第6話 拾い物

「あのー……名乗る前に人が死んだんですけど…」


 俺は至って冷静な口調で、美琴と名乗る男に言う。今トイレのドアに突き刺さっている少年は、果たして無事なのだろうか。


「もー…ほんとやだ…美琴さんこれで何回目ですか…」


 少年は、まるでなんでも無いように、トイレのドアから体を引き抜いた。傷の一つでもついて良いところを、彼の体にはそれが一つとしてなかった。


「あれ…アンタ無事なのか?」


「え?!あ……はい…」


 俺に話しかけられた途端、少年はびくりと肩を跳ね上げ、部屋の隅で縮こまってしまった。

 なるほど、人見知りというやつか。それもかなり重度の。


「全く……納言、そんなんじゃ一流の男にはなれないぜ?」


 美琴、と名乗った男は、キメ顔でそう言った。納言、と呼ばれた少年。先ほど浅倉と名乗っていたので、おそらく浅倉納言あさくらなごんだろう。


 見るからにただものでは無い気配を、目の前にいる2人は放っていた。単に強いというだけの存在感ではない、全く異質の類いの。


「さてさてさて…カンダタ。君を捕まえた当初、正直ろくな奴じゃないと思っていたさ。

 だが先ほどの戦いぶり!うんうん、とても良かった。それに君……見た目はボロいが磨けば光る。僕の手解きを受ければ最高の男になれる!」


 美琴は俺に詰め寄ると、肩を揺すりながらそう言い放った。


 だが、俺が出した答えはこうだった。


「興味ないっす。」


 思い切り目を細めて、そう言う。


 美琴は明らかにショックを受けた様子で、後ろにヨロヨロとよろめき始めた。


「なん…だと…?!

 この僕の手解きを受けたくないと?!勿体無いよ?君の顔面偏差値結構高いよ?臭いけど。

 性格的にもきっと一部にウケるよ?臭いけど。」


 そう言うと、再び美琴は俺に詰め寄る。


「いちいち臭いって付属させるのやめてくんねえかなあ!」


 俺は眉を顰めて返した。不細工と言われるより、臭いと言われる方が傷つくものだ。


 体臭など俺は気にしたことはないが、いざ言われてみるとやはり心に突き刺さる。


 本当に気にしてない。断じて気にしてなどない。

「さあ!シャワーを浴びた前!無限の彼方へさあ行こう!」


 美琴は俺の肩を掴むと、半ば強制的にシャワー室へと連れ込もうとする。


「え?あの……もうすぐ所長が来るんですけど…」


 そう言われた美琴は、納言の方をじっと見る。


「ついでに君もだ、納言♡」


「へ?」


 あれよあれよと言ううちに、シャワー室に俺たちは入れられてしまった。


「あ!ちょっ…そんな所…やめて!やめて!ああああああ!」


 そこでの体験は、なぜか記憶にない。


 どうしようもない不快感と快感が入り混じっていた、と言うことだけが、俺たちの体に刻みつけられた。



「……で、さっきまでシャワーを浴びてたと。」


 額はため息混じりに言う。


「安心してください所長!男として彼らは成熟しました!」


 自信満々に言う美琴に対し、彼はその隣に座る2人を指差す。


「それが成熟してるのかい?」


 指さされた2人…カンダタと納言は、ガタガタと震えてソファに蹲っていた。


「お風呂…コワイ…」


「シャワー…コワイ…」


 2人は真っ青な顔で、何もない部分を一点に見つめている。まるで何かに怯えるように。


「風呂嫌いの猫みたいになってるんだけど?」


 額はじっと美琴を見る。


「失礼な!風呂好きな猫だっていますよ!」


 彼はソファから勢いよく立ち上がり、そう言い放った。


「そう言う問題じゃないんだけど…あ、帰ってきた。」


 ちょうどその時、玄関のドアが開き、マカと牛頭、馬頭が帰還する。マカの姿を見るなり、美琴は彼女に駆け寄り、彼女の前に跪いた。


「ああ…マカ…君は今日も綺麗だね……」


 そして彼は纏わり付くように、彼女の周りをグルグルと回り始める。


「………どう言う関係なんスか、あの人ら。」


 カンダタは眉を顰め、額に聞く。


 彼はまたもやため息混じりに答える。


「……拾ったの。」


「え?」


「拾ったの、マカちゃんが。」


 拾った、と言うと美琴の事か。


 まるで捨て猫でも拾ってきてしまったかのような言い草ではないか。


 いや、まさか………恐る恐る、カンダタは彼の腰部へ視線を運ぶ。するとそこから、ぴょこんと猫のしっぽがはみ出たではないか。


「?!」


「美琴君はね…猫又が人にまで昇華したものなんだ。なんでああまで美容に気を使ってるのかはわからないが、マカちゃんに向ける感情は、ご主人様に猫が向ける感情だよ。

 ああまで甘える猫もそうそういないけど。」


 いらぬ心配をしてしまった、とカンダタはため息をつく。ん?いらぬ心配?なぜ俺は心配なぞしているのだ?と彼は疑問に思うが、さっぱりその答えがわからなかった。


「て、て言うか…額さんはなんで美琴さんに冷たいんですか?」


 納言はガタガタと身を震わせながら、額に問う。


「ああ…うん。君は最近入ったから知らないんだっけ。えっとね…入って早々僕も手解きとやらを受けかけてね…」


 体をもじもじさせ、赤面しながら額は言う。


「何があったの?!ねえ何があったの?!」


 カンダタは思わず突っ込んでいた。だが、彼は目を逸らして赤面し、口を手で押さえるだけだった。


「何その反応?!わたし奪われちゃったみたいにしないで?!ねえ、何があったんです?!」


 彼はソファから立ち上がると、額の肩を揺する。しかし、やはり彼は赤面を続けた。


「にゃおーんご主人様ー!」


 美琴がマカに飛びつこうとしたその時、牛頭は咄嗟に、部屋の端へとマタタビを投げた。


「ひゃっはぁぁぁぁマタタビぃぃぃ!」


 美琴は進路を変え、勢いよくマタタビにかぶりついた。


 ゴロゴロとその場を転がり、手足の爪を床に擦り付けている。そうか、床に所々ついている傷跡はこいつのものか。とカンダタは1人納得した。


「…ま、取り敢えず今日の報告だ。」


 暴れる美琴を放置し、額は話を切り出した。


「今日は黒蟻の討伐、そして地域の酒場の手伝い…依頼は無事、完了いたしました。」


 マカは彼に敬礼し、事の全てを報告した。


「はいはい、OKOK。これでそろそろ返せそうだね。」


「返せそう?」


 額が言い放った言葉に、カンダタは首を傾げる。返せそう、とは一体なんなんだろう。


「ああ、うん。いろいろ借金しててね。

 3000万蓮くらいの。」


「…それってどんくらい?」


 隣に座る納言に、カンダタは耳打ちする。

 彼は肩を跳ね上げると、慌てるように数を数え始める。


「えーと……円の価値は10蓮だから……300万円?」


「……」


 円が幾つなのかはわからないが、カンダタは聞かないことにした。どうやら俺は、とんでも無いところに身を置いてしまったらしい。


「…って無視できるかぁぁぁ!!聞いてないんですけど?!借金とか聞いてないんですけどぉ?!」


 カンダタはそう言うと、額に詰め寄る。


「はっはっは……でも300万だよ300万。割とかすり傷じゃ無いかい?」


「ど.こ.が?返済の目処は何処に?」


 肌が接触するほどの勢いでカンダタは顔を近づける。


「だから言ったじゃ無いか、返せそうだって。」


「あのー…良いですか?」


 マカは恐る恐る、2人の間に割って入る。


「…ん?なんだい?」


 なんだか嫌な予感を感じた額は、冷や汗を垂らしながら、震える声で彼女に聞く。


 マカは目を泳がしながら言う。


「あのー…黒蟻との戦闘の被害の中で…私たちが傷つけた木とかの修繕費払わなきゃいけないみたいで…30万蓮追加に…」


 さりげなく逃げようとするカンダタの肩を、額は掴んだ。


「逃さないよ?」


「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 カンダタは天を仰いで叫んだ。



 その日の夜、カンダタは自身用意された部屋を前に、ぽつりと呟いた。


「…なんかボロっちいな。」


 それを聞いた美琴は、自身の部屋を指差して言う。


「僕の部屋…見てみたいかい?」


「あ…いや大丈夫です。」


 ここの事情は大体察することができた。最早文句は言うまい。カンダタはそれ以上悪態をつくことは無かった。



 なんだかその日は眠れなかった。


 俺は事務所の窓を眺め、外の景色を見る。

 既に時刻は深夜。ほとんどの電灯は灯っていない。


「やあ、カンダタくん。」


 俺の隣に、無額が立つ。彼は1人、淡々と語り始めた。


「ねえ…君さ。マカちゃんについてどう思う?」


「え?まあそりゃ……真面目な人だなあとは思いますよ。俺もそこを目標にしてるところありますし。」


「そうだね……真面目だよ、彼女は。でもそれ以上に歪んでいる。」


 彼が突如言い放った一言に、俺は眉を顰める。歪んでいる?それは、どう言うことだ。


 何があったら彼女をそう称する事になるのだろうか。


「彼女はね、倫理観と正義感、そして正しさ。それら全てが乖離しているんだ。

 いつかの話をしようか。彼女が入ったばかりの頃……ある強盗がここに押し入った。

 強盗は彼女に語ったんだ。死にそうな娘がいるんだ、と。


 だけど彼女は、なんの躊躇いもなくその頭を撃ち抜いた。初めての殺人だったんだそうだ。


 社会にとって正しくあるべきだ、という考え故に、そんな行動を起こしてしまった。

 彼女の中には何が正義か、何が人として正しいか。そんな考えがないんだよ。救いようのない悪がこの世にいるなら、彼女は救いようのない正義。そういう事さ。」


 額が語った話に、俺は言葉が出なかった。

 もし本当であったとしたら、彼女の何も見れていなかった事になる。


「…なんで俺にそんな話を?」


「君といる時の彼女は…とても楽しそうだからね。なんとなく似た境遇の人と出会えて、彼女としても嬉しいんだろう。

 だから、これを知った上で大切にしてほしいと思って。」


 額が彼女に向けるその感情。その理由や根源がなんなのか、俺はわからなかった。だが、俺はそれでも迷いなく答える。


「当たり前ですよ。……俺は、彼女に救われた1人なんだから。」


 額は優しい顔でフッと笑うと、自身の部屋に戻っていった。


 正直、半信半疑だった。本当に彼女が歪んでいるのか、それはわからない。自分の目で見ないことには、それは確信に至らないだろう。だが、ただならぬ不安が俺の中に立ち込めていることは確かだった。




「………」


 朝になり、カンダタは、コーヒーを啜る彼女をじっと見る。歪んだ部分………なんとか自分で確かめる方法はないだろうか、と考えていると、突然ドアががチャリと開いた。


「あ、あの〜…」


 見ると、そこには少年がいた。


 どうやら依頼者らしい。


「ああ、ご依頼ですか?どうぞ座ってください。」


 マカは丁寧な口調で、少年を招き入れる。


「して、ご依頼は?」


 少年は少しおどついた様子で依頼を語り始めた。


「あの…猫を…探してほしいんですが…」


「あーなるほど…美琴さーん。」


 マカは天井に叫ぶ。


「シャァァァァ!」


 鳴き声を上げながら、美琴がソファに着地した。


「なんだいマカ、デートの予約かい?」


 美琴は彼女に唇を近づける。


「猫探しです!」


 マカは美琴の頬を思い切り引っ叩いた。


「はー…なるほど、猫探しか。さて、少年。身につけていた物とかはあるかい?」


 美琴は自慢げな顔でソファに座り込むと、少年に聞いた。


「えっと…ミーコって言うんですけど…これが首輪で…」


「シャァァァァ!」


 首輪を差し出された途端に、美琴は少年から首輪を奪い取り、思い切り匂いを吸い上げ始めた。


「ええええええ…」


 少年は、その光景に呆気に取られていた。

 獣が肉を喰らうようなその鬼の形相には、彼が語るような男らしさは無かった。


「よし…大体分かった。行こう、マカ!」

 美琴は勢いよく立ち上がる。


「あ、1人は残らなきゃいけないのでカンダタさんと一緒に。」


「なんでぇ?!」


 マカに冷酷に言い放たれ、美琴は机に頭を打ちつけた。美琴はギロリとカンダタを睨みつけると、玄関へとズンズンと向かった。


「……じゃ、行くぞ。」


 何もかもが面倒になったカンダタは、ソファから立ち上がる。


「仕方ない…ついてきた前カンダタぁ!」


 美琴は勢いよくドアから飛び出した。


「……大丈夫なんですか?」


 少年が言った一言に、マカは気まずそうに肩をすくめた。



「さあ…どんどん持ってきやがれ雑魚どもぉ!」


 とある場所にて、巨大な黒い塊が、1人命令を下していた。

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