17時、マチアス・アルフォンス・デュカス:後編

寮に帰るととりあえずそれぞれの部屋に入る。

それぞれの従者は主人の部屋に彼らの部屋もあるのでそちらを利用し、護衛のアプリムは同階にある自室で休める時間が始まる。

これからの時間、アプリムは朝まで自由だ。

もっとも、真面目な彼は「じゃあ遊びに行こう」なんてことは決してしないが、これから先朝までこの階全体を護衛する騎士らと交代となる。


寮に戻り服を着替えると大体マチアスがカナメの部屋に行く。夕食は約束でもしない限り、部屋で取ることが多い。

食堂に入ると緊張して固まる生徒が多く、一日が終わりゆっくりしているところに緊張を運びたくない、それは申し訳ないなとマチアスが思うから。と

エティエンヌのような王子殿下だと緊張の意味も違うのかもしれない。なにせマチアスは冷徹で真面目な王子殿下だ。

わずかの失態すら大問題に発展するのではないかと思わせるものを、マチアスは持っている──ように見えてしまう──のである。

だから今日も二人は、カナメの部屋で夕食を取るのだろう。


ちなみに、エティエンヌとシェシュティンの利用率はマチアスとカナメよりもずっと高い。


カナメの部屋に入ると、ゆったりとした大きめのシャツと、ダボっとしたくるぶしまでのパンツ姿のカナメがソファにだらしなく横になっていた。

なのでマチアスに気にした様子はない。

カナメは外で取り繕う分、部屋に入ると一気にだらけるのだ。マチアスはそんな姿を見せてくれるカナメが愛らしいなんて言いたくなるのだが、カナメがムッとするので心にしまっている。

本来ならば「この服装──ほぼ寝衣しんいである──を婚約者の前でなんて」と殿であれば眉を顰める状況だろうが、マチアスはそれを咎めるつもりはない。婚約者となってからずっと同じだ。

王子殿下の婚約者にしたのは自分のわがまま。無邪気で野心のない少年が突然大きく暗い森に放り出されるような状態にしたと思い、むしろ罪悪感も持っていた。婚約を結んだ時からマチアスは、二人きりの時の彼のこうしたを大切した。

カナメがカナメらしくあれる時間であるのならば、その時間があるのならば、それでいい。カナメは必要な時は王子殿下の婚約者でのだから。と。

こんなことを聞けば「王子殿下の婚約者で、と訂正を求める」とカナメは言うだろうけれど、当初のマチアスの気持ちとしては、いてくれている、だった。


部屋に入ってきたにも関わらず微動だにしないカナメ、苦笑いのアーネ、どうしたのかとソファの背からカナメを覗き込むとカナメは寝ていた。

ただ横になってぐったりして「仮面をつけっぱなしって疲れる、もう俺は死んだふりに入る」としていたのではなく、本当に寝ていたのだ。

「申し訳ありません。ここに座ったらすぐに」

「いや、構わない。転科してすぐだ。慣れない環境で疲れているんだろう。夕食まで寝ていればいいと思うが……」

マチアスはそう言って、ソファの正面に回り込む。

アルノルトはすぐに理解して寝室への扉を開けに向かい、それを横目で確認したマチアスはそっとカナメを抱き上げた。

その腕にかかる重みと、カナメを抱き上げた時に触れた体。マチアスは小さく息を吐いて、ゆっくりと歩く。

(よかった……体型も戻った)

いっときカナメがグンと痩せたことがある。心労で多く食べれず眠れず、痩せていってしまったのだ。

原因はマチアスとの婚約に関係している。

それからどうにかこうにか体型を戻そうとしたカナメだが、と言う言葉よりもが似合う状況が続きマチアスも苦い思いを抱いた。

もう大丈夫。そうカナメは言ってくるけれど、マチアスも抱きしめた時には確認するようなところもマチアスにはあった。

それでも安心できなくて、不安が募って、こうして“無防備”なカナメを抱き上げてようやくマチアスは安堵できた。


重い……こんなことを言えば、「これでも俺、剣術の稽古を欠かしてないんだけど。体重管理はしてるんだけど」と怒られそうだが)


気絶した人間を抱えると、そうではない時よりも重みを感じると言う。

意識のある人を抱き上げると、その人は自分を抱き上げる人に協力して──無意識かもしれないが──バランスをとってくれたり肩を掴んだりしたりし力を分散してくれる。

しかし気絶している相手にその協力は得られない。だからそうではない時とが違うのだ。


今マチアスは意識がない──寝ているのだが、協力は得られていない──カナメを抱き上げている。だから遠慮ないカナメの重みを感じていた。

重みなんていうと、女性ではなくてもカナメはやはりムッとするだろうからマチアスは言葉をどのように変えても言わないだろうが、このにマチアスは心底ほっとしているのだ。


ベッドの上にそっとおろしてもカナメは起きない。

どんな夢を見ているのか、もにゃ、と口が動いて思わずマチアスも笑顔になる。

外でどのように呼ばれても、こうしているとカナメはマチアスが欲したあの時のカナメのままだ。

心を掴んで離さなくて、守りたくて、愛おしくて、そばにいて笑ってほしい。

この気持ちを押し殺してやり過ごすのがカナメのためだと思っても、どうしてもそれができなかった。幼い頃に欲しいと思った、カナメのままだ。


薄暗い部屋でベッドに腰掛けカナメを見つめるマチアスの顔。

もし公開すれば彼の印象は一気に変わるだろう。

誰に頼まれても、それこそ神に頼まれたってこの顔を見ている二人の従者は決して誰にも見せない。

この顔はカナメだけが見れる特権なのだから。

カナメがマチアスと一緒にいたいと戦い得たものだから、他の誰かに見せるものではないのである。


「殿下?」

「ああ。カナメに」

マチアスは薄手の触り心地のいいブランケットをアーネに見せて、そっとそれをカナメにかける。

やはり起きない。そしてまたもにゃ、と口が動く。

(何かを食べているのだろうか?それとも誰かに何かを話しているのだろうか?)

夢の中に行けたら分かるのにな、と珍しいことを考えてマチアスはカナメの額にかかる髪の毛をそっと撫でて寝室を出た。

扉は少しだけ開けておく。

寝ているうちに寝室に、しかも照明を落とした薄暗い寝室にいたなんてことになれば、寝起きのカナメの心臓が可哀想なことになりかねないからだ。

こういう時は扉を少しだけ開けておく。それがこうなった時のカナメに対するである。

部屋に戻るとソファの横のサイドテーブルに紅茶が置かれていた。

同じ紅茶を同じように淹れても面白いことに、アーネなのかアルノルトなのかどちらが淹れたのかがマチアスにもカナメにも分かる。

淹れたのはアルノルト。アーネが「殿下に淹れるのですから」と言ってのだろうと、マチアスはみた。


「カナメを起こすのは夕食の時にするとして……」


一口飲んで言ったマチアスに、従者二人は「ではお部屋に戻りますか?」とは聞かない。

今までよりも一層二人の時間を持ちたいマチアスにそんなことは決して提案できないのだ。

「何か持って参りましょう。本にいたしますか?」

「ああ。そうだな……あの王宮庭師の本を頼めるか?」

「ええ、わかりました」

アルノルトはさっと部屋を出ていく。

アーネはその背中を見送って不思議そうな顔でマチアスを見てしまった。

「庭師の本と不思議に思っているのだろう?」

「ええ、正直に申しますと」

「俺にもになることがあるんだ。カナメのように」

片方の口角だけあげて笑うマチアスにアーネは「なるほど」と何かに気がついた様子で納得した。

「アルノルト殿は?」

「さてなあ。アルノルトは気がつくと思うか?それとも俺が言うまで分からないと思うか?から見て、どう思う?」

「そうですね。は……マチアス殿下に対しての忠誠心がずば抜けて高いので、マチアス殿下庭と結びつけようとして答えが見えないかもしれませんね」

「なるほど。そうだな」


紅茶が無くなる頃にアルノルトは王宮庭師の本を持ち戻ってきた。

それを受け取り、マチアスはソファでのんびりと読み進める。

最初は読んでいたのだが、さすがは王宮庭園の父と言われている人物なだけあり庭に対する情熱感じる本で、なかなか面白い。

研究熱心だったのだろう。研究したことをひとつひとつ、それこそ自分の全ての知識を惜しげなく公開している。

文才もあったのか、彼の考察や発見なども興味を持たせるように上手に書かれていた。


「マチアス殿下」


しばらくしてからのアルノルトの呼びかけに反応してマチアスが顔を上げる。

どこか悔しそうな顔にマチアスはピンときた。

「アーネはカナメの従者だ。カナメのことを中心に考えているからこそ、気がついたんだろう」

「失態です。ああ、まさかカナメ様だとは思いもしませんでした」

マチアスが本を閉じる。ちゃんと栞を挟んで。

「私はカナメ様のために離宮の庭を改装されるおつもりなのかな、とそう考えておりました」

離宮というのはではなく城の広大な敷地内にある離宮の一つで、二人が婚姻したら住むことになる離宮である。

「カナメのために改装するのもいいのだが、カナメは今の状態が好きなんだそうだ。だが、カナメのために温室を建てるのは悪くないかと最近考えている。この本に影響されたようだ」

マチアスの視線は本に挟んだしおりに向けられる。

昔のリベンジだと言って、婚約式後カナメがマチアスにプレゼントしたしおりだ。今度はちゃんと花の姿をそのまま残してある。

驚いたが彼は少し恥ずかしそうに「アーネが、精霊たちに頼めば上手に風で乾燥してくれるんじゃないかっていうから、お願いしてみた。そうしたら本当に……まあ何度も失敗はしたけど乾燥してくれて、おかげでこうなった」と可愛い白状をしてくれた。

カナメがあのしおりを今も使っているように、マチアスのこれも長く──もしかしたら一生涯──彼の読書を助けることになるのだろう。


「やはり、カナメを遠乗りに誘い、どこかの草原でしてもらうべきかと俺は思っているんだが……」

「サシャ様が黙ってはおりませんでしょうね」

「護衛騎士を数十名用意してほしいと無茶を言われると思います……。私の兄もそれを止めません……ああ……」


二人の意見に無言で頷き肯定したマチアスは、それでもいいからデートに誘ってみようかと思ってしまう。

「宝探しをしてもらおうか」なんていうマチアスだが絶対に安全を考慮して、確実にお宝毒草なんてない草原を選ぶのだろうから、カナメは一生お宝を見つけることはない。

つまりはマチアスは、お宝を餌にカナメとデートしたい。

そんなただの男なのである。





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ちょこっと『セーリオ様/カムヴィ様』メモ。


『カナメのお宝について』

『カムヴィ様』にて、幼いカナメは偶然にも『毒薬学のススメ』なる本を読みます。

昔の王弟殿下がこの『毒薬学のススメ』を読んで驚いたと知って興味を持ったのです。

これを参考に自分も探してみようと思ったのですが、マチアスに「王族の利用する場所の庭に毒草なんて絶対にない」と言われ、幼いカナメは「そんなことない」とちょっとムキになりました。

それが今でも続き「この本の著者も言ってる。『人が雑草だと踏みつぶすものに似せ生き続ける毒草もある。彼らは静かに生きているのだ』って」と言って探すことがあります。

マチアスには「見つけようとするのは構わないが、王族の管理している場所で見つけようとしないでくれ」と言われてしまい、「じゃあ草原にいきたい」とねだったのですが、最後の文面でわかるように草原デートにはまだ行けていなかったようです。

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