11時、エティエンヌ・ダヴィド・ピエリック:前編

こんな理由で一年前倒しして入学するようなことになるなんて、と思うと笑いが込み上げている。

エティエンヌは思い出し笑いがここ少しの間でかなり上達した。




エティエンヌ・ダヴィド・ピエリック

彼には優秀な兄がいる。

多くを取るためにひとつを犠牲にすることを、自身の手で捌き糾弾することを厭わない。

国を愛し、そして同じように家族を大切にそして愛してくれる。

仮に自分を犠牲にしたとしても、をまっとうするだろう人。

エティエンヌの敬愛する兄であり理想の国王の姿を持つのが、兄のマチアスだ。

そんな兄の初めてであり、が、カナメだった。


聞いた時は純粋に驚いた。

だって二人はいつだってどう考えても幼馴染で学友で、もっと言い方を変えてしまえば真面目な兄とのんびり屋の弟という関係にしか見えなかったのだ。

そして次の瞬間大笑いした。

意識して欲しいと願っているのは兄だけで、カナメは「婚約者避けでは?」なんて本気で考えているのだという。

あんなにもマチアスの顔が崩れる日が来ようとは、エティエンヌは思いもよらなかった。


そもそも、そもそもだ。


エティエンヌは、仮に兄がカナメを好きでいたとしてもそれを全て心の中に沈め落として、どこかの国の王女様とか、貴族のご令嬢と生涯暮らすのだと思っていた。

そんなマチアスがカナメがいいのだと言い、そしてその気持ちが当の本人には全く伝わっていない。

とんでもないことが起きたぞとどれだけ驚き、気持ちの伝わっていない様に笑い転げたか。

あんなにもマチアスに恨めしい目を向けられるなんて、エティエンヌはこれまた思っていなくて

──────おにいさまも、人間だった!

なんてどれだけ思ったことだろう。

あの時から、エティエンヌは一層マチアスと仲のいい兄弟になれたと思っている。


マチアスは自分がカナメだけと生涯生きていけるようにと、奔走した。

カナメもずいぶんと辛く忙しい時期があったことをエティエンヌは知っている。

きっと自分の知らないところで、カナメは何度も泣いて、マチアスは何度も心を痛めただろうと想像も固い。

そうしてやっと二人は堂々と婚約者だと声を大にしたのだ。


そして今度は自分の婚約者が面白いことになってしまった。

元々、カナメに憧れていたところもあったから、マチアスの婚約者だと発表された日には暴走の一つや二つするだろうななんて呑気に構えていたのだけれど

(まさか、信者になるなんて!もう、びっくりだよ)

同じ教室内で真面目に教師の話を聞く婚約者の後ろ姿を見ながら、エティエンヌは笑顔をなんとか隠して教師に注目する。

そうでもしないと思い出し笑いをしてしまいそうで、大変危ない。

もとよりエティエンヌはマチアスと全く違う性格でもあるし、顔の印象もあって正反対の印象を持たれる。

大笑いを堪えてなんとか微笑みあたりで留めたとしても、エティエンヌならば不審には思われないだろう。

けれどもエティエンヌだって王子殿下としての矜持くらいある。

思い出し笑いだって、場所を選びたいなと思うのだ。


シェシュティンがカナメに憧れたのはもうずいぶん昔の話で、最初はちょっと面白くないなと思っていた。

けれどもシェシュティンは「カナメ様への憧れと、エティへの好きは違う感情なのよ?エティがマチアス殿下に憧れるのと同じなのよ?」なんて真顔で言うものだから、その感情は一瞬で鬱散した。

それからシェシュティンはカナメを見ると「カナメ様!」と走り寄る──信者になる前のシェシュティンも実は行動に変わりはない──ようになり

(王子殿下の婚約者同士が仲良くなるのはいいことだね!)

なんてほんわかそんな様子を観察していた。

マチアスには「一応走り寄ると言う行動は止めたほうがいいと思うぞ」なんてもっともなことを言われたのだが、エティエンヌが本気で止めようと思ってもシェシュティンは先にいく。どう言うわけかエティエンヌが止めようと声なり手なりを出そうとするよりも早く、駆け出すのだ。

──────カナメに対するなにかこう……敏感に反応する触覚のようなものがあるのでは?

そう思いマチアスにも伝えてみた。自分ではうまくあれを止められないのだと。

マチアスはシェシュティンのそんな様子をしたところで

──────サシャのに近いものかもしれない。あのままにしておくと、今後何か、もっとを言いそうだと思うのだが……まあ、エティが気にしないのであれば、あのままでいいのではないか?

と言うので、エティエンヌは

──────シュシュがカナメを本当に慕っているのはいいことだし、可愛いのでよしとします。

と答え、この時は兄弟二人ここで納得したのである。


そう、もしこの時、もしも何か違う方向にシェシュティンを誘導していれば──────

(信者にはならなかったのでは!!?うわー……カナメ、ごめんね。もしかしたらかもしれないよ!わわわ、ごめんね、カナメ)

エティエンヌは唐突に思い至って、心の中でカナメに謝罪した。


しかし、サシャが『ただの超弩級の過保護』から『ブラコン』に進化を遂げる前、ギャロワ侯爵家最古参の執事はサシャのカナメへのあまりの心配っぷりと過保護っぷりに対し

──────このまま成長すると嫌な予感がしますなあ。

そう思っていたのだが、それを結局言わなかった。

なんとなく心に留めてしまったのだ。

もし彼があの時に言っていればまたサシャも違っていたのかも知れないのだが、今そんなサシャを想像することができないように、エティエンヌもカナメ信者ではないシェシュティンを想像できないでいる。


(つまりきっと、これが自然な形なのかも?)


エティエンヌはもう一度、心でカナメに謝罪をした。

今度の謝罪は、仮に過去に戻ってもシェシュティンを止めないと言うことに対してである。

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