第2話
突然だが、サシャの母であるデボラは本人の預かり知らぬところで『社交界の白薔薇』と呼ばれている淑女だ。
本人はいたって平凡な夫人だと思っているようだけれど、彼女が持って生まれた色彩はこの国では珍しかった。
また婚約まで地味を装っていた彼女は、今の夫であるシルヴェストルと婚約してから美しい彼女によく似合う服装や装飾品で彩られ、色彩も相まってまさに白薔薇に相応しい。
社交は最低限、しかしその時はさすが侯爵家夫人たる姿で立つ姿に憧れる夫人や令嬢が多いのだが──────
(ヘルストレーム伯爵家の長女が、熱狂的なファンだっていう噂がある)
多くの貴族子息子女が通う学園に、どういうわけかヘルストレーム伯爵家長女は入学しない。いや、正しくは入学しているのだが、なにやら体が弱いようで、進学卒業に値する試験を受けそれを持って進学卒業資格を得る事とすると学園側と合意したのだという。
この処置はこれまでも病弱な子供や、訳あって──その訳は決して公開されもしないので、人は勝手に噂するのだが──通えない子供に適用されている。
学園の噂では“病弱”でという事らしいのだが、その一方で「憧れの白薔薇様」と豪語する彼女が王都で
彼女と親しい生徒が「学園にこれないって本気で落ち込んでるの。白薔薇様にお会いしたいってよく言っていたのに、領地では難しいじゃない?今度何か送ってあげようと思って」と話していたのをきっかけに尾鰭がつきまくっての後者の噂だったが、実は噂は事実である。
そんな噂を持つ彼女の家の事は、同じ伯爵家のリンスの耳にも入っており、「弟のルヒトさまは入学するみたい」と付け加えて広がる話も耳にしていた。
「俺はリンス・アントネッリ。アントネッリ伯爵家の三男だよ」
「リンスさま」
「……いや、様は別にいらないかな」
「ですが俺は年下ですし、アントネッリ家の方が同じ伯爵家とは言え格上ですし」
「まあ、それがいいなら、それで」
「俺のお婆様が……ぼくのお婆様が、そういう相手にはちゃんとするようにと」
「うん……、俺でいいよ」
随分素直そうな少年にリンスの顔も随分柔らかくなる。
リンスはなんとなく、彼と接しているとブラコンサシャの大切な弟カナメを思い出す。この素直そうなところがそうさせるのかもしれない。
「ええと、それで」
「ルヒトと呼んでください」
「じゃあ、ルヒトは、何を探して迷っていたのかな?護衛はどうしたの?従者もいないようだけれど」
「護衛とも従者ともはぐれました……」
「……そう」
しょんぼりしたルヒトを見てリンスは
「じゃあ、目的地は?そこに行けば護衛や従者がいるかもしれない。案内するよ」
「ありがとうございます」
パッと笑顔になったルヒトに年齢を聞けば、カナメと同じ年である事も知れた。
何でもかんでも素直に答えない方がいいと言った方がいいのか、いやいやこれは他人である自分の役目ではないだろう。とか。
この歳の頃は素直でいられたのだろうか、いやいや性格だろうな。とリンスは自分の事を振り返る。
隣を歩くルヒトは末っ子らしい甘えるのが上手そうな面と、人懐っこい子犬ような雰囲気があるが、どうしてかどこか不憫な目に遭っていそうなそういう雰囲気がプンプンする。
のちに、その理由が『白薔薇様に夢中すぎる姉と、黒薔薇様にとっても憧れる兄』に挟まれたある意味唯一の常識人だからである、とリンスは理解するのだが今はなんでだろうと心の中で小さく首を傾げるだけだった。
目的地に行くまで、無言というのもなんとなくムズムズするリンスは
「今回は家族と王都に?」
なんて降ってみた。
同じく手持ち無沙汰になっていたのだろう、待っていましたと言わんばかりにルヒトは
「いいえ。学園に事前願書を出しに来ました」
「領地が遠いんだね」
「はい」
この事前願書というのは入試二年前から提出が出来るもので、万が一願書を届ける事が出来ないような気象状況になった場合に備え、王都からある程度離れている場所にある領地に住んでいる貴族及び推薦を受ける可能性がある平民みなが利用出来るものだ。
貴族の場合や裕福な平民の場合は従者や使用人が代理で出すことも可能だが、学園を実際に見たいという理由で本人が届けることがほとんどである。
リンスも万が一に備えこれを利用していた。
「一人で?」
「はい。父と母は領地で待っています。俺は従者と護衛と来ました」
「じゃあ、お店にはお母様にお土産かな?あそこの香水はとてもいいと聞くよ。そういえば願書はもう出したのかな?」
「いいえ、実は……これから出しに行きます」
「まじか」
リンスは歩きながら従者に時間を確認する。
今からなら辻馬車を拾える事が出来れば、なんとか間に合うだろう。
きっと最初の予定では完璧だったのだろうが、迷子になった事であちらこちらに支障が出てしまっていた。
「悪いが、辻馬車を見つけてくれ。あとで向かうからひと足先に店に頼めるか?ルヒトの護衛や従者に無事だと、待っていてほしいと伝えてほしい」
「かしこまりました」
きょとんとするルヒトをよそに、リンスと彼の従者は頷きあった。
リンスの従者は「ぼっちゃまらしいですねえ」と言いたげな、優しい表情だ。彼は、主人リンスの少しおせっかいなところが好ましく思い、そう行動するリンスを尊重している。
「ぼっちゃま」
父親よりも少しだけ若い従者兼護衛のこの男はリンスをぼっちゃま、と呼ぶ。
「ルヒト、行くぞ。今からならなんとか間に合う。今日を逃すと七日間先だ。しかも休校日の管理棟は業務時間が平日よりも短い。早く行かないと間に合わない」
「え?え?」
リンスは半ば強引にルヒトを馬車に押し込んだ。
こんな事をしていてなんだが、危機管理能力というのか意識というのか、そういうものが欠けているのではないか、とリンスは思わず馬車内で言ってしまった。
王都は危険だぞ、もう少し人を疑わなきゃいけないんだぞ。なんてまさか自分が妹以外に話すとは思っていなかったリンスだが、ルヒトは彼の妹よりも素直に「はい」「気をつけます…!」と言うので妹に言うように話してしまった。さすがのリンスも学園に到着した時には「いくらなんでも言いすぎたかも……気をつけよう」なんて反省したらしい。
「さっきも言ったけど、願書は休校日しか受け付けていないんだ。今日を逃すと七日後。七日も王都にはいないような口ぶりだっただろう?ほら、案内するから行くぞ」
「あ、ありがとうございます!はい!」
辻馬車では入れるのは学園敷地入り口の門まで。用事は直ぐに終わるので待ってもらうように言い、リンスはリヒトを引き摺るように門を潜った。
この門を潜ると直ぐにある守衛塔──ちなみに、学園の門の外にも同じように守衛塔がある──に頼むとここから学園校舎のところまで馬車を出してくれる。
今回はその手前にある管理棟まで出してもらった。
学園の敷地内で馬車?そんな事を思うだろうが、それがこの王立学園なのである。
管理棟のところで降ろしてもらいここでも待っていてもらうと、ルヒトと管理棟に入り直ぐに願書を提出させた。
提出時本人かどうかを確認し、願書を受理しましたという確認書類が自邸に届く。万が一ここで詐欺まがいな事をすれば二度と学園に入学出来ないし、もしその被害にあった場合は、本来入るべきだった時期を過ぎても試験を受けるチャンスが与えられる。
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