第1話 終わりと始まり

 ーーふと、声が聞こえた気がした。

 俺がよく知ってる、どこか聞き慣れた声が。


 一度、立ち止まって周りを見てみる。

 しかし、目に入ってくるのはすっかり暗くなった夜道だけ。


「気のせい、だよな……?」


 疑問が残りながらも、小さく呟いて振り向いていた顔を前に戻す。

 そもそも、時間はもう午後10時近い。

 こんな時間に大通りから外れたこの道を歩く人はそういないだろう。

 いたとしても、どうせ酔っ払いかその辺ぐらいだ。


 それに、こんな時間にここまで聞こえるような声を出すって、冷静に考えておかしいもんな。


 やっぱ気のせいだよな?


 ……あれだ。なんか車の音とか、近くの住宅から漏れた声とかに違いない。

 うん。

 多分そうだ。

 絶対そうだ。


 そう自分に言い聞かせつつ、さっきよりも速度を上げて歩く。 


 ……正直なところ、オカルトだとか怪談とかそういうのは得意ではない。

 どちらかといえば苦手だ。


 たまに好奇心に負けて、動画配信サイトでそういう特集を見てしまうがーーだいたいその後は真夜中の鏡とか押し入れの戸の隙間とか見たくなくなる。

 あのトラップ本当にやめてほしい。


 一応、こんな暗くて人気のない道じゃなくとも大通りを使えば問題なく帰れるのだが、それだと遠回りになってしまう。

 ……こんな、意味のわからない気のせい案件で余計に歩かないといけないとか、絶対に嫌だしな。

 

 ーー。

 ーー。


 まぁそれに、この程度でビビってたらこの道通れなくなるし。


 ーータッ

 ーータッタ


 そもそも? あの声は気のせいのはずだし?


 ーータッタッタッ



 ーーあれ?

 なんか、音がする。

 足跡……だよな?


 しかも、なんか近づいてきてる気がする。 

 あれ? なんかやばくね?


 数学で解けない問題があり、気分転換で飲み物を買いに行ったのが運の尽き。

 その音は、間違いなく俺の元へと向かっていた。


 あ、絶対足音だ、これ。

 

 ーータッタッタッ


 うん逃げよう。

 これダメなやつだ。

 八尺様、切り裂き女、その類のやつだ。


 直感的にそう思ったときには、後ろの確認すらせずにほぼ全力で走りだしていた。

 

 何かの勘違いーーそう思いたい。

 思いたいが……少なくとも、さっき見た時には誰もいなかった。

 じゃあ、何がーー

 やっぱ怪異か? 幽霊なのか!?



「はぁ、はぁ。ま、待ってよ……」


 そんな思考を、俺がよく知る声が遮った。

 思わず、振り向いてみると、そこには見知った人物が立っていたーー否、膝に手を当て、顔を地面に向けたままその長い髪を垂らしていた。

 

「悠菜?」


 反射的に彼女の名前をつぶやくと、少し遅れて返事が帰ってくる。


「はぁ、ケイト……足、速すぎるよ。全然追いつけないもん」


 そう言いながら彼女は顔を上げ、俺の方へ向き直す。

 

 彼女ーー木崎悠菜は俺の高校の同級生だ。

 とは言っても彼女の誕生日は3月後半、対して俺は4月前半ということで誕生日だけを見るとほぼ他学年なのだが。


 今は走ってきたせいで息を乱してバテてはいるが、肘の高さまで降ろされた黒髪にぱっちりと開かめた目。それは、疲れ果てているこの状況ですら可愛いと思えるものだった。

 そんな容姿は、俺が見た人の中でも群を抜いて整っている。

 クラスの中でも、中心人物とまではいかないものの、誰にでも明るく接しているその態度から人気は高い。


 つまり、一言でまとめると優しくてかわいい。


 一方、この俺こと『三河恵斗』なんて、どこにでもいる一般学生だ。

 悲しいかな、誰かの人生のモブでしかない。


 そんな俺だが、もしも今この状況を他の人に見られていたら、甘酸っぱい恋人関係とかに見えるのかもしれない。

 だが、現実とは非常である。

 残念なことにそうではないのだ。


 俺みたいなどこにでもいるような奴と、こんな美少女が付き合ってるわけがない。

 

 しかし、それはそれこれはこれだ。

 付き合っていないからと言って、彼女のことが好きではないかと聞かれるとそれはまた話が変わってくる。


 悠菜のような女の子は誰にでも平等に優しさを振り撒く。

 だから、それを思わず好意と受け取ってしまう輩も一定数いる。


 本来なら俺だって、そんなことわかって早々に諦める。

 ただ、前に彼女から聞いたとある言葉が頭から離れてくれない。

 そんなことを聞いてしまったら、意識しないという方が無理な話だ。

 

 ……まぁ、そのことは今置いとくとして、聞かなければならない。

 

「なぁ、悠菜」

「何?」


 彼女は、特に気にする様子もなく俺の言葉に反応して顔を向けた。

 その動作を見届け、ずっと気になっていたことを聞くため、口を開く。


 「お前さ、どっから来たの?」

 


 *************************


 

 どうやら、世界というのは俺の思っている以上に広いらしい。

 俺の知見が狭いと言えばそれまでなのだが、まさか数年間通ってきた道に知らなかった抜け道があったとは。


 彼女が言うに、その抜け道から俺の姿が見えたから急いで追ってきたという。

 俺の知っている抜け道は少し走って追いつけるほど近いところにはない。

 そのため、知らない道があるのはほぼ確実なのだが……どこかが引っかかる。

 でも確かに、彼女がウソをついてるとは思えない。

 そもそも、ウソをつく理由もない。


 ま、そのことはまた次に来た時に確かめればいい。

 そうだ。

 どうせ明日か明後日か、またここを通ることになるんだ。わざわざ悠菜がいる時に引き返して探す必要なんてないよな。


 そんな結論に達し、違和感を残しながらも前を向き直る。

 そして、前を歩く彼女を呼び止めようとした時だ。


 ーーん?


 あれ、気の……せいか?


 何か一瞬、彼女の足元が光ったようなーー


 そんなことあるはずない。

 あるはずない……のだが、どうにも嫌な予感がしてしまう。

 何かの見間違いかと思いたいが、こういう時の嫌な予感に限って当たってしまうものだ。

 

 不安に思いながらも、もう一度地面に目を向ける。

 直後、合わせたように異変が起こり始めた。


 どうやら、嫌な予感が当たってしまったらしい。

 こんな時に限って。


 彼女の足元ーー地面に青白く光る1メートル以上はありそうな円が突然と描かれる。

 そして、すごい速さでその中に青白く光る線が伸びてつながり、何かの模様を作り出していく。

 

 ……何だ? 何が起きてる?

 

 頭の中で必死に起きている事象を既知の存在に当てはめようとするが、無駄に終わる。

 目の前で何が起きているのか、起きようとしているのか。

 見たことも、聞いたこともない。

 

 ……それでも、良いものではないことぐらいはわかる。

 本能が、直感が、危険だと警告を出している。

 

 だからーー


 広がっていく光が魔方陣だとわかったときには、すでに前に飛び出していた。


「悠菜!!」


 頭によぎる可能性、選択肢、その全てを振り払って彼女の背に手を当てーー力いっぱい突き飛ばす。


 彼女は俺の声に反応して振り向こうとしたようだが、それを俺が遮った。

 

 もともと彼女には、俺の隠しきれてない想いなど筒抜けだったのかもしれない。

 そして、知らないうちにそれに応えていてくれたのかもしれない。

 俺が違う行動をしていれば、さらに親密な関係になっていたかもしれない。

 もし、俺が少しでも気持ちを伝えられていたら……


 ーーそれでも、俺は言葉に……形に、示さなかった。

 まだ時間はあると、この関係が続いていくと、理由にすらならない言い訳を吐きつ続けて……

 結局は勇気がなかっただけなのに。

 

 ……いや、やっぱり今は、今に限ってだけは、これでよかった。


 もしーーもしも言っていたら、その言葉は永遠に彼女のことを付き纏い、離さないかもしれないからーー苦しみを与える毒になっていたかもしれないから。


 ま、多分これは俺の思い上がりに過ぎないんだろうな。

 いくらなんでも考えすぎだ。

 世の中、そんな都合よくできていない。


 そうだ。思い上がりで済むなら……それが一番いい。


 最後に、もう一度彼女の方へと目向ける。

 光に包まれているせいか、空の色も、地面の色もベタ塗りしたように染まっていてどこがなんなのかもうわからない。

 それでも、彼女の姿だけはちゃんと見えた。


 ……きっと、彼女が再びこっちへ振り向く時には全て終わっているんだろう。


 どんな形になるかはわからないが、やはり俺の嫌な予感は予想外の形で実現してしまった。

 その証拠にどういうわけか、青白い光に包まれてわかりにくくはあるが、体がだんだんと薄く、消えかけている。


 それを確認した瞬間、止まっているようにゆっくりだった時間が突如動き出した。


 ーー『死』


 なにも見えなくなってく中、その言葉が脳裏にはっきり刻まれる。

 どうやら、時間はもう待ってはくれないらしい。


 ーーせめて、悠菜だけは。


 何も見えなくなり、何も聞こえなくなり、今にも途切れそうな意識の中、ただそれだけを思っていた。

 孤独へと近づいていく中、それだけを願い続けた。


 そして……


 俺ーー三河恵斗は、光り輝く魔法陣と共にこの世界から姿を消した。

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