6ケイ「それにそのバイク、改造していますね?」
「なんで二郎がここにいるのよ⁉」
社長室に入った
(うーむ……???)
シノの時と同様、何か思い出しそうな気がした。が、やはり薬の効果は絶大だった。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
結局この場では思い出せなかった。レディーススーツ姿の縁はわけが分からず困惑した。
「何言ってるのよもう。遊んでないで、どういうことか説明してよ二郎」
「ジロウ? それが私の名前ですか?」
「え?」
何か様子がおかしいのに気づく。
「ね、ねえ二郎。自分が誰だか分かる?」
「私ですか? この大企業を牛耳る若き天才社長ですよ」
「全然真逆よ。大企業じゃないし」
「おや、おかしいですね。頭でも打ったんじゃないですかあなた」
「それはこっちのセリフでしょ」
その後二三のやり取りを経て、縁は確信に至った。
「う、ウソでしょ……。記憶喪失ってこと?」
「どうもそのようですね」
「なんか平然としてるわね」
「なんといっても社長ですからね私は。小さいことなど気にしませんよ」
「……」
本当は無職だと教えてやろうか――。縁はちょっと迷ったが、結局やめた。今は自由に信じ込ませた方が安定する。そう考えておじさんの言葉を待った。
「見た目から察するに、あなたは私の秘書ですか? ええと」
「縁よ。
「おや。あなたは敬語ではないのですね、クサカベさん」
「うちはタメ口が社訓なのよ」
おじさんに敬語を使うのは
「で? なんでこんなとこにいるのよ」
縁なしメガネを外した。一星へのデキる秘書アピールは、冴えない弟の方には必要ない。
「流れで」
「どんな流れよ」
「色々ありましたよ。女学生にお金を返したり、重要書類を作成したり」
「重要書類?」
机上のノートパソコンを示した。さっきデタラメな数字を打ち込んだものだ。
「少々難解でしたがね。私の頭脳にかかれば、子供の宿題程度でしたよ」
実際にはてんで分からなかったが、大物ぶって見栄を張っていた。
「う、ウソでしょ? 勝手にいじっちゃったの?」
慌ててパソコンを確認する縁。表示された資料には、おじさんがフィーリングで入れた数字が並んでいた。
「な、何よこれー⁉ めちゃくちゃじゃないの!」
修正したいのは山々だったが、縁の担当業務ではなかったため、いささか専門性が高すぎた。
「……ダメ、お手上げだわ」
下手に直さない方がいいと判断した。一星が戻ったら相談するつもりだった。
「とりあえずこれは置いといて……。ほかには何もしてないでしょうね?」
「書類の山にハンコついて出しました」
「何やってるのよ! 出したって、誰に出したの?」
「えーっと。何と言いましたかな、あの青年……」
記憶喪失でも、薬を飲んでからの記憶には問題ない。が、単純なド忘れで名前が出てこなかった。
「覚えてません。記憶喪失なもので」
症状にかこつけてごまかした。
「忘れちゃったの? もう……」
ウェーブのかかった茶髪をかく縁。自分一人では手に負えなかった。
「いったんイッくんに電話しなきゃ」
電話越しでも秘書アピールするのが彼女の流儀だ。再びメガネをかけると、スーツのポケットからスマホを取り出そうとする。
「あ。下に置いてきちゃった」
一度社長室を離れる必要があった。
「その前に……」
おじさんにしっかりと釘を刺しておく。
「いい? ちょっと電話してくるけど、ちゃんといい子で待ってるのよ?」
「分かりました」
「絶対何もするんじゃないわよ。何一つとして!」
「ええ、ええ。もちろんですとも」
「ホントに分かってるのかしら……」
不安しかなかったが、ひとり残していったん退場した。
「……何だかおっかない人でしたねえ」
残ったおじさんはのんきに好き勝手言っていた。その時、デスクの電話がプルルと鳴った。
「はい社長です」
ワンコールで受話器を取った。縁が出てから10秒と経っていなかった。
『ハッハッハ! 何だその受け答えは!』
一星によく似た笑い声だが、女性の声。忌憚のない豪快な態度だった。
「失礼ですか、どちら様でしょうか?」
『徳井
得意先の女性社長だった。一星の出身大学――アメリカの超名門、ピカチューゲッツ工科大学の先輩でもある。
「徳井さん。はてな、やはり分かりませんねえ」
おじさんとは面識がないので、仮に記憶が戻っても分からない。サキはおじさんからの呼ばれ方に引っかかりを覚えた。
『徳井さんって何だよ、サキでいいよ。なんか変だぞ一星』
「おや。私の名前はイッセイでしたか?」
『親からもらった名前だろ? 大事にしたまえよ』
「てっきりジロウだと思っていましたが」
『一星でもジロウでもどっちでもいいだろ』
「言ってることがさっきと違いますが」
『ゴチャゴチャうるさいなあ今日の一星は。ええい、知るかバカ!』
大声で本題を切り出した。
『そんなことよりキャバクラだ!』
「キャバクラ? どういう場所でしたかな」
『かわいいおにゃのこがいっぱいいるパラダイスだ!』
「ほほう。ちょっと興味ありますね」
記憶と一緒に貞操観念も飛んでしまったようだ。
『ん? 意外だな、てっきり断られるかと思ったが』
「とんでもない。さっき街で生JKを見て興奮していたところです」
『そ、そうか。私でも言わんぞそんなことは……』
女好きのサキも引いていた。ゴホンと
『本当は一人で行ってもいいんだがな。女だけだと不審がられるんでな』
狙っている女の子に警戒されないための作戦だった。
「そういうものですか。なるほど、それで男の私と」
そこまで言った時、ノートパソコンを取りに来た光輝が現れた。
「あ、少々お待ちくださいね」
受話器の下を押さえて招き入れた。
「すみません社長、お話し中に」
「いえいえ。いま重要な商談をしているので、勝手に持っていってください」
また仕事を増やされてはたまらないので、早々にパソコンを持って帰らせる。何もするなという縁の言いつけを守る気はないらしい。
「重要な商談ですか。さすが社長です。データありがとうございます」
退室するのを見届けて、再び受話器を構えた。
「……どうもサキさん、お待たせしましたね」
『構わんぞ。お互い忙しい身だからサクッといこう』
一星同様、やり手社長のサキも多忙を極めるようだ。ターゲットの女の子について説明を始めた。
『最近いい子が入ったんだ。明らかにまだ高校生、下手したら中学生だな』
「おやおや。犯罪では?」
『それがな、どうも店の子ではないらしい。食事の出前に来ている子だそうだ』
電話の向こうからサキの悔しさが伝わってくる。
『いいなと思ってぽーっと眺めてたら、いつの間にか店からいなくなっていた。次こそは正体を突き止めたいものだ』
何とかして目当ての子と接触したいらしい。
「それはそれは。泣かせる話ですねえ」
どこに泣ける要素があったのかは不明だが、おかしくなったおじさんの胸には響いたようだ。サキは声を高くした。
『泣いてくれるか! 一星、お前変わったなあ!』
すっかり意気投合していた。意外と堅物なところのある一星には軽くあしらわれると思っていたようだ。双子違いに気づかず話は弾んだ。
「私でよければ是非ともお供させてください」
おじさんは空いている手をワキワキと動かした。紳士フェイスで邪悪な笑みを浮かべる。
「楽しみですねえ。早くご覧に入れたいですよ、私のフィンガーテクニックを」
『い、一応言っておくが、おさわりは禁止だからな? フィンガーテクニックは控えておけ』
「なんとまあ、そんな生殺しがありますか。据え膳食わぬは男の恥でございます」
普段の慎ましさはどこへやら、大事なものを次々と喪失しているようだった。豪快なサキもさすがに心配が募る。
『一星、お前ちょっと疲れてるんじゃないか? たまには休養も大事だぞ』
外の空気を吸わせようと提案した。
『そうだ、今度ゴルフにでも行かないか?』
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