後編

「その名も〝コロモガエ〟。雰囲気が出るから漢字表記じゃなく、カタカナ表記ね。ほら、衣替えって季節に合わせて衣服を着替える、クローゼットの整理とかを指すじゃない? 〝大切なモノ〟ほどキレイに仕舞って、来年に備えて。でも衣服の流行り廃りって本当に激しくて、また次の年も着れるかどうかもわからない。ということは、クローゼットの奥に仕舞ってる間に、その価値が無くなっちゃう場合もあるってことでしょ? そもそも、四十五階以上に住んでいる私たちが去年の『お古』を着ること自体、よく考えたらおかしいのよ。……だからね、私たちは捨てることにしたの。価値あるものを、価値ある時に」


 発想の転換ね、と沙織は笑う。


「ここでは〝大切なモノを捨てた〟人ほど偉いの。この集まりでの発言権だって得られるわ。やり方もいたってシンプル。大切なモノを捨てた写真を、集まりの場で見せるだけ。その時の皆さんのリアクションで、その評価が決まるわ。そういう点で言えば、捨て方も重要ね。目の前から消えて初めて、本当の価値が見えるモノだってあるの」


 ねえ? と投げかけられた沙織の視線に、観客は同意の笑みを浮かべて応えた。


「コロモガエは毎月の集まりの時に発表よ。こういうのって、互いに手を抜いたら面白くないじゃない? だからね、評価の低かった最下位の人は次の集まりまでの一ヶ月間、一番偉い人の〝おつかい役〟になってもらうことにしているの。当然、上からの注文に逆らうことは許されない。……こうすればみんな、真剣にもなるでしょう?」


 そう言って、沙織は一枚の紙を取り出す。そこには直近数ヶ月の〝コロモガエ結果〟が書かれていた。一位は常に沙織だ。

 ここでは私が一番偉いの。沙織はそう言いたかったのだろう。


「加奈子さんにとって最初の発表は三日後よ。ちょっと時間がないけれど、とっておきのコロモガエを用意しておいてね」


 ――こうして、重たい空気が流れるだけの集まりは終わった。その帰り際、加奈子は二人きりになったエレベーターで話し掛けられる。名前は確か、「松本さん」。この数ヶ月、コロモガエ最下位になっていた人だ。


「加奈子さん……。さっきの沙織さんの話、冗談だと思っていると痛い目を見るわよ」


 会話、とは呼べない。松本はそれだけを言い残し、四十六階で降りていった。


「……なによ、それ」


 加奈子は閉まった扉に問い掛けていた。


 こんな時でさえ、潤はまるで役に立たない。


「真相はわからないけど、越してきたばかりなんだし、言うこと聞いておけば? 沙織さんの旦那さんってさ、H銀行の会長さんなんだろ? 言われた通りにすれば、悪いようにはされないって。うちの会社とも取引があるんだから」


 最後の一文が本音でしょ? と勘繰りたくもなる。俺の出世に響くから、と。


「わかったわよ。でも、ちゃんと相談は乗ってよ?」


 わーてるって、とスマートフォンの画面をスワイプする指に、加奈子は弾き飛ばされた。

 そして、気持ちが晴れることもないまま、集まり当日、コロモガエ初日を迎えることとなる。


「さて。では今月も、コロモガエを実施したいと思います」


 前回よりも声色の高い沙織の声が届く。横並びにできるにもかかわらず、ダイニングテーブルのお誕生日席に、加奈子は座っている。


「順番は……そうね。待ち時間に緊張しちゃうかもしれないから、加奈子さんからいきましょうか」


「私からですか?」


 油断していた。こういう時は他の人のやり方を真似できるよう、初めての人が最後、ないしはそれに近しい順番だと思い込んでいた。相変わらず観客となっている四人からも、特に疑問視する声は上がらない。加奈子は渋々、写真フォルダーを開いた。


「私が捨てたのは……こちらです」


 海外の某有名食器ブランドのティーポット。価格は五万円ほど。結婚記念に潤の知り合いからいただいたモノだが、一度も日の目を見ていない。タダ同然で捨てるには惜しいが、初回くらいはと見栄を張ろうとした。引っ越しのタイミングが重なったのは、モノを探す手間も省けて案外ラッキーだった。


「まあ。これって高級ホテルでも使われているやつでしょう? 本当に良いの?」


 悪くない反応だ。加奈子は自然と零れた笑みのまま、大丈夫です、と答えた。


「一人目から豪勢ねえ。じゃあ次は……松本さん」


 ほっと胸を撫で下ろす。この様子もブログにするか――そんな余裕も生まれていた。が、松本のコロモガエを前に、加奈子の思考は停止する。


「私はこれです」そう言いながら見せられた画面には、これまた高級ブランドのバッグが映し出されている。それも型落ちのモノなどではない。今まさに流行っている、最先端のバッグだ。五十万はくだらない。


 ――この人で……最下位?


 加奈子は震えた。しかし、連続して最下位が続いたから奮発したに違いない、と思うことにした。


 そんな願いは、儚く消えた。


 松本のモノより更に高価な限定バッグ、時計と、コロモガエは続いたのだ。遊びなんかじゃない。おかしい。異常だ。そう考える加奈子の脳も、正常を保ててはいなかった。

 そしていよいよ、沙織の番を迎える。


「今回も皆さん素晴らしいわね。ただ残念。今回も一番は私みたい」


 沙織のコロモガエは――車。それも、スポーツ選手が乗るような、みるからに高級な。


「とても大切だったけど、コロモガエを言い出したのは私だし、仕方がないわね」と沙織は笑った。そして、その笑顔が加奈子へと向かう。


「加奈子さん。今回は〝たまたま〟皆さん高価なモノだったけど、このコロモガエが値段じゃないのは確かよ。でも……あなたのコロモガエ、本当に大切なモノだったのかしら?」


 見抜かれている――加奈子は何一つ言い返すこともできずに、今月の〝おつかい役〟が決まった。



 地獄だった。


 あの日から毎日のように、加奈子は沙織の自宅を訪れていた。「おつかい役」とは、ていのいい呼び方に過ぎない。買い物も洗濯も、ごみ捨てだって、沙織の電話一本で呼び出され、こなしていかなければならない。言ってしまえばパシリ、いや、〝奴隷〟だった。


 身動きが取れないほどの腹痛に襲われた時に一度だけ、おつかいを断ったこともある。が、その日を境に沙織の電話は急増し、日に日に依頼される業務は増えていく。気付けば沙織に逆らえなくなっていた。

 家に帰れば、今度は自宅の家事に追われる生活。当然、ブログの更新も滞っていた。


 そんな生活は僅か二週間足らずで限界を迎える。


「――……もう無理、こんな生活。潤、引っ越そうよ? ね? 絶対おかしいって」

「バカ言うな。ここに来てまだ二週間だぞ? 俺だってようやくここまで来たんだ。引っ越しはしない。その馬鹿げたゲームでビリにならなければ良い話だろう? 仕事は今が一番大事な時なんだ。これ以上、余計な話に俺を巻き込まないでくれ」


 ――余計な話って、何?


「そんなことより、ブログはどうした? 最近更新もしてないだろ? ここんとこ家事もろくにできてないじゃないか。それくらい、ちゃんとしろよ。働かなくて良いからって、たるんで良いわけじゃないだろ?」


 ――わたし、たるんでいるの?


 潤は呆れた顔で立ち上がり、一人寝室へ向かう。自分の威厳を保つように乱暴に閉められた扉とともに、加奈子の心も、音を立てて崩れた。


 翌月も、そのまた翌月も、加奈子は家にある価値のあるモノを、上から順にコロモガエした。そこにはもう、感情などなかった。勝手に捨てて、家からモノが消えていく。潤には相談することもなかった。


 当然、怒られた。構わない。この生活から、抜け出せるのなら。

 だからそれからも機械のように、大切なモノを、ただただ捨てた。


 なのに。


 いつも決まって「おつかい役」は加奈子だった。

 目の前に映る光景は夢か現実か。それすら、わからなくなっていく。

 現実を見せつけるように、沙織は言った。


「加奈子さん。そのお洋服……お気に入りだって言っていませんでした?」


 加奈子はゆっくり顔を上げる。


「言ったじゃない。大切なモノほど〝コロモガエ〟だって。大切なモノほど、価値があるのよ。……ちょっと、聞いてます?」


 言葉にする代わりに、加奈子は静かに口角を上げて応えた。



 ――翌月。


「では、今月もコロモガエをしたいと思います。いつも同じ順番なのもアレだし、今回は加奈子さんを最後にしましょう」


 いつも通り、コロモガエは進んでいく。いつも通り、高級なナニカが捨てられていく。


 何だって良い。人様が何を捨てようと、私には関係ない。


 私のことは、私が守らなきゃ。

 潤はきっと許してくれる。

 私らしく生きるため。


 ……だから、ごめんね?



「今月の加奈子さんのコロモガエは……ちょ、ちょっと、加奈子さん? あなた、これ――……」


 私は捨てた。


「旦那さんじゃない!」


 ――私を守ってくれないなら価値あるうちに……捨てなくちゃ。


 写真に写る加奈子は、真っ赤なジャケットに身を包み、潤の首を抱いていた。



 ――このことも……ブログにしよう――……。

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コロモガエ 春光 皓 @harunoshin09

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