩美が少し眉間に皺を寄せると、皐月は続ける。
「答える気はない」
「答えて」
「……」
皐月は黙ったままだ。しばらくはそのままで、歩美と皐月がお互いに口を開けるのを待った。
その空気に耐えきれなかったのか、皐月が口を開く。
「黙秘権って知ってるか?お前らに詰められようが、どれだけ拷問を受けようが、俺はお前らの質問に答える気は無い」
偉そうに言う皐月に苛立った歩美は「知ってる」とはっきりと言った。
「もういいか?俺、これから帰らないといけないから」
ソファから立ち上がり、ドアまで歩き、ドアノブに手をかけ、廊下へ出ようとした時、紗季が口を開いた。
「……アンタは、耐えてるでしょ?」
「……」
紗季の言う事に同調するかのように、歩美は皐月をじっと睨む。
皐月はドアノブにかけた手を止め、振り返った。
「本当は、バディや仲間が死んで辛いんでしょ?それを今、必死に耐えている。だって、私達と話すとき、表情が一切変わらないもの」
「……そう言う物だろ」
皐月はドアをゆっくりと開け廊下へと出た。
事務所の中は、異様な空気が漂っていた。
皐月は門の外へ出ると、スマートフォンを取り出した。
空は曇り、もう少しで雨が降りそうだ。
帰り道、家の方向と真逆の方向へ歩くと、橋の上にたどり着いた。その橋の上で黒髪が肩のあたりまである女子と背中合わせになり、「もしもし」とスマートフォンを耳に当てた。
「どう?加織。うまくいってる?」
「可も無く不可も無く」
「面白くないね」
彼女は皮肉るような笑いをした。
皐月はスマートフォンを耳に当てたまま。
「その、いつも電話しているように情報を渡すの、やめてくれない?」
「俺たちの会話は、誰にも聞かれちゃいけないんだ」
皐月が言った言葉で、彼女は少したじろぐ。
「思い出したでしょ、ボスの事?最近こっち来ないから」
「いや全然」
「じゃあ虹村は?」
皐月は表情を変えなかった。
「全然。麻木——いや、瑠々は?」
彼女——麻木瑠々は言った。
「さあね。どうかしら」
そう、一言だけ言うと、橋の向こうへ歩いて行った。
皐月は瑠々が橋を渡り終えるのを見届けると、反対方向へと足を進めた。
橋の上は少しだが潮の匂いがしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます