第27話 孤独じゃない

 スマホの画面の右側にある通話終了ボタンを押して、逢零あお夏陽なつひは二人並んで歩いていた。

 が、二人はすぐにとんでもないものを見つけてしまったのだ。


 目の前の壁を左に曲がった時、二人の上司である憧と潤が左側の壁にもたれかかり、大量の血を流していた。


「局長?」


 逢零がそう呼びかけても返事は無い。

 壁にもたれかかった二人の死体は、何かから解放されたような安らかな表情だった。

 死んでいるのに、二人は固く互いの手を握り合っていた。


「へえ。随分と仲が良いんだね。手を繋いで二人で死ぬなんてね」

「そりゃそうだろう」


 二人の関係を最初から知っていたように逢零が言う。夏陽の表情が少しだけ曇った。


「何?なんで知ってるの?」


 逢零はしゃがみこむと、潤の右手を握った。

 潤の右手を自分の額に近づけると、目をしっかりと瞑って「さようなら」と呟いた。

 手をおろし、両手を合わせながらゆっくりと立ち上がる。そして斜め後ろからその様子を見ていた夏陽に向かって言った。


「さあ。でも、薬研局長は基本苗字呼びだが、仲の良い友人たちは、下の名前で呼んでたんだよ。知らなかったのか?」

「なるほどね。局長は、そこのCIAの局長の事を下の名前で呼んでたのか」


 夏陽は冷めた視線で憧と潤の手を見る。


「早く行こうぜ。時間が無い。他のメンバーを見つけるのが先だよ」


 逢零は怒りに歪んだ顔を夏陽に見せながらぼうっと憧と潤の方を見る彼女の横を通り過ぎて行った。

 しばらく進んだ後で、夏陽が顔の向きを変えず「逢零」と彼の名を呼んだ。

 彼は夏陽の方を振り向かず、足を止めた。


「…………どこ行く気?」

「言っただろ?ラトレイアーのメンバーを拘束するって」


 夏陽は逢零の目をグッと睨みつけた。

 逢零は夏陽のその顔にも揺るがなかった。


「そう」


 夏陽はそれだけ言うと、逢零と正反対の方向へと進んだ。



 雪と景音は言われた通り、カルムを探して校舎内を歩き回っていたが、いるのは米秀学園の奴らばかりで、ラトレイアーのメンバーを一切見かけることは無かった。


 雪が退屈が混じったため息を吐くと、景音の顔が憂鬱になる。


「お前なあ、何もないからって、明らかにため息つくんじゃねえよ」

「だって、暇だろ?誰もいないんじゃあ、面白くねえし」


 雪は珍しく不機嫌な顔だったが、突然皮肉る笑顔へと変化したその瞬間、雪が右手で景音の胸を勢いよく押した。

 景音が驚いた顔をしたと同時にバランスを崩した。景音が不満そうに「おい!!」と叫んだ瞬間、景音の前に弾丸が通った。


「……!!」


 景音の表情がどんどんと恐怖に変わっていく。


「おいおい。まさか、こんなに相手がいるとは……聞いてねえぞ」


 雪の声が高揚して、どんどんと高くなっていく。雪はわざとらしく冷笑を浮かべて廊下の先を見ている。

 廊下の先には、十人ほど、米秀学園の制服を着た男がいた。


「景音、動けるよな」

「ああ」


 景音が真剣な顔になると、雪は笑いながら言った。


「腕が鳴るぜ」


 雪は大声でそう言って、男たちの方へ走って行った。

 男たちは頬に汗を伝わせ持っていた拳銃の引き金を引くが、雪は身体を翻しながら弾丸を避ける。

 景音はボクシングの構えをしながら、身体を左に傾けた。

 

 雪は男たちを蔑むように微笑みながら、拳銃を持つ男の鳩尾に向かって強く正拳を繰り出した。


 男は小さい汗の粒を飛ばしながら「うっ……」と言いながら鳩尾を押さえ、その場にうずくまる。

 ガシャンッと拳銃の落ちる音が廊下に響くと、雪は拳銃を掴むと、うずくまった男の脳天に思い切りかかと落としをする。

 男の意識がプツリと途絶えた。


「チィッ…………」


 雪の正面にいる男が舌打ちしながらしゃがんでいる雪に向かって銃口を向ける。


 ドンッ……


 一発の銃声が聞こえ、その男の周囲の仲間も一瞬たじろいだ。

 男の鮮血が廊下に零れ落ちる。


 男がガシャンと拳銃を落とす。雪がその拳銃を思い切り蹴ると景音も拳銃を拾い上げた。


「ありがと雪」

「……」


 男は血を流しながらうつ伏せに倒れた。

 雪は素早く立ちあがると、目の前から飛んでくる拳を軽やかに避けていく。


 まずったな。後ろに誰かが——。


 心の中で、そう呟く。


 雪は目の前から殴りかかる男の顔を見据えると、一瞬でしゃがみ、男のすねを蹴った。


「うがっ」


 男に挟まれる前に素早く目の前の足を転がり避ける。

 殴りかかった男が真後ろに居た男の方に倒れるのを目の端で捉えるのを確認する。


「挟み撃ちなんかすんじゃねえぞー!」


 雪はしたり顔で、二人の男の方を見て叫んだ。

 顔を正面に戻すと、二本の足が仁王立ちしていた。


 クッソ……ここで来るかよ……!


 上からの刺客に、雪が目を瞑った瞬間——。


 パシュッ……


 静かな銃声に雪が目を開ける。目の前の男が血しぶきを上げ倒れた。


「おお。景音、なかなかやるなあ」


 景音は雪の顔を見るや否や、呆れたように首を横に振った。


「無鉄砲に動くなよ」

「悪い悪い」


 雪はそう余裕そうに立ち上がる。


 壁にもたれかかった学ラン姿の少年を見つけると、雪はその少年に近づいた。


「おお。お前、まだ一年だろ。なかなかやるじゃないか」


 雪は拳銃に弾丸を装填しながら、少しほほ笑みながら言う。


「はあ……はあ……お前……マジで……、CIAの時の腕が……」

「悪いが鈍ってないんだよなあ」


 雪は装填し終えると、銃口を少年に向けた。


「フォリー……もしくはカルムの居場所を教えろ」

「し、知らない」


 少年がそう言うが、雪の表情は一切変わらない。

 雪が後ろに気配を感じたが、左手で拳銃を握りながら手の甲を思い切り後ろへ叩き付ける。

 男が短くうめき声を上げ、顔を押さえた。


「聞いたことあるだろ?CIAのエース、『ブラックスノー』って」


 雪がしたり顔で少年の方を見る。少年の顔がどんどんと青ざめていった。


「ま、まさか……」

「フッ。あんまなめんなよ、マジで」

「……っく……」


 少年は床に落ちていた拳銃を拾うと、今までにない勢いで雪に向かって銃口を向けた。


「ほう。拳銃一丁で立ち向かおうと……良い気概だな。でもなあ、残念だが、あたしと景音の二人で、もう十人くらいの男を制圧してるんだ。君のような少年一人が向けてきた拳銃なんて、へでもねえよ」


 雪がそう言うと少年の顔が途端におぞましく変わった。すると景音が真横から引き金を引く。


 パシュッと銃声がすると、少年の手から拳銃が離れた。


「んで、どこに居るんだ?カルムとフォリーは」


 少年の頬に大量の汗が伝う。

 

 ——パシュッ……


 少年の頬に血痕も混ざった。

 雪が非常に珍しく目を丸くして驚いている。

 雪はその顔のまま弾道を辿り、すっと横を見る。

 サイレンサーをつけた拳銃を少年の方に向けている景音の姿が、そこにあった。

 雪は景音の持つ銃口から煙が出ていることから察し、途端に口角を上げる。


「おいおい、殺すなよ景音。せっかく情報を聞き出せると思ったのに?」

「時間の無駄だっつーの。なんで殺さない?」


 雪は笑顔のままで言う。


「あいにくな、あたしは約束を守る主義でね。うみが言ったように、人は殺さない」


 すると景音は俯いて、ハハッと少しだけ乾いた笑いをすると、額を手で強く抑えた。


「なるほどな。だから殺さない主義と。サジェスの中でも最強に近いと言われるお前が、あの仕事についていながら——」


 カチャリ。


 雪が景音の額に銃口を突き付ける。景音は真剣な表情へと変えると、雪は皮肉を言う時のようにこう言った。


「言うなよ」


と。景音は俯いて大声で快活に笑った。


「アハハ!殺さない主義なんだろ?だったら、ダメじゃないか。俺の脳みそをここでぶちまけたら」

「フン。別に殺すなんて言ってねえよ。殺さないって分かってても、多少はビビるもんだろ?」


 雪は口角だけを持ち上げて嗤う。

 それに対応するように、景音はハアと短くため息を吐いて、雪の手首を強く握りしめた。


「調子乗んなよ、雪。分かってるよなあ?今、どういう状況なのか」

「ああ。もちろん。でも、このくらい楽しくしないと、やってけないだろ」


 雪はほんの一瞬だけ暗い顔をしたが、またすぐにいつもの笑顔に戻った。

 まるで彼女の暗い過去をを覆い隠すようだった。

 ピピピピピッ……

 スマホの着信音が聞こえた雪がズボンのポケットからスマホを取り出し、通話ボタンを押してからすぐ、スマホの画面を耳に当てた。


「もしもし逢零。どうした?」


 そう電話口で逢零にそう聞いて数秒後、雪のフッと笑ったが、その笑顔の中には焦燥感が混じっていた。


「死んだ?局長が??冗談だろ」


 電話口で冗談ぽく話す雪の姿に、景音の表情が曇る。

 電話の先で、逢零の声が低くなる。


「俺はあの二人の代わりにフォリーを追います。秋原先輩は、そこから動かないでください」

「は?なんでだよ。ラトレイアーのメンバーなら全員なぎ倒したさ。フォリーの事なら心配ない。一人くらいなら殺せる」


 雪がそう言うも、逢零の声色がもっと低くなる。


「馬鹿言わないでくださいよ。局長を殺した奴ですよ?対抗できますか?」

「あたしが局長より弱い根拠なんてないだろ。大丈夫だって心配すんな。景音もいるし。何とかなるよ」

「やめてください!!秋原先輩!今すぐに、本部の方へ―—」


 戻ってください。逢零がそう言おうとしたのを、「黙れ」と景音が口を挟んだ。


「俺たちは本部に戻るつもりはない。殺されるなら、潔く諦めている」

「し、しかし……!」

「お前の方はどうなんだよ」


 景音は雪のスマホを手に取り、耳に当てる。雪は不敵に笑っている。電話の先で、逢零が言葉を詰まらせた。


「一人で動くのは止めろ。お前にはちゃんと相棒の榎本がいるだろ」

「…………」


 電話の向こうで逢零が黙ったまま、返事をしない。


「逢零、お前は一人じゃないんだから、一人で行動するな」

「……分かりました」


 電話の向こうでうなだれるように答える様子が良く分かる。

 しばらく沈黙が続いたのち、プツリと電話が切れた。


「よし。カルムとフォリーを探そう」

「そうだな。雪、先に行っててくれ」


 景音がスマホを雪に手渡すと、雪は景音に向かって小さく手を振った。


「じゃあな。カルム見つけたら、あたしに言ってくれよ。アイツの顔、気になるし」

「そう簡単に見つかるものかな」


 景音から背を向けながら雪が言う。


「じゃあな」



 逢零はスマートフォンの画面に書かれた『秋原先輩』と言う文字を睨みつけた。

 帽子のつばを力強く掴み深く被りなおす。

 逢零はスマホをズボンのポケットに入れると、再び歩き出した。

 歩き始めてすぐ、曲がり角の右から声が途切れ途切れに聞こえてくる。


「——って……——い、しか——……』


 曲がり角の壁に背を当てると、聞き耳を立てる。


「咲田さん。秋原雪と、中家景音の居場所を突き止めました。十人ほど刺客を送りましたが、全員自爆したそうです」

「その名前で呼ぶのやめてくれないかな。十人も刺客を送り込んで、結局自爆かよ。話にならないね」


 逢零がおぞましい顔をして肩を震わせる。


「それは、すみません……しかしフォリーさん。自爆と言う措置は我々の情報が流出しないためのものです」

「そんなことは分かってる。僕が言いたいのは、自爆しなきゃいけないような状況になっていることだよ」


 逢零は帽子をもっと深く被った。

 頬に伝う汗を拭くと、すぐにその場を小走りで去って行った。



 紗季と歩美が校舎内で、辺りを見渡しながら歩いている。


「誰もいないね。局長からの連絡も無いし」


 歩美がそう言いながらスマホをいじっている。

 少しだけ困った表情をしながら紗季は歩美の肩をさすった。


「怖くないの?」

「まあ、怖いけどね。そんなに」


 歩美が笑顔で紗季に向かって言う。


「それより、気になるんだよね」

「何が」

「月城局長のモノクル」


 訝しげな顔を作ると、歩美はスマホの電源ボタンを押しポケットに入れた。


「モノクルは、一九世紀のヨーロッパで流行したもの。

 通常、片目の視力が悪いからという理由でつけることは無く、装着している方の目で遠くの物を見、裸眼で近いものを見るという、遠近両方見るという用途で装着する。

 彼の言っていた理由でつけることは、まずない」


 真剣な顔から、不思議な顔へと変えた紗季が、歩美の方から目を逸らす。


「なんで、モノクルなんてつけてたんだろう」


 顎に手を当て考える歩美の隣で、紗季が突如足を止める。


「……どうしたの紗季ちゃん」

「何?この音」


 歩美が足を止め、紗季の方を心配そうに見つめる。

 よく耳を澄ませば聞こえた。トン、トンという指で壁を叩くような音が数回聞こえる。良く耳を澄まさなければ気づかないレベルだから、足音に混じって聞こえなかったのだろう。


「これは、モールス信号?」


 トン。ここで音が完全に切れた。


「…………」


 不穏な足音だけが廊下に響く。

 二人が足音のする方向に目を向け続けていると、その足音がどんどんと大きくなる。

 足音が大きくなる度に、張り詰めた空気が廊下の空間を支配した。

 先ほどまで籠っていた足音が明瞭になった瞬間、その空間の空気が一気に変わった。

 廊下の先には黒い仮面をつけた男が立っていた。

 黒いロングコートの下に黒いカッターシャツ。靴は底の厚いブーツで、上の方まで靴紐が結ばれている。

 髪色は黒く、息遣いが一切聞こえない。


「あなた、まさか……カルム!?」


 紗季が聞いた瞬間、その男は小さくゆっくりと頷いた。

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