第4話 決意と徒労

 


 ーー無駄だった。


 どうにか勇気を振り絞って必死に抗ってきたが、意味なんてありはしなかった。

 

 あの時、優に間接的ではあるが押してもらって、もう諦めないと決意したはずなのに……

 

「クソがっ!」

 

 やりどころのないこの気持ちを、地面へとぶつける。

 手を握りしめ、何度も地面に殴りつける。

 それでも、この気持ちが吹っ切れることはなく、逆に今まで受けた傷口が開き、苦痛が増していく。


「クソが、クソがクソがクソが……クソがぁぁぁ!」


 あと少しでその攻撃の元にたどり着けるはずなのに、大きな壁が行く手を遮っているかのように近づくことができない。

 だが、もう逃げるには近づきすぎた。

 

 後戻りができない道を選んだのは俺だ。

 それなのに、途中で折れて中途半端な結果だけを生み出す。

 今ある情報のみで判断をし、未知を考慮せず決断した。

  

「クソがぁ!」


 もう一度、繰り返す。

 こんな訳のわからないところで、訳のわからない攻撃を受けて。

 きっとこのまま、何もわからないまま殺される。

 本当に何もかもがクソだ。

 今起きていること全てに怒りを感じる。

 

 けど、本当に許せないのは、俺自身だ。

 何もできず、ギリギリになるまで行動すらできなかった。

 大切なことを残してきたのにも関わらず、再び戻るまでの過程を楽観視していた。

 

 もう、何をするにも遅すぎる。

 後悔をしても、結果は何も変わらない。

 ただ、このまま死を待つだけ。

 悠菜にも会えず、なんの目標を達成することもなく。

 あっけなく、無残に、そして残酷にも……死ぬ。

 こんな、どこかもわからない森の中で。


 ……こんな、こんなところで最後なのか?


 ふと、何かが着れたように感情が漏れだしていく。


 死にたくない。

 まだ、生きていたい。

 終わらせたくない。

 やり残したことは山のようにある。

 それなのに、願いの一つもかなえられないまま、こんなところでーー

  

「こんな、ところで……こんなところで……!」


 絶望のせいか、欠如してしまった感情に怒りが入り込む。

 理不尽な攻撃、理解できない状況、何よりすべてが無意味に終わった俺自身。

 

 この時にはすでに冷静さなんて捨て、物事をまともに考えられる状況ではなくなっていた。

 ーーだからなのか。

 立ち上がり、怒りに身を任せて攻撃の来た方向へと向かった。


 もう、どうにでもなれ。


 どうせ、何をやったって無駄に終わるだけだ。


 前を開けていたパーカーが風になびく。

 それでも、スマホとバッテリーが入っているポケットからは確かな重さが感じられる。

 何をやっているのか、俺でもわからない。それなのに、この先どうなるかは分かってしまう。

 けれど、後戻りはもうできない。

 身を投げ出したからには、最後まで抗って、そして散っていくしかない。


 ーーもうすぐ来る。


 そう、確信できた。


 攻撃を食らい続けているおかげで、何となくではあるが感覚がつかめるようになっていた。

 走るスピードを落とさないまま、左ポケットに入れているバッテリーを左手で取り出し、右手に持ち替える。

 その動作が終わるほぼ同時に口を開き、出せる限りの声量で叫んだ。

 

 映画などで、追い詰められた人物が声をあげながら抗ってくること所を見ることは多い。

 その割に、その叫びに意味があるとは感じられなかった。

 強いて言うとするなら、最後の魂の声だろうか。


 きっと、傍から見れば、俺の様子もそのように映るのだろう。

 だが、今に限っては相手により正確に狙ってもらう、という意図がある。

 木々の隙間を通して俺が隠れているところに命中させれるほどの正確さがあるとするならば、次の攻撃で確実に仕留めてくるはずだ。

 

 つまり、この賭けに失敗すれば……死ぬ。

 多分、痛みを感じる間もなく死んで、死体すらきれいには残らない。

 それでも、隠れたままうずくまって、知られないまま死ぬよりマシだ。


 走り始めて数秒、距離にして数十メートルにさしかかったところで左足を前に突き出し、ブレーキをかける。

 足に力を入れて踏ん張ったことで慣性に流されず、すぐに静止した。


 だが、勢いは落とさずに右手を振りかざしーーバッテリーを握っていた指を一斉に離す。

 その直後、前から音速に迫るスピードで光の球のような弾丸が迫り来ているのが視界に入った。


 思った通り、それの大きさは銃の弾のような小さいものではなく、サッカーボールと比べても大きく感じられるほどのものだった。

 よく見ると、何か一つの物体というわけではないらしく、複数の何かが混ざり合った見た目をしている。

 そこへ、俺が投げたバッテリーが一直線に近づいていく。


 ーーどうやら、死に瀕した時に時の流れが遅くなるというのは本当らしい。

 事実、こうやって本来はしっかり見えるかどうか怪しい速度のものが視界に映っている。


 0.01秒、0.1秒と少しずつ進んでいき、ついにその時が訪れる。


 投げたバッテリーと迫り来る攻撃が、空中で強く触れ合う。 そして、その衝撃に耐え切れなかった劣化したリチウム電池が瞬間的に酸化を引き起こし、ガス漏れで膨張した本体が耐えきれなかったためちょっとした爆発が起きた。


 火花が散り、熱風が押し寄せてくる。

 それと合わせて、迫っていた攻撃も散っていくように消えた。


 実際に作戦が成功しても、いまいち実感が湧かない。

 タイミングは何となくわかっていたとはいえ、ここまでうまくいくとは思っていなかったし、何なら寸分狂わずに充てられたことは奇跡に等しい。

 さらに、先ほどの周りのものすべてを吹き飛ばす連続攻撃ではなかった理由もわからない。


 いろいろと考察してみたいところだが、この束の間の喜びに浸っている時間はない。

 止めていた足を動かし、まだ熱さの余韻が残る前方へ進んでいく。


 走って、走って、走ってーー


 本来木が生えていたであろう空間を通り越し、折れ曲がった植物の茎を踏みつけて、ひたすらに走る。

 何も余計なことを考えず、頭を空っぽにして目的地へと向かう。

 

 そして、足元ばかりを気にしていた視界からも木がなくなり、倒木がほとんどになった。

 そこで一度正面を向き直す。

 数本の木しか立っていない、倒木と盛り上がった土で地形が変わってしまっている少し開けた場所。

 そこに立っていたものが自然と目に映った。

 

 何かーーいや、物なんかじゃない。

 人がいる。

 見間違えなんかじゃない。

 

 奥にある巨木が影となっていて見えにくいが、透き通って見える青髪に、それに対比するかのような透鮮やかに感じる赤い瞳。

 そんな目立つ容姿の女性を他のものと見間違えるはずもない。

 年齢はーー俺よりも少し上ぐらいだろうか。

 磨かれた鋼を手や足を覆い、それらを関節部分で高級に見える青い布を配置して作られた鎧を身に纏っている姿は、一言で表すと女騎士のような見た目だ。

 顔もかなり整っていて、こんな状況でなかったら思わず見とれてしまうほどだ。


 ……。

 だが、他に人の姿はない。

 つまり、攻撃していた相手、というのは彼女で間違えない。

 すべての元凶は彼女というわけだ。

 そう思うと、自然と怒りが湧いてくる。

 

 彼女との距離がわずかになったところで、ポケットから最後の武器となるスマホを取り出した。

 今からすることに、ためらいも罪悪感もない。

 ーーあるのは、怒りだけだ。


 そう、だから。

 ーーだから、気づかなかった。

 絶対に気づかなければいけない違和感に。

 

 足のペースを落とすことなく、少しずつ彼女へと近づいていく。

 数十メートル先だったのが数メートル先になり、もうすぐ手が届くところまで来た。

 その勢いを保ちながら右手を振りかぶる。


 そのまま握られたこぶしが彼女の顔向へと向かっていきーー何もない空間の空気を裂いた。

 いや、それだけじゃない。

 地面と接触していた足が、空気という偽りの地面を踏んでいた。


 視界が回り、歪む。

 そんな一瞬にも満たない浮遊感の中、突然全身に鋭い衝撃が走りーー直後、地面へとたたきつけられた。


 ーー!?

 何が……起きーー!


 残酷にも、その疑問に答えてくれる者は誰もいない。

 しかしその結末だけは、横になった視界がーー否、地面に横倒れになっているこの現状から容易に想像できた。

 

 どうなっているのか、何が起きたのか、その過程は知りようがない。

 それでも、このすべてをかけた賭けに失敗したという事実だけは嫌でも理解できてしまう。


 痛い。

 痺れる。

 動けと命令しているのに体が動いてくれない。

 ふと、黒みがかったドロっとした液体が流れているのが目に入った。

 それは、俺の体から出てきている。

 

 ―-あぁ。

 そうか。

 これ、血か。俺の……。

 

 体内から何かが漏れだし、減っていくのを感じる。

 足りないのに、溢れていく。

 そして、それは地面へとしみ込んでいき、褐色の痕を残していくだけだ。


「人!? どうして、ここにーー」


 かすかに、そんな声が聞こえた気がした。


 風の音すら聞こえなくなっていく中、こちらへと近づいていく足音が響いているように感じる。

 気が付けば、ついに痛みすらも薄くなり、感覚という感覚が感じられなくなっていた。

 この一瞬で貧血になったせいか、赤く染まっていた地面は、もう目に映らない。


 ーー結局、失敗した。


 予想通りだった。

 何も残せず、意味もなく死ぬ。

 それでも、最後に立ち向かったおかげか、少しばかりの満足感があった。


 感覚がなくなったのにも関わらず、体内から大切なものが抜けていく不快感だけは残っている。

 もうすぐ死ぬというのに、やはり死ぬのは怖い。


 ーー死にたくない。

 

 改めてそう思った。

 しかしそれも今となっては、ただの妄言に過ぎない。

 

 開かれ、地面しか映らない瞳から、何かがこぼれ落ちる。

 

 ーーせめて、せめて最後に……


「悠菜……にーー」


 会いたかったなーー

 

 ……果たして、その最後の言葉は言葉として成り立っていたのだろうか。


 確かめることのないまま、意識はそこのない暗闇へと沈んでいった。

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