第3話(完)

「次は、店だな。いくぞ、ルヒト」

「はい!」

兄と弟のような雰囲気で再び辻馬車に乗り込むと、二人は店を目指した。

短い時間だったが実の兄や姉よりも世話をしてくれるリンスに、ルヒトはリンスが思う以上に懐いた。たしかにこれでは危機管理がと言いたくなるだろう。

すでに犬の耳や尻尾が見える気がするほどだ。

少なくとも、辻馬車の馭者は一瞬、幻が見えた。


「さあ、そろそろ着くからな」

「はい……」

「どうしたよ、その不安そうな顔は」

さっきまでは無事に願書を出せたと言う安心感からか、表情が随分明るくなったのだが一転している。

「迷子にならないようにと、お婆様にもたくさん言われ、今日も従者に言われていたのにと思うと」

「王都は想像している以上に人が多いからな。でも今日の反省を生かして頑張れ」

「はい」

リンスはルヒトの頭にしゅんとした犬の耳が見えた気がして首を振る。

どうやら馭者と同じように幻覚が見えたようだ。


馬車が店から少し離れた場所に停車する。

これ以上先には行けそうにもない。

それは道の問題ではなく、裕福な平民だけではなく貴族も利用する店の前に辻馬車で乗り付けると言うのはいささか、というリンスの考えであった。

「今度ははぐれないでくれよ」

「はい!大丈夫です、リンスさまの真後ろを歩きます」

「……真後ろは心配だからな、せめて隣にしようか」

「はい!」

嬉しそうなルヒトの顔を見ているとどうしてか、今度は今ごろ弟を構いまくっているだろう友人の顔が頭に浮かんだ。


──────きっとこの先、これ以上の友人は現れない。


リンスがそう思い、相手もそう思ってくれるといいなと──サシャはリンスに対して同じように思っている、とここには書いておくが──思っているのが超弩級のブラコンをクールな顔の下に隠すサシャだ。

ほとんどは“他人が思っているようなサシャ”でいるのだが、ふとした瞬間彼は超弩級のブラコンに豹変する。

そのブラコンっぷりのあまりの威烈さを目の当たりにしたリンスは一瞬引いたのちどうしてか「これはバレちゃいけないのでは?」と思い、勝手にサシャのフォローと、このブラコンを人に知られないようにしなければと立ち回るようになった。

このブラコンが人に知られれば、政敵などに利用されてしまうのではないかと、大切な友人と素直な彼の弟と助けたい──────、リンスの意識としては「烏滸がましいが二人の──ちょっと引きそうになる──兄弟愛のようなものを守る一人になれたらいいな」という気持ちで勝手に立ち回っているのである。

「本当、絶対にそれは考えすぎっ!」とか「ちょっと!!過剰防衛になるからね!!!」なんてサシャに思う事も多いけれど、それでも結局思うのは「面白い兄弟だなあ。すごいブラコン、すごいわ……。しかし無自覚っていうのは大変だな」くらいであった。

けれどもしかし。

サシャを無自覚大変なんて思っているリンスだって、実のところ人の事は言えない。

なぜなら、実は彼はで世話焼きなのである。

だから子犬のように懐いてきた末っ子感いっぱいのルヒトの世話をここまで焼いてしまうし、彼を見てどうしてかサシャの顔が思い浮かぶのだ。


ルヒトを隣に歩けば直ぐに心配そうな従者と護衛、そしてリンスの従者兼護衛の男が見えてきた。

ルヒトを見る二人の顔を見れば、あの二人が、雇い主ルヒトの父の息子という気持ちだけではなく、ルヒトだから仕えているのだと分かる。

「いい人たちが、護衛と従者になってくれているんだね」

思わず口にすればルヒトも嬉しそうだ。彼にとってもあの二人はかけがえのない存在なのだろう。

無事に合わせる事が出来てホッとしたリンスは、店に入るルヒトを見送っておしまいにしようとしたのだが、あまりの不安げな表情に苦笑いで一緒に店に入った。

従者たちの雰囲気から待っている間に随分話をして、それなりに、多少は打ち解けたのだろう様子だ。

「あんな不安そうな顔で入ると、店の人も不安になるよ」

「でも、俺、一人では行ったことないですもん!それに普通、家に来てくれませんか?」

「まあそうだけどね。王都にしかない店は滅多に領地まではこないから、俺もここで香水買って家族に送ったりしたからなあ……なれだね」

「なれ……」

「で?何を買うんだ?」

オロオロする弟、見守る兄。そんな構図の二人はこの店の責任者のマダムには可愛らしく映るのか、どこか雰囲気が柔らかい。

この店では用意されているサンプルの香りから欲しい香水を選び、好みの瓶を選んで入れてもらう仕組みだ。

綺麗な瓶とサンプルが入る蓋つきの瓶が美しく並ぶと、確かにこれだけで目移りしてしまうだろう。

サンプルにはどのような香りか説明も添えられているとは言え、香水に興味のなさそうな人間は混乱さえしそうだ。


困っているように見えるルヒトにリンスは助け舟を出した。

「俺の友人のお母様が好きな香りを教えようか?ルヒトのお母様と同じくらいの歳かもしれないし、参考になるんじゃないかな?」

「あ、ありがとうございます!」

「ええと……ああ、これだ」

リンスはルヒトにサンプルの入った瓶の一つを指で示した。

説明書きには香りを作る際に決めたのか、作ってから決めたのか、タイトルも添えられておりそれを読んだルヒトが固まった。


──────永遠の白薔薇。


これが、その香水の名前だ。

マダムは可愛い二人を助けようと、

「そちらはある方の婚姻式のお姿を見て作りましたの」

これに対しての二人の反応はこれだ。

「なるほど。だから」

こちらはリンス。屋敷に行った際に本人にあまりに似合っている香水に驚いて、それをサシャに話した時に「母上のためにある香水らしい」と言っていたのだが、まさにそういう事だったのだな、という反応である。

対してルヒトは引き攣ったまま香水のサンプルを凝視し

「あ、これにします」

とだけだ。緊張しているようにも見えるのは家族への土産を選ぶという気持ちからかな、とリンスとマダムは思った。

「でしたら瓶はこちらはどうでしょうか?その香水を作った時に作ったもので、私の中ではその香水のための瓶として存在しているものでございます」

マダムが出してきたのは円柱形の瓶。蓋のところはとても細くなっており、まるでシンプルな一輪挿しに美しい薔薇が飾られているようなデザインのものだ。

「これにします」

遠くを見つめていうリヒトは、ボソボソと「保存用……観賞用……あと、使うための?」と言って「その組み合わせで3個ください」とマダムに頼んだ。

ボソボソ言っていた言葉は聞き取れなかったリンスは

(お婆様、お母様、お姉様にかな?)

と考え「包んでまいりますね」と言って奥へ行くマダムの背中をルヒトと並んで見ている。


「あの、今日は本当にありがとうございました!」

店を出て深々と頭を下げていうルヒトにリンスは笑う。

「いいよ。気にしないで。俺もなんだか楽しかったよ」

気にさせないように笑っていうと、少しホッとしたようだ。ルヒトの従者と護衛はリンスの従者に何度も頭を下げている。

「学園に入学した時は、俺はもう卒業しているけど、多分俺、卒業後もそのまま王都で仕事していると思うから、もし困ったら連絡して」

「いいんですか!?」

「こうして知り合ったのも何かの縁だからね」

「ありがとうございます!」

「受験、頑張って」

「はい!絶対に合格します!合格したら誰を置いても、真っ先にお知らせします!」

「いやいやいや、それはご両親に真っ先にお知らせして!」

じゃあ、と別れる。お互い正反対の方向に目的地がある。

いつまでも振り返ってブンブンと手を振っているルヒトが見えなくなるまで見送って、そういや、とリンスは自分の腹を抑えた。


「昼食、食べ損ねたね」

「ええ。何か召し上がりますか? 」

「そうするよ、気がついたら何か食べたくなってきた。うーん、何がいいかなあ……そうだ、サシャがカナメと行って美味しかったって話してた、屋台に行こう!なんだか安くて美味しかったって言ってたやつ」

「ああ、サシャ様がいつぞやか、カナメ様とこっそり食べたという……というものですね」

「それそれ!丸いパンに揚げたか焼いたかした肉とか魚とかと野菜が挟んであるっていうやつ」


ついた先で食べたそれに舌鼓を打ち「ブラコンもいい情報を持ってるね」と笑うリンスは、もし無事に合格したルヒトが連絡をしてきたらこれを食べさせてやろう、と決めた。

彼も貴族の子供だ。きっとこういうものはあまり──────いや、口にした事はないだろう。

目を丸くして「かぶりつく……」と考え込んでからかぶりつき、自分のように「おいしい」と思って嬉しそうに笑うだろうと思うと、なかなかどうして絶対に連れてこようと思うのだ。

「しかし、ギャロワ侯爵夫人は香水なっているとは……さすが社交界の白薔薇だなあ」

「ええ、さすがでございますねえ」

従者と二人、口の端にソースをつけて笑う。


「今日はいいことしたなあ」

「ええ。さすがぼっちゃま」

「おう」


きっとお土産を喜んでもらえるんだろうな、なんて思ったリンスは知らない。

白薔薇様サシャの母をイメージしたという香水に興奮したルヒトの姉の噂は事実で、白薔薇様信者の彼女は興奮のあまり気絶したのち暴走し「いつまで経ってもこれでは、やはり学園には行かせられない」と決められ咽び泣いた事を。


性格が良いだろうから、学園に入学したらカナメと仲良くなれそうだな。紹介してみようか、と考えたリンスは知らない。

二人はリンスの知らぬところで友人になり、のルヒトは隠れブラコンでどこかマイペースなカナメに振り回され、ルヒトが超弩級ブラコンサシャに振り回されるリンスに「無自覚なブラコンは危険です」と言い出す日が来る事を。


おいしかったごちそうさま!と屋台の主人に声をかけてご機嫌なリンスは、何も、何も知らないまま従者兼護衛の男と学園寮へ帰るのである。


これがリンス・アントネッリ。

彼の未来の戦友とも呼べる可愛い後輩との、出会いであった。

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