第29話 孤独だったから
「俺三年生で、妹が二人いるんですけど、二年生とまだ保育園の年長で。俺、同級生と五年の人にいじめられているんです。深津の弟と良く喧嘩していて……」
聞けば、この
大地たちの通う下独小学校は弱そうな見た目や、成績のいい奴が基本的に的にされる。そう言う人が数少ないからだ。
「そうか。親には言ったん?」
「いえ……妹の事もありますし、心配かけたくないので」
逢零は眼鏡のブリッジ部分に中指を置いてくいっと眼鏡を上げた。
眼鏡のブリッジ部分にはセロハンテープが巻かれていた。
「その眼鏡、どうしたん?」
「ああ、深津の弟にやられた奴です。でも大丈夫ですよ。殴り返したので」
逢零は笑って言った。
「親と仲良いんだね」
「いえ全然。仲良くしたいんですけどね。心配はしてくれると思いますよ」
「そうか。良いなあ」
大地がそう言うと、逢零は照れくさそうに俯いた。
「僕の家はね。父さんと母さんが別居してて、母さんは僕だけを頼りにしているんだ。だから言えないのもあるけど、いじめられているなんて言っても、きっと手を貸してくれないよ」
大地は隣に座る逢零の手を握った。そして「いやだなあ……」と震える声で言った。
「僕に味方は君しかいないだろうから。いなくなったら怖いよ」
「……」
大地の声に涙が交じる。逢零はそっと大地の手を握り返した。
「約束しましょう咲田さん。俺は絶対咲田さんから離れないです。咲田さんも逃げたりしないでくださいね」
そう言って、逢零は大地の手を握る手の力を強くした。
大地にとって、最高の出会いだった。
友達なんていなかったから。
絶対に一生一緒に居られると思っていた。
そう思っていたのに——。
「咲田!!最近退屈しとるやろ」
「いや別に」
鬼頭が大地の机をドンっと叩く。
ボロボロの上靴を見た成瀬は鼻で笑って言った。
「最近、枯山と仲良いやんな」
「それが、何?僕がどんな人と仲良くしようと関係ないやろ」
大地は本を読みながら成瀬に言い返す。鬼頭と成瀬は顔を見合わせると大地の読んでいた本を奪い、後ろに投げた。
ガタンっと分厚い本が落ちる。その音を聞いたクラスメイトがざわざわと、鬼頭たちの方を見る。
「お前ちょっとこっち来い」
「え、ちょっと待って」
「良いからはよしろや」
鬼頭に手首を引っ張られ、成瀬に背中を押される。
そんな大地の様子をクラスメイトはぼうっとしながら見ていた。
「なあ、何?なんなん?何があんの?」
「良いから黙って来いって」
そう言われて来た先は、昨日逢零と二人で話した校舎裏だった。
しかし、異常だったことがある。それは大地の目の前に、逢零が血を流して倒れていたことだ。
「……」
額から黒い血を流しているのを見ても、叫ぶ気にはなれなかった。何か、もう、おかしくなっていたんだろうと、大地はそう思っていた。
「どう?サプライズ」
「……」
「嬉しすぎて、言葉も出えへんか?それは良かったー」
成瀬は機械になったような棒読みで、大地の頭を掴む。
そして逢零の身体に思い切り近づけた。
「何を、したんだ?逢零に」
「ちょっと遊んだだけやって」
鬼頭は大地の肩を強く掴んだ。
「なあ、咲田、お前、はよ死んでくれんかな?」
鬼頭は狂った表情で大地に言う。大地は思わず後退りしてしまった。
「は、はあ?」
「お前がおらんかったら、俺もこんなことしてなかったのに、俺たちがこんなに、賢くなかったら、ここまでやってへんかったのに!!全部、お前のせいやからな!!」
鬼頭がいきなり声を荒げ、大地の胸倉をガッと掴む。
大地が苦し紛れに薄目を開ける。鬼頭の後ろで成瀬が木の枝で逢零の身体をつついている。
「そんな理由で、逢零を犠牲にしたのかよ……!!」
「……」
鬼頭は黙ったままで大地の胸倉をつかんでいる。大地は怯まず叫んだ。
「なんで、お前らなんかのために、僕たちが犠牲になるんだよ!」
「…………」
どれだけ大地が叫んでも、鬼頭の表情は変わらない。微動だにしない鬼頭の顔を見た大地は涙を流した。
「そんなに苦しんでいたなら、もっと、早く相談してくれたら、良かったのに……」
「なん、で……なん?お前に俺の気持ちは、分からんやろ」
その日、大地たちは親を交えて話をした。
結局、逢零は意識不明のまま、病院で検査を受けた。意識は未だ戻っていなかったが、命に別条は無いらしい。
夕日が咲田親子の影を作る。
「お母さん。僕、転校したい」
「…………チッ」
大地の母はわざと彼に聞こえるように舌打ちをすると、「日秀小学校ね」と言った。
大地の目には大粒の涙が浮かんでいたが、零れないように必死にこらえていた。
フォリーは壁にもたれかかり我慢していた涙を流す。
「変わってないね、逢零」
「あの後、俺は病院から退院し、米秀小学校へ転校しました。そこで成人すると同時に、CIAとFBIに入ったんです」
「そっかぁ、じゃあ、敵同士やな」
フォリーは懐かしい方言を使う。逢零は顔を顰めた。
「できれば、その方言は聞きたくないねんな。思い出すから」
「自分の辛い過去を?」
「咲田さんの苦しそうな顔を」
フォリーはハッとした顔をする。
逢零がフォリーの顔の高さに自分の顔の高さが合うようにしゃがみ込む。
「……咲田さん、逃げないでって、約束したじゃないですか」
「……そうやな。忘れてたわ」
哀愁のある顔で自分の制服のジャケットの内ポケットを探る。
何かスイッチのようなものを取り出す。それを見た逢零がフォリーの手を握る。
「待ってください——」
逢零がそう言うも、フォリーが逢零の胸を押してしまい、逢零の身体が向こうの壁に当たる。
「うぅっ……」
強い衝撃に思わずうめき声を上げてしまう。
「咲田さん」
「ごめんな。逢零、僕は、最期、フォリーとして死にたいんだよ。咲田と言う名字は、此処に来た時に捨てたよ」
フォリーは逢零に優しく語り掛けるように言うと、立ち上がった。
「じゃあ、さようなら」
そう言って、フォリーがスイッチを押す。
「待って咲田さ——」
逢零がフォリーの方へ手を伸ばすが、間に合わなかった。
ドオォン……!
「あっつ……」
逢零が自分の右手首を押さえる。
しかし、それも一瞬の事で、爆風に襲われた逢零の身体はさっきもたれかかっていた壁に叩き付けられ、気を失った。
「……あ」
爆発音で目を覚ました紗季は自分の身体を見て目を見開いた。足側が少しだけ焦げていた。
「爆発?」
紗季がそう言うと、目の端に燃えている誰かを発見した。そしてその向かい側に気を失い、壁に倒れている逢零の姿だった。
「枯山!!」
紗季は叫んで逢零の身体を起こす。
しかし、彼は目を開けなかった。
ピッ、ピッ、ピッと一定の間隔で音が鳴る。
「命に別条は無いです。もう少しで目を覚ますはずです。打撲と、少し大きい火傷ですから」
「ハァ……良かった……」
医者の声と聞き慣れたバディの声。その声にゆっくりと目を開ける。
「お兄ちゃん!!」
目を開けた瞬間、妹の顔が視界を覆った。
「では、失礼します」
「はい」
医者の最後の声が聞こえてからすぐ。ガラガラと保健室のドアが開くのが分かった。
一乃がベッドのわきにいること、その後ろに夏陽がいるのが分かった。
「良かったー」
妹——
「一乃、お前なんで?」
「もう、仕事もほどほどにしてよ。怪我したら心配だからね」
一乃は、心配そうに逢零の顔を見つめる。
逢零は一乃の肩を撫でる。
「大丈夫だよ一乃。二奈は大丈夫?」
「二奈は元気にしてるよ」
一乃がそう言うと逢零は安心したような顔で「そうか」と言って、ベッドから起き上がった。
「じゃあ、私、仕事だから、またね」
「うん。じゃあ」
一乃は椅子から立ち上ると、逢零に手を振りながら保健室を出て行った。
「仕事で後輩がミスして、事故に遭ってしまったってことにしたから。彼女にアンタがCIAだってことはバレてないよ」
「……そうか。それは良かった」
逢零は安心したようにベッドの隣に置かれたフルーツに手を伸ばした。
「フォリーはさっき死亡が確認された」
旧友の訃報に、逢零の手が止まる。
「残念ながら今回の任務で収穫は無かった。爆発してほぼ即死だったから。誤算だったね。まさかラトレイアーのメンバーがあんな自爆装置を持っていたとは」
夏陽がやれやれと両手を広げる。
「福浦さんが、米秀小学校の保健室までわざわざ運んでくれたんだよ」
「そっか……」
それだけ言うと、フルーツの方へ伸ばしていた手を引っ込めた。
「アンタ、フォリー……咲田さんと、転校してくる前、仲が良かったんでしょ?なんでなの?」
「それを聞いてどうする?」
「CIAもFBIも、アンタの過去を知らない。アンタがラトレイアーに肩入れしているとは思ってないけど、念には念を入れた方が良いでしょ?」
夏陽は籠に入った林檎を取り出すと、側に置いてあったフルーツナイフを林檎に当てた。
林檎をくるくる回しながら、皮を剥いていく。
「気持ちは分かるけどなぁ。言った方が良いよ逢零。秘密主義なのは、いつか自分の身を滅ぼすから」
夏陽のその言葉に、逢零は苦しそうにベッドのシーツを握る。
「月城局長に言ったことがある。CIAに入ったばかりの時、言ったんだ。教えてって言われたから」
夏陽は何も言わず林檎の皮を剥き続ける。
「味方だった人がどんどんといなくなる。俺の周りから消えていく。秋原先輩も、中家先輩も、月城局長も、薬研局長も、皆いなくなっていく」
「……」
逢零は声を震わせた。
「咲田さんだけは、離れないで、逃げないで、俺の傍にいてくれると思っていたのに」
誰もいない保健室に林檎の皮を剥く音と、逢零の嗚咽だけが響き渡る。
「俺は、どれだけ不幸になれば、解放されるんだよ……守るために、巻き込まないために、迷惑かけないために、黙っているのに。どうしてこうなる……!!」
皮を向き終えた夏陽は林檎をくし形切りにしながら言った。
「逢零は、自分がこうなるのは孤独だからだと思っているでしょ」
「えっ?」
「でも、それは違うんだよ。逢零はだれにも頼らず、一人で解決しようとするから、まるで自分が孤独のように映るんだよ」
「……」
夏陽は切り終わった林檎を皿に置いた。それを逢零に手渡す。
「逢零は独りじゃない。バディの私がいるでしょ。辛いと思うなら、頼ればいい。一人じゃないからね」
夏陽は優しく逢零の背中をさすった。
逢零は涙を流して、その涙を止めるように林檎を口に入れる。
その様子を、歩美と雪、景音がカーテン越しに見ていた。
「良かったよ。逢零が死んでなくて。可愛い元後輩が死んだら、それこそ耐えられんよ」
雪がほほ笑んで言う。歩美はそんな雪の顔を見て言った。
「今は本当に笑ってるね」
「フッ。笑う門には福来る。嘘でも笑ってれば、幸せは来るんだよ」
「ま、俺もそう思うよ」
ガラガラ。
「お大事にね福浦さん」
「はい」
紗季は足に包帯を巻いて出てきた。
「紗季ちゃん。大丈夫?」
「ええ。ちょっと火傷してただけ」
「んじゃ、もう帰ろうぜ。もう六時だぞ」
「早いわね」
紗季が保健室の窓を覗いた。窓にはピンクに近い空が切り取られていた。
体の右側全体に、包帯が巻かれた逢零の姿は、顔の左側に火傷の跡があった薬研局長の面影を感じた。
夏陽は逢零の横顔を見ている。彼は夏陽に振り向きながら言った。
「なんか、局長も、こんな感じだったよな。何があったんだろうか」
「さあね」
夏陽の目の端には、いないはずの景音の姿があった。
「誰かを庇ったりしたんじゃないの?」
思わず眉を顰めた夏陽は苦しそうに逢零から目を逸らす。
「景音」
自分の少し前を歩く彼の名を呼び雪は彼を呼び止める。
「……何?」
「お前だけ、なんでさっき逢零の顔を見なかったんだ?」
「…………」
景音は口を噤んでいた。
とても答えられるような顔ではない。
しばらくしてから景音が口を開く。
「お前、四年前の戦争、覚えてんのか?」
「ああ。成人して、CIAに入ってすぐ、軍に出されたから、よく覚えてるよ。それがどうした?」
そう笑いながら言う雪の姿は、景音が喋らない理由が分かっているようだった。
「……別に」
それだけ言うと、景音は雪から距離を取るように歩くスピードを上げた。
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