10時、アプリム・ドラポー
ドラポー伯爵家次男アプリム・ドラポー。
彼は幼い時に「自分、兄と弟みたいに頭でどうこうってタイプじゃないし……よし、騎士になろう」と騎士になるべく日々鍛え、学園の『騎士術科』において抜きん出ていた成績で卒業し、その優秀さを買われ王城に詰める騎士になった。
彼のその──もちろんいい意味で──裏表のない性格で、いつの間にか気がつけば護衛騎士となり、何かと重宝されていた。
彼が重宝され始めた理由の一つは「お前は顔つきが柔らかいからな……うん、お前なら泣かせないだろう」という、当時護衛騎士一年目であったアプリムにはさっぱり見当のつかない理由。
上官に連れられ国王ロドルフに謁見、その時ロドルフ直々に「彼であれば緩和されるに違いない。うむ。まず間違い無いだろう。決して鍛錬を怠らぬよう」と言われますます困惑。
間違いないとは何に対してだろう。泣かせないとはなんだろう。
アプリムは理由が理解できないままに一日二日一週間、そしてひと月と仕事と鍛錬に時間を費やした。
そうして迎えた精霊祭。
ついに彼が自分が選ばれた理由の一つ「泣かせない」を知った。
国王と謁見している少年が見事に泣きじゃくったのだ。
それはもう見事なほどである。
名前は事前に知らされていた。
この国の名門貴族ギャロワ侯爵家次男ウェコー男爵カナメ・ルメルシエ、彼だ。
カナメの父であるシルヴェストルも国王に王妃も彼のギャン泣きについて咎めるような反応は一切なく、アプリムがそっと周りを見渡すと誰も彼もがこう言う顔をしていた。
──────あ、カナメ様。やっぱり泣いた。やっぱりあれだよ、護衛騎士としての威厳と迫力を持ちつつ優しさを滲み出すと言うのは至難の業だなあ。
──────その鍛錬の方法がわからないもんなあ。
──────泣かせちゃったなあ……。悪いことしたなあ……。
この場には国王陛下に王妃殿下を守るために配置された、少なくはない、必要数の護衛騎士がいる。
彼らは当たり前だが真剣に忠実に職に当たっており、警戒は忘れず、「私たちは何があっても敵を排除する」という気持ちを胸にここにいる。
大人であっても護衛騎士に囲まれれば、仮に国王陛下がその場にいなくても、居心地が悪いと言うか、若干気圧されると言うのに。
アプリムは寸分違わず悟った。見極めた。
(ここまで泣いてしまうとは……そうか、とても怖がりさんなのか……かわいそうに……)
同時に思う。
(自分たった一人の柔らかさでは、全く効果もなかった様でございます!陛下……お役に立てませんでした!!!)
彼、アプリム・ドラポー。
未来の王子妃と出会ったのは、まるで昨日のことのように思い出せる。
そんな初対面であった。
王子の護衛が従者ひとりなわけがない。隠れて配置された護衛がいる。
これまでも王族には密かに──とはいえ、王族である彼らは気がついていただろうけれど──宰相直属の配下であり、騎士団総司令官と共に管理している『諜報部』から護衛が任務にあたっていた
諜報部はその名の通りの活動が主であるが、誰にも悟られぬ様に王族の護衛をするのも仕事の一つとなっている。
しかしマチアスとカナメが入学した際、今までとは違いアプリムのように見える護衛がついた。
これは貴族界の不文律に、保守派からすると喧嘩を売ってきたマチアスとその象徴的存在になってしまったカナメを守るためという体である。
彼は基本的にマチアスがいる場所の出入り口で立っており、学園三年目となると見慣れたものも多いだろう。
立ち姿も振る舞いも申し分ないアプリムだが、彼がこうしてこの役目を担っているのはこれまた彼のこの柔らかい顔が大きな理由だ。
流石に大きくなっていくに連れ、あのカナメだって護衛騎士のピリピリとした空気で泣きそうになるなんて顔を晒すことは無くなった──晒すことが無くなっただけで、彼の持って生まれた性格は幼い時と変わりはないが──のだが、カナメを見守り続けた護衛騎士たち及び諜報部の担当者たちは「カナメ様がびびらない人を推薦しよう」と決め、アプリムに白羽の矢がたった。
もちろん、アプリムの腕も立つことからこうしてその役目についているのだけれども、カナメが怖がらないと言うそれも大事な要素になるのである。
教室の外に立つアプリムは、窓から入る光を受けて思い出す。
カナメがアプリムを初めて認識した日のことだ。
それはカナメが精霊と契約してからずっと後、マチアスに誘われカナメが離宮へと小旅行をした時だった。
船の上でマチアスが失言をしたためにビビリの虫を目覚めさせたカナメが「護衛の中で、幽霊とか、見つけられたり気がつく人とか、いる?」と質問し、この時に勘が鋭いという理由でアプリムが指名を受けた。
アプリムは顔は穏やかで柔らかいが、さすがは護衛騎士という体躯で屈強な騎士だ。
彼の憧れがハヤル辺境伯爵であり、その彼を目指した結果がその状態。顔はともかく体格がこれではカナメが泣くのではないかと心配したのだが、カナメはどうやら体格よりも顔派だったのか、カナメは気にした様子もなく──それよりも幽霊の方が恐怖だったのかもしれないけれど──幽霊探しをしている時間ですっかりカナメはアプリムに慣れた。
これ以降、カナメがいる時はアプリムが護衛についた。
一度慣れて仕舞えば屈強さなんてどうでもよくなるのか、カナメが怖がっている様子もなく、それもあってこうして学園に彼が派遣されたのだろう。
(
風の音で「ビャッ!」と叫び、小枝が揺れれば飛び退く。
警戒している子猫だってここまで怖がりはしないのではないか、とアプリムが思ったほどにカナメはびびりだった。
そんな彼があの日、マチアスの隣で婚約者として堂々と立っていたのは思わず涙が出そうになる程、感慨深いものだったとアプリムは思っている。
不敬だと言われると彼も思っているのだけれど、謁見中にギャン泣きし、精霊と契約するに至った迷路──実はこの時もアプリムはカナメの近くにいた──で護衛を見つけるたびに飛び上がり、離宮では幽霊探しで大騒ぎ。そんなカナメを見守り続けていたアプリムは、なかなかどうして、カナメを親族の子供のように見守るようになってしまった。
あれは怖がるかも。
あれは驚くのではないか。
あれではカナメ様が泣いてしまわれるかもしれない。
何かを見るたびに思わず、こんなことが頭に浮かぶようになってしまった。
思わずこの思いをカナメが泣き虫でビビりと知る上官に伝えたら「カナメ様が王子妃になった時には、お前が護衛騎士になるよう陛下に進言しておこう」なんて言われ、気がつけばマチアスとカナメが婚姻した後の配置先が決まったりもした。
ロドルフはアプリムのこういう部分が大層気に入り、「これならカナメも安心だろう!頼んだぞアプリム。決して魔払いがどうのとは言わぬよう。やるならこっそりとだぞ」なんてカナメが聞けば「昔のことを持ち出す……アルと国王陛下はそっくりですね!」と相手を忘れてキレそうなことを笑って言われ
(カナメ様には二体の精霊様がいらっしゃいますから、お化けは近寄らないと思いますけどねえ。今度、進言してみた方がいい……いや、お化けネタは言わない方がいいのかもしれない……。何かこう、お化けがいるいないがはっきり判断できるようなものが……いや、万が一いると分かればカナメ様が発狂するかもしれないから、分からないままの方がカナメ様のためなのでは?)
あたりを警戒しながら、アプリムは器用にそんなことを考える。
カナメとしてはこんなこと、考えて欲しくないだろうが。
──────しかし、良かった。
こうして学園という小さな世界に立つ二人を見ていると、アプリムは感じ入る。
二人は本当に、お互いのために直向きに努力し続けたのだなと。
二人が婚約者であることに発表まで誰も気がつかなかった、なんて珍事が際たるものだとアプリムは思うのだ。
決して周囲に悟られないようにけれど学友としては自然に見えるような距離を取ることと、二人の中で愛を育むこと。これを同時にするなんて、アプリムにはとんでもない偉業だった。
知らないところで婚約者としての距離で触れ合っていたのかもしれないけれど、それでも圧倒的に愛を育む時間が足りないと、アプリムは自分の性格上思ってしまう。
それでもあの婚約式で見せた二人の顔は、あの瞬間までの全ての時間で愛を育み信頼を重ねてきた、その顔だった。
だからこそ、涙も出そうになったかもしれない。
見せるために作られたあの近衛騎士服では顔を隠せないというのに、アプリムは馬車を護衛しながら涙を必死に堪えた。
(お二人の絆は、距離を置いても相手を信頼し思い合えるものであったのですね。素晴らしい……なんという愛なんでしょうか……殿下、カナメ様、自分は終生お二人をお守りいたします!必ずや、お二人の幸せをお守りいたします!)
二人が年相応でいられる時間を、二人が二人らしくあれる場所を守る一人になる。
これはアプリムにとって誇りだ。
教室の中で並んで授業を受ける二人を守るアプリムは、
(自分の勘の鋭さを幽霊探しに生かす方法がないか、一度真剣に考えるべきだろうか?……うん。そうすればカナメ様を、カナメ様に知られずに見えぬ敵からも守れるのでは?……うん、それがいいかもしれない)
自分の中に生まれたひらめきに拍手し、何か方法はないかとサシャに聞いてみようと考えたのである。
一番カナメ関連の相談をしてはいけない相手を相談相手にしている男、それがアプリムでもあった。
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