The WonderLands:邁進する時間の果てに

birdeater

「夏」

なんでもないような夕暮れの時。

 僕は誰でもなく人を待っていた。

 空っぽのバスが目の前を通り過ぎ、影が遅れてまた過ぎた。

 今日も誰も来ないのかもしれない、と僕はふらふらと勘定場から歩き出して、お店のシャッターを閉めに向かった。

「すいませーん」

 閉めようとした僕の鼻先に、来客の鼻先が向かい合った。

 彼女は僕と同じくらいの背丈、同じくらいの年齢だった。帰りの途中だろうか、だとしてもこんなところに寄ってくなんて、と思いながら接客をしばらく忘れていた。

 青色の髪。そして、玲瓏とした瞳。宝玉の中に閉じ込められた宝石のように瞳孔が光る。

 僕が仕事を思い出す前に、彼女は言葉を続けた。

「ここ、何を売ってるんですか?」

「あ、えっと。レコードを売ってます」

「昔の曲?」

 彼女は閉めかけのシャッターを無視して店内に入り込んだ。ひとつひとつをしっかり目に映しこんで、ふーんと鼻を鳴らしながら進んでいく。

「入っているのは曲じゃなくて声です」

「声?」

「はい。亡くなった人の声を記憶して、ここに保管してるんです。店頭に並んでいるのは、生前にその人が、誰でもいいから伝えたいとか、そういうお願いをしてきたものだけで。それ以外に、特定の人に対してのメッセージも大切に保管して、その人にお届けしています」

「そうなんだ。不思議な仕事だね。聞いたことない。もしかして、私に向けて届いてたりする?」

「お名前を伺っても?」



「うん。夜波藍端」





 結局、彼女の名前はどこにも記録されていなかった。夜波さんは少しだけ残念そうにしていたものの、すぐにまた元の表情に戻り、僕に別れを告げて、颯爽と店を出て行った。

「不思議な人だったな」

 青くなびく髪、白色の制服。

 僕と同じ高校だろうか。

 珍しく、少しだけ興味が湧いている。たった一度、お店に来てくれただけで…。


─ もしかして、私に向けて届いてたりする? ─

 

 何か心当たりがあったんだろうか。

 彼女に対する疑問は、年相応のそれだとかシンパシーだとかではなく、もっと仕事柄の疑問だ。

「また今度来たとき聞いてみよう」




「久しぶり」

 彼女はまた、閉店ギリギリ、空っぽのバスが通った後にやってきた。

 僕も今日は閉店の準備をせず、ギリギリまで待っていた。もちろん、夜波さんの来店を待っていたからだ。

 常連、というほどではないものの、お客さんが二回も来てくれることは冥利に尽きる。

「今日は閉めないんだね」

「閉める時間は僕の気分なので」

「へえ。君が一人でやってるんだ、このお店」

 両親は…と言いかけて、止めた。

 もう伝わったか。僕は特に気に病まないが、彼女に気を使わせたくなかった。僕は意味もなく店を一瞥してから接客した。

「今日はどんな御用で?」

「君に伝えることがあって。今度さ」

 彼女は勘定場までゆっくりと歩み寄り、顔を寄せた。それとは逆に僕は後じさった。

 夜波さんはしばらく僕の顔を見つめた後、ぽっ、というような感じで言った。

「一緒にお祭りに行かない?」

 これ以外に表せないほどに、意外だった。

 昨日会った人と、なぜだかお祭りに?

「だって夏じゃん。君、いっつもここにいるの?」

「店番あるので」

「いいじゃん、ねえ、お祭り。行こうよ」

「まあ、他に用事はないですけど……


 彼女は強引に僕の手を取った。

「じゃあ、決まり!集合場所は、宇気比山のお寺のところ!時間は夕方の5時!それじゃ!」

 彼女はまたしても、足早にお店を出て行った。

 掴みどころのなさに呆気にとられながら、僕は誰もいなくなった店内の余韻を感じるほかなかった。

 違う、これは、店の余韻じゃなくて、彼女がいなくなったことに対しての。

 どうして僕を誘ったのかが気がかりだった。

 怪しい、というわけではないものの、何か目的があるのではないか?

 そう思わずにはいられなかった。そう思わないと、僕は正気でいられないような気がして。




 八月三一日。

 町は祭りに浮かれていて、僕の目には少々痛かった。

「お寺、お寺……


 わざわざ箪笥の奥から浴衣を持ち出して準備したのだ。迷子で終わるわけにはいかないだろう…。

 普段店の外に出ないせいで、住んでる町のこともよく分からない。商店街を出たら別世界のように感じるし、山に入ったらもうどこにも進めない。

 お寺があるのは山の中、僕にとっては最大のピンチだ。

 でも、なんとなく覚えてる。両親が死ぬちょっと前、お寺に足を運んだっけ。お寺には人がいたけど、お坊さんのような感じじゃなかったな。

「どこだろう……


 お寺は山道からちょっと外れたところにある。待ち合わせの時間はまだ過ぎていない、まだ大丈夫……。


 そこで、僕は森の影の向こうに人影を見つけた。

 暗くなってきた時間帯、懸命に向こう側を睨む。大人じゃない。

 僕は薄暗い木陰をゆっくり歩き、輪郭を少しずつ鮮明にしていく。女性……。

 僕の中で、特定の人物が完全に浮かび上がったのと、ちょうど同じタイミング。

 その影が、ゆらっと揺れ、下側に倒れ込もうとしていた。

「────


 声は出なかった。それよりも先に走り出し、手を伸ばした。僕の手は彼女の華奢すぎる細い足、肌から際立って尖る踝をつっかかりに、彼女の体重を支えた。

 体が倒れたのか、倒したのかなんてこの際どうでもよかった。

 僕は目的もなく声を上げながら、彼女を引き上げた。

「上がれ……


 せっかくの浴衣が、と案ずるよりも先に泥だらけになる。

 せっかくの夏休みが、と憂う前に彼女の身が案じられる。

 どれくらいか経って、ようやく斜面から引き上がり、地面に身を横たわしたとき、僕は彼女の表情を知った。

「…………


 彼女は何も喋らない。そして表情を変えずに僕のほうを見て、感謝をするよりも先に、彼女はこう言った。

「私は、死にたかったんだ


 瞬間、唖然としたけど、それは純粋な驚きではなかった。

 ああ、そういうことか、と腑に落ちる部分もあったのだ。

「そっか。でも生きてないと、そんな風に言うこともできないでしょ」

 僕は、死んだ人の言葉を伝えるのが仕事。

 でも、それよりも前に、人が死ぬのは嫌だ。

 仕事柄なんかじゃない、これは僕が心の底から思っていること、本心だ。

 それを上手には伝えられないけど…。

 彼女は立ち上がって言った。

「ありがとう、って言ったら、嘘になっちゃうから」

「うん。それでいいよ」

 僕たちはその日、これ以上ないくらい楽しい帰路を進んだ。

 嘘偽りのない笑顔。嘘偽りのない幸せ。

 僕は薄々気づいていた。彼女が、言葉の病に苛まれていること。

 この奇跡が、彼女が仕掛けた偶然だったこと。

 彼女がいつも、本当のことを言えずにいたこと。

「君、名前を聞いてなかった。なんていうの?最後に聞きたいな」

「僕?加々野玲。それじゃあ、今日はここで。お店のほうもよろしく


「うん。また」

 去り際に見た彼女の姿は、少しだけ魔的な。美的な、幻的な、それと。

 なんというか、とても霊的なようにも見えた気がした。

 世界から浮足立っているような不安定さ。それでいて芯がある彼女の後姿を、僕は消えるまで見守っていた。

 けれど彼女は今、確かに生きているのだと。

 それはこの夏の思い出が、全て示しているじゃないか。






 それから数日後。

 僕は店のシャッターを開けて待った。

 彼女は来なくなった。

 当然、とは僕は言いにくい。

僕はいつも通り店を閉め、二階に上がった。

 自室の机の上に置かれていた、見覚えのないディスク。

 僕はそれをレコードにかけて、音声を確認する。

 あのとき、どうして彼女が僕に会いに来たのか。お客に応えるのが僕の仕事なら、僕は今とても誇らしい気分だ。

 でもそれ以上に、とても寂しかった。


「今なら本当に言える。ありがとう、加々野君。私は今初めて、誰かに思いを伝えられました」




 彼女の訃報を聞いたのは、何日も後の風の噂。町々を巡る人づてに、ようやく耳にした。

 するとやはり、彼女はあのとき生きていたという。死んだのはあれから、二日か三日後。

「恨んでは、いないかな」

 大丈夫、と胸に仕舞う。彼女は幸せに、逝ってしまっただろうか。

 そこが幸せな場所であるなら、そしてそこまでが幸せな場所であったなら。例えそれが、最後の最後にようやく訪れた機会だったとしても。

 それまでの全てを、恨んではいないだろうかと。

 僕はレコードを、浴衣と一緒に仕舞った。どうにかして、影の落ちない場所に。

 


 邁進する時間の果てに、彼女の記録は置き去りにされていく。

 店から覗く夕暮れはまた、なんでもないような日常を再生し始める。

 僕のひと夏の、儚くも救われる思い出だった。



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