第26話 仲良し

 俺——月城潤がつきしろじゅん、CIAの局長になった時から周囲からよく言われていたことがある。

 薬研憧やげんしょうと組めば最強だと。

 理解ができなかった。話したことも無かったのに、同じクラスになったことも無い。

 ……いや、あったのか。

 しかし彼の存在は、俺からすれば不思議で、彼はずっと前に会ったことがある気がしたからだ。

 苦みのある記憶で、忘れたくても忘れられない記憶のようで、脳みその片隅に微かに残っている。


そんな彼が今、俺の隣にいる。




 薄暗く、少しだけ肌寒い地下に潤と憧が隣り合って歩いている。

 潤は背中にライフルバックを背負っている。憧は両手をズボンのポケットに入れている。

 無言で数分間ずっと歩き続けていた。

 辺りの静寂さが、二人の息遣いと足音を目立たせた。

 二人の周りだけスポットライトが当たったように妙に明るかった。部屋に二人の影が映る。

 潤は片手に、コーヒーの入った紙カップを軽く掴んでいる。

 憧は退屈そうだった。まるで長々とした英語の論文を読んでいるようで、何度かあくびもみられた。

 潤は突然、しゃがみ込む。

 その様子に憧は足を止めた。


「何をしている?」

「スコープの手入れだよ」

「敵が近くにいるかもしれない。今はやめておいた方が良いんじゃないのか」


 憧がそう言うと、潤は静寂を切り裂くように、ライフルバックのチャックを開けた。


「足音は俺たちの足音しか聞こえない。可能性は低いだろ」

「……ああ。そうかも、な」


 憧は次第に自信なさげに言う。潤は淡々とスコープを覗きながら手入れする。

 丁寧に銃を扱いもう一度、ライフルバックに直した。


「……よし」


 潤がそう言いながらスナイパーライフルを背負った。

 再び二人が歩を進める。

 憧はもう一度両手をポケットに入れた。

 すると、厳しい目で潤の横顔を見た。

 憧は顰蹙してしまった。潤の顔には暗い影が落ちていて、見慣れた瞳の下にはクマが深く刻み込まれていた。


「潤」

「……どうした?」


 憧の声を聞いた潤は憧の方を真っ直ぐに見つめた。しかし、勢いで名を呼んでしまった憧の頭にはかける言葉が出てこない。


「あ、えっと……」


 まるで子供のように、情けない声だけが漏れる。


「……憧は」

「あ……」


 先に口を開いたのは潤の方だった。潤は流暢に質問を投げかける。


「景音が辞めようとした時、止めなかったのか?」

「いや、止めたさ。あんな優秀な奴を手放したくなかったから。彼の気持ちを尊重できなかった。FBIには彼が必要だった。今、俺の気持ちを無下にしたアイツに対して、冷たく接してしまう。ほんと、やな奴だよ」


 憧は呆れたように目を少し伏せて笑った。潤はそれに対して返事をしなかった。

 憧はまるでヒントをもらった子供のようにハッとして、目の端で潤の顔を捉える。


「お前は?秋原が辞めようとした時、止めなかったのか?」

「ああ、止めなかったさ」


 潤の言葉に、憧は思わず「なんで?」と返してしまう。潤は笑って言った。


「……彼女は優秀だった。でも、あんな顔見たら、止められるわけがないだろう」


 そう言う彼の表情は、砂を噛んだような顔で、不快さを露わにしていた。

 憧はゆっくり瞬きすると、「意外と、優しいんだな」と馬鹿にするように言った。

 潤は笑って、憧の方を見て言う。


「お前よりはな」


 まるで、ずっと昔から一緒に居たような二人だ。


「なんだよそ——」


 ドンッ。


 一発の銃声が聞こえた瞬間、憧の目の前にどろどろとした赤い液体が噴射していた。


「れ」


 言い切った瞬間、憧は目を見開いた。

 後ろから潤の肩が撃たれていた。

 潤の頬には肩からの血と一筋の汗が伝っていた。


「うっ……」


 短いうめき声を上げた瞬間に、潤のひざの関節が砕けたように膝が曲がり、両手を床に押し当てているようだ。


「かはっ……」


 潤の口から小さな赤い水滴が流れ出た瞬間に、憧の顔が青ざめる。


「潤!!」


 憧がそう叫び、俯いている潤の身体を廊下の壁にもたれかからせる。


「へえ。彼、潤っていうのか」


 そういう少年の声が聞こえた途端、憧が血相を変えてその声の方向に顔を向ける。


「誰だ!!」


 憧がそう叫んだ一瞬だった。首元に鋭い金属の感触が伝わる。


「忘れました?フォリーですよ」


 ナイフで切り裂いたような不気味な笑みを浮かべているフォリーをおぞましい顔で睨みつけた。

 フォリーはしゃがみこんで、憧の顔を見て嗤っている。

 憧の首に押し付けたナイフをゆっくり下ろしながら言う。


「質問です」


 そう言って憧から離れたフォリーは立ち上がる。

 憧はフォリーの顔を見ながら、すぐに潤のいる壁側に移動する。

 潤は顔をゆっくり上げる。


「中家景音と、秋原雪の居場所を教えてください」


 フォリーは自分の胸に手を当て優しそうな口調で言う。


「それを知ってどうする?」

「始末するんです。それが僕の仕事ですから」

「そんなん言うわけが……!!」


 潤がフォリーに向かって叫んだ途端、フォリーの顔が一気に冷たくなる。


「がっ……」


 フォリーの足先が潤の鳩尾に食い込む。

 潤が自分の鳩尾を両腕で抑え込む。


「早く答えてください。時間の無駄です」

「潤……」


 憧が覚悟を決めたように固唾を呑んだ。


「僕があなた達を殺してしまう前に、早く答えてください。もっともそこの彼はもうすぐ死ぬでしょうけど」


 フォリーはジャケットの内ポケットから、拳銃を取り出し、憧の方に向ける。


「死んでもあなたに聞くだけですよ。FBIの局長さん?」


 憧は向けられた銃口を睨みつけながら笑った。


「ああ。教えてやるよ」


 憧が威勢よくそう言った瞬間、潤が憧の横顔を見る。

 すると憧は目の端で潤の顔を捉えながら、潤の方に自分の左手を添える。


「あいつらは、にいる。二人は強い。だから大人数で行け」

「そうですか……」


 フォリーは右手で拳銃を握ったまま銃口を憧たちに向けた。

 左手でインカムをピッと押すと、フォリーは言った。


「二人の居場所、分かりましたよ。あの二人なら、に居ます」

「なっ……!!」


 憧の顔が青ざめる。


「あの二人は強いでしょうけど、校舎外にいる可能性も考えると、十人くらいで行けば、効率が良いです。僕もすぐ合流しますから」


 憧がざっと立ち上がり、フォリーの胸ぐらを勢いよく掴んだ。


「お前、何言ってんだよ!!俺は、って言ったんだぞ!!なのになんで——」


 憧がそう言った途端、ドンッと銃声が聞こえた。


「うぐっ」


 憧が潤の隣に倒れこむ。


「憧!!」


 潤が憧の左肩に手を摑んだ。


「あれ?何を焦っているんですか?薬研さん」


 フォリーは憧の額に銃口を当てた。


「な、なんで……なんで殺す……??」


 憧は片目を閉じて歪んだ顔をフォリーに向ける。


「仕事だからですよ」

「仕事だからって……殺して良いわけがないだろ」


 憧が冷静にフォリーの顔を見ながら言った。


「対して何の苦労もしてこなかった人間を殺して何が悪い?」

「…………は?」


 フォリーがそう言った途端に、潤の顔が陰る。

 潤は見たことない形相でフォリーの目を睨みつけた。


「何の苦労もしてない……?お前は、お前らは……あの二人が何の苦労もしてないように見えんのか」

「ええ、そうですよ。理不尽に何かを奪われることなんて、一度もなく、平和に暮らしているんだろうね。ほんと、癪に障りますよ」


 憧はフォリーの握る拳銃を掴む。


「ふざけるな。中家も、秋原も、辛い思いをしてるんだよ。だから、だからFBIもCIAも辞めたんだよ……!!それを馬鹿にしたように……言ってんじゃねえよ!!」

「あなた達に僕の苦しみが分かるんですか?」

「はあ?」


 フォリーの拳銃を握る強さが強くなる。


「周囲の人間に自分の存在価値を完全否定された時の気持ちがあなた達に分かるんですか?」

「……」


 フォリーの顔を見ながら、憧は罪悪感に苛まれたような顔になった。


「まあ、特別に、手加減しますよ。二人で仲良く死んでください」


 潤は憧の方から目を逸らした。

 潤の頭の中に、幼少期の様々な記憶が流れ込んでくる。



 俺が小学一年生の時だった。


「お前、なんで、片目の色が違うんだよ?」


 顔は思い出せない少年がそう言う。


「う、生まれつきで」

「気持ち悪。お前なんか、このクラスにはいらねえよ!!」


 記憶が途切れた。


 俺は憧の隣で小さく呟く。


「俺は……」

「潤?」


 息を切らした憧が俺の名を呼ぶ。


「……」


 俺は彼の声を無視する。


 また新しい記憶が流れ込んできた。


「なんだよこれ」

「そ、それは」


 左目につけた眼帯を無理やり引きはがされ、俺はそれを取り返そうといじめっ子に飛び掛かる。


「こんなんつけてんのかよ」


 少年は眼帯を床に叩きつけると、足で踏みつけた。


「おい!!やめろって……」

「お前なんか、眼帯付けんなよ」


 少年が去った後、俺は床に落ちたボロボロの眼帯を拾い上げる。

 再び記憶が途切れた。


「誰…………だろう……?」


 俺がまた呟くと、もう一度記憶が流れ込んできた。


 俺の今の書斎机に座る一人の男が俺の顔を真っ直ぐ見ながら言う。


「モノクルか。変わってるねえ」

「……はい。おかしいですか?」

「いや?俺は好きだよ」


 男はそう言って俺の肩を叩いた。


 するとまた記憶が流れ込む。

 今度は俺が書斎机の椅子に座っている。


「名前は?」

「雪。秋原雪」

「へえ。いい名前じゃないか?なんでここに来た」


 雪は重い口を開く。


「友達が、薬をやってて、嫌気がさしたんだよ。CIAとかFBIとかなら、そんな奴はいないだろうってな」

「敬語を使えよ」


 また画面が切り替わる。

 目の前に居たのは、夏畑海なつはたうみだった。


「僕の兄はどんな感じで仕事をしていたんですか?」

「きっかりしていたよ。君とはまた違っていたな。顔も似てないけどさ」

「そうですか。僕は、うまくやれるでしょうか」


 不安そうな顔で、俺の目を見る。


「大丈夫さ」



 次の記憶はよく覚えていた。


「雪!何があった!?」

「海が……死んだ……」


 虚ろな顔で俯いている彼女。入って来た時とは考えられないくらい暗い顔だ。

 雪の前には血まみれで壁にもたれかかっている海の姿。

 俺は持っていたコーヒーカップを強く握りしめた。


 その次の記憶は、おそらく一生忘れない。


「局長。秋原先輩は?」

「えっ……ああ……」


 枯山逢零かれやまあおが俺の方を真っ直ぐ見つめる。純粋な子供のようだ。


「ああ……辞めたよ」

「…………やっぱり、夏畑先輩の事で……」


 俺は歯を食いしばった。

 逢零の心配そうに俺の方を見る顔を見て、魂が抜けたようにやる気が失せた。


 俺は今までの人生、ほとんどを死にたいと思って生きてきた。


 苦しまないためのモノクルも、昔の苦い記憶を思い出すだけだ。

 当時の俺の局長が進めたコーヒーは好きになれたけど、未だに慣れない局長の仕事を五年生でこなしていた先輩を思い出してしまう。


 今、血まみれになって壁にもたれかかる俺の姿は、海に似ているかな。

 こんなことを言えば、雪に怒られても、しょうがないよな。

 「似てるわけないだろ」って、怒られるよな。


 まるで黒板を爪でひっかいた時のように、俺の人生は不快そのものだった。


 俺の事を認めてくれるような奴はいない。

 ほめてくれるような奴もいない。


 だって俺が常に一番上の立場だからだ。唯一誉めてくれたのは、俺のたった一人の上司だけだ。

 だから俺はどんな時でも雪や海、逢零のような部下の事だけを考えて生きてきた。

 心残りなのは、あいつ等だけだよ。


 体の痛みが無くなってどんどん楽になる。

 眠くなっていく。身体が動かない。

 口だけがかすかに動いた。


「俺は……ちゃんと、CIAの局長に……成れてたのかな」


 俺の視界が暗転した。



 隣にいる潤が一切動かなくなった。


「潤」


 俺はどんどん眠くなっていく。

 

 潤は俺のことを覚えていないだろうが、俺はよく覚えている。


 小学校一年生の時、入学して早々一人で席に座っている奴がいた。

 それが潤だったんだ。

 俺はそういう堂々としてないやつが大っ嫌いなんだよ。

 だから、俺は潤に言ってしまったんだ。


 「片目の色が違うとか。気持ち悪」って。


 最低だよな。分かってる。

 でも、言ってしまったんだよ。


 FBIにスカウトされてから俺は、ずっと憧に謝りたかった。

 だからずっと探してたんだ。


 ある時に、FBIとCIAでの協力作業の時に再会したんだ。

 俺は潤に話しかけたが、全く覚えてないようだった。


 他人に優しくできないんだよ。部下だった中家にも、榎本にも。

 だって、優しくすれば、なんで潤に優しくできなかったんだろうって思ってしまうからだ。いっそのこともう、殺してやろうかって思ってしまった。

 でなきゃやっていけない。


 俺はおかしい。狂ってる。分かってる。

 部下が死んでも泣けなかった。

 先輩が死んでも泣けなかった。

 同僚が死んでも泣けなかった。

 中家が辞めても泣けなかった。


 なんで、こいつらがあんなことになっても泣けないのに……なんで潤が死んだときだけ、涙が出てくるんだろう。


 俺はまだ暖かい潤の手を握った。


 俺はきっと地獄行なんだろうなあ。潤にはもう会えない。だからせめて——…………。


「ごめんな。潤。あの時、お前の事いじめてごめんな」


 それだけじゃない。俺が今謝らなきゃいけないのは……。


「お前の事、守ってやれなくて、お前の部下も、守ってやれなくて、ごめんな……」


 俺は潤の手を握りしめて、ゆっくりと目を閉じた。

 頬を伝う涙が止まったのと潤の冷たくなっていく手の温度が最後の感覚だった。



 プルルルル。

 逢零がスマホの通話ボタンを押す。


「もしもし。どうしました秋原先輩?」

「もしもし?いや、そっちに局長居るかな~って思ってさ。だっていくら電話しても繋がらねえんだもん」

「さあ。榎本、知らね?」


 逢零が隣を歩く夏陽に問う。夏陽はスマホをいじりながら言った。


「ダメ。薬研局長も繋がらない。まあ、大丈夫でしょ。きっと今頃、二人仲良く、手でも繋いでるだろうね」


 夏陽は冗談交じりにそう言うと、スマホの通話終了ボタンを押したのだった。

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