第21話

ノアが王太子妃教育そして王妃教育へと変わっていって、にようやくついていける様になったのは、春待月はるまちのつき

そう言えば一年前のこの時期は理由も分からないままに休学していたとノアが思い出したのは、ふんわりと空から雪がちらついたのを城の窓から確認した時である。

城の中は通年ちょうどいい温度に保たれているのでノアは厚着をしているわけではないし、外と違い暖かいので寒いと言うこともないのだけれど、雪がちらつくのを見てしまって思わず肩を竦めた。

「ちらつくだけで積もらないね」

同じ部屋に控えるエルランドもそれに同意する。

「王都で本格的に積もるには、もう少し寒くなければいけませんね」

「マリーは寒がりだから、積もるのはもう少し先でいいかな」

窓の外を見ながら言うノアにエルランドは笑いを含んだ声で

「これからはアンジェリカ様が温めてくださいますよ。アンジェリカ様は火を使うのが大変お上手ですので」

「ふッ!確かに、アンジーお姉様は火の精霊から祝福と加護を得ているから、マリーの周りの空気を“熱し”そう」

「雪が溶けてマリアンヌお嬢様ががっかりなさいますので、手加減は必要ですけれど」

「そうだね。マリーは寒いのは苦手だけど、雪は大好きだもんね」

今頃屋敷で勉強に励んでいる妹を思い出して、ノアはくすくす笑う。

寒いのは苦手です、と寒くなるたびにいい、けれども雪を見るのは大好きで溶けるのは嫌だと言う。

そんな可愛いわがままを言うマリアンヌのために、毎年ノアは雪で可愛い動物を作り、ひと冬くらいは耐えられる程度の魔法をかけマリアンヌに部屋のインテリアとしてプレゼントをしている。

それを知ったアンジェリカが「わたくしはそんな芸当……出来ないわ。なんてことなの」と崩れ落ちた。最近新しくできた、楽しい思い出だ。

彼女は火と風を扱うのは得意だが、水に関するものはダメなのである。


(もう雪が降る季節になったのに……)


昨年まではアーロンは王子で、自分は王子の婚約者で、妹は婚約者がいなくて父と母が婿を探していて、アンジェリカは王太子の婚約者で。

来年もそうだろうなと思っていたのに、一瞬で変わってしまった。

変わって随分経つけれど、いまだに振り返っては違和感を感じたり、アンジェリカのことを思って心配をしたり、ノアは新しい未来へ歩いているけれどよく立ち止まって振り返ってしまう。

アンジェリカはそれでいいと言って、「もし立ち止まって歩けなくなったら迎えに行くわ。アーロンも誘って。もしアーロンも立ち止まっていたら、二人を迎えに行くわよ」と美しい笑顔で言ってくれた。

本当はそれをアンジェリカに言いたかったのに、ノアはいつだってアンジェリカに助けられてしまう。

今回こそはと思ったのに、やっぱり今回もアンジェリカはノアの先を歩いていた。


王子妃教育に悩んで苦しんでいた時、アンジェリカは決して優しい言葉だけかけるなんてしなかった。

厳しいことを言って、現実を突きつけてきたことの方が多かったかも知れない。

ノアがそれに泣いても、アンジェリカは決してその手を緩めなかった。

けれど、ノアが立ち止まるとアンジェリカは迎えにきてくれた。どんな時だって、ノアに寄り添ってノアが立ち上がり未来へ歩いていくのを待ってくれた。

(今度こそ、アンジーお姉様を助けたかったのに)

二歳以上の歳の差を感じると小さく頭を振ると、後ろから心配そうな声で自分を呼ぶ人がいた。

振り返るとアーロンが心配そうに立っている。

いつ入ってきたのか、ノアは全く気が付かなかった。

「大丈夫かな?ノア、本当は……その」

「違う、全く違うよ」

ノアはアーロンに最後まで言わせない。

言うけど、ぼくはアーロン様と一緒にいたいからなんだって頑張れるんだから。簡単にぼくを諦めたり、ぼくに謝らないで。もうやめようって約束をしたのを忘れた?」

「ごめん」

謝ってきたアーロンにノアは首を横にふる。アーロンはハッとして

「ありがとう」

ノアは満足そうな顔で大きく頷いた。

「で?どうした?何か困ったことでもあった?」

アーロンはノアの正面の椅子に腰掛けて言い、トマスはこれに合わせてアーロンの前に紅茶を出した。

そのトマスの流れる様な仕草に、ノアはうっとりしてしまう。エルランドも所作は非常に美しいのだが、エルランドのそれとはまた違う美しさがトマスにあるのだ。

もちろん、それにアーロンは嫉妬をするし、エルランドもなんとなく面白くない気持ちを抱くのだけれど。

「ううん。アンジーお姉様に敵わないなあって思っていただけ」

「アンジェリカお姉様に?」

「そう。今度こそぼく、何かしらのことでアンジーお姉様を助けたいって思ったんだ。支えたいって言うか」

アーロンは頷く。

「でも、やっぱり今回もアンジーお姉様はずんずん前に進んでる。きっとぼくたちの知らないところで悩んだり悲しんだり振り返ったりしているんだろうけれど、アンジーお姉様はやっぱりぼくには見せないでしょ?ぼくが王太子妃になることになっても『もし立ち止まっていたら迎えに行ってあげるわ』って。ぼくだって、アンジーお姉様を迎えに行きたいって言うか、わかる?」

「アンジェリカお姉様は、ノアが慕ってくれて笑ってくれて、それで『アンジーお姉様』って呼んでくれるだけできっとノアに助けられてるんだと思う。僕もね、そういうノアに助けられているんだ」

「そう?」

アーロンは頷いてから紅茶を一口飲んで

「人はね、きっと自分が思っていないことで、思っていない様な方法で、誰かを助けているんだと思う。ノアが普通にアンジェリカお姉様にしていることで、アンジェリカお姉様が助けられていることは多いと思う。だからアンジェリカお姉様は僕たちに笑顔を向けてくれるんだよ」

「そうかな」

「そうだよ」

顔を見合わせて、アーロンはノアに「そう。だからそれでいいんだよ」と改めて言う。どこか自分に言い聞かせている様にも見えた。

「僕は、いつもノアと歩くよ。ノアが立ち止まったらそこにいて。休憩したいだけしてていい。僕がそのそばで、ノアを守るから。それでノアが元気が出て歩こうと思ったら、手を繋いでまた歩こう。僕は正直、王太子なんて柄じゃないって思ってる。自分のことを。でも、それでも頑張って歩くから」

「ぼくは、偉そうなこと言えないけど、僕も待ってる。となりでちゃんと。ぼくたちはそれがいいと思う。二人で手を取り合って、勉強しながら、周りの人の力も借りて」

「時々休憩して」

「うん。それで一緒に」

ノアはフッと思い出した。

いつもアンジェリカが言っていたことを。


──────どんなことにも運命だと言う人がいるけれど、運命なんてものは自分が「そうだといいな」とか思ってるから言うのよ。

──────運命なんて必要ないの。たしかに自分や相手の立場とか、いろいろなものが合わさった結果、会えたり会えなかったり、知り合いになれたりならなかったりするでしょうね。でもね、それでも運命なんかじゃないの、どんな立場であっても、自分がそうして歩いてきた結果、その人に会えて知り合いになれて、もしかしたら友情が芽生えたりもする。どういう方向であっても自分で切り開いた結果なのよ。

──────いい、ノア。諦めないで。アーロンが好きなら、ずっとそばにいたいなら、諦めないで。泣いてもいい、叫んでもいい、でもやらないと二人が望む未来は来ない。やるからその未来がくるの。それはね、運命じゃないの、あなたが切り開く未来なの。


「ぼく、アーロン様とは運命じゃないと思う」

「え!?」

「ぼくは確かに、祝福がすごくて産まれも良くて、それで王妃様の立っての願いでこうしてアーロン様の婚約者になったけど、こうして今も婚約者としていられるのは自分が、アーロン様が頑張ってきた結果でしょ?自分達が切り開いてこの日を勝ち取ってる。運命だったら、なんか、いらなそうだもの」

すごいこと言うね、とアーロンは笑う。

「これからもぼくとずっとぼくたちの願う幸せな未来のために、ぼくと一緒に努力して道を切り開いていってください」

ふんわりと笑い言うノアにアーロンは

「もちろん」

「ぼくは守られてばかりみたいだけど、ぼくにもアーロン様を守らせてね」

「うん。でも僕はやっぱりノアを目一杯守りたいな」

「そうなの?ぼくだってそうだよ。ぼく、自慢じゃないけど、魔法を使えば強いんだから」

「魔法でなんでもやってのけそうだもんね。それは認める。でも、好きな人は守りたいよ。だから言葉だけになっても……よくないけど、まあいいから、僕に守らせて?ノアは僕の事をな問題で守らなくてもいい様に、僕が強くなるよ。僕、まだ忘れてないから。『マルティヌスが守ってくれればあんしんだね。だってつよいもん』ってマルティヌスに言ったの」

「いつのこと!?」

「昔。でも一生忘れないと思う。だからね、譲れないんだ。ノアを守る役目は僕。もう本当、情けないこと暴露すると、今だってマルティヌスにもトマスにも、エルランドにも嫉妬するんだから」

必死に言い募るアーロンに、ノアは耐えきれずに笑い出す。

おかしくておかしくて仕方がないと言うその笑い方に、アーロンはムッとして

「僕を支えて助けてくれるのは嬉しいし、拒否はしない。でも、僕が守る。ね?」

強く言うとノアは涙を溜めた目を細め


「アーロン様が好きだから、もう、それでいいよ」


外の雪はまだちらちらと降っている。

地面をうっすらと白く化粧しているが、朝になればなくなるだろう。

来年もこんなふうに、アーロンのそばで大切な人たちを思っていられるように、その未来のために日々を過ごそうとノアは思う。

天気よりもコロコロと変わる人たちにヘトヘトになることもあるだろうけれど、それでもアーロンと一緒に生きていくと決めて歩いてきた時間があれば大丈夫だと、彼はこの時、自分が過ごしてきた時間に初めて、自信が生まれた。


「アーロン様」


優しい顔で自分を見る人にノアはにっこりと笑う。


「ずっと一緒にいましょうね」


その未来は運命じゃない。

自分達がこれから切り開いていくものだ。

ノアは強くそう思った。

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