第20話

アンジェリカの婚約破棄から時期が早すぎる──五ヶ月後である──が、アンジェリカとマリアンヌの婚約が発表されたのは紅星月べにほしのつき

以降堂々とアンジェリカはマリアンヌをエスコートし、自分の色でマリアンヌを着飾っている。ノアも引くほどの状態だ。いつか落ち着くといいなと両家の人間は願っているが果たしてどうなるだろうか。

また卒業したアンジェリカは女公爵となるマリアンヌを支えるべく、義理の父となるランベールと実の父であるエイナルに教えを乞い領地経営など公爵家の婿として必要となる知識を蓄えている。

正直なところ、領政科を優秀な成績で入りを抑え全体の主席で卒業し、なおかつ王妃教育にも励んだアンジェリカに教えることは本当に少ないのだけれど、あんまりに言うのでならばというところであった。

熱心に公爵となる教育に励むマリアンヌと、このアンジェリカだ。ミューバリ公爵家は安泰だろう。

ノアが帰ればアンジェリカもいると言うのが当たり前になりつつあり、アンジェリカが「かわいいノアと愛しいマリーに囲まれて、わたくし幸せだわ」とご機嫌で帰る姿も当たり前になってきた。


そして紅星月からひと月経ち今は葉染月はぞめのつきになり、木々も緑色から茜色や金色こんじきに色を変え、人の目を楽しませはじめた。

王都での社交も少なくなって狩猟が好きな貴族たちをはじめ、社交が活発になるシーズンまで領地で過ごす領地をもつ貴族たちがカントリーハウスへ帰っていく姿も見られる様になってくる。

あの卒業式典のあった花栄月から半年、つまりアーロンとノアが王太子殿下と王太子の婚約者として国内外へ発表してからも半年が経っていた。


学園の外では変わった立場におもねろうとするものに辟易としているアーロンとノアも、学園ではのびのび過ごしている。

王子と王太子でここまで違うのか、と特にアーロンはげんなりする事が多くなった。

男のノアを王妃とするアーロンに、側妃として娘はどうかと勧める相手の多い事。この国は基本一夫一妻制である事を、彼らはすっかり忘れているようで頭がいたい。

そろそろ彼らに立場を理解してもらう必要があるのではないか、とアーロンは心底思い始めてもいた。


ノアの加護は知られていても、異常な祝福は知られていない。

もしこれを公表すればきっと誰も何も言えなくなるだろう。


精霊を神とし崇めるこの国でここまで祝福を与えられたノアの存在は、もうどの国にも生まれていない、もはや伝説とまでされてしまいそうな実際に存在した精霊の愛し子と言われておかしくないものだ。

最後に精霊王が認めた精霊の愛し子の物語──実際に起きた事だと分かっているにもかかわらず、物語の様に信じ難いと思う人間も一定数いる史実なのである──は、精霊信仰のあるこの国では誰もが知りそして信じる話の一つ。

ノアの祝福を知れば、ノアを「もしかしてなのではないか」と思う人間もいるだろう。

そうなればノアは守られ、ノアを排除しようとする人間は今よりも減るに違いない。

(でも、そんな方法でノアを守るなんて、今は嫌だな。まだ僕、精霊にだけは負けたくない気持ちがあるもんなあ。マルティヌスにトマスにエルランド……これ以上家族以外でノアが頼る人はいなくっていいよ)

そもそも力のあるミューバリ公爵家の長男で、その妹はこれまた力のあるカールトン公爵家の長女と婚約。それぞれ三人の子供たちは両親から愛されているのは知られた事実。

そのノアが婚約者であると言うのに「うちの娘は……」なんて相手の無能さに対し、ここまで怒りを感じるのは自分の未熟さなのかと思う気持ちが、アーロンにノアの祝福を公表すると言うそれを思いとどまらせている。

きっとミューバリ公爵家もノアを全面的に支持しているカールトン公爵家も、誰が何を言ったのか把握しているだろう。

そして喧嘩を売ってきた本人にも分からないにじっくりと、報復をするに違いない。

未熟なアーロンは怒りを感じて立ち止まっているがしかし彼らは、マリアンヌですら立ち止まらず、「お兄様を、そして我が家を軽んじる相手をどうしましょう」と微笑んだと言うのに。

(僕も、そうならなければ。そしてそれができない自分が今することは、ノアの特殊さを見せることではなくて、ノアを仕様もない事で傷つける碌々である人間に対し、王太子として毅然と対応し、そしてノアを守る事だ。そのためなら、権力だってなんだって、僕の使えるもの全てを使いこなしてやる。よし、使いこなせる様になろう)

アーロンはそう決意し、立ち上がる。

思いの強さが立ち上がる勢いに比例して、椅子が倒れそうになった。

周りの生徒が驚いた顔をする。


そう、ここは学園内。そして教室である。


今日はノアが校外実習をしており、学舎内にいない。学舎前の広場集合で朝から学舎内に入っていないのだが、それも昼までのこと。

午後の授業はその校外授業で行ったことについて討議するというから、そろそろ帰ってくるはずだ。

クラスメイトに「殿は本当にノア様が好きね」と揶揄われながら、アーロンはノアを迎えに行く。

トマスも当然後ろからついてきている。

トマスは「ノア様はまだ学園にお戻りになっていませんよ」と急ぐアーロンに言うほど、アーロンは──長年傍にいて仕えているトマスから見れば──そわそわとしていて急ぎ足だ。

学園の裏にある校外授業の際に使う出入り口──課外授業が終えた後は汚れた装具がある事が多いので、通常の出入り口は使わない──へ近づくと、賑やかな声がアーロンに届いてきた。

アーロンがそれを聞き取りながら向かうと、どうやらノアが“手柄”を立てたらしい。

さすがだと褒める声と、それを恥ずかしがる声。後者がノアだ。クラス全体でノアを褒めちぎっているようにアーロンは感じる。

さすが僕のノア、と思って角を曲がればすぐそこに帰ってきたばかりの魔法科二学年の面々がいる。

「王太子殿下!さすが王太子殿下の婚約者ですよ」

一人がそう言う。

魔法科。

以前も話したが、昔から錬金科と魔法科はと囁かれており、『多少でも敬意を払われるなら』と歴代の王侯貴族が考えているだけのことはあるこの物言い。

「ノアが何をしたのかな?」

一体どんな活躍をしたのだろう、と顔には出さないがワクワクとしながら聴いたアーロンにクラスメイトの一人である「ノアに近づく不届き者は魔法でボンとすればいい」と言ったバショー伯爵家次女カヤン・チャップソンが前に出て、サッと、かなりの大きさの紙袋を掲げた。

「ノア様のおかげで、学園近くにあるパン屋さんで幻のパンをクラスメイトの人数分とおまけの分まで、買えたんです!」

「……うん?」

アーロンは予期せぬ言葉に沈黙しかけた。よく「うん」だけでも声にできたものである。

「ノア様が以前、パン屋さんのお嬢さんを助けたそうで、以来パン屋さんはお礼したいと思っていたそうなんです。ですがお嬢さんの話から容姿しか分からないと悩んでいたそうで……」

と興奮し切ったカヤンが言うには──────、

このパン屋は元は平民出身の学園生から絶大な支持を受けるパン屋で、そこから貴族階級の学園生にも美味しいと評判が広がった、今では人気のパン屋なんだと言う。

そのパン屋には幻のパンと言われている『ミルクバターパン』という言う商品がある。

これはミルクで捏ねた生地でパンを作り、焼き上がって冷えたところで柔らかくしたバターをパンの中に──現代のものでイメージするなら、シュークリームのような感じで──注入したもの。

なんてことはないパンで、タウンハウスで作らせている生徒もいる様なのだが、なにかがこのパン屋と違うと首を傾げるまさに逸品。

それを朝課外授業に向かう際パン屋の前を通った時に「ここのミルクバターパンは逸品なのです!」と話したカナンと、それを「へえ」と聞いていたノア。そして店の前で掃き掃除をしている最中に恩人ノアの姿を見つけたパン屋の女将。

娘の話していた特徴と完全に一致している人物に女将は慌てて娘を連れて出て、ノアが確かに恩人であると判明。

ノアに礼を言い、その際厚意で幻のパンをクラスメイトの人数分、取り置いておくと──彼女はお金はいらないと言ったのだが、それはいけないと全員自分の分は支払っている──約束をしてくれたのだ。

そうして手に入れたのが、今、カヤンが掲げている紙袋である。

「……そう」

自分の婚約者はどんな活躍をしたんだろう、と思って聞いたアーロンは完全な肩透かしを食らった。

まさかの活躍である。それもそうだろう。

カヤンは掲げていた紙袋から小さな紙袋を一つ取り出し、それをアーロンの近くに控えるトマスに渡す。

「ノア様の分とアーロン殿下の分です」

「私の?」

「はい。アーロン殿下、ですよ?ひとりひとつ食べないともったいないと思いませんか?おまけの分として殿下の分も取り置いていただきました!」

グイグイとくるカヤンに押されアーロンは無言で頷き、トマスは「頂戴します」と小さく頭を下げた。

二つのパンを検査して問題なければ二人の口に入る。まあ問題なく入るだろう。

私も今から楽しみなんです、と跳ねる様に去っていったカヤンと魔法科の生徒たち。最後に残ったのはノア一人。


「ぼく、なんか英雄になったみたいです」

「そうみたいだね」

「こんな英雄なら、いくらでもなりたいかも」

「僕も、婚約者がこういう英雄になれるのは嬉しいな」

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