第56話 若い衆に声を掛けられ酒を呑む (アカイ19)

 シノブが頭が痛い、ということで朝一番の出発は見送られた。どうやら二日酔いらしい。


「私はお酒には弱くはなかったはずなんだけど、どうやら呪いの関係でこんなことになってしまって」

 気を病むシノブを一人にさせて俺は町に出ることとした。ここは山間の辺境の地であるとのことでシノブの話によれば、追手もここまでわざわざ手を伸ばしてやって来てはいないだろうことから出歩きには最適だとのこと。


 よって俺は町をぶらりとしたあとに、ここでひとつ……と俺は良い感じな雰囲気を醸し出している趣のある居酒屋に入ることとした。こんな早くからやっているのが良い。暖簾をくぐるとお馴染みの居酒屋の匂いと音がする。俺が好きな匂いだ。しかもまだ汚されていない清涼な聖域みたいなのも気に入った。良い匂いがする店は良い店、そして音もいつもの居酒屋のものでありうるさ過ぎず静か過ぎずとそこにもまた頷いた。店員が現れ席に案内されそこに座ると俺は言った。


「一本お願いします」

「かしこまりました」

 なにが一本かは分からない。まぁどこの世界でもとりあえず通じるだろうし今のは通じたからそれでいいだろう。お銚子が一本かまたはコップで一杯がくるはずだ。きっとそうだ、うん。それよりも、と俺は困った。メニューが読めない。ひらがなっぽいのだがかなり崩れており読み難い。俺はそんなに好き嫌いはないが、食べられるが苦手なものはあるにはある。もしも分からず頼んだ品がその地雷であったらと思うと困る。


 店員さんに聞くか? いやでもあの店員は若い年下の男だった。だから字が読めないとか言い難い。こいつはいい年なのにこの程度も読めないとか馬鹿なのかな? ほんとにお前は高卒? 学力的に中卒だろ? と思われ舐めた態度に変わるのは避けたいところ。俺は別に自分は賢いとは微塵たりとも思ったことはない。学生の頃から散々お前は馬鹿だとテストの点数で教えられてきたからそんな自惚れは、ない。だからこそもう馬鹿にされたくはない。自分で馬鹿だと宣伝なんてしたくはないんだ。俺は今まで辱めをジッと堪えてきたんだ。もうこれ以上俺を傷つけに来るんじゃない! 馬鹿は馬鹿にされることに関しては敏感なんだからな! 馬鹿に対しては賢いと言え! だからやめろ恥をかかせるな! そうであるから聞かない!


 自信たっぷりにこれとこれをくださいと言うだけだ。なに構いやしない。馬鹿にされないためなら俺は苦いものを我慢して食べよう。全ては己の誇りのために! まぁ考えてみるとこの行為自身が愚か極まる俺の苦い人生を象徴しているようであるような気もするな。素直に聞いたり頼ったりすればいいのに変に意地を張って無理して我慢して一人で勝手に苦しんでさ。しかもすぐに俺のせいじゃないお前らのせいでこうなったとか人のせいにして逆恨みとかして困ったやつだ。挙句の果てには俺の苦労に価値をつけてくれ褒めてくれと求めたりし。なにいってんだよこいつだねアハハッ。冗談は顔だけにしろよまったくもぉ。まぁ俺はこうやって客観的に自己分析ができている分だけ他の連中に比べたらマシだね、うん。


「これとこれがここの名物みたいですね」

 いつもの物思いに耽っていると隣に座った誰かが俺に対して話しかけきた。えっなに? 知り合い? じゃないな。俺はこの世界に知り合いは全然いないし。見るとシュっとした格好が良い男がそこにいた。クラスの女子に絶対にモテるタイプの優男系だ。陸上競技をしていそうなスポーツマン的な体型で俺よりも年下の20代半ばか?


 微笑みながらこちらの返事を待っている。やだなぁ、俺って居酒屋で隣の人に話しかけられるの苦手なんだよ。こっちは一人で楽しみたいのに寂しがりやなおっさんにああだこうだと言われたりなにか聞かれたりして。いや若いのに話しかけられたのは初めてか。なんだよ? 俺を騙そうとか考えているんじゃないのかこいつは? これ買えとか集いがあるとか言ってきたらどうする?


「お客様、一本お持ち致しました!」

 店員が俺と若い衆の間に一本の酒瓶を置いていった。馴染みのある四合瓶の720mlぐらいの酒瓶だ。えっ? この世界の一本はこれのことになるのか?


「おお豪快ですね。この酒を一本まるまる飲もうだなんて」

 若い衆が驚きの声をあげる。なんだと? 強いのこれ? しまったどうする? 持ち帰れるか? なんて聞いてお客さんそれは困りますよなんて返されて恥は掻きたくないし、だからといって残してキープとか二度と来ない店でそんなことはしたくない。かといって呑み過ぎてへべれけになってシノブの元に帰ったら軽蔑を買う。どうする? どうする? どうするよ俺?


「どうかね? 一杯?」

 俺はごく自然に酒瓶を手に取り若い衆に勧めた。

「いいんですか? ありがたいことです」

 よくやったぞ俺! と俺は俺を褒めた。そうだこれがベストだ。無知故にミスったがこうやって機転を利かしてあたかもお前のためでもあったんだぞと恩を着せることができる。これで誰も店員もこの優男もまさか俺が間違えてボトルを頼んだなど想像もできまいて。


 年下の男に無駄に馬鹿にされてたまるか! そんなのは前世で沢山だ! 若くてちょっと頭が良いからって俺をバカにしやがってよぉ! お前も将来だらしのないオヤジになるんだから覚えておけよ! おっさんを馬鹿にしたことが自分に返ってくるんだからな! 因果応報!


「こんなにたくさん良いんですか? 悪いですね」

 俺は透明な液体をコップの縁まで入れ確かめる。よしこれは氷や水で割るタイプではないんだな。そういう酒なら途中で何か言うし店員も聞いてくるしそれを置いていくだろう。だから、これでOK。


「なにお近づきの証だ。それよりさっきの名物というのは?」

 ごく普通の流れで聞けたぞと満足していると若い衆が言った。

「川魚の洗いのようですね」

 泥臭い奴が来たかぁ~と俺は弱さと落胆を悟られないように鷹揚に頷いた。そもそも魚はあまり好きではないんだよね。生臭いし骨多いし。以前本当の魚を食わせてやるとか山岡みたいのに無理矢理食べさせられたが、あれはマズかったなぁ。


「ではそれでいこうか」

「おっいきますか。なら僕が頼みますね。しかしすみません、初対面なのにこんなによくしてもらっちゃって」

 若い衆は頭を下げながら俺のグラスに酒を注いだ。いい気分だ、年下に恐縮させるのはいつだって気持ちが良い。いつも虐げられているしね。


「いやいやいいんだ。これも何かの縁、さっ乾杯しよう」

 互いにコップを少し掲げて俺は酒を口にいい感じのスピードで流し込んだ。そう良い感じの早さでなければならない。恐る恐るとか勢いよくとかはいけない。ビビッていたり焦っていたりしているのを気取られたりしないようにだ。アルコールの刺激でむせたりしたら恥をかいてしまう。だからこの早さがベストだが、さてその味は。


「旨いな」

「旨いですね。ごちそうさまです」

 果実酒だった。枇杷系の味で甘くて飲みやすいタイプの。ああ良かった、甘い酒は得意だ。いくらでも飲んでこの若いのを驚かせることができるだろう。しかし、と俺は思った。こやつは何者だ? 隣の席に座った男に対して「あんたなにしてる人?」とか無遠慮に聞くのはマナー違反になる。無職ですと返されたら空気が澱むし会社員ですとか普通のことを返されてもあれだし、待ってましたその言葉とばかりに大企業の名前を出されたらイラつくしで、そういうのだから駄目なんだ。そしてこういう場では名前を聞くのもあまりよくはない。いっときの俺とお前の仲を楽しむというやり方もあるのだから。だけど、と俺は思う。いまの自分は心配しないといけない身。まさか警察とか追手とか! そうであったらこのあとは事情聴取的なやり取りが来て!


「実のところ妹がこちらにおりまして会いに行く途中なのです。もうそこにいるのですが、ちょっと会いづらいのでこうして一杯呑んで気合いをいれようとしていたところでして」

 なんだいきなり身の上話を始めたぞ。そういうことか、わかるよ。俺も初対面の人と会う時は酒飲んだりして人見知りを麻痺させようとするし。


「へぇ。仲が悪いのか」

「良くはない方ですね。あいつは気が強くて人の言うことを聞かないんですよ。会えば喧嘩でこれからも喧嘩でしょうね。考えるだけで憂鬱な気分でリラックスするためにこうして話しかけて、申し訳ないです」

「いい、いい、構わない」

 ほらもう一杯のめよと酒瓶を持ち上げると若い衆は頭を下げながらコップを差し出した。

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