正午、リンス・アントネッリ:前編
城に勤める人間の昼は幾通りかある。
ひとつ、勤める人間のために解放されている所謂食堂で食べる。
こちらの場合、基本的に爵位だなんだとか勤務内容がどうのとかはほとんど考慮されない。
あるとしたら、利用者の懐具合によってどのメニューを選ぶかくらいだろう。
メニューと言っても三種類ほどだが。
ひとつ、持ってくる。
所謂弁当である。
屋敷から通う場合は屋敷の料理人に作らせ持参するものも多い。
テラスハウス(連棟式住宅)に住んでいるものも同じくで、城務めのものに貸し出している単身者向け集合住宅に暮らすものが自炊し持参することもあった。
また、毒味だなんだのと不安になりがちな人間はこれもある。
ひとつ、外で食べる。
城の外に用事がある場合、外で取って城に戻る。
城と一番近い飲食店までの距離を考えると、城から昼食のためだけに城外へ出るのは難しいだろう。
最後に、厨房勤務の人間や、彼らと親しい場合は今でいう賄いをもらえたりする。
これは密かな人気があり、どうにか厨房勤務の人間と親しくなりたいという“平和な下心”を持つものが多いとか。
「あー、昼は何食べようかなあ。なあ、サシャ!」
「お前は城の外で食べる時になると、どうしてか元気だな」
「好きなんだよ、こういうことが、好きなんだよ」
「そうか」
リンス・アントネッリ
アントネッリ伯爵家の三男だ。
長男と彼を支える次男、二人がいれば十分何事にもなると「好きに生きればいい」と言われその言葉を言質とし自由に過ごしたリンスは、田舎の領地でのびのびと過ごす少年だった。
領地内で──護衛をつけていたとは言え──所謂立ち食いや買い食いだってしたし、好き勝手に歩き回ったりもした。
彼に取ってよかったことは、母は子供に厳しくもとにかく愛情深く接してくれたことと、二人の兄が弟のそんな行動を羨ましいと言うのではなく、兄として見守り好きにさせてくれたことだろう。
だから王都へ出てきてからも、そういうところをあまり気にせずに食べ歩きを楽しんだ。
勿論、この時も一人ではなかったけれど。
今だってもし一人であれば、学園に入学する際についてきた護衛も兼ねている従者がそばにいただろう。
今その従者がそばにいないのは、サシャの優秀な従者であるヨーセフがいるからである。
彼ヨーセフは、ハヤル辺境伯爵の元部下がギャロワ侯爵家にきてからこちら、彼の稽古のおかげでメキメキと頭角を表し今では二人守り抜くくらい造作もない。
リンスが「そこまで強くなった理由は?」と興味本位で聞いたところ、彼は真面目な顔で
──────サシャ様とカナメ様が共にいらっしゃる際、何か起きたらサシャ様が前に出るよりも先に、私が始末しなければいけません。サシャ様がもしそのような考えなしの輩と対峙されたら……
──────されたら?サシャが暴走してカナメが怖がる?それで「お兄様、怖い!」って泣いて嫌われたらかわいそうだなあ、とか?
──────いえ、違います。サシャ様ですと相手の狙いや黒幕などを吐かせる前に、思い余ってヤってしまうかもしれませんでしょう?ええ、私も気持ちは理解できます。カナメ様を狙った可能性があると思えば、ヤってしまいたくなる気持ちはよおく分かるのです。ですが、やはり黒幕まで吐かせるまでは生きていていただかなくてはいけませんので。まだ、手加減が上手であろう私が強くなろうと思うものでございましょう。
と言ってのけた。
聞いた上に途中で口を挟んでおいてなんだが、リンスは思い切り後悔した。
カナメの従者であるアーネが「兄上が、時々分からないのです……」と呟いていたのは、そうか、こういう事かと。
二度とこの手の話題をサシャだけではなくヨーセフにも振るまいと、彼はしっかり身をもって体験したのだ。
そんなヨーセフを従えて、二人は城下一番の市場の近くまで来た。
侯爵家嫡男なのだから「こんなところで昼食なんて」と言ってもおかしくないサシャだが、リンスにはそうした事を一度も言ったことがない。
(そもそも、他の人間はサシャを「城下でなんか食べようぜ」なんて誘わないか……そうだよなあ。こいつ、氷の黒薔薇様だもんな)
貴族のいう『城下』は貴族が行くような場所ではなく、一般的な、そう、いわゆる平民が利用するようなものが多くある地区を指すことが多く、この二人の会話で出るそれも同じものを指している。
リンスは学生時代からサシャをそうして誘っており、そして彼が「サシャを平民街のような場所へ誘うのはまずいのでは?」と気がついたのは二人が二年次になる頃だった。
──────侯爵家の後継を連れましてまずかったよなあ。
気がついて「悪い悪い」と謝罪するとサシャは珍しく声を出して笑い
──────今更だろう?それになんだ、リンスは私を誘ったのだろう?ならば、私は気にしていない。リンスは私を、次期当主の私として誘わないじゃないか。
今更だなあ、とリンスがふらっと出かけて買ってきた──もちろん毒味は済んでいる──平民に今人気という焼き菓子を口に放り込んで「ほら、お前が理解できない場所があるのだと泣いたのだろう。さっさと理解してくれ。明日はカナメの元に帰らねばならないのだ」とそれ以上は聞くつもりはないと話を変えた。
リンスはそれからは本当に気にせず、誘うようにしている。
別に他の人間に対する優越感は一切感じないが、自分がこの超絶ブラコンの友人であり、彼がそう言ってくれる間は、ただの友人としてあちこち連れ回してやろうと、そんなバカなことをするのはきっと自分だけだろうから、他の誰も誘わないだろう場所へ誘ってみようと。
そして願わくば、その時は肩の力を抜いて「ああ、楽しい」とか「あれは美味しかった」とか、「あれは最悪だった」とか、何も気にせず声にする時間にしてほしいと。
お気楽な自分では分からない、彼の立場と重たい肩書を少しでも置いておけるようなそんな時間を作れればなとリンスはお節介にも思うのだ。
特にここ数年は。
彼が懸命に、彼らしくなく人を周りに置いてまでも、カナメのために必死になっている姿を間近でみたからこそ思うのだ。
そしてそう思えるのは、自意識過剰でもなんでもなく、サシャが自分を唯一の友人だと言い学生時代のように笑い、そして彼の大切な弟を呼び捨てにすることを許してくれるからだった。
いっときは目の下のクマは隠しきれないでいて、ひどい時は寝ているのかただ目を閉じてじっとしているのかも判断できない時があった。
影響力のある家に生まれていればもっと助けてやれたのに、とリンスは何度思っただろう。
しかし、そうではないリンスがいたことがサシャにとっては助けだったのだ。
きっとそれをリンスは一生涯理解できないかもしれないけれど。
サシャがそう思ったように、カナメだってリンスという存在はきっと助けになっていたのだ。
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