第3話 駄目でした
「クビね」
「いや、ちょっと待ってくださいよ工場長」
好夫が初めて聞く声で作業長は話し続けた。言葉の終わりにファイルで合図代わりに机を打った。
「以上となります。何かご質問は?」
普段かけていない眼鏡のフレームをくいっとあげる作業長。現場で鍛えられた太い指には冗談みたいに似合っていない。
「だって、そもそも工場長がやれっていったんじゃないっすか!」
好夫がすがりつくように言った。普段は二言目には「面倒臭い」と言う口も今回ばかりは必死さを見せていた。ただ日頃の行いのせいか、作業長の胸にはそよ風ほども響いていない。席を立つ作業長。
「ないようですね。今後のご活躍をお祈りします」
「工場長! チャンスを! もう一度チャンスを!?」
好夫の目や口からはもはや汗だか涙だかわからない液体を出ていた。作業長は困ったように肩をすくめた。
「うーん、どうしよっかなー」
マッチョが人差し指を唇に当てる姿はおぞましいが、今の好夫にそんなことを気にしている余裕はない。首になったことが借金取りにバレたら次は何をさせられるかわからないのだ。今の好夫なら「靴を舐めろ」と言われてもノータイムで舐めただろう。
「お願いします! あ、工場長そのメガネ似合ってますね! とてもインテリジェンスを感じますよ!」
「えー、そう? 照れるなぁ」
「抜群! グンバツですよ!!」
「褒めすぎだってー」
「いやほんと最高ですよ! 特にその太い腕とのコントラストが絶妙にキモ……あ」
「以上です。お疲れ様でした」
好夫は生理的嫌悪に負けた。
「工場長おおおおおおおおおお!!!」
「作業長な」
以上が事の顛末だ。あの禿頭を最後にぶん殴っておけばよかったと自宅の縁側に寝転がり好夫は考えた。2年前に建てた家はまだ木の匂いがした。
「あの銀縁メガネと太い腕はトラップだろ……」
ぼやきながら意味もなく枕にしていた座布団の位置を整える。それからまたしばらく考えたあと、やはりすべてチートが無いせいだと結論付けた。
「チートがあれば……」
そもそも自分があんな劣悪な環境で働くこと自体おかしいのだ。我、勇者パーティーぞ? 異世界人ぞ? こんなの聞いてねええええ!!
「あー! チート兄ちゃんがまた変な動きしてるー!」
「こらっ、やめなさい」
生垣の向こうで子どもが好夫を指差していた。大した高さもないから道を歩いていると向こうから覗けてしまうのだ。はしゃぐ子どもを隣にいた母親がそそくさと連れていった。
「おい目を隠す意味はなんだ、おい」
あれじゃあ、まるで俺が村の変わり者みたいじゃないか。こちとら魔王倒してんだぞおい。
「人間共め」
魔王みたいなことを言ってまた横になる。栄光の日々から一転、今の好夫に残されたのは借金とこの家だけだ。借金取りへの日に100回の感謝の土下座によって唯一手元に残すことを許された。
チート無双時代は一つ目の別荘ぐらいにしか思っていなかったが、金にモノを言わせて作った日本風の家屋は好夫の心を癒した。唯一の難点はこうして日向ぼっこをしていると村のガキ共が寄ってくることぐらいか。
好夫は太陽に背をむけるように寝返りを打った。こうすれば邪魔な村人も視界に入らない。ここに住居を定めたことに理由はない。単純にこの世界に来て初めて訪れた村だったからだ。
「ああ、俺TUEEEがしたい。ざまぁがしたい。無双がしたい」
枕にした座布団だけが好夫の話を聞いてくれた。その姿は不労所得の空想を弄ぶニートのようだった。
かつては国民の期待を一身に背負った冒険者が今では借金を理由に劣悪な労働施設を渡り歩く多重債務者だ。チート無しでも並の冒険者よりは腕が立つが全盛期に比べればインド像と蟻ぐらいの開きがある。
「働きたくねぇ……」
すべてはあのクソ女神のせいだ。一回渡したものを取り上げるなんて正気の沙汰じゃない。更年期のメンヘラババァめ。あー眠い。
好夫が世界の不条理に対抗すべく大欠伸をしていると、玄関の方からドアを乱暴に叩く音が聞こえた。
「好夫さーーーん!? いるんでしょーーー!? 聞こえてますかーーー!? 好夫さーーーん!?」
わざと近所に響くように叫ぶ甲高い声はよく知る借金取りの声だった。その声はだんだんと街頭演説のようになりつつある。
「お金借りたら返さないとーーー! お・か・ね!! 人として当たり前のことじゃないですかーーー!? 近所のみなさんもそう思いませんーーー!? 好夫さーん、お母さんに習いませんでしたーーー!? 借りたもの返さないとーーー!?」
──やばい。
慌てて好夫は玄関のドアの前に行く。開ける直前、その動きが止まった。しばらくじっと黙ってから、
「お兄ちゃんなら旅にでましたよ(裏声)」
「……すぞ(低音)」
ガラガラガラ。
儚すぎる抵抗は無駄に終わり最終防衛ラインは突破された。その向こうに太陽を背にして仁王立ちするピンク色の借金取りの姿があった。
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