5新音「こ、これはファッションで……」
「ほう。ここが社長室ですか」
社員の平野
「……なんだか物置小屋みたいですねえ。ゴチャゴチャとしていて」
手狭な部屋は、書類や資料で溢れかえっていた。社長室というより、ただの書斎のようである。どこにでもあるオフィスチェアーに腰を落ち着けた。
「もっとこう、フカフカの大きな椅子とかないのですかな?」
光輝に尋ねると、彼は屈託なく笑ってみせた。
「若いベンチャーにそんな余裕ありませんよ。その椅子だって、社長が選んだんじゃないですか」
「私が? そうでしたか」
当然ながら、おじさんには何の心当たりもない。仮に記憶が戻ったとしても。
「よっと」
机の上に、光輝はドサッと書類を置いた。山になっていて今にも崩れそうだ。
「イメチェンごっこもいいですけど、いつもの働きっぷりを見せてくださいよ」
社長が片づける書類らしい。そのボリュームに、おじさんは目を丸くした。
「なんですかこの……圧倒的量はっ……!」
「社長にとっては普通でしょ? 人の30倍働く男じゃないですか」
「そこはせいぜい3倍とかじゃないですか?」
「謙遜してるんですか? なんか社長らしくないですね……」
おじさんの顔をじーっと見つめる光輝。疑いの目を向けた。
「……もしかして、社長じゃないんじゃないですか?」
一方のおじさんはすっかりその気になっていた。オフィスチェアーにふんぞり返る。
「何をおっしゃいますか。10万人の社員を抱える若社長ですよ私は」
「そんなにいるわけないでしょ? ヒラの俺が喋れるくらいなんだし」
会社の規模すら把握していない彼を見て、光輝は疑いを強めた。なりすましか何かだと思ったようだ。
「そっくりさんとかじゃないですか?」
「そんなはずは……」
ないと言いたかったが、根拠を示すことができない。返答に窮して何も言えなかった。
「なんとなくですけど、本当は無職のおじさんって気がしますよあなたは」
光輝は真相を知らなかったが、持ち前の天然でズバリ言い当てていた。無礼な発言を受けて、おじさんは露骨に顔をしかめる。
「無職のおじさん~? 心外ですねえ、そんなゴミのような存在と一緒にされては」
ブーメランが刺さっていることにも気づかずなり切っていた。
「じゃあ証明してくださいよ。例えば、この書類の山を一瞬で片づけるとか」
「ええ、ええ。お安いご用ですとも」
一番上の紙をピラッと手に取った。小さい文字とにらめっこする。
「……」
まるで意味が分からなかった。専門的な用語や数式がぎゅうぎゅう詰めになって、所狭しと踊っていた。
「どうしました社長。手が震えてますけど」
「い、いやあ。大好きな仕事ができるんだと思うと、つい武者震いが、ね」
「なんだそうでしたか。ここにハンコ押してくださいね」
押印する位置を示される。おじさんは顔を上げた。
「え、ハンコ押せばいいんですか?」
「もちろんチェックしてからですよ? 問題ないと確認したら押すんです」
「ほかの書類もその手のやつですか?」
「この山については全部そうですね」
「……」
何を思ったのか、おじさんはしばらく黙り込んだ。このままでは社員からの信用を失いかねない。どうにかして社長としての手腕を示す必要があった。
「……いいでしょう」
再び口を開いた時は、なぜか自信満々な顔になっていた。ニヤリと笑って光輝を見上げる。
「見せてあげましょう。稀代の若社長の性能とやらを」
赤い彗星のようないい声でそう意気込んだ。余裕たっぷりなその様子に、疑っていた光輝も身を乗り出す。
「おおっ! 社長らしくなってきましたね」
期待の眼差しで見つめられながら、おじさんは社長専用ハンコを手にした。朱肉には赤い水性の……ではなかったが、赤い顔料が染み込んでいる。
「
雄叫び一つ。書類にハンコをついていった。
ドドドドドドド……!
「す、すごい! びっしり書かれた書類を一瞬でチェックするなんて!」
むろんチェックなどしていない。ひたすらハンコを押すだけのマシーンと化していた。
「山がどんどんなくなっていく! こ、これはまさに……」
通常の30倍のスピードで駆逐していくおじさんに、光輝は度肝を抜かれて叫んだ。
「ハンコ流星群ですよ!」
手に汗握って必殺技の名を口にした。おじさんは流星群の使い手となってしまった。
「はあはあ……」
額に汗を浮かべて、どんどん書類束の標高を下げていく……。
「……よしっ! これで終わりです!」
最後の1枚にポン! と決定打を入れた。その活躍ぶりに、光輝は思わずスタンディングオベーションした。
「さすがです社長! 疑ってすみませんでした、やっぱり俺たちの社長ですよ!」
尊敬の眼差しを受けて、おじさんは得意満面だった。ぜえぜえと息を切らしながらも、余裕しゃくしゃくの態度をとった。
「ま、まあ、私の手にかかれば……。これくらい、朝飯前ですよ……」
なんとか社長の面子を保つことに成功した。これでひと安心かと思われたが、光輝はキラキラした瞳で続けた。
「せっかくなんで社長、これも見てもらっていいですか?」
「え」
ノートパソコンを立ち上げると、これまた難解なデータを表示させた。問題の箇所をおじさんに指示する。
「ここに入力する数字なんですけど……」
「う、うむ……」
あれこれ説明を受けたところで、やはりチンプンカンプンだった。
「? どうしました社長」
へまをやらかす前に、光輝を退出させることにした。
「えっと……。き、君はもう下がっていいですよ」
「え? でもアドバイスを」
「後は私がやっておきますから。と、とにかく早く」
「そ、そうですか?」
どこに数字を入れればいいか、簡単な説明をしておじさんに引き継ぐ。仕事が減ったとあって嬉しそうだった。
「いやー大助かりですよ社長。そのパソコン、後で取りにきますね」
「え、ええ。チョチョイのチョイで終わらせますよ」
やっとのことで追い出した。いなくなったのをしっかりと見届けてから、机に伏せてため息をつく。
「はあ~っ、どうしましょう……。つい安請け合いしてしまいました」
このまま放置していたのでは、社長としての立場が危うくなってしまう。せっかくの地位をふいにしたくはなかった。
「……もういいや。適当に打っちゃいましょう」
あとは野となれ山となれ。難しいことは考えずに、デタラメな数値をポチポチと入力していった。
「フンフンフン~♪」
鼻歌まじりにキーボードを叩いていく。めちゃくちゃなデータを作り終えたその時、別の人物が社長室に入ってきた。
「失礼します」
まだ少女らしさの残る女性の声――。おじさんと一星の幼馴染――秘書メガネをかけた
「社長、今日は出張だったんじゃ……」
席に着いているおじさんを見て、縁は持っていたバインダーをぽとりと落とした。光輝は双子を取り違えたが、幼馴染の目には判別するまでもなかった。
「な……。な……!」
震える指を突きつけて叫んだ。
「なんで二郎がここにいるのよ⁉」
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