□■月星歴一五四一年七月㉒〈継承者〉
□レイナ→□ハイネ→■アトラス
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「しばらく安静にしておれば大丈夫でしょう」
モースの笑みがレイナを待ち受けていた。
「よお」
思っていたよりも元気そうな様子でアトラスは微笑んでいた。
気にするなと、瞳が言う。
「何よ、さっさと起きなさいよね。私を人殺しにする気だったわけ?」
つい、心にもなく強がるレイナ。
しかし、白い包帯が痛々しく、まだ片づけられていない薬品や、医療用具が事の大きさを物語っていて、突然、視界がぼやけた。
涙がせきを切ったように流れ落ちる。
きちんと謝罪するつもりだったのに、涙はそれをさせてくれなかった。
ただ、ごめんなさいとかすれた声で繰り返す。
「もう、いいから」
子供をあやすようなアトラスの声。
「理解っている。お前のせいじゃない」
仕方がなかったのだから。
気にするな。
何度も紡がれるアトラスの言葉。
レイナは今頃理解した。
アトラスが咎めるがなかったことを。
この声でのこの言葉を何よりも欲していたことを。
レイナが十分落ち着くのを待って、アトラスはモースに視線を移した。
「この国の構成はどうなっているのです?」
「この首都アセラに次いで主要都市なのが貿易都市ファタル。あとは似たりよったりの地方都市で、ファタルほどの影響力はありません」
多くは古く巫覡を頼って来た人間が街を中心に集まり、村を作り、発展したものたものであったが、内、ファタルという海辺に栄える町は後から竜王星に従属し、どちらかというと利害の一致から半強制的にその立場を強いられたと言える。
アシエラの子孫ーーアシェレスタがほかの街にいないわけではないが、遠い親戚でしかないとモースは言う。
血の濃さでいえば、むしろ、ブライト家の者の方が近いというのがモースの言い分だった。
「なら、やっぱりお前しかいないな」
アトラスの
「もう、けしかけた奴もいるだろう?」
「あなたまで、言うの?」
王位を継げ、と。
口には出さなかった部分に非難を込めて、レイナはアトラスを見つめた。
どこかで、期待していた。
アトラスなら、反対のことを言ってくれるのではないか、と。
「頭では、解っているんじゃないのか?」
アトラスの口調は、眼差しと同じく優しかった。
「世襲制が必ずしも良いとは思わない。だが、現在の国民にとって、暴君をその妹が自ら始末したという印象は強烈だ。いわば救世主的支持を仰げる上、レオニスの過ちへの責任を主張すれば、彼に乗じて悪政を試みる者の出現を防げると安心させられる」
あえてアトラスが、魔物のせいである事実をのけて、外側からの見解を強調する言い方をしたのが判る。
「でも私には無理だよ。母のようになんて出来ない」
「前王の模倣をする必要はない。お前はお前が出来ることをすればいいんだ」
最悪、象徴だって構わない。
元々、たった一人の王の意見だけで国政が成り立つわけがないのだ。
助言者がおり、支援者、協力者がいて、多くの意見交換と審議の上に物事は決めて行くべきなのだから。
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「アトラス、今じゃなくてもいいだろう?」
割り込んだのは、苛立ちを込めだ口調のハイネ。
「肉親の死を嘆く間くらい必要だろう?」
「いつならばいいと言うんだ?もう三日も経っているんだ。この機に乗じて名乗りを上げる奴はいくらでも考えられる」
政事なのだ。私情は挟めない。意味することを察したハイネは口をつぐんだ。
これ以上言えば愚かさが露見するだけなのは、ハイネも自覚している。
アトラスの言葉を否定するだけの要素も持ち合わせていないどころか、根本的な意向は同じなのだ。
だが、おもしろくない。
三日も接触を拒んでいたのに、なぜレイナはこの男には心を許すのだろう。
涙を見せるのだろう。
ハイネの心中など知らずにレイナはアトラスの手を握った。
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「レイナ?」
「……アストレアとは呼んでくれないのね」
「その名前の
震えを押さえこむように、レイナは握った両手に力をこめる。
「あなたも……」
「ん?」
「あなたもいてくれるの?」
「……!?」
その視線が止まった先は、レイナに握られた自身の右手。
包帯が巻かれているその部分には、だが、傷は無い。
刹那戸惑いを見せたアトラスは、治療をしたモースを思わず見た。
素知らぬ顔を崩さない重鎮に、アトラスは溜息を一つ零すと、レイナに視線を戻した。
「俺に出来ることがあるなら、しばらくは……」
この日、レイナはこの話題にそれ以上触れようとはしなかった。
だが、レイナの決断とその答えは、誰の目にも明らかだった。
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以下直後のお話です
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〈痩せ我慢〉□ハイネ
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「じゃあお大事に」
「おぅ!」
レイナが退出し、扉が閉まった。足音が遠ざかっていく。
「行ったか?」
「はい」
モースの返事を聞くや、アトラスの身体がぐらりと揺れた。
慌てて身体を支えるモース。
ハイネも、背中に挟んでいた枕を拭き取って、アトラスが横になるのを手伝った。
アトラスの息遣いが荒い。
先ほどまで普通に話していたとは思えないほど、酷い顔色。
額には油汗が浮かんでいる。
「どういうこと?」
「まだ起き上がっていられる身体じゃないのですよ」
ハイネの質問に、苦りきった表情でモースは応えた。
「まったく、無理をなさって……」
「こんなの、無理のうちに入らない。それに、痛みには慣れている」
「そんなものに慣れる人なんていません!」
モースがピシャリと言い切った。珍しく怒っている。
「貴方は死にかけたのです。自覚を持って下さい。しばらく絶対安静ですよ」
ふふっと笑みを漏らしてアトラスは目を閉じた。
「俺の、痩せ我慢ひとつで、あいつの気持ちが楽になるなら、安い、もん、さ……」
「アトラス?」
「眠ったようです」
モースはため息をついて患者衣を捲り上げた。
包帯には新しい血が滲んでいる。
アトラスの身体には、他にも古い傷痕がか見えた気がしたが、ハイネが把握する前にモースは衣を戻した。
血の気の引いたアトラスの白い顔に、呆れた視線を落としてハイネは口を開いた。
「一体、どういう育ち方をすれば、体に嘘なんてつけるんだ?」
「痛みを悟られないように過ごす日常が、この方にはあったということですよ」
眉根を寄せて、モースが呟いた。
「おいたわしい……」
「じいちゃん……?」
「いえ……」
ハイネの呼びかけにモースが動揺した。失言だったという顔。
どういうことか尋ねようとして、モースのそれを許さない気配にハイネは押し黙る。
レイナを連れてきた月星人。
名はアトラス。
相当な剣の使い手らしい、というくらいしか今のところ、この男の情報は無い。
なんとなくだが、祖父は彼が何者か知っているのでは、とハイネは思った。
アトラスに対する態度がやけに丁寧な気がする。
だが尋ねても教えてはくれないだろう。今のやりとりからも察せられる。
(くそっ!なんなんだ、こいつは!)
こんなカッコいい痩せ我慢見せられちゃ、レイナが頼りにするのも解る気がして、面白くない。
ハイネはもやもやするものを胸に抱いて、病室をあとにした。
〈痩せ我慢〉完
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