8時、シェシュティン・ホールリン:後編
腰より少し上のところまで伸びた髪を一つに結ったカナメの髪が、太陽の光を反射してキラキラと輝く。
彼の母譲りの髪色と瞳の色はこの国では珍しく、母デボラからの遺伝だ。
両親──────特に母の容姿のいいところをギュッと集めた──ちなみにサシャは両親のいいところをバランスよく集めた顔である──カナメは色でも容姿でもとにかく目を惹く。
シェシュティンは、人目を集め一挙手一投足に粗を探し見てくる人間に対しても涼しい顔でやりすごし──と、周りからは見える──、ただただ自分を高めようと努力するカナメがもとより憧れの対象だった。
学友で側近候補としてはやりすぎではないのか、と思ったこともある彼女が、カナメのその血の滲む努力の理由を知ったのは最近のことと言ってもいい。
──────カナメ様は自分のためじゃない。マチアス殿下のために努力を重ね生きているんだ。
婚約式よりも随分前に、他の貴族たちよりも前に聞かされた事実にシェシュティンは胸を打たれた。
だから彼は言っていたのだと、すとんと理解したのもある。
──────努力する理由はなんでもいいと思う。シュシュが頑張れる理由を努力する理由にすればいいと思う。私は……自分のためだけではないよ。
今から数年前の話だ。
終わりが見えない妃教育に凹んだ日。|四阿__ガゼボ》で落ち込んでいたシェシュティンを見つけたのはカナメだった。
どうやって努力し続ければいいか分からない。そう吐露したシェシュティンにカナメはそう言って、シェシュティンのたわいもない話と愚痴に長時間付き合ったのだ。
マチアスの婚約者だと発表の前に聞いた時、彼女が思い出したのはそれだった。
カナメの本当のところをシェシュティンが知る方法はない。だから想像するしかないけれど、彼女はカナメの努力の先にあるのはマチアスとの、王子殿下である彼との婚姻のための努力なのだろうと。
シェシュティンにとって幼馴染のお兄ちゃんのような存在だったらカナメは、あの日ガゼボで愚痴を聞いてもらったあの日から憧れの人になった。
そしてあの日。婚約式であの光景を見た瞬間、胸に溢れた思いを、彼女は正しく人に伝える言葉を今も見つけられないでいる。
後押しになったのは確かに、ハミギャ国王太子殿下の婚約者であるバグウェル伯爵ノア・ヴィヨンのあの発言だ。
けれどもその前に、もしかしたらノアと同時に、シェシュティンは思ったのだ。いや、感じたのだ。
──────セーリオ様が祝福をしている。もしかしたら、カムヴィ様も。
この国の人は神と崇める大精霊セーリオには同じく大精霊の弟がいることを知っている。けれども神として崇めていない分、存在感があまりない。
しかしセーリオを神とし敬愛するシェシュティンはちゃんとカムヴィを常に頭に置いてセーリオに祈りを捧げているし、なによりセーリオに祈りを捧げるその時にはカムヴィにも祈りを捧げていた。
そしてある日離宮の書庫で偶然見つけた、彼らの本当の属性について考察された本を読んだことにより、そのことも頭に入っている。
だからあの奇跡を前に、二柱が祝福をしているのではないか、とより強く感じたのだ。
登城する機会が他の令嬢たちと比べ段違いに多いシェシュティンは、きっと同年代の子供達よりも、いや大人たちを比較にしても、彼らより多くマチアスとカナメが一緒にいる姿を見ている。
そんな彼女だって聞くまで二人がじつは幼い頃から婚約者だったなんて、気がつきもしなかった。
そんな二人を、ずっと思い合った気持ちを、支えてきた時間を、そして努力を
(神様は見ていらっしゃるんだわ!!!)
涙を流して見守るシェシュティンの視界では、国花の花束を持つカナメが微笑む姿があった。
その瞬間、彼女も知らない、彼女の中にあった何かが押されたのである。
熱心にセーリオやそしてこの国や他の国でも『セーリオの弟の大精霊』としてだけの存在であるカムヴィにも祈りを捧げているような信心深いところがあった彼女の、そういうところにカチリとカナメがはまった瞬間であった。
カナメを女神──シェシュティン曰く、神々しさが女神なんだそうだ。意味がわからなくても、そういうことだと思って欲しい──だと崇拝する気持ちを、一部の大人は子供のお遊び──────つまり「王子殿下は素敵」とか「冷たい瞳でもいいから、サシャ様に見つめられたい」というような、そんな可愛いものだと思っている。
けれどもシェシュティンを事実知る、彼女の周りの人間は彼女の本気度を知っていた。
彼女は本気で、カナメのいわば信者のようなものなのだ。
憧れを拗らせた感は非常に強いのだけれど、憧れた人が自身が深く信仰する神とその弟に祝福された──実際にそれは正しいのだけれど、それが本当に正しいのかを知るのはこの物語を読んでくださっている方だけである──となれば、神に近しいもの、彼女の中ではいっそ聖女──やはりここでも聖人ではなく聖女である──だとか愛し子だとか、そういう存在になった。
それでもさすがは王子妃教育を受けている賜物で人は彼女のそれに気がつくこともなくお遊びと判断されるのだけれど、彼女は自分のように本当のカナメ信者である人間をしっかり見抜き彼らと手を組んでいる。
信者の中には、シェシュティンとしては実に残念なことに、流行に乗っかって信者だという不届者もいる。
信者第一号という名誉ある肩書を持つシェシュティンは手を組んだ本当の信者たち──年齢性別は問わず、本当の信者は存在する──と協力し、不届者を受け入れつつ彼らとは大切な場所で線を引いて「カナメ様って素敵」と布教活動に勤しんでいた。
味方は多い方が有利。
だからこそ増やすのだ。
「では、また!カナメ様、シュシュは本日も一日、頑張ってまいります!」
「応援してるよ。頑張って」
「はい!エティ、行きますわよー」
「はいはい。ようやくエスコートさせてくれるんだね」
賑やかに手を振って去っていくシェシュティンはやはりご機嫌だ。
学舎までの残り短い道のりを彩る美しく咲き誇る花が霞むほど、嬉しそうな顔で歩いている。
「私、エティの婚約者でよかった!」
自分がどれだけカナメ信者だと公言しても、婚約者はいつだって笑って受け入れて、ときには協力だってしてくれる。
エティエンヌはカナメ信者でもないし、異常なほどの兄好きでもないけれど、大好きな二人の幸せな未来のために今できることはしたいと公言していた。
だから彼はサシャの手助けをしているのだろう。
シェシュティンがカナメの信者と手を組んでいるのを黙認しているのだって、根っこには『マチアスとカナメの幸せを願っている』というものを目指しているからだ。
シェシュティンが信者と公言してから、婚約者がカナメに熱をあげているようで虚しくないか、というようなそんなことを、もっと包み包んでエティエンヌに言ってきたものがいる。
それこそ老若男女問わず、全てが全て下心を持ってだ。
それに対してエティエンヌは笑顔で「シュシュが楽しそうで、僕も嬉しい」と言っていたし、それは確かに事実。
婚約者が日々楽しそうにしてくれているのなら、エティエンヌはそれだけでいいのだ。
彼女の私生活はいつだって彼女にとって楽しくあって欲しい。それ以外の時間では王子妃として縛られるばかりなのだから。
そういうところは兄マチアスと婚約者カナメの今までの姿を見て強く思うようになった部分だ。
「今日は兄上よりも先に、待ち合わせ場所に行こうか。たまには待っている側になりたい」
「カナメ様を待つ……!楽しそうね、エティ」
「僕はシュシュが楽しそうにしてるのが、それよりも嬉しいかな」
さすが王子様、けれども婚約者への愛情をこれでもかと乗せた笑顔で見つめられたシェシュティンは「大好きよ、エティ!」と負けないほどの笑顔で言った。
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