第9話 救えぬ同士

「………」


 朝になり、俺はベッドから起きた。早いものでこの世界に来てから1週間が経とうとしている。昨日の化け猫との戦いでの疲れが取れない俺は、そのままベッドに戻ろうと………


 したところで誰かがドアをノックした。


「そろそろ起きましょう。」


 マカがため息混じりにドアを開ける。


「まだ寝てたい。」


 せめてもの抵抗として、俺はベッドに体を隠す。というか今はマカと会うのは気まずいのだ。昨日の一件があって以降、なんだか話しづらい。


「もう9時ですよ。起きてくださーい。」


 マカは容赦なく俺のベッドを引っ剥がす。それでも包まる姿勢を崩さない俺に、呆れ返るような表情を浮かべた。


「とにかく、ご飯できてるので早く食べてくださいね。額さんが依頼を引き受けて欲しいとか言ってるので。」


「へ?」


 ポロッと彼女が口にした言葉を、俺は聞き逃さなかった。依頼を引き受ける?この疲れた体で?幾ら仕事が回らないからと言ってこのブラックぶりはどうかと思うのだが。


 だがそんな悪態をつく余裕も勇気もなく、渋々階段を降り、食事を摂る羽目になった。


食事は、幽霊ジャムなどと言うなんとも美味しくなさそうなジャムと、2枚のパンだった。もっちゃもっちゃ、と俺はパンを咀嚼する。これが意外に美味かったので、なんとも言えない気持ちになった。


「やあやあ、遅めのおはよう。食事中失礼なんだけど、君ら2人に行ってほしい仕事があるんだ。」


 額の言葉に、俺はさらに顔を顰める。


 マカと俺で2人で?冗談じゃない。


 この野郎、こっちの気も知らないで。こちとら話しかけづらいんだよ。


 気づかれないように、自分なりのオーラを額に放つ。


「朝食が終わったらもう行っても良いよ。依頼内容なんだけど……」


 額は説明を始めた。


 ここから少し離れた一軒家。そこに悪霊の瘴気が確認されたらしい。なんでも、その家は金持ちで、依頼料が弾むらしい。


 借金が多いため、迅速かつ丁寧に解決してほしいとの事だが……いまいち俺とマカによこした理由が分からなかった。


 試しに聞いてみると


「空いてるのが君らしかいなくて」


 とほざきやがった。確かに暇がないのかもしれない。額は悪くないのだろう。だが、不満を感じずにはいられない。



 俺はやる気なさげにバスに乗ると、一番奥の席に腰掛けた。


 周囲の人間は、俺たちから距離を取る。


 天使と浮浪者の隣に座るのがそんなに嫌なのか、と俺は舌打ちした。


「………」


「………」


 隣の席のマカとの会話が一切ない。気まずい、本格的に気まずい。


「あ、あのー……マカさん。今回の依頼主って…」


「ああ、今回の依頼主は廻鬼かいきズマさんですね。なんでも150年続く家系の当主だとか。」


 彼女は、ハキハキとした声で依頼主の詳細を語り始めた。その彼女からは、とてもじゃないがあの時の表情は想像できない。


「あ、着きましたよ。」


 バスが着くや否や、彼女はバスから降りて行った。


 それは、とても立派な屋敷だった。



「ああ、態々ここまで出向いてくれて……」


 俺たちを出迎えたのは、1人の細い男だった。ズマと言うのはこの男か。


 如何にも育ちが良さそうなその男の服装を、俺はジロジロと眺める。埃やシワひとつないその着物と自分のボロボロの着物を比較して、なんだか俺はやるせなさを覚えた。


「………」


 男は一瞬、マカの背中をチラリと見る。

 だが何も言わずに、


「ではどうぞ。」


 と俺たちを家に招き入れた。



 その家の中は、とにかく広かった。店の一つでもやれるんじゃないか、と言うほどの広さ。それに思わず俺は声を出していた。


「おおおおお……凄いっすねマジで…」


「ははは、それはどうも。おーい、上着をとってやってくれ!」


 ズマは奥にいる人影に呼びかける。


 すると、数人の老婆が奥から現れ、俺たちの上着を取っていった。


「ではどうぞ。」


 ズマは俺たちを屋敷の奥へと案内する。


 その道中、チラリと黒い何かが俺の視界に映った。箱の横に飾られた少女の写真。


 あれは……遺骨?質問する暇なく、ズマとマカは屋敷の奥へと入っていってしまった。



 案内されたのは、またしても広い部屋だった。差し出された茶からは、モクモクと湯気が立っている。


「よし、では……本題に入りましょうか。」


 ズマは座布団に座ると、真剣な表情で話を始めた。


「まずは、この屋敷に悪霊の瘴気が発見されたんです。計測器によると第4脅威指定でした。」


「第四って言ったらそんなに凄いもんじゃないっすよね?わざわざ俺たちを呼ぶ理由が…」


 俺の浮かべた疑問に答える形で、マカはズマに説明を始めた。


「公安に頼んで大事にしたくないから、私たちのような何でも屋に駆除を依頼した、と。そういう事ですね?」


「ええ、まあそうです。…今日は泊まって行って下さい。まだ発生には時間がある…発生源を断つのは明日でも大丈夫です。」


 ズマは柔らかな表情でそう言った。


 金持ちの飯が食えるのか、と俺は内心ワクワクしていた。



 だが、出されたのはごくごく普通の鍋だった。


「………」


 思わず俺は顔を顰める。


 何故だ、いいもの食ってそうな感じするじゃないか。なのにどうしてこうも庶民的なものを……


「いやあ、こういうものの方がお二人の口に合うと思いまして…」


 ズマは悪びれる様子なく、俺たちに言う。


 仕方ない。こうなったら食えるだけ食ってやる。俺はガツガツと口に肉を運んでいく。周囲の目など知ったことか。


「カンダタさん……またですか。」


 はあ、と隣のマカはため息をついているが、気にしてたまるか。


「まあ……なんと野蛮な。」


 老婆もドン引きしてるが知ったことか。


「……」


 ズマの冷たい視線など………なんだか虚しくなってきた。


「そもそも天使などどうして旦那様は招き入れたのでしょう。」


 老婆の言葉に、俺の食事の手は止まった。

 そうか。金持ちの間にも、天使の差別はあるのか。


「天界からの堕ちてきたのですから碌な人じゃありませんよ。」


「そうそう、どうせ私らのことも見下して…」


「やめないか!彼女は私の依頼でここに来たんだ!」


 ズマは突然立ち上がり、老婆たちを叱責する。老婆たちは気まずそうに、奥へと隠れていってしまった。


「……ありがとうございます。」


 マカは一言、彼に感謝を告げる。


「いえ、こちらが無礼を働きました。申し訳ない……」


 ズマは、沈むような表情で頭を下げる。


「アンタ……良い人だなあ。」


 思わず、俺は口に出していた。実際、善人である事は今の行動からまたわかる。正直に褒めるべき点だろう。


「いえいえ……天使だからと言って皆が地獄の人々を見下しているというわけではないですし……」


 照れくさそうにズマは頭を掻きむしる。


 そうだ、聞こうと思っていた事を聞こう。俺はそう思い立って彼に質問を投げた。


「あの……道中で見たあの写真……誰のなんすか?」


 俺が質問を投げた途端、突然ズマは凍りつき、気まずそうに目を逸らした。しまった、聞いてはいけない事を聞いてしまったのかもしれない、と思ったその時、彼は口を開き始めた。


「あの……あれは妻なんです。

 優しい妻でした。何年も前に無くなって……」


 ああ、そう言うことか。ズマの見た目と生まれからして、相手の1人でもいなきゃおかしいと思っていた。つまりそういうことだったのか。


「雨が振る日、でしたね。彼女と出会ったのは。ウチに雨宿りさせて欲しいって駆け込んできたんです。


 髪をやたらと気にして触るのが印象的で……。


 妻が亡くなったのも雨の日でした。私は仕事でその場に立ち会えなかった。わかってるんです、病気で人がいつ死ぬなんて誰にも予測できない。だけど、今一度妻に謝りたい。


 君が死ぬ時、そばにいられなくてすまなかったって。」


 先ほどまで暖かかった空気は、途端に凍りついてしまった。だが、そんな状況を、マカは再び明るく染める。


「きっと伝わってますよ、貴方の想いは。」


「……ありがとうございます。」


 ズマは、どこか悲しげな笑顔を浮かべてそう言った。



 次の日、俺たちは本格的に悪霊の瘴気を辿ることにした。


「うーん……ここでもない…ここでもない…カンダタさん、見つかりましたー?」


 計測器を持って、隅々まで調べ尽くす。公安でない限り、こうした地道な作業をするしかないのだ。もう時期日が暮れる。早くしなければ。


「うーん……ここは調べてねえっすよね?」


 俺は、屋敷の隅にある蔵を指差す。


「ああ、そうか。調べてもらって大丈夫です。」


 ズマの許可を得た俺は、蔵の中へと足を運んだ。


「………うわぁぁぁぁ!!」


 暗闇の中、人影がぽつんと立っていた。そのあまりに不気味な光景に、俺は思わずひっくり返ってしまった。


「カンダタさん下がって!」


 後ろから飛び込んできたマカは、ネットを銃口から射出し、悪霊を捉える。奥から顔を出したズマは、ジタバタと暴れる悪霊を見つめた。


「これが……この屋敷に住み着いている悪霊ですか?」


 ズマは、怪奇なものを見る目で、ネット越しに悪霊に顔を近づける。


「ええ……駆除するので下がっていて……」


 その時だった。ポツリ、ポツリと雨が降り始めたのは。早く片付けて屋敷に入らなければ。と思ったその時だった。先ほどまで唸り声を挙げていた悪霊が、何かを喋り始めたのだ。


「あ……あ…あどぃ……」


 何かを伝えようとしている。一体なんだ。

 俺を含め、その場に居た一同は眉を顰める。


「あ…ま…やどり……させて…くれませんか?」

 悪霊は髪を触りながら、掠れた声でそう言った。

「!」


 雨宿り?どういう事だ?いきなり何の意図があって……

「佐保…お前なのか?」


「は?」


 ズマの目つきは、先ほどとは打って変わって、感激の目つきへと変わっていた。


「佐保!佐保!ああ……お前なんだな?いま出してやる!」


「あ…な…たぁ……!」


 ズマはネットを引きちぎり、出てきた悪霊を抱きしめた。


 悪霊は、ボロボロと涙を流している。


「お願いです……殺さないでください。僕の妻がここにいるんです。お願いします!」


 ズマは、悪霊を抱きながらマカに懇願し始めた。


「何を言ってるかわかってるんですか?悪霊は瘴気を大量に放つ!そのままほっぽらかして瘴気を増大させると、瘴気でできたこの世界が崩れ去る!」


 マカは、ワナワナと体を震わせながらズマに言い放った。


「やめてくれ…頼む…」


「どけ…そこをどけと…言ってるんだ!」


 あの時の冷酷な目つき……悪人を裁く時に見せるあの冷たい表情。その表情のまま、マカは悪霊とズマを引き剥がした。


「やめろ…やめろおおおお!」


 そのまま、悪霊に向けて剣を振り下ろした。


 切断された悪霊の首から、紫色の血煙が上がる。


「あ…ああ……」


「これで解決しました。これが正しい判断です。」


 放心するズマに、淡々とした口調でマカは言い放った。


 ズマはワナワナと震え始め、悍ましい表情でマカを睨みつけると、怒号を浴びせた。


「これが天使のする事かよ。ああそうかよ!天使なんてのは所詮みんなこうなんだ!馬鹿にしやがって!そうやって虫を踏みつけた気になるのも……」


 俺は我慢の限界だった。とてもじゃないが観てられない。気がつくと、俺はズマの顔面を殴りつけていた。


「………帰ろう、マカさん。日暮れちまうよ。」


 俺は彼女の手を、帰りのバス停へと引く。


「ま、待ってくださいカンダタさん…」


「待たない。……アンタが傷つくだけだろ、これ以上いたって。」


「!」


 彼女は黙り、ただ一言、震える声で


「私…正しかったんですよね?」


 と口にした。俺はそれに答えられなかった。



 帰りのバス、彼女は俺にもたれかかって寝ている。


 俺はその日、決心した。どこまでも、いつまでも、彼女の味方でいてやろうと。同じく虐げられてきたものとして、見過ごせない。彼女には、寄り添う存在が必要なのだ。


 外の景色を眺めながら、俺は歯を食いしばった。



マカは、夢を見ていた。


『こっち来るなよ。』


『気持ち悪い。』


孤児院で孤立した自分。誰1人として、彼女に話しかけるものはいない。


どうして、こんな思いをする。私が何をしたって言うんだ。ボロボロと涙が溢れる。だがしかし、やはり誰も、手を差し伸べてはくれなかった。


そんな時だった。とある日、彼が私の元にやってきたのは。


羽山額。彼は、孤立していた私を拾ってくれた。彼が私に言った言葉を、思い出す。


『マカちゃん、人を恨んではいけないよ。君の信じたいものを信じるんだ。そうすれば、きっと人を好きになれる。』


荒んでいた私の心は、その言葉によって救われたんだ。人を信じる。どこかで私が願っていた事なのかも知れない。


だから私は、未来に託す事にしたのだ。


だが、やはり人は私を遠ざける。誰もが、私を……


『マカさん。』


誰かの声が聞こえ、振り返る。




その時、私は目を覚ました。隣には、カンダタさんが寝ている。彼は、どうして私を庇ったんだろう。その理由が知りたかった。だけれど、聞く事はできない。寝ているからではなく、もっと他の理由で。


道路の上を、バスは走っていく。既に夕暮れを迎えた空は、真っ赤に染まっていた。

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