9時、ジェルバ・ウルレマンス:前編
窓際の席。
美しい髪に光を当てている彼のその髪はきっと、日々の手入れを欠かさないのだろう。
さらさらと、まるで砂が手から溢れるような音がしそうだと思うほど、少しの動作で波打つ。
そんな彼を見ているジェルバ・ウルレマンス。
ウルレマンス公爵家次男の彼は、母譲りの癖のある赤い髪の毛をなんとなく指でくるくると遊ぶ。
昔から薬師の家として王家を支え、その功績から爵位を賜り、幾代前に王女が嫁いで来たときに公爵家になったウルレマンス家。
彼らの功績は「平民上がりが」などと軽々しく言えない物で、王女は薬師の手に惚れ込み自ら望んで嫁いだと言うほどだ。
元々「何かを作り出すことが好き」という家系でそれが薬であっただけ、今では薬以外にも多くのことを家業半分趣味半分で研究している。
そう、今も「何かを作り出すことが好き」という気風が脈々と続いている家だ。
そんな家に生まれたジェルバが好きなことが観察だ。
おもしろそうだと観察したある同級生は早々に飽きた。いや、飽きたというよりももう関わり合いたくないという完全な苦手意識、もしもう一度でも絡んできたら嫌悪感を持つ相手だった事が判明した。
あんな苦手なやつは初めてだ。あいつは二度と観察しまい。二度と関わりを持つまい。と彼は決めている。
その次に見つけてしまったのが、カナメだ。
王子殿下の側近という立場である彼を観察していただけなのに、気がつけば友人となってしまった。
しまったというような出来事ではないのだが、「人とは適度な距離感で」と思い、短いながらも生きていたジェルバからすれば、しまった、に近い感情だ。
王子殿下の婚約者だと発表された時は、正直変な声を出したし、手をよく分からない感じで料理の並んでいるテーブルにぶつけて悲鳴をあげたりもしたけれど、カナメの正しい肩書を知りなおのこと、カナメを見ているというのが楽しくなった。
常に涼しい顔をして、一線を置いて人と付き合う。けれども仲良くなると少しだけ、彼本来の表情を見ることができる。
(王子殿下は、いい顔をしないのかもしれないけど……どうなんだろうなあ)
なんてジェルバは思うのだけれども、そんなカナメと友人でいることがジェルバは楽しくて仕方がなかった。
ジェルバの家系は何かしらに特化している。個々が夢中になれるこれと言うものを研究し、成果を上げ、自分たちの道を選んでいく。
一応嫡男が家を継ぐことにはなっているものの、それだって「自分が!」と言うものが現れたら「そう?じゃあどうぞ。これで自分は好きな研究だけに没頭できる」なんてあっさり明け渡してしまうところがあるのが、彼の家系だ。
そういう家系だから、長く貴族として続いた歴史を持ちながらも彼らには『嫡男至上主義』なる思想はない。むしろ嫡男が渋々諦め跡を継ぐと言う、あまりない形で今日まで続いている。
当代の妻であるジェルバの母は、実はウルレマンスの血が流れているのではないかと考えてしまいたくなるほど研究に熱心で、それもあってジェルバの父との婚姻に至った。
「当主となる自分はもうそろそろ研究は終わりしなければいけないんだ」そう半泣きで吐露したジェルバの父に「では私が研究を引き継ぎます!」と手を挙げただけ。
ジェルバの父はその言葉通りに研究を続けてもらうべく契約書を作った。それは、資金を提供する代わりに成果をウルレマンス家にという契約。
ジェルバの母もそれを了承し、以降二人は研究者仲間から後援者と研究者という関係に変わるはずであった。
しかしここで両家の親が「同じものを追いかける二人なら……研究バカであっても案外仲良く夫婦生活もできるのでは?」と互いに利もあったこともあり、婚約婚姻の運びとなった。
今では当初の予定通り、父はウルレマンス家の当主として采配を振り、母は
余談だが「研究バカというが、それを父上に言われたくはない」とジェルバの父は心の底から思ったそうだ。
全くその通りだろう。
そんな家系のジェルバ。
彼には“これ”と言ったものがない。
研究は好きだが、他の誰かのように『これを研究したい』という『これ』がない。
広く浅くと言うのだろうか、「あ、これ、作れるのかな?」とか「これ、やれるのかな」と右に左に手をつけていく。
一応「できる」「できなかった」と結果は出すものの、終わればまたあちこちふらふらと動いてばかり。
家族はあまり気にしていないようだけれども彼自身はこんな自分について、多少なりとも気にしていた。
──────どうして自分はこうもあちこちに興味がぶれてしまうのか。なんでみんな、一つのことに夢中になれるんだろう。
悩んだことは少なくはない。
そんな思いを持ったまま彼は特進科へ入学を果たした。
家族は「錬金科にした方がいい環境で研究ができるよ」と言ってくれたのだが、あちこち手を伸ばしてしまう自分には合わないととりあえずで特進科を選んだのである。
周りが王子殿下と同じだとか、側近のカナメがいるとか、そんな話をしていたけれど彼は一人ぼうっと日々過ごしていた。
そんなある日、偶然にも花壇でぼんやり──実際は人を待っていただけ──しているカナメを見つけ、興味本位で話しかけた。
側近のカナメという人間にちょこっとだけ興味があったからだ。
「物思いに耽る佳人に見えた」と思ったがまま告げたとき、カナメは「恥ずかしいな、ちょっと今消えて隠れたいかも」と言うから
「だったら俺も一緒に透明人間になろう。そういう薬か魔道具を作ってみるよ。それで二人で協力して、学園のお偉いさん達の秘密をたくさん暴いて、全生徒の前で公表してやるとか」
なんて冗談めかして言ってみたら「そんなことしたら大変なことになるよ。大騒ぎだ」とカナメは笑って、決して馬鹿にしたりはしなかった。
今まで家族以外に「こんなものが作れたら」と話すと「できるわけないよ」と馬鹿にされたり、変な人を見るような顔で見られたり、その時はいい顔をしていても後で何か言われていたり、いい思いなんてひとつもなかったジェルバは、この瞬間「あ、いいかも」と思った。
カナメの近くは案外居心地が良さそうだし、楽しそうだし、カナメを観察するのも楽しそうだ。こんなふうに感じたのだ。
それからは会えば挨拶をし、そのうち話すようになり、遠くで互いを見つけたときに微笑み合うくらいになって、気がつけば友人になっていた。
家族以外の接触を固まるほどに苦手とするジェルバが、家族以外で固まらずにすむ人となるほど、近しい距離にカナメという存在をジェルバは置けるようになった。
三年次に上がる前、偶然図書塔──文字通り、この学園の図書館は塔である──で会ったカナメに「最後の年だね」となんとなく話したら「だからこそ、最後の一年思い切って錬金科に行ってみたらいいと思う。これまでの研究をちゃんとまとめて渡せば、きっと今からでも転科できると思うけど」なんてまるで当たり前のように言われ、それでもまだ勇気が出ないジェルバに「実はダメ元で、精霊魔法科に行けないかって話してみたんだ。私に魔術を教えてくれた先生が『来年精霊魔法科にいい教師が入るから、精霊についてもっと知りたい時は転科も視野に入れたらどうだ』って言ってくれて。まあ、私はこれまでのことを思うと無理かもしれないけど、ジェルバなら家族は誰も反対なんてしないだろう?」と。
ジェルバはその時は適当に返事をしておいたけれど、心の中にはずっと、特進科を選んだときに生まれた小さなしこりになっている錬金科への未練がある。
自分であちこち手を出すから錬金科なんて、と言ったくせに心にはずっと未練があったのだ。
そして彼は今、研究成果を出したおかげで無事に最後の年を錬金科で過ごしている。
今まで二年間特進科にいたために、毎日のように補講を行なっているが教師が引くほどの速さで終わらせようとしている。
さすがはウルレマンス家だ。
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