第2話 始まりと攻撃
ーーまぶしい。
意識が覚醒し始めた時、まず思ったことはそれだった。
全身を照らしてくる光が、起きるべき時刻だということを知らせてくる。
まだ眠気が残っているが、こんなに眩しいと二度寝もできそうにない。
体を起こすため、だらしなく地面に垂れていた腕を地面に当てる。
しかし、その手から伝わってくるものは予想したシーツの柔らかさなどではなく、不自然なほど硬い地面だった。
そこでようやく気づく。
ーー!?
ベッド、じゃ……ない。
あれ?
ここ、どこだ?
そもそも、ベッドにいながら眩しいなんて有り得ない話で……
そう疑問を抱くと同時に、これまで感じていた眠気が一瞬で無くなり、飛び起きるように上体を起こす。
そうして、空いた右手で目を数回こすったのちに目を開けた。
視界には、見慣れた寝室にカーテンの隙間から入ってくる僅かな光ーーなどではなく、全く見慣れない光景が広がっていた。
青々と生い茂る木々に、地面の色がわからないほどに埋め尽くす草。さらに、コケや見たことのない植物がそこかしこ生えている。
??
ーー目に入ってくる光景が、全く理解できない。
何もできないまま、唖然とするだけで時間が過ぎていった。
……っ!
……いや、いやいやいや。
そんなことあるはずない。
冷静に考えろ?
朝起きたら、知らない場所で、ましてや森の中。
普通に考えて、ありえないだろ。
そうだよ、多分ドッキリかなんかだ。
そう思いながら、感じてはいけない違和感い気づかないように声を上げる。
「あー、そっちのドッキリは成功ですよ。めっちゃ驚いたし、実際すごい完成度だし。だから、そろそろ種明かしして欲しいんですが……」
寝起きで回らない頭を回転させながら、慣れない敬語で裏で笑っているであろう誰かに向けて話しかける。
だが、数秒たっても声がしないどころか人の気配すら感じられない。
再び静寂があたりを包んだ。
「え、あれ……? ど、ドッキリじゃないのか……?」
そう思った途端、ドッと不安が込み上げてくる。
変な汗が背中から伝っていき、服へとしみ込んだ。
リアクションが悪かった、とかか?
この状況が人為的なものではない、少しでもそう意識してしまったら最後。
これまで見て見ぬふりをしていた違和感が次々に頭に浮かんでくる。
どこか心地いいと思えてしまう木の匂い、肌をそっとなでるように吹く涼しい風。
どこからどう見たって自然そのものだ。
作り物には見えない。
それによくよく考えて、ドッキリだったとしたらこんな場所で俺を寝かしておくだろうか? もし放送しようものなら普通に炎上しそうだし、何よりどうやって俺をここまで運んできたかもわからない。
そんなことが思い浮かべていくにつれ不安は危機感、そして絶望へと変わっていく。
「ーーなん……で?」
ーー何が、どうなってる?
そもそも、なんでこんなところにいるんだ?
俺は、ただちょっと最寄りのスーパーまで買いに行っただけで、それで……。
そこまで振り返ったとき、抜けていた記憶ーー悠菜と会った時のことが頭に浮かんだ。
ーーあの時に魔方陣が現れて。
だから、悠菜ををかばって。
その時、最悪な一つの可能性が頭をよぎった。
そうだ、悠菜はーー
悠菜は……無事なのか?
もちろん俺も悠菜が魔方陣から出るところまで押したはずだが、巻き込まれていた可能性も否定できない。
「悠菜! いるのか!」
そう叫んでみるが、声は虚空へと吸い込まれていく。
周りからは何も聞こえてこない。
…………。
あの時、魔方陣に入っていたのは俺だけだった。
そこから考えると、一緒にここに来ていないとは思うが……。
再び周りを見渡してみるが、人影は見当たらない。
なんなら、俺が肩から掛けていたはずのウエストポーチも見当たらない。
本当は悠菜がすぐ近くで倒れているかもしれないーーそう思ってしまうと気が気ではなかったが、そもそも誰が町で行方不明になった人がこんな森にいると考えるだろうか。
警察に知らせるためにも、俺が悠菜に会うためにも、こんなところに留まっているわけにはいかない。
「進むしかないか……」
ボソッと呟き、一歩踏み出す。
踏まれた落ち葉がパリパリと音を立てて割れていく。そんな音を聞いても、この状況が信じられないままだ。
未だに、向こうの気の奥でドッキリ大成功というプラカードを持ってる人がいるんじゃないかと期待してしまう自分がいる。
それでも、知らない森の中、たった一人で歩いているーーそのことだけは変わりようのない事実だった。
**************************
……あれから、どれくらいの時間がたったのだろうか。
すでに、太陽のある方向は変わっていて、さっきまで照らしていた日光は木の葉に隠れ、薄暗い影を作っている。
道のりは遠く、どれだけ歩こうとも終わる気配を感じられない。
歩いても歩いても景色に変化が見られないせいで、どのくらい歩いたかの実感が湧かない。
ーーあの後、念のため持ち物を確認したが、 あるものはパーカーのポケットに入れていたスマホとモバイルバッテリー、そして財布だけ。
飲み物を買いに行くために身に着けていたウエストポーチは見当たらなかった。
……まぁ、コーヒーぐらいしか入ってなかったからいいんだけどさ。
しかし、こんな極限状態になってしまっては、たかが130円のコーヒーですら惜しくなる。
ーーこれでも、スマホと財布があるだけマシか。
もちろん、片っ端から知り合いに電話を掛けたが誰一人として出てはくれなかった。
それもそのはず、こんな森の中に電波があるわけもなく、スマホの画面の左上には圏外という残酷な文字があるだけだった。
この情報社会になった今、スマホというのは時に何よりも大事な生命線になりうるが、使えないのであれば意味がない。
まぁともあれ、そういうわけなのでどこともわからない森の中をひたすら歩いている。
正直な話、こうして歩き続けていても現実感が湧いてこない。
だから、今のところは、長く歩いていても別に絶望感があるわけでもなく、ただただ疲労感とこの状況に対する疑問が出てくるだけ。
そこら中にある木々の幹、シダのような地味な植物が集まった草むらに、近くにある倒木を埋め尽くすほどのキノコや苔。 視界全体が緑に染まっている。
普段の状況であれば、この様子を聞くだけで神秘的に感じてしまいそうだが、状況も状況なので長い間見てきているので何も感じなくなってきたーーというか、飽きてきた。
いや、飽き……ともちょっと違う。
慣れって怖いな。
強いて言うと、さっきよりも背の高い草むらが増えてきたりはしているが、それはそれで進みにくくなっているだけだ。
というか、冷静になって考えてみると、ただ歩いているだけで帰れるのだろうか?
サバイバルの経験なんてもちろんないし、ひたすら歩き続けられるほどの体力があるわけでもない。
そもそもの話、生きるのには水と食料が必須なのに、水の流れる音すらもまだ聞いていない。
食料はーー木の実でも探すか? てかまず、何が食べれるんだ?
飛行機やヘリが上を通った時、スマホの画面を反射させて助けを呼ぶことぐらいは考えていたが、そんな音も聞こえてこない。
それに、改めて考えると帰ることなんてはっきり言って無茶だ。馬鹿げてる。
ーーここでひたすらに歩くことに意味はあるのか?
ふと、その考えが浮かび、動かしていた足を止める。
それなりの時間歩いてはいるが、出口を見つけるどころか、違った景色すら見えないままだ。
ここにきてようやく、自分のしてきた行動に焦りが生まれ始める。
こんなでたらめに歩くよりも、他にやれることがあったんじゃないか?
まだ日が落ちる気配はないが、それまでに拠点を作ったり、周りを観察したり、できることはもっとあった。
俺は、あまりにもこの事態を甘く見すぎていた。
楽観的に見すぎていた。
それに今更だが、ここが日本だという確証はどこにもない。
不安は、後悔という形で現れ、簡単に消えることはない。
しかし、そんな意味のない過去への葛藤の時間はーー1つの後ろの方から聞こえた音によって強制的に終わらせられることになる。
体が震えた。
心臓が、かつてないほど大きな音を立ててなっている。
木の枝が折れた時の音ーーそれすなわち……、
ーー後ろに何かがいることを意味している。
それも、ほとんど気配を感じさせずに近づいてきている。
普段汗をかかないようなところから汗が湧き出てきて気持ち悪い。
もしかして、人か? ーーと、淡い期待を抱いてみるもののそれならば声をかけてこないのはおかしいし、悪趣味な悪戯でもない限り気配を消してきたりはしない。
ということはーー
脳裏によぎる可能性を確かめるべく、恐怖のあまり固まってしまった体を無理やり動かして、音のした方向へと目を向ける。
すると、そこにはいた。
全長は1メートル前後。木の影のせいで見えにくいが、狼のような獣が一匹襲うでも逃げるでもなく、数十メートルほどの距離からこっちをじっと見つめていた。
いるのは数十メートル先だが、きっと追いつかれるのは一瞬だ。
やばい……
あんなのに襲われたら生きていられるかも怪しい。
直感的にそう判断し、音をたてないようにそっと顔の向きを直す。
そして、出せる限りの速さで走り出しす。
……やばい、やばい。あれは絶対にやばい。
全力で足を動かし、前にある倒木を飛び越えて、行き先を塞いでくる木を避けながらひたすら進んでいく。
何かの間違いだったと思いたい。
実はたまたま近くにいただけで、敵意はまったくないとかがあるかもしれない。
後ろを見て確認したい。最悪、追ってきてるとしても、どのぐらい距離が開いているのか確認したい。
それなのに体が、本能が、振り向くことを拒んでくる。
まるで、振り向いている時間などないと訴えかけているようだ。
走る。走る。必死に足を動かす。
あの獣と、少しでも距離をとれたか?
それとも、まだーー
今、この場において逃げる以外の選択肢など存在しない。
少し足を止めただけでも命に関わる可能性がある。
けれど、危機に瀕しているのに状況がわからないーーそれだけでも体力が自然と失われ、精神がすり減っていく。
走らないといけないとはわかっている、振り向いちゃダメなことぐらいわかってるーーそれでも、あの獣がどこにいるのか、潜んでいるのかがわからない。
そう思っただけで、もう気が保てなくなりそうだ。
そして、ついに限界が来た。
襲われる恐怖、どこにいるのかわからないという恐怖、全く状況がつかめないといった恐怖。
それらの恐怖という圧力に心がついに耐えられなくなり、体の制止を振り切って振り向いてしまった。
そこにある光景は、絶望か。
はたまたそれすらも感じられないまま終わるのか。
ーーその答えは、振り返った俺自身でも予想していないものだった。
その驚きにつられ、動かしていた足を完全に止める。
あの獣がすぐ近くにいる。さっきまでずっとそう思っていたが、目に映る限りでそんなものいなかった。
少し前と同じ、面白みのない木々だけ。
それがわかった瞬間、自然と足の力が抜け、弱弱しく地面へと座り込む。
逃げ、きれたのか?
いや、そもそも追ってきてすらいなかったのかもしれない。
ともかく、理由はどうあれ逃げ切ることはできた。
助かった……。
バクバクとなりっぱなしの心臓、そして、いまだに震える体。それらを落ち着かせるため、息を大きく吸い、吐き出した。
その直後だろうか。
ふと、真後ろで何かが落ちたような小さな音がした。
反射的に首を後ろへと回すと、黒い塊があった。
黒い、黒い毛だ。そこからは、長く細い手足が伸びている。
さらに、目の前にあるのは2つの光ーー眼球。
その物体が生物だとやっと視認できたと同時に、左腕にチクッとした痛みが走り……
「あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ!!」
鋭利な何かが突き刺さった。
言語の域から外れた悲鳴が、森に響き渡る。
急いでもう片方の手を動かして左手に食らいついた何かを振り払おうと必死に踠く。
だが、それでも未だ腕に深く刺さっているものは抜けない。
血が滲み出て、痛みが大きくなっていく。
そこで見えてしまった。
腕から離れてくれない黒いものの中から、黄ばんだ白の牙がのぞき、着ていたパーカーを貫通して腕へと刺さっている。
そして、その腕の先。2つの眼球と目が合った。
黄色い瞳の中の黒目が腕の方からこちらへ向いて……。
「うわああああぁぁぁぁぁぁ!!」
さっきの獣が腕に嚙みついているーーその事実を冷静に受け止められるわけもなく、みっともない声を出しながら反対側の腕で、力の限り獣の頭部を殴る。
殴ったときの衝撃で牙がさらに深くめり込み、えぐれるように肉を割いていくが、もはやそんなものは関係ない。
どんな感情、感覚よりも恐怖が勝り、痛みすらも忘れてしまうほどの恐怖が体を支配していく。
数発殴ったところで、やっと獣がうろたえ、牙が腕から抜かれた。
そこから、血がボタボタと零れ落ちていく。
ーー俺の、血だ。
目の前に広がっていく赤い水玉、そして黒い毛皮で身を包んだ獣。
それらは『死』を感じさせるには十分すぎた。
「逃げ、ないと……」
震えた唇から、かすれた声が漏れた。
「逃げ……」
その言葉を言い切る前に、どうにか力の抜けきった足を踏ん張り、ちょっとでも獣から距離を取ろうと走り出す。
うまく呼吸ができず、足もおぼつかないが、ひたすら突き進む。
『死』が、見えてしまった。
『死』が、すぐそこまで迫っていた。
ーー死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない…… 死にたく……
必死になって、死に物狂いで走り続ける。
だが、先にはゴールどころか希望すら見えてこない。
なんで……
なんで、なんで、なんで!!
なんで、俺ばっかりこんな目に合わないと……
後ろから、気配を感じる。
もう、相手は隠す気がないらしい。
ずっと、ずっと、後を着けられている。
視界に入った木が近づいていき、追い越す。そんなやり取りをもう何回やっただろうか。
走って、障害物があったら向きを変えて、また走り出す。
息が続かない。
苦しい。
横腹が痛む。
それでも、止まってしまったら、もう先はない。
走って、走って、走ってーー
だが、そんな努力むなしく、気配は遠ざかるどころか近づいてきている。
そして、不意に背中に体重がかかり、前のめりに倒れた。
口の中に土の味が広がり、地面と衝突した部分がひどく痛む。
ーーしかし、今はそんなもの関係ない。
すぐさま、両手を使って立ち上がろうとするが痛みを感じるほどに強く押さえつけられ、びくともしない。
何もできないまま獣独特の匂いが少しずつ強烈となっていき、呼吸音が聞こえるまでになった。
怖い。死にたくない。
確実に死が迫っていた。
普通なら、叫んで少しでも生き残る可能性を探って抗っていただろう。
けれど、声が出ない。唇が動かない。
ほんとに、何もできずに、死ぬ…………
涙が、ほんのわずかな距離を落ちて、そのまま地面へとしみ込んでいく。
背後の獣からは、呼吸音だけではなく、涎をすする音も聞こえるようになった。
もう、俺のことを餌としか見ていない。
ただ、体をかじられるのを待つ。
獣の口が首へと向かい、喉を切り裂くーーその瞬間を予想していたが、突如かけられていた体重ががなくなり、体が軽くなった。
ーー?
助かった……のか?
しばらく待ってみても、獣がいる様子はない。
それどころか先ほどまで感じていた気配が完全に消えている。
いなくなったーーそう確信して顔を上げる。すると、心地良い風が立ち込め、自然の済んだ空気を感じられた。
何が起きたかなんてわからない。
どうして助かったのか予想すらつかない。
けれど、今この瞬間に生きている。
それだけで信じられないほど、うれしかった。
だが、あの獣がまた戻ってくる可能性もだって否定できない。
せっかく助かった命だ。この湧き上がる感動をかみしめていたらまた 襲われましたなんて嫌すぎる。
そう思い、立ち上がろうとした時だ。
すぐ近くで爆音が轟いた。
そして目の前を拳ほどの大きさの物体が、ものすごい速さで通り抜けていく。
それが音がした方向に立っていた木の破片だと気づくまでに数秒もの時間を要した。
ーー!?
何が起きた?
これ以上、何が起こるっていうんだよ……
分からない。
理解できない。
……理解、したくない。
だが、理解しようとしなくても、おおよその見当はついてしまう。
この自然界であれほどの音、そして威力を出すものなんて存在しない。
つまり、考えられることは……
ーー攻撃だ。それも、人工的な、何かの。
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