翠の祭壇

 目覚めて最初に感じたのは、身体を伝わる柔らかな感触だった。

 まるで旅先の高級ベッドのような感触に、どうせなら二度寝してしまおうと落ちていく意識。

 だがその瞬間、脳裏に過ぎった記憶が意識を強引に覚醒させ、上半身を起こさせる。


 ……そうだ。確か俺は穴から落ちて、それで意識を失って──!!


 すぐに周囲を確認しようとするが、薄暗くかび臭い空気につい顔をしかめてしまう。

 

 そこはまるで洞窟の中。獣臭の充満する洞穴や下水道とも違う、ただ湿気に侵されただけの場所だ。

 起きるまで寝ていられたという事実。そして鼻と耳、更には肌から伝わる感覚。

 以上二つで目下危機はないのだろうと、そう推測しながらゆっくりと瞼を開き──現れ出でた光景に思わず絶句してしまう。

 

 無数に置かれた石のような、けれども中を仄かに緑の光が脈打つ柱。

 俺を──より正確に言えば、俺のいる場所を取り囲むように敷かれ、破かれたように開いた無数の銀色の玉。

 そして正面の一本の道の先には、何かを祀っていると否応なく理解出来る祭壇。

 洞窟と呼ぶにはあまりに人工的で、けれども人が創ったと思えぬ歪で理解の及ばぬ空間だった。

 

「んだ、ここ……?」


 呆然としながらも直ぐさま立ち上がろうとしたが、下の床に足を取られてよろけてしまう。

 周りを見れば分かる。俺が寝ていたこの場所だけ明らかに材質が違う。

 更には俺の真下──この柔らかな床の中心に描かれた×印は、まるで誰かがここに落ちてくると最初から予測されているかのよう。

 

 ますます意味が分からない。王都の下に、こんな所があるなんて聞いたことがない。

 いや、そもそもここは王都の下なのか? 本当に落ちてきた先なのか?

 上を見上げても天井はある。あれが幻覚でもない限り、降ってくるなんてことは不可能なはずだ。

 ……駄目だ分からん。全力でジャンプしても届かないし、そもそも幻覚でもあの深さの穴を這い上がるなんて俺には無理だ。

 

「……ともかくまずは探索だ。出る場所を探さねえと」


 そうだ。例えここが何処だろうと、こんな所で燻っている場合じゃない。

 俺は王都に、光の翼ローゼンタークの仲間達がいる拠点へ帰らなくては。

 やることだってたくさんあるし帰らなきゃいけない理由だってある。……それにあんまり遅くなると、セリスのやつが本気で許してくれなさそうだしな。


 早々にやることを決め、軽く跳び、固い地面をと着地してから軽く身体を解す。

 しかし気味の悪い場所だ。玉といい空気といい、この場にいるだけで滅入ってきてしまう。

 せめて剣の一本、短剣さえあればもう少し強気に踏み出せるのだが。

 ……いや、無い物強請りはなしだ。不安ではあるが、素手でもやれないことはないしな。


「しかし広いし気味が悪い。大体何なんだこの玉は。卵か?」


 指に火を灯し、息を吹きかけ周囲へ散らして明かりを確保。

 そしてこの空間における唯一の道──正面の祭壇へ続く道を歩きながら、周囲に敷かれた玉々に顔をしかめてしまう。

 何かの卵かと思ったが、それにしては随分と無機質で何かの魔道具みたいに思えるそれら。

 全てというわけではないが、一部の中が滑りを帯びている。仮に卵だとするのなら、もしや最近孵ったものもあるのか?


 ……いや、やはり生物の痕跡も気配もない。

 孵ったばかりであれば幼体のはず。そんな状態で俺の索敵をかいくぐれるやつの存在……正直な所、存在すら想像もしたくはないな。


 鳥肌が立ってしまった腕を擦りながら、それでも足を止めることはせず。

 そしてようやく祭壇の目前へと辿り着き、そのままゆっくりと階段を上がっていく。

 

 柱や壁の中を流れる緑で凝縮されたような石で、それこそ芸術品のように丁寧に積み上げられた祭壇。

 その階段以外の至る所に彫られた紋様は、それら全ては柱などと同様に、いやそれ以上にどくどくと脈打っているようにも錯覚してしまう。


 まるでこの祭壇自体が巨大な宝。

 もしも王都で鑑定に出せば、一生どころか三生くらいは遊んで暮らせそうだな。


「……シナナンさんが見たら、きっと興奮しまくりなんだろうな」


 この場にいない仲間の一人、遺産愛好家フェチ獣人ビースターの顔を思い出してしまう。

 これらの紋様が文字なのか絵なのか、或いは意味なんてない飾りなのか。

 学のない俺には分からないしそこまで興味も抱けないが、きっと彼女であればここに齧り付いてでも調べようとするのだろう。

 

 そうして仲間のことを考え、気が紛れて少しだけ足取りが軽くなり。

 最後の一段を上り終え、祭壇の頂上へと辿り着いた俺は、ふと後ろへと振り返ってみる。

 

「うっわ玉だらけ……きもっ」


 見下ろした先には無数の、それこそ数えるのすら億劫になる数の玉。

 先ほどから多いのは分かっていたが、いざ俯瞰するとここまでたくさんあったのか。

 それにしても高い。そこまで上がった気もなかったがえらくそう感じてしまう、場所のせいか?


「……で、何なんだろうなあれ」


 振り返るのも程々にと、前を向き直し、そこにある中で一際目を惹く物体に疑問を零す。


 頂上の中心に置かれた台座。そこに祀られるように置かれた卵のような物。

 下にあったのより少し小さく、けれども明らかに特別だと直感が囁いて仕方ない純度の緑の殻。

 ……いや、これはグリーンというよりエメラルドか。

 それこそ祭壇の材質とも違う、この空間では唯一にして異質な色に染められた玉がそこにはあった。

 

 卵の下へ近づきながら周囲を見回すも、他にめぼしい物はない。

 となればこの祭壇はあの翠の卵を置くための、崇めるための場所。そうとしか思えなかった。

 

「さてどうしよう。触れるべきか、見て見ぬ振りをすべきか」


 先ほど見下ろした際に確認したが、この空間に出口などない。

 しかし完全な密閉、なんてことはあり得ない。もしそうであれば、あの気持ち悪いほどある銀の玉から出てきた何かが必ず目に付くはすだ。

 つまり俺が取れる択は二つ。今すぐにこれを調べるか、それともあるかもしれない出口のためにこいつを放置し下へ降りるかだ。


 これに触れば何かが起きると、三年の冒険者活動で養ってきた勘はそう囁いてはいる。

 無視して降りたところで隠された出口が見つかる確率も低い。再び階段を上る際の疲労まで考えれば今触れるべき、いやでも剣もない状態でそれは流石に浅慮──。



『──おいでおいで、そこな人』



 双方のリスクを考慮し、消極的だが安牌である後者に傾きかけた、その瞬間だった。

 どこからか語りかけてきた声。耳ではなく、脳へと直接話しかけるような囁きに身構える。

 

「誰だッ!! 出てこいッ!!」


 唐突すぎる恐怖との直面に、両手に炎を宿しながら、無駄だと分かっていても叫んでしまう。

 声量的にすぐ近く。なのにまったく気配なんてなく、声の瞬間ですら微塵にも感じなかった。

 今攻撃されていたら死んでいた。その事実に思考が追いつき、どっと冷や汗が湧き出てしまう。


『おいでおいで。触れて触れて。契約を、其方の手をこちらへ』


 また聞こえてしまう。死神の足音が、俺の尊厳を弄ぶ悪魔の声が。

 けれどもやはり姿は見せず。影も形もなく、命を奪うべく襲ってくることもない。


「まさか、あの卵か……?」


 全力で警戒しながら荒んだ呼吸を持ち直そうとして、ふと突拍子もないことを思いついてしまう。

 あれがもし本当に卵だとして、下の銀色版みたいに何かが入っているとして。

 そうであれば、その可能性は決して否定できるものではなく。むしろこの孤独な空間で最も可能性の高い答えになるのではないか。


 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、それでもちらりと翠の卵へ目を向けてしまう。

 決して動くこともなく、先ほどまでと変わらずそこに佇むだけの卵。それだけであるはずの物。

 それなのに、何かが違う。決定的に異なる雰囲気を、それは漂わせている。

 

「……行くか」


 乗るべきか、それとも無視するべきか。

 問いは脳をぐるぐると巡った後、先ほどまでの迷いなど嘘のように早く決断を下す。

 根拠はない。それどころか、信じるに値する材料の一つすらない。

 けれど不思議とそうしようと思えた。この誘いは受け入れても大丈夫だと、そう思えてしまったのだ。


『契約を。私を彼方かなたまで、連れていって』


 三度目の声なき言葉に、目の前の卵を見下ろしながら大きくため息を吐く。

 やはり見立ては間違っていなかった。この訴えの主は、この正体不明の卵だ。

 

「契約すれば、ここから出られるのか?」

『契約を。契約して。手を置いて』


 絞り出した問いに卵は答えず、自らの主張を一方的に宣うのみ。

 散々語りかけてきておいて都合の悪いことはだんまりとは、まったくむかつくことこの上ない。しても良いのなら、ここから下に投げ飛ばしてやりたいくらいだ。

 

 それでも。そんな憤りを覚えつつも、俺はゆっくりと手を伸ばす。

 契約の重さは仲間から散々教わった。古今東西、魔法非魔法問わず自らに課す絶対の縛りだと。

 

 こいつの正体は知らない。そもそもこの契約が、何を意味するのかさえ見当が付かない。

 だがそれがどうした。今はそんなことを気にしている場合ではない。

 俺は帰らなければならない。共に上を目指す仲間の下へ、まだ謝れていないセリスの下へ。

 そのためなら、契約の一つや二つくらい構わない。代償なら後でいくらでもくれてやる。


『さあ答えて。貴方が望むのは何?』

「剣と道だ。寄越せ、仲間の下へ帰るための力を」

『──嗚呼、き答えよ』


 はっきりと答える。その直後、翠の卵は俺の願いに応えるように強く光り出す。

 殻の色と同じ、思わず目元を手で塞いでしまうほど眩い緑光。

 もしも自身の火で慣らしていなければ、しばらく目が使い物にならなくなっていたかもしれない。それほどの光度。

 そして放出された光は卵のあった一転へと収束されていき、数秒の後に輝きは失われる。

 

「……剣?」


 ゆっくりと目を開き、何が起きたのかと確かめる──そんなこと、するまでもなかった。

 そこにあったのは先ほどまでの卵ではなく、一本の剣だった。

 鞘はなく、卵の外殻と同じ翠の刀身は硝子のように透き通り、宝石のように煌めいている。

 そして特別なのは外見だけじゃない。竜の骨で作られた兄貴の双剣や聖剣と同等、いやそれ以上に圧倒される存在感を醸している。


 聖剣や魔剣の類。……いや、もしかしたらそれ以上の何かかもしれない。

 ゆっくりと、けれども理性は確かに警鐘を鳴らしてくるが、抗いようのない好奇と本能で手は伸びてしまう。

 冒険者として、そして一剣士として触れてみたい。例え罠だとしても、そうするだけの価値と力を秘めた一振り。少なくとも、俺はそう確信している。

 

 そうして剣へと翳された手は一度小さく躊躇うも、次の瞬間にはがっしりと柄を掴む。

 その瞬間、自身の中に流れ込んでくる何か。

 暴力的な力の本流に手を放そうとするが、離れることを許さないとでも言うかのように握る手が緩んでくれない。

 

『契約はここに。最早曖昧な彼方へ。嗚呼、わらわはそのために──』

「っは! はっ、はあッ……」


 しかし奔る誰かの言葉が最後まで続くことはなく。

 爆発的なまでに暴れた不可思議は消え、俺以外の音がない静寂へと戻ってしまう。

 

「今のは、幻覚……?」

「──あるわけがなかろう。幻聴幻覚、一泡の夢幻ゆめまぼろしであるはずなど」

「!?」


 元凶である翠の剣はぴくりとも動かず、先ほどまでの何かの一端すら発してこない。

 だから気のせいだと少しでも思おうとした瞬間、どこからか吐かれた呆れ混じりの失笑に剣を構え、上を向く。

 不思議なほど軽く、けれども愛剣と同じくらい違和感を感じさせない腕心地。

 だがそんなことはどうでもいい。剣の善し悪しよりも先に、優先すべきは急に現れた声の主についてだ。


 見上げた先、そこにいたのはまごう事なき人。

 深く鮮やかな翠で染め上げられた、上等なこと以外何も分からない布で身を包んだ黒髪の少女は空へと漂いこちらを見下ろしていたのだから。

 

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