8縁「前は三実ちゃんに乗っ取られたもの」

 二人はラブホテルで『休憩』することになってしまった。バスローブ姿のえるはあっけらかんと開き直っている。


「自分は先輩に言われた通りにしただけッスから」


 髪を下ろした後輩の姿に動揺しつつ、おじさんは予想の斜め上をいった彼女を非難した。


「だからってお前なあ」

「ほんとにここしかなかったんスよ! 休めそうなとこ」


 えるの言っていることは事実だった。具合が悪くなったおじさんを、一刻も早く休ませようとしたのだった。


「ベッドがあったのは幸いだったッス。先輩すぐに落ちましたよ」


 熟睡していたとえるは言う。その発言に、おじさんは何か矛盾を感じた。


「……そんなによく寝てた? 俺」

「はい。赤ちゃんのようにぐっすりでしたね」

「……妙だと思わないか? だってさ」


 目がギンギンに冴える薬――『メガギンギン』を、おじさんは飲んでいたのだ。そのことを、えるも思い出す。


「あ。そういえばそうッスね」


 眠気覚ましを飲んだのに、スヤスヤと眠っていた。その奇妙な違和感に、おじさんは首を傾げる。


三実いもうとが実験に失敗しただけかな……?」

「ん~、どうなんスかねー」


 えるは直接三実に会ったことはなかった。改めておじさんの具合を確かめる。


「体の方はもういいんスよね?」

「おかげさまでな。落ち着いたみたいだ」

「なら、気にしなくていいんじゃないッスか?」

「うーん、そうだな」


 初めて足を踏み入れた非日常空間に、えるははしゃいだ。おじさんにいい笑顔を向ける。


「先輩もシャワー浴びてきたらどうッスか? なんか七色に光ってめっちゃエロかったッスよ」

「い、いいよ俺は」

「お風呂も広かったッス。二人で入りましょうよ!」

「ば、バカっ! 女の子がそんなこと言うんじゃない!」


 照れるおじさんに味を占めて、えるは蠱惑こわく的な笑みを浮かべた。バスローブの前をチラとはだけてみせる。


「さて問題ッス。自分は今、下着をつけているでしょうか。そ・れ・と・も……?」


 その小悪魔な仕草に、おじさんは思わず目が吸い寄せられてしまう。真っ赤になった顔を慌てて背けた。


「し、知るかっ! どうせ幼児体型のくせに!」

「高校時代とは違うんスよ~? 姉ちゃんには敵いませんけど、自分だってCカップはあるんスから」

「具体的に言わなくていい!」

「あ、信じてないッスね? もっと具体的に言えば、D寄りのCッス。ここ重要。テストに出るッスよ~?」


 現役教師による課外授業が始まっていた。


「上だけじゃないッスよ……?」


 おじさんが視線を戻したのを確認して、えるはバスローブの裾をつまんでみせた。


「下の方は……。どうかな~?」


 小指を立てた手でピロッとめくってみせる。いじらしく見え隠れする白い太ももが、サングラスをとったおじさんの目をダイレクトにくらませた。


「こ、コラ! その……。危ないだろうが!」

「あはは。先輩かわいい~っ」


 もてあそばれて疲れ切ったおじさんは、ダブルベッドに腰かける。乱れた息を整えた。


「も、もうさっさと出よう……。心臓に悪い」

「え~? 『休憩』時間、まだ2時間くらいありますよ? いま出たらもったいないッスよ。それに……」


 広い部屋でクルリとターンしてみせた。瑞々しい肢体をバレリーナのように広げる。


「けっこうかわいい部屋じゃないッスか? ワンランク上の贅沢空間って感じで」

「ま、まあ確かに……」


 昭和の古臭いイメージと違い、落ち着いた大人のムードが漂っていた。初ラブホテルのおじさんでも安心できる雰囲気があった。


「思ったよりお洒落だな」


 ベッドのシーツを撫でてみる。


「普通に清潔感あるし」

「でしょー? こんな機会めったにないんスから、取材しましょうよ取材」


 えるマンガ先生のハートに火がいてしまったようだ。ろくな取材にならないだろうと判断したおじさんは、早々に部屋を出ようとする。


「エロ漫画家と一緒にこんなとこにいられるか! 俺は一人で出るぞ!」

「そんな死亡フラグみたいな。それに、たぶん一人で出るとかできないシステムだと思いますよ?」


 実際には、フロントに一報するなど方法はいくらでもあったのだが、パニック状態のおじさんには思いつかなかった。えるのついた嘘を疑うことなく信じ込んでしまう。


「そ、そうなのか」

「というわけで、探険してみましょう。ほら、でっかいテレビがありますよ」


 壁にかかった大型テレビが目に入る。家のテレビとは違う大迫力に、えるは嬉々として飛びついた。


「見てくださいこのボディー!(裏声)。こんな大画面でAVなんて見た日には、もう彼女なんていらなくなりますよ」

「言ってること最低だぞお前。絶対つけるなよ」

「分かってますよ。先輩の以外見たくないって言ったでしょ?」


 おじさん以外の股間を見る気はないようだ。後輩からの告白(?)に、おじさんはたじろぐ。


「ぐ……。そういうことを平気で……」


 昨今の性の乱れを嘆いている間にも、えるはバスローブをはためかせて取材を続ける。枕元のオーディオに目を留めた。


「BGMと照明がいじれるんスね。よーし」


 よりアダルトなムードを演出するべく、うんうんうなって試行錯誤した。


「……できた、神設定! このシチュエーションなら、難攻不落なあの子も自分から開門するってもんスよ」

「お前はどの視点で物を見とるんだ。中身オヤジじゃねえか」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 続いて、ホテルの案内が載ったカタログに手を伸ばす。宝箱を開ける子供のような無邪気さでページを開いた。


「へえ、『女子会プラン』なんてのもあるんスねー。何も起きないはすがないッスよねこれ」

「お前みたいのが紛れ込んでたらな」

「ほうほう、レンタルした衣装でコスプレ撮影会とかするみたいッス」


 衣装を貸し出すサービスがあるらしい。多様なコスチュームが並んだページを広げて、おじさんに見せつけた。


「どれ着てほしいッスか? 王道はやっぱ制服ッスよね」

「教師が制服をそういう目で見るな」

「あっ、『ハルヒ』ありますよ、涼宮さんちの方の」


 某有名小説に登場する制服もラインナップされていた。実にけしからんことである。


「かわいい~。部室を思い出しますねえ」


 高校時代を回顧するえるにつられて、おじさんもついページを覗いてしまう。


「……まあ、確かにこの制服はかわいい」

「おっ、さすがのいぢ先生。堅物の先輩を欲情させるとは」

「別に欲情してねえよ!」


 二人きりの閉鎖空間が徐々に彩られていく。


「みくるちゃんのではないッスけど、メイドさんもありますね。先輩はメイドさん好きッスか?」


 その言葉に、おじさんは桃金学院でのやり取りを思い出した。猫耳メイドとなった百衣ももい李花りかに殴られた鼻先がうずく。


「め、メイドはもういい!」


 その言葉をどう解釈したのか、えるは嫉妬心をあらわにした。別の女の匂いを敏感に嗅ぎ取ったようだ。


「何スかいいって! まさか、ほかの誰かと……」

「そ、そういうんじゃねえよ」

「ほんとッスかー?」


 ジト目で睨む彼女から逃れようと、ベッドから離れる。別の話題でごまかそうとした。


「な、なんか喉渇いたな。こういうとこって、ちっこい冷蔵庫とかないのかな」

「あ、自分さっき見たッスよ。こっちッス」

「? なんでニヤニヤしてるんだ?」

「へへ。別にー?」


 何かをたくらむような含み笑いが気になったが、案内を受けて室内を移動する。


「ほら、これッス」

「サンキュ。ええと、何があるかな……。ん?」


 何かがおかしいのに気づく。大きさや形はそれらしかったが、本来なら扉に相当する面には、何やら見慣れないグッズがディスプレイされていた。


「これは……?」


 冷蔵庫ではなく、何かの自販機らしかった。顔を近づけてよく見ると、ショーケースに並んでいるのは、飲み物のたぐいではなかった。


(ま、間違いない……)


 またも、おじさんは直感した。初めて見る卑猥なおもちゃにわなわなと戦慄し、心の中で強く叫んだ。


(アダルトグッズだこれ⁉)

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