8時、シェシュティン・ホールリン:前編

マチアス・アルフォンス・デュカス

マチアス王子殿下、と呼ばれそちらで覚えているものの方が多いだろう。

彼の印象を聞けば、言葉は違えど誰もが同じようなことを言うと思っている。


美丈夫と言う言葉をそのまま人にしたらこうなるだろうと言われる容姿に、文句を言う人間はまあいないだろう。

性格については真面目、冷静──いや冷徹というものもいるかもしれないが──馴れ合わない、人を寄せ付けない、愛想が良くない、何を考えているのか分からない。


こんなところだろうか。

そんな彼がついに婚約式を取り行った。

本来ならば彼の弟エティエンヌ王子殿下が学園を卒業してからという噂もあったのだが、それよりも随分と早い段階で、学園生活を一年残したところで大規模で奇跡のような婚約式を。

どうして前倒しにしたのかは公表されていないが、一説にはこの国の貴族が当たり前のように考えていた所謂不文律を健全なものにただそうというそれが大きなうねりになり貴族の世界を変えて行こうとしていること、また彼が彼の婚約者であるギャロワ侯爵家次男であるウェコー男爵カナメ・ルメルシエ、そして彼の家族たちと協力し建てた王立診療所が完成したこと、などが理由ではないかとされていた。

だからひとの口に上がるのもこんな塩梅である。


マチアス殿下はかねてよりずっと欲したカナメを妃殿下にするためにこの国の貴族が抱えていた不健全な不文律を正すべく動き、友好国の王太子殿下の協力などもありそれを成せるという道を見つけたからこそ今、発表したのではないか。

カナメ様も幼い頃からマチアス殿下のお気持ちを受け止め、いつか来るその日のためにマチアス殿下と共に戦っておられたのだ。


そしてこれは概ね事実だ。


だからこそマチアスとカナメ、そして彼らを支える多くの人たちが成そうとしていることもあり、二人の婚約はそれはもうこれまでになく貴賤に関わらず注目されていたのだが、婚約式で起きた奇跡で二人はそうなってしまった。

特に、カナメが。

奇跡のおかげ──カナメとしてはだろうが──と、それを見ていたとある人物の発言のおかげ──こちらもカナメとしてはだろう──で、カナメは老若男女問わず信者と言われるファンが生まれ、カナメ曰く「泣いて逃亡したい。ほんとに逃げたい。辛い」ほど人の目を惹き寄せている。

元々カナメ自身の容姿と彼が今まで築き上げたクールビューティー」の仮面の威力で元々人の目を惹いており、それだけでもカナメは「こんなに注目されたくない、つらい」であったのに、だ。

というところだけで比べると、マチアスという王子殿下よりもカナメへの注目度は高いだろう。

カナメにとっての朗報は、信者の有無を除けばマチアスの方が注目度が高い、という点だろうか。

カナメの心情を鑑みると、焼石になんとか、という程度の朗報だが。


そんな本人の意思とは全く無関係に、本人として全く望まない、人を惹き寄せてやまないカナメを取り巻く人たちを、彼の日常と共に紹介したいと思う。




シェシュティンは学園の寮で起きた。

彼女は今年から、最高の一年を始めるのだ。

入学当初から張り切って朝は起き続けている。

「お、お嬢様、本日でしたのね!」

「今年から私、早起きするのよ!もう、いつもいってるじゃない!」

「まあ」

素晴らしいです、と胸の前で小さく拍手する侍女にシェシュティンは得意げに胸を逸らし

「一年だけよ!」

と、全く自慢すべきではないことを言う。

聞いた侍女はこうした発言に慣れているのか「一年でも素晴らしいです」と拍手を続けている。


彼女、シェシュティンは本来ならば来年学園に入学する年齢となる。

学園は多くの貴族、そして優秀な平民が通う。

貴族も何かしらの事情がある場合もある、また優秀な平民が必ずしも受験可能年齢前にとは限らないということを考え、学園は『配慮すべき理由がある場合に限り』入学時の年齢を問わないことになっている。

貴族の場合で言えば──────例えば、長期療養していたために一年もしくは数年遅れて入学するとか、他国に嫁ぐ前に卒業したいから早く入学するとか、そういうことだ。

彼女、シェシュティンはこれを『王子妃教育のために一年でも早く卒業したい』と言いそれを通し、学園に入学した。

それで通し切った時のシェシュティンの両親、弟、そして国王陛下に王妃殿下の顔と言ったら

──────絶対に嘘だ。

そう書いてある、とにかく妙な顔をしていた。

彼女は決して言わなかったが、本音はこちらである。

──────カナメ様と一年でもいいから、学園生活を送りたい!

それを言われずとも理解しているエティエンヌは、シェシュティンに付き合い同じように入学を果たした。

こちらの理由は『婚約者が入学をするので』であるが、こちらもにはこのように聞こえていただろう。

──────婚約者が、カナメと同じ時期に学園生活を送るなんて不安なので、自分も入学して、暴走を少しは止めれるようにしたいと思う。

マチアスとは正反対の王子殿下と言われるエティエンヌ王子殿下は、可愛い婚約者のシェシュティンと共にこうして兄やその婚約者と共に一年、同じ学園で生活をすることになった。


「ここまででいいわよ!あとは大丈夫!」

「はいはい、わかっておりますよ」

シェシュティンの侍女は彼女の母と同じ年齢の、元子爵夫人で名前はエドラ・エングフェルトある。

色々とあって早くに未亡人となった彼女は自立した生活を送るのだと言って、シェシュティンの母の侍女になり、シェシュティンが産まれたら彼女付きの侍女となった。

元々武に優れた家に生まれたということもあって、シェシュティン一人を逃す事くらいは可能だ。

赤子の時から自分を見ている侍女のエドラには、シェシュティンも甘えん坊の面をよく見せた。

「エドラ、またお昼ね!」

従者や侍女の控室へ向かうエドラを見送るシェシュティン。

普通は逆だろうとか言いたいものもいるだろうが、入学してひと月。多くの生徒が気にしないという選択に切り替え始めていた。

学園校舎に入る手前の小道で花を飛ばさん笑顔でシェシュティンは待つ。

待ち人は婚約者ではない。

エティエンヌは入学早々「寮の前まで迎えに行くから、一緒に行こう」と言ってくれたけれど、シェシュティンはこれを断った。

エティエンヌも断られるだろうなと思っていたから気にもしていないが。

彼女が待つのは彼一人。


「カナメ様!おはようございます!」


彼女がするカナメである。

「おはよう、シュシュ」

「はい、シュシュでございます」

シュシュというのは彼女の愛称。

幼い頃に自分の名前が言えず、シュシュと言っていたのが理由で今では親しい人にそう呼んで欲しいと彼女が頼んでいる。

「カナメ様は今日も女神と見紛う美しさです」

「ありがとう。シュシュも可愛いよ」

目を細め柔らかく笑うカナメの顔に、シェシュティンだけではなく周りにいた学園生もほうっとため息をついた。

「シュシュは朝からカナメ様にお会いできて幸せです!」

満面笑顔のシェシュティンとそれを受け入れるカナメ。

二人の婚約者であるこの国の王子殿下二人は、表情の読めない顔でそんなやり取りを見ている。

この状態だけ切り取ると、まるでカナメとシェシュティンが婚約者のようだが、シェシュティンは事実、カナメの信者第一号で彼女はそのに誇りを持っていた。

彼女が言うように女神の──女神はますます嫌だな、とカナメは心底思っているが──如く崇めるカナメに抱く思いは、恋愛ではないのだ。

シェシュティン曰く、恋愛よりも崇高な思い、らしい。

それを知るのは王子殿下の二人。

聞いた時、マチアスはたっぷり考えてから神妙に「……そうか」と答え、エティエンヌは「シュシュらしくていいね」とお腹を抱えて笑い転げたとか。

マチアスの反応は全て、「カナメがこれを知ったらまた騒ぐだろうな、ああ、可哀想に……」と同情してのことだろう。


カナメは義理の弟になるエティエンヌの可愛い婚約者の性格は以前より可愛いと思っていたけれど、|この姿を見て__信者と化して》から表情筋の管理に必死だ。

できる事なら「お願いだから、崇拝はやめてええええ」と泣きたいのだけれど、今まで築き上げていた王子殿下の婚約者として相応しい姿、そしてクールビューティーという仮面を壊すこともできず、さすがクールビューティーの顔でただただ受け取っている。

もっと先の将来、カナメもシェシュティンに自分という人間を見せることができる日が来るだろうけれど、その時には何を持ってしてもシェシュティンから「カナメ信者」というを取ることは叶わないに違いない。


実に、悲しい未来である。

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