12える「出てかないと漫画読ませませんよー?」

「……誰あんた」


 時は7年前にさかのぼる。


 足の踏み場もない暗い部屋で、少女は吐き捨てるように言った。入り口にいる人物に、いぶかしげな目を向ける。


「ど、どうも……」


 立っていたのは、制服姿のおじさ……高校2年生の二郎だった。決まりが悪そうな様子で口を開く。


忍野おしのから……。あ、きみも忍野か。お姉さんから聞いてない?」

「知らねえよ。あんたあいつの何?」

「えっと、クラスメイト……。小田おだ二郎です」


 二郎は気まずそうに頬をかく。


「教室で聞いてさ、きみのこと。最近学校通えてないって」


 それを聞いて、パソコンの前に座った少女は怪訝けげんな顔をした。


「あのプライドの塊が、そんなこと自分から話すわけねえだろ」

「偶然聞いちゃったんだよ。俺の席、おし……ケイのすぐ後ろだから」

「……で?」

「え?」


 いまひとつ要領を得ない二郎に、少女はイラついた。伸び放題の髪をかきむしる。


「そんで、どうしてここにいんだよ」

「ケイから住所をき出して……」

「違う。目的訊いてんの」


 自室へ突然現れた男子生徒を、引きこもりの少女は警戒していた。机の上でペンを握る。


 そんな彼女とは対照的に、二郎はこともなげに言った。


「気になったんで様子見にきたんだよ」

「? ただのクラスメイトなんじゃ……」

「ケイと? うん」

「?」


 謎の闖入者ちんにゅうしゃの意図をはかりかねていた。少女の顔をよく見ようと、二郎は照明をつけようとする。


「電気つけていいか? えっと……」

「あ、える」


 言った直後、えるは舌打ちした。相手の動向を探るのに意識がいって、気安く名前を教えてしまった。それをOKと取って、二郎は入り口付近のスイッチを入れる。


「……あれ? つかないぞ?」

「切れてる」

「替えないのか?」

「……関係ねえだろ」


 外へ買いに出るのは怖かった。パソコンの明かりだけが、彼女の孤独な横顔を照らす。


「ただのクラスメイトが、会ったこともない妹の顔見にきたっての?」


 少女にはその行動が理解しがたかった。もっともな疑問に、二郎は苦笑いした。


「はは……。なんか、売り言葉に買い言葉でな。ケイと言い争いみたいになって……。半分やけになって来ちゃった」


 普段は行動力に乏しい二郎にとっても、これはイレギュラーな展開といえた。二郎自身、なぜこの場に来てしまったのか疑問を抱いているようだ。


「冷静になって考えると、確かになんでいるんだろうな俺」

「知るかよ」

「でももう来ちゃったし、ちょっと上げてくれよ」

「お、おい……」


 物で溢れかえる床を、気をつけながらも勝手に進んだ。招かれざる客の行進に、少女は声を荒らげた。


「誰がいいって言ったよ! おい止まれ! これ以上寄ったら……」

「? 寄ったら?」

「よ、寄ったら……」


 よく考えると、非力な自分に対抗するすべなどなかった。通報などの手段に出れば、当然人の目に触れることになる。それはえるの望むところではなかった。


「……とにかく、そこまで」


 そう言うのが精一杯だった。言われた通り立ち止まる二郎。少し離れた場所から首を伸ばした。


「今は何してたんだ?」


 パソコンを覗き込むと、描きかけのイラストが目に入った。机には板タブ――パソコンに接続して使うペンタブレットが置かれている。


「漫画描いてるのか。上手いな」


 プロデビューを目指してネットに投稿していた。学校に行かない代わりに、えるはいくつもの作品を執筆してきた。


「……あんたに分かんのかよ」


 ネットのコメント以外――生の声で褒められたは、今の二郎の言葉が初めてだった。悪態はついたが、絵を認められたことは純粋に嬉しかった。


「ああ。素人にも分かるくらい上手いよ」

「素人じゃんかよ」

「ずいぶん練習したんじゃないか? 俺なんて、ドラえもん描けるかすら怪しいよ」

「そりゃ、学校行ってない分時間あるし……」


 引きこもって漫画ばかり描いていた。口をついて出た学校という言葉に、えるはギリッと奥歯を噛んだ。


「……どいつもこいつも、あいつのことばっかり。どうせ比較されんなら、学校なんか行かないで、漫画描いてた方がよっぽど……」


 無防備に打ち明けてしまったのに気づいて、慌てて口をつぐむ。暗い趣味をバカにされると思って身構えた。


「……?」


 しかし、二郎からの反応はなかった。妙だと思い様子をうかがうと――。


「あ」


 床に積まれたノートの一冊を、彼は座り込んで読みふけっていた。えるは敵意をむき出しにして噛みついた。


「何やってんだよ! 勝手に読むな!」


 椅子から飛び上がり、手からノートを奪う。開かれたページには、漫画らしきものが描き込まれていた。


 ご機嫌な読書を中断された二郎が反発する。


「あっ、返せ!」

「いやあたしのだろ! なに人のもん読んでんだ」


 しかられてなお、二郎は別のノートに手を伸ばした。期待にページを開く。


「こっちも漫画だ。いっぱい描いたんだなあ」

「漫画なんてもんじゃねえよ。昔描いたラクガキ」


 自由帳に鉛筆で描いた作品だった。える本人にはつたない描写も、しかし二郎の目にはそうは映らなかった。


「さっきの続き読ませてくれよ」

「はあ? なんで」

「なんでって、面白いからでしょ」

「そんなわけ……」


 ないと言おうと思ったが、その目に嘘はなかった。本気で漫画を褒めた二郎に戸惑い、思わずたじろいでしまう。


「あっ!」


 その隙をついて、二郎はノートを取り返した。腰を据えて続きを読む。漫画と小説の違いはあったが、文芸部員としての心がくすぐられた。


「返せよ! ていうかいつまでいんだよあんた」

「とりあえず、これが終わるまで」

「……それ、5冊分あるんだけど」

「じゃあそれまで」


 冗談ではない――。このまま不審者に居座られてはたまったものではなかった。


 学校へ行けと言われようが、えるに考えを改める気はない。異物を排除しようと試みた。


「どんだけ居座っても変わらねえよ。もう諦めただろ。分かったらさっさと帰れよ」


 その言葉に疑問を抱いて、二郎は顔を上げた。


「諦めた、って何を?」

「え? だから、学校行かせるのを」

「え? 俺そんなこと言ったか?」

「え?」


 言われてみれば、二郎の口から『連れ戻す』という意味の言葉は出ていなかった。では、なぜここへ来たのだろうか――。


「じゃあなんで……。姉ちゃんに言われて来たんじゃねえの?」

「違うよ。さっきも言ったけど、様子見にきただけ」


 二郎は立ち上がった。


「ケイはむしろ止めてたな。たいして親しくもない同級生が妹のとこ行くってなれば、そりゃそうか」


 えるの気分を害しては本末転倒だったため、素直に立ち退こうとする。ただ、読みかけの漫画だけは名残惜しかった。


「それより、たまにここ寄っていいか?」

「え? どうして」

「続き読みたいから」


 不登校の少女を心配して来たはずが、いつの間にか作品を読むのが目的になっていた。掴みどころのない二郎にえるは困惑させられたが、やはり考えは変わらない。


「……嫌に決まってるだろ」


 作品を気に入ってくれたのは嬉しかったが、人を上げるとなると話は別だった。生身の人間など、引きこもりの少女にとっては、自分と姉を勝手に比較する批評家でしかなかった。


「うーん、そうか……」


 読書欲旺盛おうせいな二郎も、さすがに気持ちを無視してまで上がり込もうとは思わなかった。何とかして、部屋に入ることなく漫画にありつけないものか――。私欲のために頭をひねった。


「あ、いいこと思いついた」


 そう言って、あることを提案した。

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