9 新音はスマホでリカを呼び寄せた。

 記憶を戻す方法――それはズバリぱふぱふ。ドラクエをプレイしたことがない縁に、えるはよろこび勇んでコーチした。


『いま職員室からかけてますからね、小声で教えるッスよ? ごにょごにょ……』


 いささかセンシティブな内容であるため声を潜めた。初めて知ったそのハレンチな行いに、縁は信じられない思いで驚愕する。


「そ、がぱふぱふなの⁉」

がぱふぱふなんス!』


 電話の声に再び力が入る。ひと通り伝授したえるは感慨深そうな様子だった。


『ふう、なんかいい授業したなーって感じッス。教師やっててよかったー』


 満足げな声から一転、現実に引き戻されると重苦しい様子で言った。


『はあ、次はつまんない文法の授業ッス。ハルヒはいつ国語の教科書に載るんスかねー。冒頭のとことか暗唱させてもいいと思うんスけど』


 ラノベが題材になる日を待ち望んでいるようだった。縁からの返事がないのを、えるは不思議に思った。


『ちょっとー? 聞いてますー? 先輩』

「ふえ⁉ あ、うん……」


 ぱふぱふの衝撃で心ここにあらずだった。とりあえず礼を言って通話を終えようとする。


「あ、ありがとねえる。助かったわ?」

『なんで疑問形? でも珍しいッスね、先輩がゲームの話するなんて。それなんてエロゲ』


 ピッ。


 まだ話しかけだったのにも気づかず切ってしまう。結局、えるは最後までフィクションの話だと思っていたようだ。


「ど、どうしよう……」


 そうとも知らずに、縁は途方に暮れた。方法は掴むことができたが……。


「二郎の記憶を取り戻すには……。アタシが二郎に……。は、ぱふぱふするしかないってこと……?」


 すっかり人が変わってしまった幼馴染を見つめる。おじさん本人はのんきなもので、二人の通話にも気づいていなかった。


「あ。そういえば、サキさんとあの話もしましたよ」


 女性社長との会話を思い返した。


「キャバクラに行く約束もしました」

「キャバクラ⁉ アンタが⁉」

「ええ。今から待ち切れませんよ」


 幼馴染がどんどん壊れていく気がした。


「二郎がどんどんダメになっていくわ……。元から割とダメだったけど」


 覚悟を決めざるを得ないようだ。


「よ、よし……」


 Dカップの胸に決意を抱いて、おじさんの前へと移動した。


「ちょっといい二郎」

「おや、私の名前はイッセイでは? サキさんはそうおっしゃってましたが」

「いいからそこ座んなさい」

「?」


 簡素なオフィスチェアーに座らせた。ぱふぱふに適う姿勢を、頭の中であれこれシミュレーションする。


「……高さ的にはこんなものかしら。それで、二郎の顔に……」


 そこまで言って気づいた。前回公園で会った時、おじさんは身バレ防止のサングラスをしていたはずだ。


「あれ? そういえばアンタ、サングラスは?」


 が、今はしていない。駅前でシノに会った時に外していた。


「生JKを見る時に外しました」

「生JKを見る⁉ へ、変なお店とかじゃないでしょうね⁉」

「街で声をかけられましてね」

「客引きのこと?」

「1800円(税込み)取られてしまいましたよ」

「何やってるのよ! けっこう安いわね!」


 これ以上放置してはおけなかった。社長の一星と同じ顔でフラフラされては、会社への風評被害も出かねない。


「……やるしかないわね」


 部屋の隅にあったものを手に取る。おじさんに見せつけた。


「コレつけるからじっとしてなさい」

「何です? それは」

「アイマスクよ」


 会社に泊まり込む際、一星はこの社長室で寝泊まりする。アイマスクのほかに、寝袋などの寝具一式も置いてあった。夜食用の明星一平ちゃんも箱買いしてある。


「おやおや、なぜアイマスクを? お昼寝の時間ですかな?」

「夢ならもう十分見たでしょ。アンタの記憶を戻すのよ」

「ほう、催眠術か何かですかな。しかし、それならむしろ目は開いていないと」

「せめて目くらい隠させなさいよ。もう、なんでアタシがこんなこと……」


 おじさんの顔にアイマスクを装着する。ちょっと離れて、椅子に座らされた目隠しおじさんを見下ろした。


「な、なんか異様な雰囲気ね……。気持ち悪い」

「ご自分でなさっておいてひどいですな」

「うるさいわねー。これで準備はできたから、アンタは黙って座ってればいいの」


 さすがに服を脱ぐ気はなかった。秘書スーツのジャケットすら羽織ったままだ。


「よ、よーし……」


 冷静なままではとても行為に及べそうになかったので、必死に自分に言い聞かせる。


「これは医療行為よ縁。決してやらしいことじゃないわ。あっという間に終わるはず。恥は一瞬よ。アタシの経歴に傷はつかないわ、たとえ相手がこんなヤツでも!」

「何やらブツブツと……。なんだか怖くなってきましたよ」


 なんとか自分を騙そうと頑張ったが、やはり踏み切れなかった。常識的な手段であれば試みたが、ぱふぱふとなるとハードルが高すぎた。


「……ダメ。やっぱりこんなの無理よ……」


 諦める縁に、記憶とともに大切な何かを失ったおじさんが言う。


「でも、そうですねえ……。キャバクラでこんなプレイをするのもいいですね」


 目隠しがお気に召してしまったらしい。おじさんらしからぬ下劣な発言に、幼馴染は耳を疑って心配した。


「二郎、アンタそんな子じゃなかったじゃないの。いつものヘタレなアンタはどこ行っちゃったのよ」

「いつもの私? よく分かりませんが、今はいい気分ですぞ」

「いい気分って?」

「生JKを見たからでしょうか。こう、高まってきますな」

「変なこと言わないでよ! もう、いい加減に……」


 言いかけて疑問に思った。


「あ、あれ? そういえば」


 先日えるから入手したエロ漫画を思い出す。おじさんがモデルの主人公は、警察官のけいに刺激されて、股間をメガサイズのギンギンに膨らませていたのだった。


「……」


 アイマスクをしたおじさんの股間に、チラッと目をやる。ドキドキしながら凝視した。


「……うーん?」


 しかし、おじさんの股間は慎ましやかだった。エロ漫画のそれとは似ても似つかない。布越しではあるが、明らかに平常時のそれだと分かった。


「どうしましたクサカベさん。急に静かになって」

「へっ⁉ べ、別に何も⁉」

「何か気になることでも?」

「気になるっていうか……」


 縁もえるも、メガサイズのギンギンが『メガギンギン』の作用によるものだったとは知らない。あの漫画のサイズがおじさんの実力なのだと思い込んでいた。


「ね、ねえ二郎……。生JKで興奮するならさ、今はどうなの?」

「?」

「いやだから、アタシは? アタシにこんなことされて、その……。体に変化とかないの?」

「体に変化?」


 これからぱふぱふされることを、おじさんは知らない。縁は興奮状態だったが、おじさんの方は平然としていた。


「特に何もありませんが?」

「全然まったく? ちっともこれっぽっちも?」

「全然まったくちっともこれっぽっちもありませんなあ」

「ぐぬぬ」


 そうはっきり告げられては無性に腹が立った。JKや作中のケイには興奮しておいて、なぜ自分にはピクリとも反応しないのか――。


「何よなによ! ケイにはあんなになってたくせに!」

「ケイ? どなたかのお名前でしょうか」


 同級生にはあれほど雄々しくそそり立っていたのに、自分にはまったく興味を示さないおじさんに、縁はむきになって声を荒らげた。


「何が生JKよ。アタシだって、まだまだ女子高生には負けないんだから!」


 一度は諦めた縁に、図らずもおじさんが火をけてしまった。運命をかけたぱふぱふが、いま始まろうとしていた。

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