第7話 猫への餌は定期的に

 俺と美琴は、2人街を歩いていた。


 歩いてはいたのだが………羽田から見ればその光景は異質だった。まあつまり、美琴が地べたに這いつくばって匂いを嗅ぎながら進んでいるのだ。


「あのさあ……」


「スンスン……」


「あの…」


「スンスン……」


「おい!マジでやめろ!」


 俺は美琴を起き上がらせると、その場で取っ組み合いを始める。


「なんだい君はあ!今必死で匂いを嗅いで探してるじゃあないか!」


「恥ずかしーんだよ羽田から見たら!クソッタレ!数話前の俺の姿がいかに恥ずかしいかったかわかったわ!」


 ザワザワと行き交う人々の視線が痛い。


 今こうやって取っ組み合ってる状況でさえも恥を晒しているに他ならないだろう。


 大体猫探しに真面目にやること自体がバカバカしいんだ。猫なんて適当に探してくりゃあ良い。


「おら!猫なんてここにいんだろ!」


 俺は隣にいたものを掴むと、前に突き出した。


 その姿は、着ぐるみであった。


 猫の着ぐるみ。後は四つん這いにでもなってにゃーとでも鳴けば……


「舐めとんのかーーー!」


「あげぶ!」


 どういう訳か、隣にいた着ぐるみが吹き飛ばされた。


 吹き飛ばすべきは俺ではないのか、と思ったが、まあ俺が傷つかないだけ良いとしよう。


「猫を舐めてるよ君は!猫は!もっと…ほら…」


 突然美琴は着ぐるみを組み伏せると、模型を組み立てるかのようにいろんな方向に曲げ始めた。バキ、バキ。と良くないところが折れる音がする。あ、ああ…それは……と思わず俺は声を出すが、時すでに遅し。


「こうだ!」


 首があらぬ方向にひん曲がった猫の着ぐるみが、そこに四つん這いで立っていた。


「……な?」


「な?じゃねえよ!あれどうすんだよ!なんか着ぐるみ呟いてるし!」


 俺たちは着ぐるみに耳を傾ける。


「……テメェら殺す。」


「まさかのヤンキー!?」


 突然着ぐるみは立ち上がると、俺たちをダッシュで追いかけ始めた。


「うおおおおお!?」


「元はと言えば君のせいだからなあ!」


 悪態をつく美琴を無視して、俺は路地裏へと駆け込んだ。


「え?」


「あばよ⭐︎」


 路地裏へと入り損ねた美琴は、追いついた着ぐるみに取り押さえられた。


「ち、ちょっと待って!もう1人いるんだって!ああああああ!!」


 じゃあな、美琴。達者でな……。


 俺は目薬を指して涙を演出すると、その場を後にした。



「さーて……適当に猫でも捕まえっかな…」


 俺は路地裏を見る。数匹の猫が猫缶を漁っている。


 よしよし……このまま適当に捕まえよう。恐る恐る、俺は猫に手を伸ばすが、その直前で逃げられてしまった。


「あ、しまった。おーい、待てって!」


 俺は猫を追いかけ、路地裏の奥へと進む。ポチャン、ポチャン、と暗がりの中で水道の水が垂れる音が聞こえる。


そしてそのうちの1匹に飛びつくと、逃げられないようにしっかりと押さえ込んだ。


「よおし…そのまま…大人しく…な……」


 ふと視線を感じ、上を見る。そこには、数十匹の猫がいた。そう、夥しい数の猫が俺を睨みつけていたのだ。ダラダラと汗が垂れるのを感じる。ワナワナ、と体が震え始める。


 ここで取るべき選択は一つ。


「…逃げよう。」


 猫に背を向け、全速力で走り出す。


 数十匹にも及ぶ猫の大群は、俺を脇目も振らずに…猫が脇目を振るはずもないがとにかく俺を追いかけ始める。


「はあ…はあ…1日に2度も猫に追いかけられるとは思わな…」


「カンダタぁ……」


 突如、後ろから声がした。聞き覚えのある声だ。そう、それはあの声。


「………あ、生きてたんスねはははは…」


 冷や汗を垂らしながら、血だらけの美琴に挨拶をする。


「待てやコラァァァァ!」


 ああ、猫数十匹+猫又1人に追いかけ回される男など、この地球上を探しても俺だけだろう。あ、そもそも地球終わってたんだった。


「ん?」


 その時だった。飛びついてきた猫のうち1匹に、既視感を覚えたのは。


 猫探しのポスターに目を運ぶ。それは紛れもない、ミーコという猫だった。


「おい!見つかったぞ美琴!ミーコだミーコ!……あ、怒ってる?ねえ待って!待ってって!ああああああああ!!」


 美琴に呼びかけるが、それはもはや通じない。ミーコを捕まえた瞬間、大量の猫と美琴に飛びつかれ、ついでに商品を荒らされて激怒した八百屋のおばちゃんにもしばかれた。


「…………なんでそんなに血だらけなんです?」


 事務所に戻った俺達に、マカは目をパチクリとさせた。


「「聞かないでください」」


 すっかり疲れてしまった俺たちには、最早状況を説明する余力すら残されていなかった。


「ミーコ!ミーコ!どこ行ってたんだよ馬鹿!」


 依頼人の少年は、俺たちの抱き抱えたミーコを受け取るなり、涙を流しながら抱きしめた。


「ま、いーんじゃねえの?解決したし。」


 俺は笑みを浮かべつつ、美琴に言う。


「なんやかんやで終わらせようとしても無駄だぞ。」


「あ、やっぱし?」


「男を磨きなおせー!」


 どうやらそうは問屋が卸さないらしく、そのまま俺は風呂場に連れ込まれてしまった。


 その後、風呂に怯える俺を見る皆の視線が痛くてたまらなかったのは、言うまでもない。



「ミーコ、もういなくなっちゃダメだぞ?ほら、ご飯。」


 少年は、自身の飼い猫に食事を与えると、自身の部屋へと上がって行った。彼自身も、学校の宿題という物がある。猫にばかり気にかけている暇はない。


「………」


 飼い猫は、少年がいなくなったのを見計らうと、再び家を出て行った。



「え?!またいなくなった?!」


 マカは少年の報告を聞くと、顔を顰めて仰天した。


「それって舐められてるんじゃ…」


 そう言おうとした俺の後頭部を、美琴は拳で殴りつけた。


「仕方ない……また探そう。」


「いや……それだけじゃだめだぜ、これは。」


 俺は話に割って入る。


「ん?どういう事だい?」


 美琴の質問に、俺は回答する。


「昨日の異常な猫の量……見ただろ?額さん、猫探しの依頼の件数、幾つだ?」


 額は書類を取り出すと、淡々と数字を読み上げる。


「30だ。先月の15倍。明らかに多すぎる。」


 事の重大さに気づいた一同は絶句し、俺の話に集中し始める。


「あの猫の大量発生、そして猫探しの件数の激増。因果関係がないとは言いきれねえだろ。」


「じ、じゃあミーコも…」


「何かに勝手に操られてる……例えば悪霊とか、な。」


「!」


 周囲が静まり返った。当然だ、自身の愛猫が悪霊の危険に晒されている可能性があるのだから。飼い主側からすればたまったもんじゃないだろう。


「とにかくさっさと行動に移そう。そこらじゅうの猫を追跡するんだ。できるな?美琴。」


「……君も随分男になったね。飼い主を失った猫の気持ち、痛いほど分かるよ。」


 美琴に先ほどまでの格好つけた痛々しさはない。何か遠くを見つめるような、そんな澄んだ瞳だった。



「ミーコとは、僕が小さい時からずっと一緒にいるんです。

 ……お母さんに叱られた時も、僕とずっと一緒に居てくれた。だから……」


 少年は涙を流しながら、自身の飼い猫との思い出を語った。それを聞いたマカは、励ますように彼の背中をさする。


 むしろ、それしかできなかった。


 いや、それだけ?もっと他に何かできるはずだ。


「額さん、私も行きます。悪霊がいるなら人手が多い方がいいはずです。」


 額はため息をつきながら、玄関を指差した。


「ま、止めても行くんだろう?君は。」


 マカはペコリと頭を下げると、玄関から飛び出して行った。



「ここだな。」


 俺たちは廃ビルを見上げる。


 そこからは、何の瘴気も感じない。


 だとすれば、どうして猫たちがここに寄り集まっているのだろうか。


「なんの瘴気も感じない………兎に角行ってみるか。」


 俺たちはビルの中へと足を運んだ。

 中は、暗闇が広がっていた。窓ひとつとしてない、真っ暗闇。コツ、コツと、コンクリートの上を歩く音だけが聞こえてくる。



 おかしい。ビルというなら、窓の一つもついているものだろう。流石にこの世界に無知な俺でもわかる。


 まさか、この暗闇の正体は………


思考を巡らせる俺に対し、美琴は聞く。


「なあ、カンダタ。君は……マカをどう思ってる?」


「……守らなきゃ、と思ってるよ。助けられたからにゃ、助ける義務があるだろ。」


「………そうか。じゃ、僕と同じだね。」


同じ、とはどういう事だ。確かマカに拾われたと言っていたが、美琴にも並々ならぬ過去があったという事だろうか。


「僕はね……ホントは猫又じゃないんだ。もっと大きな、別の種族なんだ。……内緒だぜ?」


「なんで俺に言ったよ?」


「なんとなく、信頼できる人ってのは分かるものさ。」


信頼できる、人。俺はそれに値する人間なのだろうか。


そう思ったその時だった。


「カンダタ、下がれ!」


 俺は美琴に押され、後ろに倒れる。するとその瞬間、巨大な何かが俺たちの目の前を通り過ぎ、天井に深い傷を負わせた。


「っ……!」


 咄嗟に俺は刀を引き抜き、その対象に向けて刃を振るう。バチン、と火花を立てて巨大な何かとそれはぶつかり合う。


 火花が付けた明かりから、白い毛が見える。


「やっぱり悪霊だ!美琴……」


 呼びかけに応じない。


 隣にいたはずの美琴が、どこにも居ない。

 まさか……天井へと目線を運ぶ。


 ポタ、ポタと何かが垂れている。


 暗闇に目が慣れてきたからこそ、状況がわかる。


 先ほどの巨大な何者かに、美琴の体が貫かれていたのだ。


「美琴おおおおおおおお!」


「がっ…は!」


 巨大なもの………それは恐らく爪だろう。


 美琴が吐血すると同時に、それは天井から引き抜かれ、再び俺はと襲いかかった。


 咄嗟に正面から受け止めるが、その衝撃を相殺することはできず、壁へと俺は勢いよく叩きつけられる。


「ぐっ……!」


 背中に衝撃が走る。


 叩きつけられた俺に対し、容赦なく怨霊は攻撃をする。


 しまった、反応が遅れる。


 このままじゃ……


「ふんぬぁぁぁぁ!」


 その時だった。突如間に割って入った美琴によって、その爪は地面に叩き落とされた。


「美琴……無事なのか?」


「ああ…なんとか…ね。」


 美琴の腹部を見ると、先ほどの傷がない。


 まずはこの暗闇をなんとかしないといけない。


「なあ……」


 俺は美琴に耳打ちする。そして少し会話し合った後、俺たちは前を向く。


 互いに目配せし合うと、二手に別れ、奥にいるであろう悪霊へと走って行った。


 そしてやはり、巨大な爪は俺たち2人を襲う。


「今だ!伏せろ!」


 美琴が叫ぶと同時に、美琴と俺は下へと伏せる。その瞬間、巨大な爪は壁を突き破り、ビルの外からの明かりを露わにした。


「よし……作戦成功だ!」


 俺は、美琴との先程の会話を思い出していた。


『なんとか壁をぶち壊せねえか?』


『いや……暗闇の正体は巨大な瘴気……奴本体の瘴気でもない限りは…』


『じゃあ、あいつに壊させようぜ。』


『なるほど………スマートだ。』


 瘴気をなぜ外から感じ取ることができなかったのか。それは、ビルのコンクリートそのものに瘴気が完全に溶け込んでしまったため、自然に満ちる瘴気と見分けがつかなくなっていたためだった。


 瘴気が僅かな隙間さえ塞いでしまった以上、こうやる以外に方法はなかった。


「さあ……幽霊の正体見たり……ってか?」


 暗闇に隠れていた悪霊の姿を見る。それは、巨大な化け猫だった。


「なるほどな……ただの人間じゃねえって訳か。だったら俺も多少は本気出さなきゃな!」


 化け猫から、巨大な瘴気が解き放たれる。

 それは、蜘蛛の悪霊や蟻の悪霊とは段違いのものだった。


 奴らが包丁なら、こちらは研ぎ澄まされた大業物の刀。


「窮鼠猫を噛むっていうがよお……この場合どっちがネズミだろうな?」


 化け猫はそう言い放つと、凄まじい速度で俺に襲いかかった。


 しまった、動けない。どうやって動けば良いんだ。刀を取り出せ、攻撃を防げ。


 動け動け動け動け……………


 俺は必死で己の体を鼓舞する。だが、一向に動いてはくれない。恐怖が体を縛り付ける。


 一瞬の気の緩みが、恐怖を助長させていた。


 このままだと、死………


 その時だった。猫の横から割って入った何者かが化け猫の顔面を殴りつけ、その攻撃を中断した。


 それは、猫だった。否、白い虎。全身の縞模様は、美しいと称するほかない。


「ぼーっとするな、カンダタ。」


 聞き覚えのある声。まさか……


「美琴か?!」


 猫又が嘘、と言うのはどうやら本当だったらしい。クソッタレ、さっさとそれに変身しとけってんだ。


 俺は悪態を付きたくなるのを我慢し、刀を引き抜く。


「さあ、立てカンダタ。スマートに行こうじゃないか。」


「言われなくともわかってるよ。」


 どうしてだろう。こいつはどうにも好きになれないが、嫌いにもなれない。いるとどうしてか安心する。


「てんめぇぇぇぇ……ぶっ殺してやる!!」

 堪忍袋の尾が切れたであろう化け猫は、俺たちを睨みつけると、勢いよく襲いかかった。


 今度は、恐怖しない。あんな失態はこれまでだ。


「行くぞ!」


「支持すんなこの野郎!」


 美琴の支持を跳ね除けつつ、俺は化け猫へと向かっていった。

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