11時、エティエンヌ・ダヴィド・ピエリック:後編
さて、授業時間はまだ残っている。
正直、王子教育を受けるエティエンヌにとって学園での授業は復習に近い部分もあり、きっとエティエンヌが見ているシェシュティンも同じだろう。
それでも二人は当然だけれども真面目に受ける。
話によると上手に手を抜く王族や、婚約者たちもいたようだし、また高位貴族の子女たちもそうである場合もある。
それでもやはり真面目なマチアスの弟のエティエンヌ、真面目に受けていた。
最も、シェシュティンを眺めているなんて時点で真面目に受けているとは言い難いのかもしれないけれども、あのマチアスの弟という看板はこんな時に便利──────いや、有効なのだ。
二人の中を悪化させ、派閥を作り、エティエンヌを傀儡にして担ぎ上げようとした大人たちは皆声を揃えて、あの優秀なマチアスの弟の劣等感を刺激しようとする。
しかしエティエンヌはそれを気にした様子もなく、不思議そうな顔をしてやり過ごしてきた。
それをどうにも自分たちにとっていい方にいい方に考えている大人ばかりだけれども、エティエンヌが不思議そうに聞いているのは別に「僕にはそんな劣等感なんてよく分からないや」なんてことを装っているわけではない。
真実、エティエンヌはマチアスに対する劣等感が全くと言っていいほどないからだ。
彼がそう言う顔をして聞いているのは全て「なんで僕に劣等感があるって勝手に思い込む?」と彼らの頭具合を心底不思議に思うからである。
もしエティエンヌが兄に対して思うことがあるのであれば、それは「お兄ちゃって、真面目で優秀だなあ……」としみじみ思う気持ちくらいではないだろうか。
あともし強いて付け加えるのであれば「サシャ殿ってお兄ちゃんと本気でカナメを取り合う……そして受けて立つ。それって普通の婚約者とその兄の図なのかな?」とか「お兄ちゃんってば真面目すぎるけど、カナメとちゃんといちゃいちゃするのかなあ」くらいではないだろうか。
エティエンヌが、存在しない劣等感を刺激し権力を我が物としようとする大人が一人でも滅されればいいのにな。と思っているなんて、その大人には気が付かれないのだろう。
だから言うのだ。
──────サシャ殿とやっちゃえばいいと思います!
最近のマチアスはエティエンヌのこの言葉だけが理由ではないだろうが、かなりそういう大人に攻撃的だ。
きっと元々の性格からするに、そう言うところは持ち合わせていたのではないかとエティエンヌは思う。
だからこそ、エティエンヌは兄に憧れ、彼の背中を追いかけるのだから。
弟である自分のために、マチアスは矢面に立つ。エティエンヌがそれを上手にできないと知るから、そして彼が少しでも安全な場所で過ごせるように。
そんな兄に劣等感なんて、エティエンヌの性格であれば絶対に持たない。
色々と思いながら、ペンをくるくると器用に指で遊ばせていたエティエンヌは
(ん?僕って、周りがいうよりも兄上が好きなんだなあ……でも、それでもサシャ殿ほどにはなれないから普通の兄弟関係なのかな?)
かわいそうに。身近に超弩級のブラコンがいるがために、エティエンヌの兄弟愛がおかしな基準になってしまったようだ。
おかしい基準が標準になってしまった哀れ王子殿下は、あと少しで授業が終わると気がついてソワソワし始めた婚約者を可愛いなあと見つめる時間に入った。
今日は自分たちがマチアスとカナメを待っていよう、あの言葉はシェシュティンにいつも以上に楽しみを提供できたらしい。
エティエンヌもそんな彼女を見ていると、嬉しくなる。
婚約者は誰でもいいかな、できれば思いやりを持てる関係に慣れればいいかな。
マチアスとは違い、そう思っていたエティエンヌが紹介されたのがシェシュティン。
可愛い子だなと思ったし、彼女の性格も面白い。それに時間を共にすればするほど、彼女はエティエンヌが思うよりもずっと良好な関係であれるようにと心を砕いてくれた。
時々突拍子もない暴走もする子──乗馬もできないのに、「エティ、今日は気晴らしに馬に乗りましょう」と我先に馬に跨ろうとしたこともある──だけれども、そのどれもが自分を楽しませ、いや自分との時間を楽しくしようとするあまりの行動だと知った時、シェシュティンが婚約者でよかった。この子を僕はずっと守って慈しんでいこう。そう心から思い、誓ったのだ。
だからこそエティエンヌは、シェシュティンが幸せそうな顔をしたり楽しそうにしたり笑顔になるのであれば、多少のことはいいかなと思う。
彼女は決して人に迷惑をかけるようなこと──カナメ信者になることがカナメに困惑をもたらせ困らせているとは思っても、エティエンヌはカナメの“迷惑”になることとまでは考えていないようだ──はしないし、それに王子妃として疑われるような倫理的におかしなことは決してしない。
「それでは、ここまで。みなさん、次回の授業ではここまでの範囲をどれだけ理解したか、テストをいたしますよ」
初老の優しい顔の女性教師がそういうと、教室の中が若干どんよりする。
どんな人間だってテストというものはあまり好きではないのだろう。
教師が出て行った途端、シェシュティンがバッと立ち上がる。勢いよく。
そしてエティエンヌに振り返る。その顔は「待ってました!待ちきれない!」と言った様子だ。
エティエンヌはそんなシェシュティンの期待に応えるようにさっと片付けると、シェシュティンの座るそこまで進み小声で声をかける。
「お姫様、さっそく参りましょうか」
「ええ、お願いね、私の王子様。早く行かなきゃ、カナメ様がきちゃうもの」
エスコートというよりも、街で見かける恋人同士のように手を繋いだ二人は廊下に出る。
上品に見えるけれど、足早に歩く技術の素晴らしさ。きっと彼らがいつもよりも急いでいるなんて、よくよく見なければ気が付かないだろう。
「エティ、カナメ様よりも早く到着しなきゃ」
「大丈夫だと思うよ!なんとなくだけど、アーネかアルノルトが空気を読んでくれると思うから」
「優秀な従者さんって素敵ね」
「本当だよねえ」
仲良しの二人は空気をよく読む従者二人のおかげで、マチアスとカナメよりも早く待ち合わせ場所に到着した。
その時の嬉しそうな顔を見て、エティエンヌは
(僕も、兄上がカナメを守り支えたように、シュシュを守って支えていこう。だってこの笑顔が見たいもの)
と気持ちを新たにしたようだ。
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