第17話 準備と仕事

 どこか心地よく、しかしどこか違う風が優しく吹く。

 その風は窓から入っていき、そのすぐそばにいた彼女の長い髪をゆっくりと撫でた。

 そして、見えなかった横顔が姿を現す。

 きれいで、明るいはずの顔が、少し赤面して怒っているようにも見えた。


 そんな彼女が立つ廊下。

 そこは、本来ならば賑わっているはずなのに、今は誰の声も聞こえず静まり返っている。

 ……まぁ、それも当然だろう。

 なんたって、今は授業が終わって一時間後の放課後だ。

 

 ほとんどの生徒は、帰宅しているか部活動に勤しんでいる。

 その証拠に、外からは僅かに運動部の掛け声が聞こえてくる。


 少しずつ、少しずつ彼女に近づいていく。すると、彼女の方からもこっちへ向かってきた。


「もぉ、遅いってば。ちょっとで終わるって言ってたのに」


 ……そうだ。

 確か、先生に呼び出されて、それでーー

 

「先に帰られちゃったのかと思って、焦ったんだからね」


 そう言う彼女は、少し頬を膨らませながら訴えてくる。

 

 待たせてしまったのは確かに申し訳ない。

 だが、それでも待っていてくれたということがそれ以上にうれしく感じてしまう。

 

「………………」

「まぁ、今回は許す! けど、次からはもう少し早く来てね」


 そう言うと同時に、ムスッと可愛い怒り顔をしていたのが、一気に華やかな笑顔へと変わった。

 どこか違うところを向いていた瞳が、俺の目へと向き直りーー


「じゃあ、帰ろっか」

「…………」


 最後に、お互いに一言交わして歩き始める。

 特にペースを合わせてるつもりはないが、ちょうどいいスピードで進めている。


 ……欲を言ってしまうのであれば、このシチュエーションで手をつなぎたいものだが、それはさすがに高望みしすぎだろう。


 それに、俺はまだ伝えられていない。

 この理想を叶えるのは、俺がしっかり勇気を出して……それが叶ったらだ。

 ーー早く、叶えないと……


 そうして、彼女ーー糸瀬悠菜と歩いていく。

 

 終わりのない廊下を、永遠と。



 *********************



 何回か見てはいるが、相変わらず見慣れない天井だ。

 気温は……寒くもなく暑くもない。

 まさに、心地良い日の参考みたいな日だ。


 頭を傾けて、ベッドの横にある時計へと目を向ける。

 時間はーー午前6時あたりか。

 

 この世界の時計は、驚いたことに地球にある時計とほとんど変わらない。

 周期も24時間で、数字が12まで振られているところも全く同じだ。

 天文学というのはどこの世界でも同じ結果なのだろうか。


 だが、ここで1つ問題がある。

 時計に振られてる数字、それはあるけど1から12まで全て分かる。

 分かるのだがーー俺はその文字を全く知らない。


 思い出してみれば、武器屋でも、飲食店でも、無意識にちゃんと看板の文字などを読んでいた。

 ただ、その字はどれも日本語ではなかった。

 カタカナに似たカクカクしているその字を、俺は全く知らない。


 ‥‥つまり、どういうわけかこの世界の字が読めるようになっているということだ。

 脳の実験とかに巻き込まれたのか心配になるところだが、魔法の世界だからそれは無いと信じたい。


 何より、自然に新しい言語を覚えるなんてできないだろう。

 ーーだから、俺に無理やりこの世界の言語を押し込んだ張本人がいるということになる。


 この世界に俺が来た理由も、方法も、何もわからないままだ。

 それでも、誰かの悪意によるものーーその事実が決まってしまった。


 ……まぁ、文字がわかるようになっているのは素直にありがたい。

 これで言語が日本語じゃないままだったと考えると……

 あまり考えないでおこう。


 昨日、レイナと約束した時間は午前8時だ。

 つまり、あと2時間ぐらいは暇がある。

 かといって、もう一度寝る気にはなれない。


 ……どこか、懐かしい光景を見てしまった。


 憧れで、理想で、居心地のいい空間。


 今から一番遠く、夢だったかのような空間。


 ーーまた、あの瞬間を過ごしたい。

 ーーまた、あの空間に戻りたい。


 あそここそが、俺の居場所でーー


 家族、友達、名前を出していけばきりがないほどの人たちに囲まれていたところ。

 そして、その名前の最後に、彼女が出てくる。


「ーー悠菜」


 当たり前のようにそこにあった場所が、いつの間にか急になくなって……

 初めて、それが当り前じゃないことを知った。


「みんな、……」


 誰でもいい。

 

 俺の知ってる、俺のことをよく知ってて、いつものように話して、笑って。

 そんな誰かなら誰でもいい。


 またーーまた会いたい。


 自身の力不足がわかってしまっても、

 帰れる方法が分からなくても、

 その気持ちだけは決して揺るがない。


 ……そのためにも、今できることをしていかなければ。

 強くなって、必死に帰る方法を探してーー


 犯人捜しなんてしなくていい。

 復讐なんて興味ない。


 ただ、戻れれば、それで……それだけでいい。


 それに、どうやってかは知らないが、魔方陣で一度こっちの世界まで来てるんだ。

 ……流石に片道切符、ということはないだろう。


 ようやく、出てきた感情をまとめ上げてベッドから出る。

 足の上にかかっていたタオルケットを蹴飛ばし、そのまま足の裏を地面へと付けた。

 カーペットの布地の柔らかさが、足から伝わってくる。


 ふと、視線を少し落とす。

 俺がいるのは、昨日と同じ部屋だ。

 俺が……死のうとしたーーあの部屋だ


 だが、それなのにあの時、ミルナさんが俺のために流してくれた血の跡は残っていない。

 綺麗さっぱりなくなっている。


 この部屋も綺麗になり、ミルナさんの傷も治った。

 つまり、もうどこにも、彼女が俺のために傷ついてくれた証拠はないわけだ。

 けれど、俺の記憶には鮮明に刻まれている。  


 現実から逃げるなと、そう呼び止めた彼女の声が忘れられない。


 今考えると、全く彼女の言う通りだ。

 いつだって現実はうまく行かないが、そこから逃げたら全てが終わってしまう。  


 もっと、強くなるためにーー

 戻るためにーー


 とりあえず、今余ってる時間ぐらいは素振りしよう。

 これから戦いしに行くんだ。ちょっとぐらい剣に慣れておいた方がいいだろう。


 そう思いながら、部屋の角に置いてある荷物のところまで向かう。


 そこには、昨日買った防具や武器がまとめて置かれていた。

 その中でも、一番目立つ大きく、長いもの。

 革製の鞘が付いているため、完全な姿は見えないが、圧倒的に目立つそれを手に取る。


 ……やっぱり、ちょうど手に収まるいい剣だ。 

 持っているだけで、少し強くなれた気がしてくる。


 そして、両手で支えていた剣から左手をゆっくりと離した。

 そのまま、軽く上に上げてーー


 勢いよく下ろした。

 だが、完全に下ろして地面に着いてはいけない。

 ギリギリのところで止めなければ、すぐに次の対応ができない。

 剣が振り下ろされた瞬間、再び右手に力を入れて地面ギリギリでどうにか静止させる。

 

 振る時よりも、止める時の方が抵抗を感じやすい。

 もし、ここで何か切れていたなら、また手応えが違ったのかもしれないが、俺の攻撃の全てが当たるとは到底思えない。

 外したとしても、またすぐに振れるようにしておきたい。


 そして、また剣を持った腕を上げる。

 しっかりとした重さが、手に刺激を与えていく。


 その調子で2回、3回と、振っていくと、首元から汗が滲み出てきた。

 今までに、バットの素振りなどをまともにしたことがなかったが、まさかここまで疲れるものだとは……。


 勢いよく剣を振り、止める。

 その動きを何回か繰り返した時ーー


 背後にある何かが鳴った。

 音は……聞きなれた電子音なんかに近い。

 だが、音程などは初めて聞く感じのものだ。


 一度、剣を壁に立て掛けて、音のなった方へ振り向く。

 すると、完全に存在を忘れていた、魔道電話とやらが細かく振動していた。


 とりあえず、携帯を取るような感覚で、それを手に取ってみる。

 丸い手鏡のように、半分に折るようにして畳まれていたそれを開く。

 すると、予想に反して中には特にガラスなどの装飾はなかったが、しっかりと聞いたことのある声が聞こえてきた。


「起きてたか。ーー私だ。聞こえてるか?」

「えーと、レイナ……であってるよな? 一応聞こえてる」


 最初に飛んできた内容は、日本でも有名な詐欺を彷彿とさせるような内容だったが、流石にこの世界では浸透してないはずだ。

 そもそも、レイナに言われたものだから、それ以外の誰かが出るとはそもそも考えにくいがーー


「悪いな、急な仕事が入った。 今日はそっちの面倒を見れそうにない」

「げ、まじか……。仕事って、どんな感じの?」

「……そうだな、ざっくり言うと、やばそうな動物が出たから調査してほしいみたいな内容だ」

「その動物ってーー」

「今のところ心当たりはない。なんせ情報も具体性がなかったしな」

「それ、俺も着いて行けたりってしないか?」

「…………」

「危険なことはわかってる。けど、何もできないでいるぐらいなら……」

「はぁ、それなら今からそっちに行く。ちょっと待ってろ」


 彼女がそう言い切ると同時に、魔道電話からブチッという音がした。


「えぇ……」


 こっちに拒否権はないのか……いや、まぁ断るつもりはなかったけども。


 いや、それよりも、どういう訳か俺が冒険者になることをどこか嫌がっているように見えた彼女が、俺の同行に賛成してくれたのは良かった。

 ダメ元で頼んでみたつもりだったのだが、案外あっさり通ってしまった。

 意外と簡単な仕事だったりするのか?


 そんなことを思いながら、数分間待っていると、ドアから2回ノック音が聞こえてきた。

 あ、ちゃんとノックするんだーーという失礼極まりない感想は置いといて、すぐに扉を開ける。


「遅くなった。それと、そっちから預かってたものだ」


 開けた瞬間にその言葉が耳に入り、一つの小包を渡してきた。

 受け取って、しばらく待ってみても、特にレイナからは何の反応もなかったので、恐る恐る開けてみる。

 

 布でできた袋の口に右手を突っ込み、そこにある何かを引き出す。

 手ごろな大きさで、手に馴染むような重さだ。

 

 ようやく取り出して、目を向けてみると、そこには無くなっていたスマホと財布があった。


「やっと戻ってきた!」


 数日手から離れていただけでも、懐かしく感じてしまう。

 それほどに、身近にあったものだ。


 レイナの、空いていた手に袋を握らせ、一応状態を確認する。

 まず、スマホの方はーーうわっ……

 

 目に入ったスマホの液晶ーーそこに、大きなひびが入っていた。

 

「そんな……まじかよ…………」

「言っとくが、こっちで預かった時からその状態だった」


 彼女はそういうが、割れる心当たりなんて……あ、


 ーー思い出してしまった。

 騎士団副団長ことセレシアさんと戦った時に、スマホを武器にしていた……。


 念のため、そのひびを指でなぞってみるがーーあれ?

 確かにひびは入っている、それもかなりやばそうなのが。

 それに対し、しっかりと画面は明るくなった。

 さすが現代技術、丈夫にできててくれてありがとう。

 

 そんなことに感謝しつつ、確認しなければならないことを確認する。

 問題の、電池残量はーー32%……か。


 スマホは、まだだれかと連絡できる可能性を残しているし、何か予想外のことに使えるかもしれない。

 電池は少し心細いところではあるが……まだ使えるぐらい残ってるのは不幸中の幸いだ。

 

「確認が済んだんなら、早くしてくれ」

「あ、もうちょっとだけ待ってほしい」


 完全にスマホに夢中になっていたところに、レイナからの指摘が入ってしまった。

 ただでさえ、待たせているんだ。残る財布の確認ぐらいは早くやらなければ……


 あーー


 そう思い、財布を確認しようとした時だ。

 チャックがついているはずの小銭入れの部分から、何枚もの小銭が零れ落ちた。


 次々とカーペットへと落下し、転がって、倒れていく。


 お札が1枚も入っていなかった財布の中身を確認する手間は省けたが、そうも言っいいてられない。

 手を地面につけて、一枚一枚、拾っていく。

 ーーやらかした……

 いくら焦っていたとはいえ……


「はぁ、ダメだなこりゃ」


 そんな、彼女の辛辣な言葉が耳へと入ってきた。

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