10える「ほら、招待状もありますし」

 ブイーン……。


 えるに告白されて、おじさんは思わず電マを取り落とした。ラブホテルの一室にバイブ音が響き渡る。


「え、える……。お前いま、何て……?」


 シャワーを浴びたえるの髪は、まだ乾き切っていなかった。しっとりと濡れている。


「だ、だから……」


 恥ずかしそうにバスローブの前を押さえる。さっきまでのおちゃらけた声とは違っていた。


「誰ともお付き合いしてないなら……。自分じゃダメか、っていたんス……」

「お、俺とえるが……」


 おじさんの顔が紅潮していく。砕けた空気に戻そうと、努めて軽い雰囲気で返した。


「な、何言ってんだよえる。あ、相変わらず飛ばしてんなあ。あんまり先輩をからかうんじゃ――」

「からかってなんか、ないッス。今までずっと、先輩はゆかり先輩と付き合ってると思ってましたけど……」


 それはえるの勘違いだと分かった。


「でも今は……。自分が、なりたいッス。……先輩の、彼女に」


 動揺するおじさんに近寄る。自分の胸元に手をあてた。


「……自分、昔みたいに不潔じゃないッスよ? 姉ちゃんみたいなボンキュッボンじゃないけど……。きれいになったよ?」


 潤んだ瞳で見つめる。おじさんはベッドに追いやられた。


「で、でも、なんで俺なんかを……?」


 えるは首を横に振る。下ろされた髪からはシャンプーの匂いがした。


「そんな風に言わないで。先輩が教えてくれたんス。素敵なことは、部屋の外にもたくさんあるって」


 追うようにしてベッドに膝を載せる。距離を置こうと後ずさりするおじさんに、四つん這いでにじり寄った。


「だから……。キャッ⁉」


 慣れないふかふかのダブルベッドに脚を取られた。そのまま前につんのめってしまう。


「え? わわっ⁉」


 ベッドの上のおじさんは仰向けになり、えるに押し倒される格好になった。体と体が密着して、身動きが取れなくなる。


「だ、大丈夫か? える」

「いてて……。す、すいませ――」


 つむった目を開けると、すぐそこに彼の顔があった。至近距離で目と目が合う。


「「あ……」」


 同時に声を漏らした。間接照明はうす暗かったが、えるの大きな瞳には、おじさんの瞬きまでもがはっきりと映っていた。


「ご、ごめんなさい! 今どきますから」

「あ、ああ……」


 手をついて身を上げようとした時、えるはハッと気づいた。


「あっ!」


 大きな声を出したかと思うと、なぜかまたおじさんの上に伏せてしまう。


「ど、どうした?」


 何かトラブルでも起こったのか、えるはカーッと赤くなった。


「どうしよう……。やばいッス先輩」

「なんだ? 俺にできることあったら言ってくれ」

「えっと……。じゃあ、このままくっついてていいッスか?」

「お、おいおいそれは」

「違うんス! 実は……」


 覆いかぶさったままの体勢で、えるは自分の胸の辺りを、顎を引いて覗き込むようにした。


「や、やっぱり……」


 何かを確認すると、またおじさんの方へ困った顔を向けた。おじさんの上でもじもじする。


「……ほどけちゃったみたいなんス」

「ほどけた? 何が?」


 恥ずかしさから小声でつぶやいた。


「……バスローブの紐」

「え?」

「だ、だからぁ……」


 再び目が合った。えるの顔は真っ赤だった。


「……バスローブの紐、ほどけちゃったんス。いま動いたら……。見えちゃうんスよっ!」


 ゼロ距離で叫んだ。えるの体温が上がるのが、下敷きになったおじさんにも伝わってきた。


「見えちゃうって……」


 思わず目線を下げてしまう。その目の動きを察して、えるは慌てて言葉で制した。


「や、やめてくださいっ! コケた時にはだけちゃってるんスから!」

「わ、悪い! ついうっかり」


 つんのめった時に、バスローブの前が開いてしまったようだ。もし体が離れたら、こぼれた胸がおじさんに見えてしまう。


 どうすることもできず、おじさんは真下で身じろぎした。


「どっちが動いても……ってわけか」


 二人の体はぴったりくっついていた。このいけない雰囲気を少しでも緩和させようと、おじさんはえるの服装について確かめた。


「で、でも、下着は? つけてる……んだよな?」

「……」


 彼女は答えなかった。恥ずかしさに顔をゆがませている。


「……え? 変顔?」

「バカっ! そんなの、自分から言えるわけないじゃないッスか! 自分だって一応……」

「い、一応?」


 せめて目線だけを逃がして、えるは言った。


「一応……。乙女なんスから……」

「……」


 今度はおじさんが黙ってしまった。


(お、乙女っていうのは……。つまり……)


 ガストで棒きれのアドバイスをした時、えるの反応からうすうす感づいてはいた。が、改めて処女だと切り出されると、オープンスケベな印象とのギャップが大きかった。


「ね、ねえ先輩」


 えるは固唾をのんだ。そのわずかな音さえも、目の前のおじさんに伝わってしまう。


「な、何だ?」

「このままずっと動かないってわけにもいかないし……。ここまで来たら、その……。取材の続きしませんか?」

「取材っていうと……」


 えるは意を決したように頷いた。


「……エロ漫画の取材」


 大真面目でそう告げた。その言葉の意味を察して、おじさんはパニックになる。


「エッ……! ほ、本気で言ってるのか?」

「あはは……。付き合う前にしちゃったんじゃ、順序逆になっちゃいますね」


 つくった笑い声は震えていた。おじさんと同じく、えるも動揺しているのだ。


「し、しかしお前……。取材だからって、本当に俺なんかと?」

「もう、さっきも言ったじゃないスか。『なんか』なんて言わないでって。ほんとに弱虫な先輩ッスね」

「う……。ごめん」

「またそういう顔する……」


 彼の色々な表情を見るたびに、乙女の胸は締めつけられた。


「……やっぱり、自分じゃダメッスよね。縁先輩みたいにかわいくないし」

「あ、あいつは関係ないって! えるの方こそ、もっと自信持てよ」


 その言葉に、えるは切ない顔をした。


「だったら……」

「!」


 おじさんの頬にそっと手を触れた。


「――持たせてくださいよ、自信……」


 心臓の音まで聞こえてきそうだった。スーツ越しに、D寄りのCカップが押しあてられているのを感じる。柔らかそうな彼女の唇に、おじさんの目は吸い寄せられた。


「それって……」


 にわかに緊張感が高まる。えるの視線は熱っぽかった。


 ブイー……。……。


 バッテリーが切れたのか、電マは空気を読んだかのように止まった。二人きりの閉鎖空間に、邪魔者の入る余地はない。


「え、える……」

「先輩……」


 ゆっくりと、えるは顔を近づけていった。

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