■月星歴一五四三年五月⑥〈宣誓〉

 扉が閉まる音を聞いて、アトラスとレイナは再び歩み始めた。


 泰然とした態度を崩さず壇上に上がり、二脚並べられた玉座の前で二人は、机を挟んでモースと向かい合う。


「今日、このめでたき日を迎えられたことを喜ばしく思います」


 礼装に身を包んだモースが厳かに口を開く。


「参列の皆さまがた、遠くから足を御運び頂きましたアトラス殿下、及び月星方々のご温情に感謝致します」


 モースは一堂を見回した。


「この婚姻に正当な理由で異議のある者は今ここで申し出てください。後日の異議申し立ては認めません」


 形式文とはいえ、一部から漏れ揺れる空気。

 振り払うかの様にジル・ド・ネルトの野太い声が響いた。


「異議なし」


 一喝を持って、再び場は静まる。


 ジルのお膳立てはここまで。ファルタンの傀儡と思われるのも本意ではない。


 後はアトラス自身の裁量にかかってくる。


「では、新郎新婦のお二人には宣誓をお願いします」


 レイナは檀下に向き直り、ぴんと伸ばした掌を向けて顔の横に掲げた。

 凛とした声で言葉を紡ぐ。


「私、レイナ・ヴォレ・アシェレスタはアトラス・ウル・ボレアデス・アンブルを夫とし、愛と慈しみを持ってこの身を民と夫に捧げることを誓います」


 アトラスも倣い、宣誓の姿勢を取った。


「我、アトラス・ウル・ボレアデス・アンブルはレイナ・ヴォレ・アシェレスタの伴侶として、この国の為に尽力すること、レイナの剣となることを女神セレスティエルの名の許に誓おう」


 アトラスの声はよく通り、肚に響いた。


 視線に加え、口調の抑揚、速さ、強さ等で言葉以上の事を集約し、主たることを示した。


 この国の有力者は、その血筋に王家の血を一度は入れている。大義では少なからずアシェレスタであり、感受性が強い傾向にある。


 ならば、言葉に乗せてやるだけで良い。


 威圧ではない。


 ただ、レイナに相応しいのは自分以外にいないと、存在感を見せつけた迄だ。


 一部から漏れ出た吐息が、格の違いに屈服の意を表していた。


 続いて各々しか使えない印章を各々が押し、署名をした誓約書を二部作成する。

 一部が月星の見届け役たるネウルスに渡された。


「では、誓いの盃を」


 運ばれて来たのは酒器になみなみと満たされた赤葡萄酒ワイン

 向かい合い、腕を交差して杯グラスに口をつける。


 何かが混ぜられている味。微かに金物っぽい匂いがする。


 顔に出そうになったのを察したのか、黙って飲めとレイナが目配せをしてくる。


 何食わぬ顔で飲み干したが後味が悪い。


「ここに誓約は成されました。夫婦となられたお二人に竜の加護と祝福があらんことを。両国の末永い友好があらんことを」


 拍手と歓声の中、一礼をして国王夫妻は玉座に腰を下ろした。


 ※※※


 宴会会場である大広間に向かう参列者の背中を玉座から眺めながら、アトラスはレイナに囁き声で尋ねた。


「さっきの赤葡萄酒ワインには何が?」

「竜血薬よ」

「あれはその味か」


 王族にしか使わない秘薬を身体に入れることで、一族に招き入れるという意味を持つ。

 血液由来と聞けば、金物臭いのも納得が行く。


「早く口直しがしたい」

「美味しくはないわよね」

 レイナも苦笑する。


 今一度、アトラスは玉座からの眺めを確認した。


 『天を支える者は天にはなれない』と、王にはなれないとアウルムには言った。

 しかし今、王配として、王と同じ目線で並んで座っている。


 これが新たに背負うと決めた覚悟の眺め。歩むと決めた道の険しさを代償に手に入れた高み。血を流してでも欲しがる者もいる場所。


 アトラスとしては、独りでは見ていたくない景色。

 レイナも見たくはなかった筈の景色。


 参列者は捌けていた。

 ライとサンクが扉の横で待っている。


「行きましょう」


 レイナが手を差し出してくる。アトラスはその手を取り、強く握った。


「ああ、行こう」


 もう独りでは歩かせない。

 今度こそ、共に歩んで行く。




「琥珀の契約」完

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【小噺】

この国には神様の概念が無いので、人前式に近いイメージですね。

   ■■■

以下、入れどころのなかったエピソードです。多分、後でアトラスはペルラにめちゃめちゃ怒られたことでしょう 笑


今話の翌朝の話です。

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「お願いがあるの」

 婚礼式の翌日、夫婦の寝室で初めて迎えた朝、アトラスの胸にもたれかかりながらレイナが言った。


「髪を切って欲しいの」


 レイナにしては珍しく肩まで伸びた髪を、無意識に弄んでいたアトラスの手が止まる。


現在いまのも悪くないけどな」

「アトラスは長い方が好き?」

「髪型なんて、見苦しくなければ本人好きにすればいい」

「なら切って。もうあれが私の髪型だから」


 ペルラとハールが、このままレイナの髪を伸ばそうとしているのはなんとなく察していた。


「それ、絶対俺が怒られるやつだろ」

「一蓮托生でしょ」


 レイナはさっさ寝台から降りると、鏡台の前に座る。


「おい、せめて何か着ろ」

「どうせ服に付くでしょ」

「目のやり場に困るだろ」


 ガウンを引っ掛けて寝台から出たアトラスは、部屋を見回した。


 今まで寝ていた寝台からシーツを引っ剥がすと、レイナの肩にケープのように掛けた。

 どうせ洗うのだから、毛だらけになっても構わないだろう。


「ちょっと待ってろ」


 廊下ではなく、直接繋がっている方の扉から隣の自室に向かうと、鋏と櫛を持ってきた。 

 旅の間に使っていたものだ。


 レイナの後ろに立つと、乱れた髪を丁寧に梳る。


「良いんだな?」


 一応確認を取ると、力強くレイナーは頷いた。

 少し惜しい気もしたが、アトラスは黙って従う。


「長さは?」

「前と同じくらい」

「了解」


 こうやってレイナの髪を触るのは二年ぶりぐらいになるが、指が覚えている。

 旅の間、アトラスがずっとレイナの髪を整えていた。


 まずサイドの毛を顎下辺りに合わせ、その長さを基準に前下がりになるよう、後ろの方も整えていく。

 指の間に毛を挟みながら長さを揃え、時には鋏を縦に使って軽さを出しながら、シャキシャキと小気味良い音を立てて切っていった。


 はらはらと切り落とされた毛がケープ代わりのシーツの上に舞い落ちる。


 髪を切っている最中、鏡越しにずっとレイナはアトラスを見ていた。なんだか楽しそうな顔をしている。


「こんなもんかな」


 切り終えると、短くなった頭をクシャッとかき回した。

 髪の間に残っていた切れ毛がふわりとシーツの上に落ちる。


「うん。これぞ、私って感じ!」

「どんな髪型でも、お前はお前だけどな」


 満足げなレイナにアトラスは苦笑する。


 アトラスは毛が散らないように注意してシーツを丸めると、バルコニーに向かった。


 外に向けてはたくと、切り落とされた髪が朝日にキラキラと光りながら風に流されていく。


 振り返ると、レイナが微笑んでこちらを見ていた。

 アトラスはため息をついた。


「だから、さっさと服を着ろ!」


   ※※※


 やがて食事に呼びに来たペルラの絶叫が、城内に響き渡ったのは言うまでもない。


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居室間取り

https://kakuyomu.jp/users/Epi_largeHill/news/16818093088982536149

イラスト 髪長めのレイナ

https://kakuyomu.jp/users/Epi_largeHill/news/16818093088810448271



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