第8話 マンモスウレピーことと魔族を殺すこと
ある日のこと。
その日は就業時間を終えたにも関わらず、レイライン商会のさほど広くない一室では従業員たちが集まっていた。張り詰めた空気が部屋を満たしている。
「ダニアンのことだ」
ラズが口を開く。表情はいつもと同じ商人の顔だ。
ラズは商談において相手の警戒を解くことを得意としていたが、今日ばかりはその効果を発揮できなかったようだ。
部屋の中の空気はいまだに緊張感を保ち、時折、誰かの鼻をすする音が聞こえた。
「遺品が届いた。通りすがりの行商人がレイラインの家紋を見て届けてくれたらしい」
ダニアンは少し前に定期連絡が途絶えたレイライン商会の人間の一人だ。今だに自ら赴いて交易を行う実直な男だったが、今回はそれが不幸を招いてしまった。
──あの酔っ払うとたたく加減がわからなくなるやつか。
好夫は一度だけ酒を飲み交わした男を想い出した。
「魔族によるリスクを過小評価していた」
話を続けるラズの表情は平時と変わらない。
商人が商売で失敗した。それだけだった。その姿を見ても責める者はいない。常にリスクと隣合わせであることをレイライン商会の精鋭は理解していた。
もちろん好夫もラズを責めない。好夫は好夫で人はすぐに死ぬことを知っているからだ。頭の中で「叩くやつが減った!マンモスウレピー!」とか考えていた。
「交易ルートの見直しを各自するように」
ラズはここ数日、好夫で遊びながらも打てる手は打っていた。情報を精査した後、ツテを使って優秀な冒険者を派遣していた。
しかし、魔族はラズの予測を上回り一流の冒険者を返り討ちにした。
商人としての矜持か死んだ部下に対する誠意かわからないが、ラズの仮面は決して揺るがない。交易の当座の方針についていくつか話し合いが行われた後、その場は解散となった。
──小手先のことばっかり上手くなりやがって
目の前で商人の仮面を被る青年と旅の途中で大量の食料と共に自分を売り込んできたときの少年が重なった。
一人、また一人と退室していく中、好夫は最後まで部屋に残っていた。鼻のてっぺんを赤くしたサラが最後に退室するのを見届け、好夫も部屋の外へ向かう。
「行くんでしょう」
どこへ、とは言わなかった。
「行くよ」
好夫の顔も普段と変わらない。ラズも相変わらず商人の仮面を被り続けている。
「少なくとも一流の冒険者を退ける相手ですよ?」
面倒ですよ、とラズは続けた。その態度はいっそ軽薄とも言えた。
「見つけたやつのもんだろ?」
「え」
思わぬ角度の好夫の言葉はラズから珍しく呆けた声をひきだした。
「運んでた商品」
好夫はずっと床を見ていた。
──そういえばこんな人だった。
ラズは脈絡なくそんなことを考えた。女神の加護を失くして以来、妙なテンションになってしまっていたがこういう不機嫌な顔をした人だった。そんな好夫の顔を見ているとラズはなんだか脇腹がくすぐったくなった。
「お好きなように」
芝居がかった仕草で頭を下げる。見え見えの建前にはこれぐらいの態度がちょうど良いだろう。顔を上げると相変わらず好夫は不愉快そうに眉をハの字にしていた。
魔王討伐の旅の中、何度もこの顔を見てきた。胸の中に懐かしさが込み上げる。口をひんまげて、目には情熱なんてものは一つもなくて、なのに理不尽なほどに頼もしくて──
「じゃあ」
好夫が出口に向かう。かつて憧れた男の背中をラズは昔と同じ気持ちで見送った。いつまでたっても冗談が下手な人だ。扉が閉まった後でラズはくすくすと年相応に笑った。
「若」
控え目なノックでクロイが部屋に入ってくる。母猫のような顔を見て、自分も商人としてまだまだだなとラズは思った。
「好夫さん、行っちまいましたね」
「うん、そうだね」
クロイは落ち着きなく部屋を歩いた。
「大丈夫ですかね、好夫さん。そりゃ魔王討伐の大英雄だけど、ほら、女神の加護は取り上げられちまったっていうし、もしなにか……」
クロイも好夫の伝説は知っている。そして伝説の後の話も。
「馬鹿な連中だよ」
遮る声に目を見開いてラズの方を見た。クロイは長年飼っていたペットに毒をあると聞いたような顔をしていた。
「虎の尾を踏んだんだよ」
ラズの迫力にクロイは少し後ずさったあと、取り繕うようにまた元の位置に戻ってきた。ラズの瞳はもうこの場所は映していない。映っているのはかつて天変地異のような奇跡を一つ残らず平らげた神話の英雄だけだ。
──若はやっぱり傑物だ。
クロイはその姿を見ながら自分の信仰の確信を深める。
若は自分を荷物持ちと揶揄しているが、荷物持ちですら一線を画す。魔王軍とは人類にとってそういうものだった。天災と同じだ。生きとし生けるものが存在が否定される。
地獄の底まで行ったラズの目はクロイのような金勘定だけしてきた人間には出せない迫力があった。それは商売において非常に重要なものだ。
旦那様、レイライン商会はもっともっと大きくなりますよ。
主人の底知れなさに触れた気がしてクロイは興奮を抑えられなかった。一瞬、死んだダニアンへの罪悪感も湧き上がったが、あの気さくな大男も生粋の商人だったなと思い直す。この若の姿を見たら大喜びするだろう。
あいつの分も今日はのんじまおう。
その晩、クロイはしたたかに飲んだ。
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