第28話 静寂

 張り詰めた空気が二人の居る廊下を支配した。

 そんな空気の中で男は余裕そうに頷く。

 紗季は驚く表情を一切せず。男——カルムの方へと近づいた。歩美は目を丸くしたまま立ち尽くす。


 カルムは左手を前に出し手のひらを紗季たちの方へと向けた。


「…………」


 カルムは黙ったままで、前に出した手で人差し指を前に向ける。

 彼が指さした先にはさっきまで自分たちが歩いてきた道がある。


「承服できないわ。ここから去る前にあなたの口から直接、あなたの正体を知りたい」

「…………」


 納得できない、そう言うように紗季が言った途端、カルムはコートの内側を探る。


「何を——」


 出しているのかと言いかけたとき、コートの内ポケットから、手を出す。


「ナイフっ……!!」


 彼の手に握られた銀色に光るものを見て、紗季が思わず声を出す。


「…………」


 カルムはナイフを握りしめたまま二人に近づく。

 二人は後退りするが、その時、静寂だった廊下にカタンと言う何かの落下音が聞こえた。

 まさか、と思い、歩美は自分のポケットに手を入れて確かめるが、さっきまであったスマホの感触が無い。


「ス、スマホが……」

「歩美!!」


 紗季が歩美の方へと近づいたころにはもう遅かった。歩美の目前には、ナイフを彼女の首にナイフを当て、彼女の口を強く押さえたカルムが居たからだ。


(あ、足音がしなかった……!)


 歩美は勇ましい顔でカルムの顔につけられた仮面の両目を睨みつけた。

 もう死ぬ、と確信し、目を閉じた瞬間だった。


 パシュッ——と銃声が聞こえた。


「…………」


 閉じた両目をゆっくり開けたとき、目の前にはナイフを持っている手首を押さえたカルムの姿があった。

 ——ガシャン、とナイフが床に落ちる。


「歩美と紗季……だよな?」


 銃弾の道をたどった先には景音がサイレンサーのついた拳銃を右手で持っていた。


「…………」


 無機質な仮面の先の表情には、景音に対しての恨みがあるかのように、カルムは振り向き、景音の顔を見る。

 首を動かした時、体が震えていた。

 カルムは床に落ちたナイフをさっきとは逆の手で拾うと、歩美と紗季を押しのけ走って行った。


「……待て!」


 歩美がそう言いながらカルムの後を追おうとするが、紗季が歩美の手を摑み、それを阻止する。


「待って、怪我をしているかもしれない。今動くのはあまり良くないわ」

「でも——」

「そいつの言うとおりだ歩美。今はここで助けを待とう」


 景音が二人に近づいて言う。二人は顔を見合わせ景音に雪の所在を聞いた。


「雪ちゃんは?」

「アイツは、別でフォリーとカルムを探している。カルムの行った先には、雪がいるだろうから、二人は鉢合わせになるかも」

「待って、それなら話は別!今すぐ彼を止めないと……」


 紗季はそう言い歩美の手を振り払った。そしてカルムの走った方向へと走って行った。


「お、おい紗季!!」

「紗季ちゃん……!?」


 二人が彼女の名を叫ぶが、虚しく、紗季はカルムの向かった方向へと走って行った。



「……………」


 カルムは少しの息も漏らさず、米秀学園の廊下を歩く。

 右の手首を押さえながら歩くが、血が垂れ、何滴か廊下に溜まる。


「…………」


 ふと顔を上げた瞬間、息がつまるように、カルムが態勢を崩す。


「お、お前はカルム!」


 彼の目の前には雪が立っていた。

 雪の顔はいつになく青ざめていた。


「……」


 雪はゆっくり歩きながらカルムに近づく。

 自分の方へ近づく彼を見ながらカルムはたじろいでしまう。

 焦って素早く後退りするカルムを見て雪は、嘲るようにして笑う。


「まあ、落ち着けよ。話をしようじゃないか」

「…………」


 雪は両手を広げる。まるで抱擁を催促するようだった。

 そんな彼女を見てカルムは首を横に振る。


「……そんな否定するってことは、やっぱお前……」


 雪は一瞬悲しそうな表情で彼の仮面を見るが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

 その笑顔を見た瞬間、カルムは後退りする自分の足を止めた。

 そして前かがみになると雪の右肩にぶつかり走り去った。


「……いっつ……」


 雪は珍しく苦しい表情でその場にうずくまる。

 その様子を見たカルムが雪に急いで近づくが、廊下の向こうから「待って!!」と言う紗季の声が聞こえて、急いでその場を離れた。


「カ、カルム……待てよ。絶対、捕まえてやるからな」


 雪は走り去るカルムの後ろ姿を睨みながら言った。


「雪!!何してるの!?」


 紗季はうずくまる雪の背をさする。

 焦った紗季の顔に雪は、かつての相棒の面影を感じ、紗季の頬を撫でる。


「大丈夫だ。古傷が傷むだけだ……ハァ……それより、フォリーは見つかったのか?」

「いえ、まだよ。フォリーなら景音と歩美が探している。見つかるか分からないけど」


 雪はゆっくりとその場に立つ。

 先もそれに合わせて立つ。そして雪の背をさすりながら、


「ハァ……悪いな紗季、先に、本部に戻ってるよ」


 気のせいか、いつもの笑顔が歪んで見えた。


「何かあったら連絡しろ。飛んでくる」


 雪は紗季の手を摑んで言った。


「あたしは、絶対、こんなところで死んだりしねぇ」


 苦しそうな笑顔を作ると、雪は本部のある方へ向かった。



 紗季はその場で雪の背を眺める。

 数秒経って雪の姿が見えなくなった、その瞬間だった。

 後ろに気配を感じた紗季は勢いよく振り向きその姿を確認しようとしたが、誰もいない。

 気のせいか、とため息ついた瞬間、首元に強い衝撃を感じた。


「うっ……」


 意思に反して体の動きが止まる。膝が崩れたようにうつ伏せに倒れてしまった。

 彼女の背にはフォリーが立っていた。


「フッ」


 フォリーは鼻で笑うと、彼女の後頭部に銃口を向けた。

 これで終わりだ、そう言うとフォリーが引き金を引こうとした。


 その時だった。

 突如として、フォリーの拳銃を持つ手に誰かの足首が飛び込んできた。

 驚いたフォリーは拳銃を落としてしまう。

 足の続く方向を見ると、帽子を深く被った少年がそこに居た。


「だ、誰だ!?」

「…………」


 少年は黙ったまま、別の方の足でフォリーの首に蹴りを入れようとする。

 フォリーはすぐさま右手首で阻止した。


「くっ」


 強い衝撃に思わず声が漏れる。

 フォリーは少し低くしゃがむと少年の鳩尾に正拳を繰り出した。

 しかし少年は後ろに下がる。

 手ごたえが無い……!!と焦ったフォリーの額に汗が伝う。


「強くなりましたね。咲田さん」

「…………お前、なんで僕の本名を知ってるんだ??」


 強い疑問を投げかけるが少年は答えず、フォリーの首を向こうの壁に押さえつける。


「うぐっ……」


 短くうめき声を上げたフォリーは少年の被っている帽子に手を伸ばそうとするが、手が帽子に到達する前に少年が首から手を離した。


「忘れてしまったのか。俺は覚えてるのに」


 少年はそう言い、パーカーから拳銃を取り出し、フォリーの額に拳銃を当てた。


「…………」


 フォリーはゆっくりとその場に座り込む。


「咲田さん。俺はずっとあなたを探していました。四年生の時、あなたは下独小学校ドイツから転校してきましたよね。いじめが原因で」

「なっ……」


 自分の過去を推察されたフォリーは焦って少年の手に手を伸ばす。

 少年はフォリーの手を振り払う。


「そうだよ……いじめられてたさ。最近まで……思い出したくもない。殺しをしていれば、忘れられると思っていたのに……!」


 フォリーは涙を流してその場にうずくまった。


「俺も、一緒やのにな」


 少年はそう呟いて帽子を取った。

 フォリーが顔を上げてその少年の顔を見る。


「お、お前は……」

「そう、俺の名前は枯山逢零かれやまあお。フォリーさんと同じように下独小学校でいじめを受けていた者です」


 逢零の目には涙が浮かんでいた。



 四年前の話。

 フォリー——咲田大地さくただいちが小学四年生、逢零が小学三年生の時の話だ。

 二人の通っていた小学校は近畿の小学校で、全国的にも有数の治安の悪い小学校だった。高学年には煙草を吸うような人が居るくらいで、先生や親のような大人も手を焼いていた。


 皆がざわざわしている教室の中で、一人本を読む大地。

 そんな彼に二人の少年が近付いていた。


「なあ咲田~。ちょっと千円くらい貸してくれへん?それから宿題も写させてや」


 大地の目の前でにやにやしながら両手を合わせる少年——鬼頭力哉きとうりきや

 その斜め後ろでもっと笑いながら二人を見つめる少年——成瀬大河なるせたいが

 この二人の目を見た大地はため息を吐いて読んでいた本に視線を戻した。


「はあ?なんで無視すんねん」

「力哉その眼鏡、度あってなさ過ぎてお前の顔見えてないんちゃうん?」


 成瀬が大地の眼鏡を指さす。「ほんまや」と言った鬼頭は大地のつけていた眼鏡を奪う。


「ちょ、ちょっと返してよ!!」

「俺がこの眼鏡直したるから」


 成瀬は大地の肩を押さえながら鬼頭の顔を見つめる。


「マジでやめてって……」


 大地は涙目になりながら、鬼頭が握っている自分の眼鏡に手を伸ばすが届かない。

 鬼頭が思い切り手を挙げると、眼鏡を床に叩きつけるようにして手から離した。


「ああ!」

「ハハッこれで新しい眼鏡買えるなぁ……俺らのおかげやで」


 鬼頭と成瀬は胸を張って教室を走って出て行った。

 目に涙を溜めた大地が眼鏡を拾う。


「……」


 粉々になった眼鏡を見て大地はその場にうずくまって泣いた。



 その日の放課後。

 ボロボロのマンションに戻ってきた大地は壊れた眼鏡をランドセルに突っ込んだのがばれないようにと、繕うようにきりっとした顔を作った。


「ただいま」

「……」


 いつも通り返事は聞こえない。

 台所の方から、包丁の切る音が聞こえてきた。

 大地はゆっくりと台所の方へ行き、ダイニングテーブルにランドセルをおろす。


「お母さん、あの……僕新しい眼鏡が欲しい」

「……」


 母は無視して料理を続ける。


「ほんまに、あの眼鏡失くしてん。お願い。眼鏡が欲しいっていうか……できればコンタクトが良い」


 大地の声がだんだん弱々しくなる。少しずつ声が震えていく。


「算数のテスト、今日返ってきたんやろ。はよ見せて」


 母が包丁を置いて大地に手を伸ばす。

 大地は気が進まなかったがランドセルの蓋を開けぐちゃぐちゃになったテストを母に見せた。


「九〇点か……あかんな、これじゃコンタクトは買えへん。うちは貧乏やから尚更な。眼鏡も失くしたんやったら早く見つけたら?」

「……」


 大地は母に向かって叫ぼうとするが、母はしゃがみこんで大地の両肩を掴んだ。


「大地?今ここで一〇〇点とってたら、将来いい仕事につけて、高い給料も貰える。その時になったら好きなものも買えるし、いろんな人も幸せにできるんやで。父さんみたいにならんで済むねんで」


 母の顔は狂ったように真剣だった。


「分かったよ。お母さん。良い子でいるよ」


 大地はそう言って、部屋へ戻った。



 いつも通りの朝。ランドセルを背負って通学路を一人で歩く。誰も一緒に歩いてはくれないから。

 すると後ろからチャリンチャリンと自転車のベルの音が聞こえた。


「なあ、新しい眼鏡買ったん?」

「買ってないし。コンタクトにする」


 大地がそう言うと鬼頭は残念そうに言った。


「はあくだらねえ。ダサい眼鏡やったらまた壊してやろうと思ってたのに」

「力哉やったら、どんな眼鏡でも壊すやろ」


 成瀬が自転車の荷台から言う。

 成瀬はランドセルをおろすと自転車の籠に投げ入れた。


「おいおい。ランドセルくらい自分で持てや」

「なんでやねん。スマホとゲームしか入ってないやろ」

「まあ荷物持ちやったらそこにおるしな。先生にスマホ見つかっても、こいつのせいにすればいいし」


 鬼頭は大地の顔を見て嗤った。

 大地は焦って走って逃げようとするが、自転車から降りた成瀬に手首を掴まれた。


「は、離せや!!」

「昔っからムカつくねん。頭良いからって調子のんなや」


 鬼頭は足の裏で大地の腹を蹴る。「ぐっ」と声を上げた大地はそこで倒れこむ。


「母さんもお前を見習えってずっとうるさいねん!!なんで俺よりも弱いくせに、なんでお前なんかがいっつも優遇されんねん!!」


 大地と鬼頭は保育園の時は仲が良かった。しかし、小学二年生になったころに、鬼頭が不満げに大地の方を見つめていた。


 どんどん苦しくなり、大地がお腹を押さえうずくまる。

 もう無理だと思った時、大地たちより幼い声が後ろから聞こえた。


「やめてください!」

「あ?」

「誰やねんお前」


 大地がゆっくりと目を開いた。


「三年一組の枯山逢零です!人に暴力振るっちゃいけないことくらい俺も、俺の妹だって分かってるんだよ!」

「なあ力哉、こいつのかけとる眼鏡、昨日咲田のかけとった眼鏡とめっちゃ似てない?」

「あ、ほんまや。兄弟やん」


 成瀬と鬼頭が逢零に手を伸ばした時、逢零が「あ、先生!」と言った。


「あ?うわマジかよ。はよ行こうぜ」

「だるいなマジで」


 そう言った鬼頭と成瀬はもう一度自転車に乗って小学校の方へペダルをこいだ。


「大丈夫ですか」


 逢零はそう言って、うずくまる大地に近づいた。


「先生が来たってのは嘘です。このくらいの嘘言わないと、アイツらどっか行かないと思って……」


 逢零は照れくさそうに自分の頭を掻いた。

 これが大地と逢零の出会いだった。

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