第54話 毒殺したい忍者 (シノブ36)
微かな光が灯され現れたその酒瓶。このお酒は女将が用意してくれたものであった。それはこんな経緯。
「ちょっと奥様」
シノブは食堂から出ると女将に声を掛けられた。抵抗感しかない言葉だとシノブの癇に障る。私は王妃となるのに妻とか奥様とか身分が低いんだよ。しかも誰の嫁だというのだろうか。
「あの、こちらを」
アカイに聞こえぬよう小声で袋を手に持たせてきた。
「これお酒です。緊張をほぐしたり眠らせ……いえ眠りたくなったらお使いください」
「ありがとうございます。あのここで言うのもなんですが私とあの人は」
同性相手に勘違いされたくないしこれだけは伝えたいと言いかけると女将は神妙な表情で頷いた。
「はい存じております」
「分かりますか?」
シノブの身体は感動に包まれた。話がまともに通じるという心地よさ。
「分かりますとも。長年沢山の方々を見て参りました。一目で、分かります」
良かった。同性からそう客観的に見たら違うと証明されてと、安堵の息を吐くと女将が囁く。
「かなりあちらの御方が警戒なされておられます。くれぐれもご用心を」
そんなこんなで包みを懐にいれシノブは部屋へと戻り、そして現在こうして提案をしベットの上に乗せた机に相対峙している。明りに照らされるアカイの出来栄えの悪い顔、見苦しいなとシノブは心中で嘆息する。思い切って床で寝てくださいと言えば良かったのだろうか? いやいや流石の私もそこまでは言えない。彼は私に代わって重い荷物を背負ってくれているのだ。疲労も凄まじいはず。休ませてあげないと、だがこいつは男で私に良からぬ欲望を抱いている。最大限の警戒心で以って対応せねば。
「君の酌なら水だって酔えるよ」
なに変なこと言ってんだこいつとニヤつくアカイに対しシノブは腹立ち鼻で笑う。自分に酔ってんだろうが。余計なことを言わなければいいのに。無言も不気味で嫌だが口を開かれるのもどっちみち嫌だ。存在が既にうるさい。
「酒が入ると寝入りが早くなるから助かるよ」
そうそうたまには良いことを言うな、とシノブは少しだけアカイを見直した。呑めばすぐ眠るのならこれほど助かる話もない。手が掛からないのはありがたい。
「だけど俺は酒には強いからそこそこ飲まないと」
前言撤回とシノブは自らを笑う。駄目だこいつ、大酒飲みで酒が入ると気が大きくなるタイプだとも認定。酒に飲まれて善悪の判断が狂いより積極的に事に及ぶかもしれない。想定済みの最悪の事態となる可能性が高い。よって身の安全を図るべく正当防衛的な理由で以ってここで眠り薬をいれて……。
「うん? いま何か入れなかった?」
アカイが言った。見られた? ミスった! 見えぬように角度をつけたのに! こいつは思った以上に目敏いぞ! 馬鹿の癖に細かいタイプだ! まずいまずいまずい。
「もしかしてそれは睡眠導入剤とか?」
更なるアカイの指摘にシノブの心臓は高鳴り痛みさえ覚える。これは、危険だ。こちらの意図がバレたり恐怖心が伝わったら! または怒ったりしたらこれを口実に力で来たら、打つ手がない。こうなったら一か八かの。声が裏返えぬように早口にならぬように低めにしてゆっくりと自信をたっぷりに。
「あの、シノブ?」
「アカイ、私と出会う前は寝付くのが悪かったり眠りが浅かったりしていなかった?」
シノブがそういうとアカイは驚きの声をあげる。
「あっああ、そうだね。俺は眠りが浅くてよく夜に目が醒めてさ」
「そうでしょ? 私はあなたを一目見たときからそういうタイプじゃないかと思ったの。親類にそういうタイプの人がいたから私にはそれが分かるの。そんな睡眠事情でこんな疲れる旅をしていたら身体に障りがあると思ってね。疲れているあなたを見たくはないし。それで私もたまに使う眠り薬をちょっとだけ試しにあなたの器にいれたら効果がてきめん。翌日に元気になったあなたを見て嬉しくなってさ。日常的にそうやっていたから今までつい言いそびれちゃって。つまりそういうことなの。今回のもやっぱりあなたが寝づらそうだから薬を用意してさ」
これでどうだ? とシノブは作り笑いの微笑を表情に浮かべるとアカイは歓喜の表情へと変わり、シノブの両手を掴んで来た。
「ヒッ!」
シノブは恐怖の声をあげるとアカイの掌の熱に心臓がさらに高鳴る。
「ありがとう! さすがはシノブで俺のよ……ゴホン! いやいやそんな親切なことをしてくれるなんて俺は感激だよ。そうなんだよ俺はシノブに会ってからすごく毎晩眠れてさ。気持ちいいぐらいの朝を毎日迎えているんだ。それがシノブのおかげだなんて……感謝しても足りないよ」
アカイの目から込み上がってくる涙を見ながらシノブは乾いた笑い声をあげるしかなかった。まさか私は言ってはいけないことを言ってしまったのでは? まるでこれは私からの好意の告白とでも思っているのでは? お前を警戒しての眠り薬だよと言ったら怒るが、あなたの身体を案じてのお薬ですとなったわけだが。違う! 誤解なの! とも言えずに、だが勘違いされたくもなくシノブは無意識に抵抗を口走る。
「でもぉ、これぇ、ひょっとしたら毒薬かもしれませんよ? ほら黙って入れるとかあやしぃじゃありませんか?」
私はいったいに何を言っているのか? 混乱するシノブに対してアカイは首をゆっくりと振った。
「君はそんなことをしない」
したいなぁ、とアカイの言葉に対してシノブはそう思った。こうなると毒殺は簡単だなとも。どこまでも都合が良い。都合が悪くなったらそうしてしまおう。それにしてもこいつの手は異様に熱いがなんだこれは? 炎でも出すつもりか? 暑っ苦しいな。
「あの、アカイ、その掌なんですが。なんか凄い熱いですね」
「あっああその、すまない」
だったら手を離せよこいつ、とシノブは言いたかったが堪える。ここで刺激したらなにを仕出かすのか分からぬ。
「そういえばさっきの山でシノブに化けた魔物の手を握ったけどこれとは違ったな」
むむっとシノブは思った。あの魔物はそういう行動に出たのかと。それなのにこいつは騙されなかったとは。それはそれでシノブはなんだか腹が立った。こっちは騙されかけたのに。アカイの癖に自分より勘が良いとか同じとか受け入れがたい。
「私もアカイに化けた魔物の手を触りましたよ。すぐに違うと分かりましたけどね」
「えっ! それってどういうこと?」
アカイの瞳は好奇の色で満ち溢れる光を放つ。余計なことを言ったなとシノブは後悔するも言った。
「なんか冷たい手でしたね。あなたはきっと熱い手の温度だと思いますし、ほら現にいますごい熱を帯びていますし。まぁ分かりやすいですよ」
「そうか熱いかなるほど。俺らしいね。正直シノブに化けた魔物の手では俺は偽者かどうか分からなかったよ」
なに? それなのにこいつは騙されなかったのか? 挑発をしているのかとシノブは思い手に力を入れた。
「いたっ! ちょっと!」
「二度と騙されないでくださいね。いまあなたの握っている手が、私の手です。また次に偽者が出たりしたとき本物かどうか直感的に分かるよう、記憶してください。いいですね?」
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