第2話 たった一つの冴えたやり方。


 空気を吸い込むだけで口の中に砂利が入るようだった。


「魔物がでたぞおおおおおおおおお!!!」


 土煙が漂う石切場に作業員の切羽詰まった声が響いた。石壁を切り崩す作業を主とするこの地下労働施設では、作業中、運悪く寝ている魔物を起こしてしまうこともある。


「ついてねぇな! 石竜じゃねぇか!」


「ぼやいてねぇで、さっさと好夫を呼んでこい!!」


 巨大なウナギのような魔物の尾っぽがのたうち、安眠を妨げられた怒りを周囲に撒き散らしていた。現場に出ていた労働者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「おらっ! 道具は避難させろ! お前らの命よりも高価だぞ!」


 混乱の中でもまとめ役の男が指示をとばしていた。日焼けした肌と現場仕事によって鍛え上げられた分厚い身体をしている。頭髪の無い頭部は太陽の光を反射し輝いていた。


「好夫、来たか!!」


 そこへ屈強な作業員に引きづられる一人の男。だらんと体重を預ける姿は全身でやる気の無さを表していた。この国では珍しく黒い髪をしている。


「頼んだぞ! 好夫!」


「起きろ、好夫!」


 避難する作業員たちが激励と共に次々と好夫と呼ばれた男の背中や頭をはたいていく。普段から力仕事に従事する彼らの張り手は良い音を立てた。


 作業長が怒鳴る。


「いま働かないでいつ働くんだよおまえは! 普段作業さぼってる分はたらけっ!」


 ついに胸ぐらを捕まれ揺すられている男の名は地糸好夫ちいとよしお。年は23歳。


──かつてこの世界に召喚され有り余る女神の加護とともに勇者と魔王を討伐した男は地下労働施設にいた。


「やだ。だるい」


 簡潔すぎる返事をした好夫は胸ぐらを掴まれながら器用に頭をかく。


 好夫は決して望んでここにいるわけではない。借金取りに無理やり放り込まれたのだ。引っ掻き傷のような細い眼はさらに細くなりもはや開いているかどうかもわからない。


「工場長、いったじゃないっすか。この世から花粉が無くなってから起こしてくれって」


「工場長じゃない! 作業長だ!!」


 唾を飛ばす作業長。その姿を見ながら「工場長のストレスを無くすチート」が欲しいなと好夫は思った。そうすればいくらサボっても怒られなさそうだ。


「危険手当つかないじゃないっすか」


「そんなものはココにはない!! だが……しばらくの朝礼を休むことを許してやろう」


 その言葉に好夫の細い目が少し開いた。


「無事に退治できれば、夕食にエールも……」


「よし、やりまあす! 地糸好夫、やりまあす! 工場長のために頑張りまあす!」


 簡単すぎるやり取りだった。


「頼んだぞ、好夫! あと作業長な」


 作業長と好夫は力強く握手をした。かくしてwin-winの関係は築かれる。


「よおし、やるかぁ!」


 周囲の道具を蹴散らしいまだに怒りのおさまらない石竜に向かって、好夫は無防備に近づいていく。


「チートがあればなー、楽なのになー。無かったっけ? 竜を心の底から反省させるチート」


 かつて好夫のもとにはそれはそれは物凄い数のチートが備わっていた。世界の敵を鼻歌混じりに粉砕し、あらゆる問題を無理やり解決させたソレらはもう手元に存在しない。魔王を討伐して残ったのはは借金取りとの戦いの日々だけだった。


「人生って世知辛いな……」


 異世界をチートで俺TUEEEで無双してきた男はいま世間の荒波に揉まれている。


「よっ、と」


 逃げた作業員の物と思われるツルハシを手にとった好夫は暴れる石竜に突きつける。


「チートさえあれば一瞬だから」


 栄光の日々はいっさい色褪せない。魔王に土下座させるチート。いつでも胴上げしてもらえるチート。道を歩く歩道に変えるチート。初対面の人に孫のようにもてなしてもらえるチート等々……。脳裏に数々の素晴らしきチートが蘇る。


「グルルルルアアアアアア!!!」


 石竜が標的を定めて咆哮した。


「おん? やる気? たかだかトカゲの亜種が俺とやる気なんか? おん?」


「グガアアアアアアアアアアア!!!!!!」


「煽り耐性低いねきみ」


 人間の言葉がわからない石竜にも煽られていることは伝わったのだろう。体躯の割には短い足で地面をしっかり掴むと、好夫にむけて一直線に突っ込んで来た。竜の名を冠するだけあって、その速度は普通の人間が反応できるものではない。


 しかし、好夫はの人間ではなかった。


「ここは強心じゃなくて、ミート重視で」


 引き伸ばされた時間の中、くるりとツルハシの柄をまわし、まるで野球のバッティングのように構える好夫。


 かつて人類を脅かした魔王を完膚なきまでに打きのめし世界に轟く勇者パーティーの最高戦力だった男は、チート能力を失っても竜の親戚ごときには手こずらない。


「ファー!!」


 ──スイング一閃。


 彼が元の世界に残してきた幼なじみがいれば「それはゴルフだ」と真面目な顔でツッコミをいれていたところだろう。


「あ、やべ。曲がった」


 バチコーンと漫画みたいな調子で打ち返された石竜はここ何ヶ月かでせっせと組み立てた足場に突撃し、おまけとばかりに作業中の石壁にぶち当たり、最後には色々な工事道具を巻き込んで己が寝ていた石壁に生き埋めになった。


「あれ、これやばい? 大丈夫だよね? ね」


 復旧不可能なほどに崩壊した作業現場に好夫の声だけが響いた。

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