外に出て

「まったく鋭い目じゃのう? 仮にも契約した間柄、そう怯えんでもええじゃろうに」


 愛らしい声ではあるが、えらく古風な言葉遣い。

 空に浮く黒髪の少女は、こちらの警戒にため息を吐きながらふわりと着地し身体を解ぐしていく。

 この場にそぐわない、俺の警戒などお構いなしな軽い調子。

 その仕草を美しいと思ってしまった。柄にもなく、そんな感傷を抱く場合でも無いというのに。


「あー心地好いのう。何時ぶりかは知らんが凝り固まって仕方ないわ」

「……何者なんだ、お前は」

「ん? 何じゃお主、気付いておらんのかえ? 今その手で強く握りしめ、あろうことか儂自身へ切っ先を向けているじゃろうに」

「……えっ?」


 震えながら発した問いに少女は呆れたように答えてくるが、その意味をすぐには理解出来ない。

 握っている? 向けている?  

 どういうことだ、何を言っている。俺が今握っているのは剣でお前なんかじゃ……剣だけ?


「まさか、この剣……?」

「然り。そのけんこそが我が本体。お主が願い、わしが応えた形。そういうことじゃな」


 一通り解し終えたらしい少女は、片方の裾を口元に当てくつくつと微笑みを見せてきた。

 この剣だということは、それはすなわちあの翠の卵でもあるということ。

 ならばこいつは何なんだ。以前どこかで聞いた、物に宿る精霊スピリットってやつなのか……?


「とは言っても、わしは何も知らんがな。ここが何処でわしは何なのか。……うん、生憎とさっぱりなのじゃ」

「……はっ?」


 何者だと、そう問おうとした矢先、彼女は俺の次へ被せるようにそう告げてくる。


「……何も知らないってのはどういうことだ。お前がこの剣だとすれば、あの卵なんだろ?」

「卵? ああ、さては休眠状態をそう呼んでおるのか。くっくっ。まあ確かに、言い得て妙かしれんのう」


 くつくつと、何が面白いのか小さく微笑する彼女。

 そんな彼女に少しばかり毒気を抜かれてしまいそうになるも、直ぐさま気を引き締め直す。

 

「記憶喪失。まあ今のわしを一言で表すのなら、そんなところじゃろうな」

「記憶、喪失……。つまり、何も覚えてないのか?」

「そうじゃ。ともあれ続きは、ここから動きながら話すとするかのう?」


 跳ぶことなく、ふわりと再び地面から浮いた彼女は、その美しい黒髪と服を翻しながら進み出す。

 俺が上ってきた方とは逆。軽く見渡しただけでは気づけなかったが、奥にも階段があったのか。


「さてあるじよ。何から話そうか」

「……言いたい事は山程あるが、それよりもまずは名前だ。何て呼べばいい?」

 

 先に進む少女に警戒は解かず、されどひとまずはと剣を下ろして付いていく。

 どうやら敵対の意志はないらしいが、いつ背を向いて殴りかかってくるかは分からない。

 とはいえひとまずは情報収集するべきだろう。記憶を失っているとかほざいてはいるが、話していれば0が1くらいにはなるはずだ。

 

「名か。ふむ、定石じゃが肝心じゃな。背中を預けるにしても肩を並べるにしても、おいやお前じゃ馴れ合うことすら叶わんからのう」

「……向かい合う時、じゃないのか?」

「信用ないのう。あえて乗るならそれはお主次第、というやつじゃよ? あるじ様や」


 上り同様に急な階段を慎重に下りながら、少し強きに会話を続けていく。

 これを挑発ととるならもう仕掛けてきているはず。となればやはり、敵対する気はない……のか?


「……さっきからあるじと呼ぶが、それはどういう意味だ?」

「契約したじゃろうが。今更なしにしろとは言わせんぞ?」

 

 少女がぐいっと顔の目前まで迫ってきたので、危うく剣を振りかけてしまうのを自制する。

 危ない危ない。まだ疑惑止まりなんだし、そういう心臓に悪いことはしないでくれ。斬られても文句は言えねえぞ?


「嗚呼、ちなみにわしには当たらんぞ? あくまで実体はその剣故な?」

「……筒抜けかよ。心でも読めんのか」

わしを厭らしく握るからじゃ。ま、隠蔽された殺意までは読み取れんがのう」


 全部お見通しと言わんばかりにくつくつと、悪戯が成功した子供のようにやけてくる少女。

 そのあざとい顔に少しだけ動じてしまうも、すぐに首を振って切り替える。

 しかしやられっぱなしはつまらないしむかついてくる。何か反撃する手は……あ、そうだ。


「ん、ちょっとめぃ! そんなにさわさわしてはむず痒いわ……!!」


 剣の握る部分を優しく撫でてみると、少女は余裕から一転何かを堪えるように顔を歪めてくる。

 おっ、上手くいった。こいつがこの剣だっていうなら効くと思ったんだ。

 こういう場合、主導権を握られっぱなしというのはいけないからな。……まあセリスが見たら怒りそうな絵面ではあるが、今は気にしないでおくとしよう。


「……主様は酷いのう。このような女子おなごを辱めよって」

「容姿は良いが、それでも剣だろ。お前」

「だとしてもじゃよ。まったく、果たして何人の女を泣かせてきたんじゃろうなぁ……」


 うるせえ。もう一度擽ってやろうか?


「で、何なんだよ名前。もったいぶらずに教えろよ」

「他ならぬお主が遮ったんじゃろうが。……ま、答えるべき名も忘れてるんじゃがのう?」

「まじかよ。じゃあ緑女みどりおんなでいいな?」

「手に持った剣に酷くないかのう? ……そうじゃお主。あるじとしての初仕事じゃ、わしにピッタリな名を付けてみせぃ」


 如何にも名案ですと、そんな表情を貼り付けた少女が俺に提案してくる。


「ほれほれ早うせい? 最悪わし緑女みどりおんなでも構わんが、それでは振るうお主の格というものが問われてしまうのう?」


 まあ、確かに一理ある。俺もそんなダサ……阿呆らしい名の剣を自分の物とは紹介したくない。

 仕方ない。その勝ち誇った顔にむかっと来るが、大人しくそれっぽいのを考えてみるとしよう。

 緑というよりは翠。宝石のような、魔性のような翠の剣……うん、じゃあこれでいいか。


「……エメル。翠の宝石エメラルドに肖って、お前の名はエメルだ」

「ほう? ……ま、安直だがき名じゃ。気に入ったぞ」


 黒髪の少女改めエメルはその言葉を呑み込みながら、満足気に顔を緩めてくる。


「エメル、エメルかぁ……」


 まるで大事な宝物かのように、付けた名を何度も何度も反復するエメル。

 そんなに喜ぶことなのか。正直名のセンスとしては甘くみて中の中位だと思うのだが。

 剣を通してなのか、不思議と彼女の小さくない喜びが伝わってきた……気がする。

 定かではないが、どうやら満足していただけたらしいと。しなくてもいいはずの安堵と満足感を持っていると、いつのまにか階段は最後の一段となっており、俺は地上へ戻ってきていた。


「そら、そこが出口じゃ」

「……出口じゃと言われてもな。どっかどう見てもただの壁じゃねえか」


 彼女が自信満々に手で指す方向にあったのは、他と大差ない何の変哲もない壁であった。

 

「確かにのう。ただわしの何かが告げておる。この壁の奥に、お主が求めるものがあると」

「……何で分かる。直感にしても、食い付くには足りなさすぎる」

「さあのぅ? お主が望んだからわししるべになっておる。深く考えんとも、これはそれだけの話なのじゃ」

「……つくづく何なんだよ、お前は」


 エメルは意味深なことを言ってくるが、結局のところ何も分からんで完結してしまう。

 

「さあ切り開いてみぃ? 試し斬りチュートリアル、というやつじゃ」

「チュート……? まあいいや。じゃあちょいとどいてろ」


 雑に手で除ける仕草を見せれば、エメルはふわふわと横──ではなく、何故か俺の後ろに回ってくる。

 じろじろとした視線に少し気恥ずかしくなるも、すぐに集中し魔力を高めていく。

 やっぱり何か違う。つい昨日までより、遙かに自分が自分の物である気さえしてしまう馴染み様。

 

 その充足に浸りながら目を閉じて、昂ぶりと共に横へ振り切る。

 壁は切れたと、目を開く前に、剣を振り切る前にそう確信してしまっている。

 こんな手応えは初めて。炎すら乗せず、ただ魔力を込めた一閃が今までの何よりも心地好かった。


「……見事。まさかわしを使わず、わしのみで斬ってしまうとは」

「……ああ。俺も驚いてるよ。自分が自分じゃないみたいだ」


 壁の崩れる音が耳へ響きながらも、俺も自分の成果に戸惑いを隠せない。

 残骸の厚さを鑑みるに、今までの俺だったら全力でなければ切ることが出来なかったはずだ。

 如何にその事実があろうとも、これが自身の実力とは到底納得出来ない。

 これが契約、これがこの剣の切れ味。……とんでもない物を、俺は手に入れてしまったのかもしれないな。


「それに困ったのう。とりま最初は無理で、それからわしを使ってもらう予定だったんじゃが……」

「……使ったじゃん。とんでもないぜ、この剣お前は」

「そういうことじゃないんじゃが。……ま、ええか! どうせいくらでも機会はいくらでもあるじゃろうからな!」


 勝手に不満を抱き、勝手に納得し、それからふわふわと先に前へ進み出すエメル。

 ……分からん。試し斬りなら済んだじゃないか。何が言いたかったんだ?

 まあいいや。気にしなくていいというのなら、わざわざ気にしてやる理由もない。言いたくなったら自分から言ってくるだろう。


 鞘がないのを少し不便に思いながら、エメルの後を付いていく。

 彼女が言った通り、切断された壁の奥には確かに道が続いていた。

 今までの大部屋とは明らかに異なる、明かりの一つさえ存在しない石造りの通路。

 無人の遺跡であればこちらの方がイメージ通りで、あちらが異質なのだと安心できる通路を歩いていると、奥に敷かれた頬かな光が目に入ってきた。


 分かれ道にそれぞれ敷かれ、左側のみ光を帯びた床。

 地面を見るに、恐らく光の正体は魔法陣。何の魔法かは読み取れないが、片方のみ未だ健在といったところだろうか。


「何だこれ。何の魔法陣だ?」

「さあのう? じゃが恐らく、これこそが外へと繋がる唯一の道なのじゃろう。わしの直感がそう囁いておる」

「……まさか、これが転移魔法陣だとでも? そんなの、存在するわけが──」


 転移魔法など存在しない。多くの魔法師が探求し、実現不可能だと断じた吟遊詩人の法螺話と同じ眉唾。

 だからあり得ないと告げようとしたのだが、ふと、いつかどこかで聞いた仲間の言葉を思い出す。


『確かに転移魔法は超常であり空想の産物、現代の魔法師ではそれこそ森人エルフの長にさえ創造不可能だろう。だがねアン坊? それは遠い過去、名残すら風化しかけたいにしえには確かに実在したのさ』


 確かに現在いまはない。けれどかつてはあったかもしれないと、あの人はそう言っていた。

 今のエメルの言葉に嘘がないことなど、この短い付き合いでも理解出来てしまう。

 そうだ、ここは遺跡。いつ建てられたかも定かではない、遙か彼方の残骸なのだ。

 ならば安易な否定こそが間違い。確定でない以上、あると仮定して動くべきなのだろう。


「……仮に転移陣だとして、どこに繋がっていると思う?」

「さあのう? わしには測りかねることよ。そもそも、これが本当に転移系の物であるかさえ分からんからのう……」


 なるほど。つまりは結局出たとこ勝負、その一択というわけか。

 ならばもう仕方ない。ここまで来た以上、後戻りするよりかは進んだ方が利口だろう。

 それに俺だって冒険者。さっきまでと違い剣を持っているからか、すこしだけわくわくしてしまっているんだ。こんな状況だってのにさ。

 

 ……ま、仮にこれが罠だったら俺の人生はここまでだな。

 少しの逡巡の後、ごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めてから光の陣へ足を踏み入れる。

 そして二歩目の足が陣を踏んだ瞬間、周囲は歪みぶれ、ぐるぐると回り出す。

 まるで巨大な渦の中。そんな風に思っていると、漂う空気や雰囲気の何もかもが一変していく。

 

 そして数秒の後、世界は元通り定まっていく。

 ただし見える景色は別物。薄暗いだけだったはずの通路の果ては、使われていない牢屋のように簡素で光のない小部屋へと移り変わってしまった。


「……本当に転移陣っぽいな。もう使えそうにないけど」


 魔力が失われ、ついには完全に消失する床の光を見つめながらほっと一息つく。

 それにしても、まさか転移魔法陣が実在するとは。これを世に出せば相当の功績、次の昇級を盤石に出来るだろうな。

 

「……そういやあいつ置いてきちまった。まあいい──」

「なーにがまあいいじゃ。ちょいと扱いが酷くないかのう? 主様や」

「っ!?」


 ふとあの謎の女を思い出し、短い付き合いだったと締めくくろうとした時、その声に身体をびくつかせてしまう。

 消えた陣の光の代わりに火を灯しながら振り返ると、そこには不満気に目を細めるエメルの姿があった。


「なんだいたのか。びっくりさせんなよ」

「いるに決まっとるわ! わし言うたよな? あくまでそこの剣が本体じゃと」


 そういえばそんなことも言っていたな。……まさか事実だとは。


「あ、信じておらんかったな? あんなにも撫で回したくせに酷いのう……」

「怒んなよ。あくまで半信半疑だったんだ。ほら外行こうぜ」


 怒るエメルを宥めながら、この何もない部屋に唯一存在する扉に手を掛ける。

 古い木の扉だが、どうやら鍵が掛かっているらしい。……仕方ない、斬って壊すか。

 

 軽く剣を振って鍵を壊せば、支えを失った扉は音を立ててひとりでに開いてく。

 はてさてここは王都のどこなのか。下に落ちたということは、ちょっとしたら下層かもな。


「……はっ?」


 時計がないので時間が分からないが、出来れば日が変わるまでに帰れればいいなと。

 そう思っていたの俺が目にした景色は、緑すらぽつりぽつりと置かれるだけの荒野。そして血で染めたかのように赤い空。

 抱いていた楽観を打ち消すには充分過ぎる、華やかな王都の街並みどころか人の気配なんて微塵もない場所であったのだから。

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