■月星歴一五四二年十月⑬〈月の大祭〉
各々の手元に灯された小さな蝋燭だけが、小さな星々の様に会場を包んでいた。
つんと透き通った匂いの香が微かに焚かれている。
正面の壇上には、青白い月の光が差し込み、中央に据えられた女神の像を照らしている。一年に一度、月の軌道が神殿の真上を通るように計算して作られていた。
重厚な旋律とともに、神官達の祈る声が響く。
古くはすり鉢状の劇場だった遺跡を基に、改築して作られた聖堂である。
正面の壇上へとまっすぐ伸びた身廊を通って、古風な白い装束に身を包んだ『タビス』が現れた。
『タビス』は銀糸で刺繍が施された紫の帯を着用している。履物は無い。
押し殺した驚きの気配が漏れた。
特にいち早く反応したのは、海風星のカームであったろう。隣で息子の許嫁のアウラが息を呑む。
月星において、白に紫は最も高貴な配色とされている。
紫色の帯は『タビス』にだけ使用が許されるものだ。『タビス』が不在の時は『タビス役』の者が選ばれ、代役を務める。ここ数年は王が自ら代役を務めていたが、王でさえその場合は白い帯を着用する。
つまり、今壇上にいるのが、本物の『タビス』――即ち、アトラス本人であることを意味していた。
噂は本当だった。
口にしたい思いを堪えて、一同一様に壇上を見守る。
女神像の前で『タビス』は深く頭を下げ、独特な祈りの姿勢をとった。
立ちあがると、女神像の脇に控えていた大神官から剣を受け取る。
本来は儀式用に作られた剣を用いるが、今、アトラスが手にしたのは『カタルシスの剣』だった。
それが、しっくり相応しい。
剣を受け取った『タビス』は舞い始める。
月明かりに、半透明の白銀の刃がきらめく。
袖に裾にと縫いつけられた飾りが動くたびにしゃらりと鳴り、衣擦れの音とリズムをとる足音と、合わせて奏でられるメロディの無い月琴の音だけが堂内を支配する。
それは、どこか現実離れした美しい場景だった。
舞を奉納し終えると、月に向かって剣を掲げ、『タビス』は女神への感謝と翌年の豊穣を祈った。
中秋の名月が真上に差し掛かるのを見計らって、『タビス』の朗々たる祝詞が儀式を締めくくる。
※※※
場所を城内に移し、宴が始まった。
レース地をふんだんに使った碧い衣装に身を包んだアリアンナが、ハイネの隣を陣取っていた。慣れない正装にぎこちない態度のハイネを、からかって遊んでいる様にも見える。
レイナの方は、ほっそりとしたシルエットに、こちらも流行のレース地を使用した若草色の衣装を着用していた。短い亜麻色の髪は、大き目の髪飾りで上手く纏め上げている。
社交界慣れした月星のお嬢様方に見劣りの無い堂々とした風格で、国の代表者として、如才なく挨拶回りに徹していた。
不意に流れる曲を合図に、月星王アウルムが現れた。
傍らにアトラスを連れている。
アトラスはタビスの装いを改めて、通常の王族の正装をしていた。
濃紺の地に銀を基調とした糸で刺繍が施されているその装いは、白地に金糸が施されたアウルムの装いと対を成している。
王とタビス。
二人はその存在自体も対をなしているように見える。
アウルムがアトラスの帰還を告げた。
「長い間留守であったが、任務を終え、我が弟アトラスが戻った」
逃亡説、反逆説などを始め、諸説囁かれていたのを、一言で嘘のように一掃してしまった。
「特別な夜である。今宵は楽しんで欲しい」
乾杯を合図に、着飾った年頃の娘達がアウルムとアトラスの周りに群がった。
その様子にハイネが目を丸くする。
「何だい、あれは…」
「彼女たちはね、重大な使命を帯びているのさ」
王族の縁戚になりたい父親が必死で娘を差し向けているのだと、ヴァルムが説明する。
「お気の毒に……」
「騒がしいのが嫌なら、私の傍にいなさいな。誰も寄ってこないから」
同じ理由でアリアンナにも若者が押し寄せて来そうなものだが、その気配はない。
「アリアンナは一度ならずぴしゃりとやったからね」
ヴァルムがくつくつと笑う。
睨めつける王女の視線を避けて、ヴァルムは許婚のアウラの方へ行ってしまった。
「私は、私が気に入った殿方の所へ自ら行きます。兄もそれで良いと仰っていますの」
アリアンナはすまして応えた。
ハイネは、自分がアリアンナに『許されている』ことに気付いていない。
そのうち、女性陣の猛攻を卒なく躱してアトラスがやって来た。
妹の傍まで来て息をつく。
「前にも増して、すごい勢いだ」
「お兄様まで私を避難所にするおつもり?」
「俺にも
さすがにこの兄妹の会話に入ってこられる者はそういない。お嬢様方は遠巻きで見ていることしかできない。
酒を仰いで、一息をつくアトラス。
月明かりに浮かぶ昨夜の硬い顔と比べれば、アトラス自身が、憑き物が落ちたような清々しい顔をしている。
女神の代弁者とされ、王の言葉をも覆す者。確かにその存在は危険だ。
それでも、アトラスはタビスでいなければならない。その存在は、身近に女神の加護があるという希望である。
アトラスは月星を離れることで、自らタビスであることを封じた。そして、自らに課したその禁忌を破ってまで得ようとしたものがある。
「君はなぜ、そうまでして戦う?戦える?」
「古今東西、言い古された台詞だけどな、護りたいものがある」
言い切って、アトラスは微笑んだ。
「誰だってそうだろう?地位や名誉。風習やしきたり。夢や欲望。将来の可能性。土地や財産。変えたくない時間。今ある自分。あるいは愛する者。その対象は様々だろうさ。でも、どんなに言い訳したって、突き詰めればそこに辿り着く。何かを護りたいんだ」
だから、諍いは無くならない。
口に出さなかった部分が重い。
「つまらないことを話していないで、することがあるでしょう」
アリアンナは兄を追い立てた。
すかさず、自ら後続を阻む。
にっこりと微笑んで、立ちふさがる自国の王女に歯向かう度胸のある娘は居ない。
アトラスは楽団の所へ向かい、指揮者に耳打ちした。
曲が変わる。
爪弾く弦が奏でる旋律。
その音色にレイナが振り向いた。
旅の途中、彼が時々口ずさんでいたメロディ。
アトラスが微笑んでいた。
レイナに向かって、手が差し伸べられる。
「お相手願えますか」
「アトラス……」
彼は返事を待たずに、レイナの手を取った。
軽やかに中央へ躍り出る。
アトラスから誘うという前代未聞の珍事に、一同一様に言葉を失う。
ハンカチでも取り出して歯噛みしそうな女性陣。
ネウルス・ノワ・クザンに至ってはあんぐり口を開けていた。
「世話が焼けるわ」
ぼやくアリアンナを、ハイネは笑って見ているしかない。
「ありがとう」
「私は何もしていないわ」
アトラスは首を振る。
筋書きを書いたのはユリウスかも知れない。
だが、今、自分がここに立っていられるのはレイナのお陰だと断言できる。
竜護星で、レイナが忍んで来たあの夜。真実を話したアトラスに、彼女は言った。
「私はね、アトラスが何者でも良かったのよ。右も左も分からない荒野で、私を助けてくれたその人である事実は変わらない。私は、そのアトラスを信じているから」
自分のことすら分からないのに、何ものにも負けない強い意志に彩られていた少女。
その姿に、荒れ野に舞い降りた女神を思い浮かべていた。
救われたのはアトラスの方だった。
全てに絶望していた六年前の彼に、生きる理由を与えてくれたのはレイナだった。
怖かったのは、この娘に自分の醜い部分を咎められることだったのかも知れない。
「お前が許してくれるなら、俺は、竜護星に行きたい」
唐突なアトラスの言葉。
レイナの顔に刹那浮かんだのは歓喜。
しかし、月星王の姿を捉えて戸惑いに変わる。
「でも、アトラスは……」
「月星の大事には、何事より優先して戻ってくること。大祭には出席すること。概ね条件はそれだけだそうだ」
昨夜、禊ぎを済ませたアトラスの元に、アウルムは単身訪れた。
兄は、思うように生きよと言ってくれた。
「こんな俺が望んでも良いのなら、お前との明日が欲しい」
今度こそ、レイナは微笑んだ。
これ以上ない笑みだった。
第三章タビス帰還編 完
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大祭参照イメージ画像
https://kakuyomu.jp/users/Epi_largeHill/news/16818093075393438997
三章人物紹介
https://kakuyomu.jp/works/16818093076585311687/episodes/16818093077170131746
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