第31話 呼び捨てと忍者 (シノブ22)

 さてどうする、とシノブはアカイからの意外な言葉に思考を回転させる。この男はこちらのことを勘違いしている、いや、厳密にはそうではない。私から好意的に見られたいのだろう。


 つまりさっき助けに来てくれたところに重点的な意味を置きたい。要するに嫁宣言についてのあれこれは無かったことにしたい。そちらの言葉もこちらの言葉も。それを巡って言い争いやらをしない。なんという誤魔化しを……だがそれなら楽になるな、とシノブはアカイの言葉を引き寄せた。あれについてはもう言い争いの末の滅びしかないのだし。


「いえ、むしろ遅れてしまって申し訳ない。それどころか先に逃げ出してしまったことが恥ずかしいです」

 言うまでもなくこんなのは嘘である。二重に嘘である。逃げてもいないし恥だと思っていないとシノブは内心自嘲する。忍者にとって逃走は恥ではなく得策なのだ。けれどもこう言わないと話は続かない。それにこの男に対して嘘を吐くことはちっとも悪いともシノブは感じられなかった。真剣に相手にするほどの価値が無いからすらすらと虚言が口からこぼれる。


 だってこの男、なんだか存在が嘘ッぽいし。あなた現実に生きてないでしょ? ふわふわしていていったいどこで生きているの? なんだか自分の妄想の中でしか生きてなさそう。だから私を嫁にするとか世迷いごとを口に出来るんだ。そんなに地に足をつけずに生きたいのなら理想を抱えて縊死しろ。


「いやいや当然だよ。むしろ先に逃げていてくれてよかった」

 なんで、と言いかけたがシノブはやめた。その言葉を呑み込んだ。男のこのトンキチな言葉をちょっと考える。この男は何を考えているのか? 先に逃げて欲しかったって、なんだ? もしかして自分が敵を抑えて逃亡しやすくしているつもりだった? それともあれか? 私のことが好きだからその身代わりになっていたとか? あの悪党に口を割らないのは私のためとか? 自己犠牲を発揮して私の好意を得たかったとでも? 寒いなぁ重いなぁ。そうだとしたらなんとも図々しい願いであろう。だいたいそれ迷惑だったしさ。


 あのですね私とあなたは昨日知り合ったばかりの完全に無関係な者同士なのに、いきなりそんな重々しい関係になりたがるとかやめてください。まぁこういう冴えない人生を送り自らの存在に有意義を見いだせない男は自分以外の何かに嵌って己の全てを捧げ尽くしたくはなるのだろう。己を虚しゅうするもまた男。でもそれは関係性の深い家族に恋人や妻や子供に向けて貰いたいものだ。そうではない関係の人に無理にそうするのは迷惑というもの。他人の人生を己の名誉心のために利用するのは自分勝手ですよ?

 

 こちらはそういった善意を利用するといった悪党とは違うのですが、でもまぁ少しは使わせてもらう点は違いないけども。とにかくシノブは迷った。これ以上関係を深めたくないしでも冷たくすると利用できなくなるし、ならここは、と真剣な表情を作った。


「そんなことありません。私は卑怯です。あなたを置いて行ってしまうなんて。助けに入ったのは当然です。これから旅を続ける間柄なんですから」

 ちょっと言い過ぎたかな? サービスのし過ぎでは? と言ってからシノブは思ったがやはり加減を間違えた。アカイは明らかに喜色満面な笑顔のままその場で飛び跳ねた。落ち着いてよめんどくさい、とシノブは無表情でそれを眺めた。


「そう言ってくれてありがとうシノブちゃん! これからもよそしくね」

 やだなぁと思いつつシノブは苦々しげによろしくと返事をしたが男の喜びは変わらない。こいつ、人の表情や感情が読めないのかとシノブはホッとしつつげんなりした。しかしこの態度だとこちらのあの台詞に対するマイナス感は無いのかもしれない。もしくはよくわかっていないのでは? 都合よく受け止めているのならそれならそれでいい。この男には少しばかり希望を与えて上手いこと操らねば。こんな存在はこの呪われた身としては真に都合のいい存在であるのだから……シノブは歩き始め隣にいるアカイに話しかける。


「えーと、あっそうだ。なんかさっき咄嗟にアカイと呼んじゃいましたけどこれを機にそう呼んでいいですか?」

 またアカイは笑みを浮かべて振り向いたためにシノブは視線を逸らした。まぁこいつはこの意味も分からないのだろうからやっても問題ないとも思いつつ。


「うん! そう呼んでいいよシノブちゃん」

「そう。ならアカイも私のことをシノブって呼んでもらいたい」

 呼べ、とシノブは視線をアカイに向け強く願いながらそう言うと嬉しげに頷いた。よしそれでいい、とシノブは満足する。私の言うことを聞くことがお前が私に対する最大の貢献だ。そもそもこんな奴にちゃんづけされるとかいちいち癇に障るし不快。だったら呼び捨ての方がまだマシだ。


 それにアカイなら語感的に無機質な感じもある。存在者とかそんな響きを感じられてよい。あなたは名字だけ良いものを持っていますね。下の名は不敬罪に極めて近いというのに。でも助かった。多分こいつはいまの提案を好意的に受け止めているのだろう仲が深まったと。だがそれは違う。むしろこれは壁を作ったようなものだ。不愉快な点はまだ多々あるしこの男の狙いは依然変わらず自分だということもシノブは理解はしている。


「少しずつ改善していきましょう」

 シノブはそう独り言を言うと望んでいない返事が隣から鳴った。


「そうしようそうしようシノブ」

 わざわざ名前を呼んでの返事に対しシノブはあれに比べたらまぁまだマシだなと安心した。これで少しは嫌悪感を抑えられる。それならそれで、いい。我慢しよう。こやつを自分にとって都合の良いように操り改造してこの試練を乗り越えよう。思えばこの男は天からの贈り物かもしれない。王子と私の結婚のための便利な道具なのかも。だったら有効活用するのみだ。たとえいかなる苦悩が待ち構えていてもだ。



 朝日が昇りあたりに光が満ちる。互いの希望がみなぎってくる思いのなか二人は歩いた。

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